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きみを守るのは、ぼくの知られない戦争  作者: 最後に残った形


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第1章 第9話:守ると決めた夜


 夜は、基地の輪郭を少しだけ曖昧にする。


 防壁の外に広がる街はほとんど灯りを失っていて、遠くに見えるのは監視塔の赤色灯と、ときおり高空を横切る巡回機の識別光くらいだった。相模第七防衛区画の内部も、夜になれば静かになるわけではない。ただ昼の騒がしさが沈んだ分だけ、機械音や足音や、誰かが押し殺したため息がよく聞こえるようになる。


 戦術支援管制室の照明は昼と同じまま白い。


 壁面モニタには翌日の大規模迎撃作戦の概要が映し出され、各卓では最終確認が続いていた。北東戦線、敵侵攻規模中以上、先鋒隊投入予定、後列支援再編成。文字列にすれば整然としている。だが冬真には、その整った配列の隙間から、嫌な未来がいくつも見えていた。


 榊冬真は、自席の端末へ向かったまま目を離さない。


 戦域予測モデルを何度走らせても、結果は大きく変わらなかった。先鋒が中央寄りへ引きつけられ、敵指揮型と思しき制御ノードがそれを観測し、重火力機か包囲群が収束する。入力条件を少し変えても、本質は変わらない。


 そしてその中心に、天城澪機がいる。


「まだ見てんのか」

 瀬名が隣から声をかけた。

「何回目だ、そのシミュレーション」

「八」

「気が滅入る数字だな」


 冬真は返事をせず、別パターンの予測を開く。先鋒進路をずらした場合。後列無人機の囮を増やした場合。中継再接続を一段早めた場合。どれも多少は改善する。だが“澪が狙われる”という前提そのものは消えない。


「上には出したのか」

 瀬名が訊く。

「出した」

「反応」

「検討中」

「便利な言葉だよなあ、それ」

「ああ」


 検討中。

 却下よりましで、承認より遠い言葉だ。


 冬真は端末を操作し、戦況分岐の一覧を重ねた。複数の未来が枝みたいに広がる。敵包囲成立。中継遅延。先鋒損傷。後列混乱。撤退成功。撤退失敗。その中で、生存率が一定以下へ落ちる枝だけが妙に太かった。


