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きみを守るのは、ぼくの知られない戦争  作者: 最後に残った形


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第1章 第8話:光の背中


 英雄という言葉は、たいてい後ろから作られる。


 前にいる本人がどれだけ泥にまみれていても、汗で息が上がっていても、背中を見上げる側がそこへ希望を重ねた瞬間、その人間は“光”になる。望んでなったかどうかは関係ない。必要とされた時点で、役割だけが先に形を持つ。


 天城澪は、そういう光だった。


 相模第七防衛区画の午後は、戦闘と戦闘の合間にしか存在しない。補給ルートの見直し、避難区画の再整理、壊れたインフラの仮復旧。防壁の中で暮らす人々にとって、静かな時間は平和ではなく猶予だ。次の警報が鳴るまでの、短い借り物の時間。


 戦術支援管制室の壁面モニタには、その猶予を守るための任務予定が表示されていた。


 市民避難誘導を伴う防衛任務。

 西側搬送ルートの護衛。

 敵無人機群の散発的侵入予測あり。


 大規模な決戦ではない。

 けれど、こういう任務で死ぬ人間は多い。派手な戦果にならない分、油断や遅れがそのまま被害に繋がるからだ。


「避難誘導、また天城少尉か」

 瀬名が共有画面を見ながら言う。

「最近、前線も広報も何でもあの人だな」

「人手が足りない」

「分かるけどよ。光らせすぎると折れたときが怖いぞ」


 冬真は答えず、任務詳細を開いた。


 護衛対象は西側居住ブロックからの移送車列三台。移動区間は短いが、途中に視界の悪い高架下がある。敵が散発的に無人機を差し込むなら、そこで来る可能性が高い。典型的で、だからこそ油断しやすい。


 先頭護衛が暁式参号。

 やはり澪だ。


「ルート、悪くない」

 瀬名が言う。

「悪くはない」

「けど?」

「遮蔽が多い」

「つまり好きじゃない」

「好き嫌いの問題じゃない」


 敵性反応予測を重ねる。軽量無人機なら十分に潜れる。しかも今回の任務は“市民避難誘導”だ。護衛側は戦果より安全優先で動く。そこを読まれれば、引きつけるのは容易い。


 冬真は前線連携用の簡易戦術案を作り、中継卓へ送った。正式な作戦変更ではない。あくまで注意喚起レベルの補足情報だ。


 高架下進入時、視界外侵入を想定。

 無人機群が来た場合は先頭機が深入りせず、車列を優先して防壁寄りへ流すこと。


 打てる手は打つ。

 それ以上は現場の判断だ。


 壁面モニタの片隅に、出撃前待機中の映像が映る。澪は簡易ブリーフィングの最後で、避難ルート図を確認していた。前線向けの戦闘任務より、こういう護衛任務のほうがむしろ神経を使うはずだ。敵だけ見ればいいわけじゃない。守るべき民間人の動き、怯えた誘導車両の速度、避難に慣れていない子どもや高齢者の反応。全部が変数になる。


 それでも澪の表情は落ち着いていた。

 目だけが、いつもより少し柔らかい。


 戦うためではなく、守るために前へ出る顔だった。


「……向いてるな」

 気づけば、冬真は小さく呟いていた。

「何が?」

 瀬名がすかさず拾う。

「聞こえてたか」

「聞こえる距離で喋るなよ。で、何が向いてるって?」

「避難護衛」

「だろうな。あの人、戦果で光るタイプってより、“そこにいると落ち着く”系だし」


 瀬名の言い方は雑だが、本質は合っていた。


 澪は圧倒的な威圧感で人を従わせるタイプじゃない。むしろ、隣に立って前を向かせる種類の強さを持っている。だから兵士にも市民にも好かれる。英雄というより、灯台に近いのかもしれない。


 出撃シークエンスが始まる。


 暁式参号を先頭に、護衛用中型機二機、搬送車列、後方警戒の軽量支援機。識別灯が順に戦域マップへ並ぶ。今回は大きな交戦を想定していないぶん、逆に不気味だった。


「西側ルート、通信良好」

「防壁ゲート開放」

「車列移動開始」


 報告が流れる。戦術支援管制室の空気は、決戦前より一段軽い。だが気が抜けているわけではない。こういう任務で事故が起きれば、被害は一気に市民側へ流れる。


 戦域図上で、澪の機体が先頭を進む。暁式参号の移動ラインは無駄がなく、しかし速すぎない。護衛対象に合わせて速度を落とし、見える位置から離れない。前線で斬り込むときとは違う操縦だ。あの切り替えができるのが澪の強さでもある。


