13. 聞こえなくてよかったこともある
「善は急げ、って言うものね」
その日の放課後、僕と白雪さんはさっそく旧図書館に向かうことにした。
この前は柘榴さんに手助けしてもらって、白雪さんの悩み事を解決することができたけど、そのことと引き換えに、彼女があそこで何をしているのか、一体何者なのかは深追いせず、秘密にしておくことを約束させられた。
変わった人ではあるけど、危ない人ではないと思う。だけど、正体が分からない以上、何かあるかもしれないし、やっぱり僕がひとりで様子を見にいくべきじゃないかな。
それにしても、こうやって白雪さんの隣に並んで歩くだけで緊張する。
こんなところを誰かに見られたら、勘違いされて後ろから刺されたりしないかな……。
「柘榴さん、今日もいるかしら」
もうちょっと距離をとって、何かあったときにしっかり潔白を主張できるようにしておこう、そう思うものの、僕が少し離れると、白雪さんがその分こっちに詰めてくる。
「ど、どうだろうね。そういえば、もしあそこにいなかったら、どこにいるのか分からないし困るね」
教室を回っていけばどこかのクラスにいるかもしれないし、そもそも先生に聞けば分かるかもしれない。
でも、他言無用の約束を交わしている以上は、それもできないしな。
「おい、止まれ」
図書館に続く小道に差し掛かると、頭上から声が聞こえてきた。
うん、この声は間違いなくあの子だ。
見上げた枝の上から、赤い着物がふわりと舞い降りて、僕たちの行く手を塞ぐように着地する。頬の横で切り揃えられた黒髪に、袖口のフリル、裸足の足。
「あ、朱音ちゃん、久しぶり……」
「白雪、久しぶりだな」
あれ? 僕の姿見えてないのかな?
「朱音ちゃん、元気にしてた?」
「もちろんだ」
白雪さんに頭を撫でられている朱音ちゃんは、相変わらずの無表情ながら、心なしか得意げに見える。
「千歳、お前もいたのか」
むしろ最初に僕と目があってたよね!
透明人間になったかと思ったよ。
「朱音ちゃん、柘榴さんはいる?」
「ああ、もちろん。我の案内があれば、そこに柘榴様はいる」
なんだかおかしな言い回しだな。朱音ちゃんはここで見張りをしているんだろうか。
朱音ちゃんの視線が、じっとりと僕に向く。
「お前はやましい理由で来たんじゃないだろうな」
「白雪さんもいるのに、そんなわけないでしょ!」
あ、言葉を間違えたかな。
それじゃまるでひとりで来る時はやましい気持ちがあるみたいじゃないか。
「白雪、こいつこんなこと言ってるぞ」
ちょっと待って、違うよ!
慌てて否定しようとしたけど、白雪さんの表情がすっと消えていくのを見て、僕は思わずごくりと唾を飲み込んだ。
「そうね。私が一緒だから大丈夫。朱音ちゃん、千歳君はここにはひとりで来ないから大丈夫よ、安心して」
「ち、違うよ、さっきのは言葉の綾で、別にやましいことなんて……」
「朱音ちゃん」
白雪さんは僕の言葉を遮ると、かがみ込んで朱音ちゃんの肩を掴んだ。
「千歳君は私と約束したから、ここにひとりで来ないはずだけど、もし来たら、その時は、こ……」
え? その時はなに?
声が小さくなって聞こえないんだけど。
こ……「ここから追い返して」かな?
ころ、じゃないよね?
「分かった。躊躇せずにやろう」
やるってなにをさ!
ちょっと!
* * *
「こんにちは、失礼します」
僕の声に顔をあげた柘榴さんは、今日もいつもの場所で分厚い本を広げていた。
短く切りそろえた黒髪と、こちらを射抜くような鋭い目つき。
今日も変わらずシャツは上のボタンがふたつほど外されていて、苦しそうだ。いや、なにがということもないけど。
「柘榴さん、この前はありがとうございました。ちゃんとしたお礼ができていなくてすみません」
「その後、変わりはないようだな」
ぺこりと綺麗なお辞儀をした白雪さんに頷きながらそう言った後、柘榴さんは僕の方に目を向けた。正確には、僕の顔じゃなくて手を見ている。
「手は大丈夫かね? 見たところ腐り落ちてはいないようだが」
相変わらず表現が物騒すぎる……。
あと、手のことはあまり言わないで欲しいな。その話題になると、白雪さんの目線が厳しくなる気がする。
きっと潔癖な白雪さんにとって、他人の手をぺろぺろ舐めるなんて考えられないことなんだろう。
僕が望んでやってもらったわけじゃないということだけは、何度でも主張させてもらいたい。
「おかげさまでといいますか、大丈夫です」
「念のため確認しておいてやろう」
「あ、あの! 今日はまたご相談があってきたんです」
僕の手を取ろうと歩を進めてきた柘榴さんの前に、白雪さんが割って入ってきた。
そうだよ、今日は僕のことなんかより大事な話があるんだから。
「また何かやっかいごとかね。なら、向こうで話を聞こう」
気を取り直して席についた僕たちは、深山さんのことを順番に話していった。舞台の上でだけ、突然声が出なくなること、病院では原因が分からなかったこと。
それから、本番が迫っていて、あまり猶予がないことも付け加えた。
柘榴さんは頬杖をついたまま、口を挟まずに聞いていたが、話が終わると、ふむ、と小さく息をついた。
「なるほどな。だいたいの話はわかった」
「精神的なことかもしれないんですけど。でも、深山さんは、小さい頃から舞台は慣れていて。そんな彼女にしてはおかしいなって……」
白雪さんの不安そうな声を聞くと、彼女のためになんとか力になってあげたいという気持ちが湧き上がってくる。
僕にできることがあるか分からないけど、できることならなんだってするよ!
「では、まずは原因を確かめてみることだな」
「えっと、確かめるって、なにをどうやって?」
「もちろん、呪いかどうか、をだ。――朱音、あの面を持ってきてくれ」
……嫌な予感がする。