「榊」

 瀬名が、今度は少し真面目な声になる。

「お前、今日は帰れ」

「無理だ」

「分かってて言ってる。顔がまずい」

「いつもだ」

「いや、今日は“眠くて死んでる”じゃなくて“起きたまま沈んでる”ほうだ」


 言い得て妙だった。


 冬真は短く息を吐き、画面へ視線を戻す。眠気はない。あるのは、嫌な予感が確信へ近づいていく感覚だけだ。


 今日までの小さな違和感が、全部ここへ繋がっている気がした。


 敵の探索波形。

 澪の機体だけに重なる収束角。

 護衛任務ですら先頭機の滞留を取ろうとした配置。

 模擬戦で学習された回避傾向。


 向こうは待っている。

 次の実戦で、自分がどう動くかを。


 それはつまり、澪が次も危険の中心に置かれるということだ。


「……最悪だな」

 ぽつりと漏れた言葉に、瀬名が肩をすくめた。

「それ、今日何回目だ」

「数えてない」

「俺は六回聞いた」


 軽口で空気を薄めようとしているのが分かる。分かっていても、今の冬真にはそれに乗る余裕がなかった。


 壁面モニタに先鋒名簿が再表示される。

 先頭、天城澪。

 その名前だけが妙に白く見えた。


「お前さ」

 瀬名が紙コップを机に置く。

「一個だけ聞くけど」

「なんだ」

「今回、動かない選択肢ってあるのか」


 冬真は答える前に、ほんの少しだけ黙った。


 ない。

 そう言い切るのは簡単だった。

 実際、ほとんどその通りだ。


 けれどそれを言葉にした瞬間、自分がもうどこにも戻れない気がした。


「……分からない」

 結局、そう答えた。

「嘘だな」

 瀬名は即座に言った。

「分からないって言うときのお前、だいたいもう決めてる」


 冬真は何も返さない。


 その沈黙で十分だったのだろう。瀬名は長く息を吐き、紙コップを自分で持ち上げた。


「まあ、知ってた」

「止めないのか」

「止まるならとっくに止まってるだろ、お前」


 正しい。


 澪が危険域に入ると分かっていて、何もせず見ていられるなら、最初からここまで来ていない。


 戦術支援管制室の時計が、二十三時を回る。

 夜勤帯への引き継ぎが始まり、何人かが席を立つ。入れ替わりで新しい当番が入ってくる。だが冬真はそのまま残った。


 追加ログの精査を口実に、誰も強くは言わない。


 深夜に近づくほど、管制室の雑音は薄くなる。会話の数が減り、端末操作音と空調の唸りが目立つようになる。そんな中で、冬真だけがまだ同じ分岐モデルを見続けていた。


 そして、九回目の再計算でようやく見つける。


 正式ルートではない。

 作戦承認が通る可能性も低い。

 だが先鋒の生存率だけを底上げするなら、確かに効く手。


 非公式の予備中継回線。

 非常時用に封鎖されている補助ルート。

 敵指揮型の同期周期へ一時的にかぶせるノイズ。

 そして、澪機の制御補助設定と連動した限定的な退避支援。


 綺麗な案ではない。

 むしろ最悪に近い。


 だが、それを組めば生存率は上がる。

 少なくとも、今見えている枝のいくつかは切れる。


「……」

 冬真は画面を見つめたまま止まる。


 これを準備した時点で、もう言い逃れはできない。

 単なる現場判断ではなく、意図的な介入になる。

 戦況次第では、敵にも味方にも痕跡が残る。


 越えてはいけない線の、さらに向こう側だった。


「まだいたんだ」


 不意に、背後から声がした。


 冬真の肩がわずかに揺れる。

 振り返ると、管制室の入口近くに澪が立っていた。


 夜間用の簡易制服姿。髪は少しだけ乱れていて、たぶんシャワーのあとだ。昼の英雄の顔でも、整備区画で笑っていた幼馴染の顔でもなく、その中間みたいな表情をしていた。


「……何しに来た」

「それ、会うたび言うね」

「ここは前線の来る場所じゃない」

「明日のデータ確認ついで。ほんとは半分嘘」


 澪は小さく笑ってから、少しだけ視線を逸らした。


「顔、見たかった」


 また、それを言う。


 何度も聞いて慣れるような言葉じゃない。冬真は一瞬、返事ができなかった。


 夜勤帯に入っていた他の隊員が、気を遣うように席を外していく。露骨すぎる配慮だったが、今は助かった。


 澪は冬真の机のそばまで来て、端末画面を覗き込もうとしてやめた。そこにあるのがただの業務用データではなく、自分に関わるものだと、なんとなく感じたのかもしれない。


「まだ仕事?」

「ああ」

「ずっと?」

「ああ」

「寝てないでしょ」

「必要ない」

「人は必要あるよ」


 澪は少し眉を寄せる。その顔を見ると、昔と変わらないと思う。自分が疲れていても、先に他人の無理のほうを見る。


「明日、先鋒だって」

「知ってる」

「うん。知ってる顔してる」


 当然だ。知っているどころか、それを中心にずっと思考していた。


 澪は隣の空いた椅子を引いて、静かに腰を下ろす。管制室でそんなふうに座る前線パイロットは珍しい。だが誰も何も言わなかった。


「今日、避難任務のあとさ」

 澪がぽつりと話し始める。

「子どもにありがとうって言われたの、ちょっと怖かった」

「……怖い?」

「うん。嬉しかったよ。でも、ああいう顔で見られるたびに、次もちゃんと守らなきゃって思う」


 冬真は黙って聞く。


「失敗できないなって思うし、失敗したら、あの子たちの顔が浮かぶ」

「それは、お前に向いてる」

「向いてるのと、重いのは別だよ」


 澪はそう言って、少しだけ笑った。自嘲に近い、薄い笑い方だった。


 その顔を見て、冬真は自分の中で何かが固まるのを感じる。


 澪は強い。

 でも無敵じゃない。

 光みたいに見えるからといって、重さを感じないわけじゃない。


 むしろ、感じているからこそ前へ立っている。


「冬真」

「なんだ」

「私、ちゃんとできてるかな」


 問いかけは静かだった。


 英雄としてか。

 前線の兵士としてか。

 幼馴染としてか。

 どの意味なのか、あえて分からない言い方だった。


 冬真は一瞬だけ目を伏せ、それから澪を見た。


「できてる」

「即答」

「事実だ」

「……そっか」


 澪は少しだけ肩の力を抜いた。


「冬真がそう言うなら、ちょっと信じられる」

「軽いな」

「重いよ。あんたの言葉、昔から変に残るし」


 その言葉が胸に沈む。


 自分の言葉が残るなら、

 せめてそれが嘘でないようにしたいと思う。


 澪は机の上に置かれた冬真の紙コップへ目をやる。半分も減っていないコーヒー。


「苦いの飲めないくせに」

「瀬名にもらった」

「やっぱり」

「何がだ」

「私なら絶対くれないやつだなって」


 少しだけ笑う。ほんの短い、穏やかな時間だった。


 だがその穏やかさが、逆に冬真を追い詰めた。


 明日、もし予測通りの形になれば。

 もしこの顔が、次の夜にはここにないかもしれないとしたら。


 その想像を、もう無視できない。


「明日」

 澪が言う。

「終わったら、ちゃんと話そうよ」

「……」

「また流れるかもしれないけど、それでも言っときたい」


 昨日も似たことを言われた。

 その前も。

 たぶん澪は、本気で話そうとしている。


 けれど冬真は知っている。戦場は約束を守らない。


「帰ってきたらな」

 それだけ言うのが精一杯だった。

「うん。帰ってくる」


 澪は迷いなく言った。


 その強さが、ひどく眩しい。

 同時に、その強さに賭けるだけでは足りないと分かってしまう。


「冬真は?」

「何が」

「明日、見ててくれる?」

「仕事だ」

「またそれ」


 呆れたように笑ってから、澪は少しだけ真面目な目になった。


「でも、見てて」

「……ああ」

「よかった」


 その一言で十分だった。


 澪は椅子から立ち上がる。夜も遅い。前線要員は休息を取らなければならない。理屈ではそうだ。


 けれど立ち去る直前、澪はふと思い出したように冬真へ小さな端末メッセージを送った。冬真の画面隅に通知が出る。


 ――帰ってきたら、今度こそちゃんと話そう


 短い、個人宛てのメッセージ。

 それだけなのに、心臓の奥へまっすぐ入ってくる。


「口で言ったのに、わざわざ送るのか」

「証拠」

「何の」

「逃げられないように」


 澪は少しだけ悪戯っぽく笑う。その笑い方を見ていると、ほんの数秒だけ戦争が遠のいた気がした。


「じゃ、おやすみ」

「ああ」

「冬真も少しは寝て」

「努力する」

「しないやつの言い方」


 最後にそう言って、澪は管制室を出ていく。


 自動扉が閉まったあとも、冬真はしばらくその方向を見ていた。


 画面にはまだ、澪からのメッセージが残っている。


 帰ってきたら。

 ちゃんと話そう。


 帰ってくる前提の言葉。

 無事を疑っていない人間の言葉。

 だからこそ、守らなければと思う。


 そのとき、後ろから静かな足音がした。戻ってきた瀬名が、何も言わずに冬真の端末画面を見て、それから小さく眉を上げる。


「重」

「うるさい」

「いや、俺じゃなくて状況が」


 瀬名は隣に立ち、戦況分岐の画面を見下ろした。そこには冬真が見つけた非公式ルートの案も、もう隠しきれずに表示されている。


「……見つけたのか」

「ああ」

「生存率、どれくらい上がる」

「条件次第で二割」

「でかいな」

「その代わり痕跡は残る」

「お前にも、相手にも見える形で?」

「ああ」


 瀬名は数秒黙り、それからゆっくり息を吐いた。


「もう止めても無駄だな」

「……」

「その顔してるときのお前、たぶん誰が何言っても変わらない」


 冬真は否定しなかった。


 今ようやく、自分でもはっきり分かったからだ。


 守る。

 明日、何があっても。

 知られなくても、恨まれても、痕跡が残っても。


 ただ生きて帰ってくればいい。

 あのメッセージの続きを、澪が自分で言えるように。


「榊」

 瀬名が低く言う。

「やるなら、せめて雑にやるな」

「ああ」

「あと、失敗したら俺も巻き込まれるからな」

「知ってる」

「知ってて言うな。胃が痛い」


 それでも瀬名は去らなかった。隣に残ったまま、共有回線の裏層を開く。文句を言いながら、結局は支える立場に回ってしまうあたりが、彼らしかった。


 冬真は深く息を吸い、画面を整理する。


 非公式予備回線の起動条件。

 敵指揮型同期への限定ノイズ。

 中継遅延の短縮処理。

 そして澪機の補助制御と噛み合わせる退避支援。


 一つずつ確認していく。

 どこにも感情の名前は書かない。

 ただ数字と経路と波形だけを並べる。


 だが、そのどれもが結局は一つの感情から始まっていることを、冬真だけは知っていた。


 好きだとか、守りたいとか、そんな綺麗な言葉に分けるより前の衝動。

 生きていてほしい。

 それだけのために手を動かしている。


 準備を終えたところで、夜間の基地全体放送が短く流れる。明朝作戦開始時刻、各部隊の休息指示、不要な移動の制限。事務的な声が淡々と告げるだけなのに、それがやけに遠く聞こえた。


 冬真は最後に、澪から届いたメッセージをもう一度見た。


 ――帰ってきたら、今度こそちゃんと話そう


 画面の文字は変わらない。

 変わらないまま、明日が来る。


 だから冬真は、端末の最深部に保存した非公式プログラムへ静かにロックをかけた。


 必要になれば起動する。

 必要にならないなら、それが一番いい。

 だが必要になったとき、迷わないための準備だけは済ませておく。


 それはもう、迷いではなかった。


 守ると決めたのだ。


 英雄だからではなく、

 幼馴染だからだけでもなく、

 あの光が明日も消えずにいるように。


 夜の終わりが近づいていた。

 壁面モニタの白い光が、冬真の横顔を静かに照らしている。

 その目はもう、次の戦場しか見ていなかった。


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