 高架下へ進入する直前、冬真は軽く眉を寄せた。


「瀬名」

「なんだ」

「高架下、熱源が薄い」

「散発無人機の予測だろ?」

「薄すぎる」


 通常、無人機が潜むなら微細な駆動熱が散る。だが今見えているのは、妙に整いすぎた沈黙だった。前にも見た。敵が“見せないこと”を選んだときの静けさだ。


「また嫌な勘か」

「勘じゃない」

「はいはい」


 冬真は共有画面へ注視警告を一段上げる。高架下侵入時、側面熱源に注意。送るだけなら規定内だ。まだ何も越えていない。


 車列が高架下へ入る。


 途端に、戦域図の側面で赤い反応が灯った。


「来た!」

「無人機群、左右から!」

「数、予測より多い!」


 管制室の空気が一気に締まる。


 高架の影から飛び出したのは、軽量無人機が六。いや、八。小型だから一機一機は脅威が低い。だが避難車列を狙うには十分だった。撃ち落とすだけなら簡単でも、どれか一機が車列へ貼りつけば混乱が起きる。


『護衛各機、散開しないで! 車列寄せて、防壁側!』

 澪の声が回線に飛ぶ。


 即座だった。

 無人機を追いに出るのではなく、まず車列の流れをまとめる。正しい判断だ。しかも声の調子に余計な焦りがない。避難車両の運転手にも届くような、落ち着いた指示だった。


『先頭車、左! そのまま、止まらないで!』

『二番機、上を見て、下は私がやる!』


 暁式参号が高架下の柱を蹴り、斜め上へ跳ぶ。ブレードが閃き、一機。返しざまにもう一機のセンサーを切り裂く。火花が散るが、澪は深追いしない。すぐに車列の前へ戻る。倒すことより、通すことを優先している。


「うまいな……」

 別卓のオペレーターが思わず漏らす。

「前に出すぎてない。ちゃんと護衛してる」


 冬真は黙って映像を見る。


 やっぱり、と思う。

 澪はこういう時のほうが強い。


 誰かを守ると決めた瞬間、彼女の動きは無駄が消える。自分が目立つことにも、戦果を積むことにも興味がなくなる。ただ目の前の人間を無事に通すためだけに機体を使う。その一直線さが、たぶん人を安心させる。


『子どもが! 車両横から出た!』

 悲鳴に近い声が回線へ混じる。


 戦域図の端で、小さな熱源が車列脇へ逸れた。避難途中の子どもだ。パニックで車列から飛び出したらしい。そこへ一機の無人機が角度を変える。


 冬真の背筋が冷えるより先に、澪が動いた。


『見えてる!』


 暁式参号が着地を捨てるように機体を滑らせる。脚部スラスターを短く吹かし、地面を削る勢いで横へ流れる。白い機体が子どもの前へ割り込み、無人機の突入軌道を肩で受け流す。衝撃で火花が弾け、暁式参号の外装に新しい傷が走る。


 だが子どもは無事だ。


『今のうちに抱えて! 走れる人が先に防壁へ!』

 澪の声が、今度は少しだけ強くなる。

『大丈夫、まだ間に合うから! 止まらないで!』


 その“まだ間に合う”という言葉に、どれだけの意味が含まれているのか、冬真には分かった。


 兵士に向けても。

 市民に向けても。

 そしてたぶん、自分自身にも言っている。


 映像の中で、避難区画の係員が子どもを抱き上げて走る。暁式参号がその背後に立ち、接近する無人機を一機ずつ確実に落としていく。派手ではない。だが一つも取りこぼさないための戦い方だった。


「……だからか」

 冬真は思わず口の中で呟く。


 だから守りたいのだ。


 幼馴染だから、だけじゃない。

 昔から好きだから、だけでもない。


 こういうふうに、誰かの前へ立てる人間だから。

 誰かが怖がっているとき、自分のほうが傷ついてでも前を向かせようとする人間だから。


 壊されたくないと思う。

 誰にも。

 戦争にも。

 敵にも。

 英雄という役割にも。


「榊」

 瀬名が横から小さく声をかける。

「今、だいぶまずい顔してる」

「何がだ」

「自覚ないのか。あれ見て完全に落ち直してる顔」

「日本語がおかしい」

「意味は合ってる」


 冬真は返さず、モニタだけを見る。


 無人機群は数を減らし、車列は防壁ゲート目前まで到達していた。大きな被害はない。このまま終わる。そう思った瞬間、敵反応の一つが妙に遅れて動いた。


 高架上。


 今まで沈黙していた場所に、単独の熱源。


「……上だ」

 冬真が言うより早く、澪の声が飛ぶ。

『上、残り一!』


 最後の無人機は、車列ではなく高架上の補強柱へ突っ込もうとしていた。崩落させれば避難路を塞げる。直接の殺傷ではなく、通路そのものを潰すやり方だ。嫌な判断だった。


 暁式参号が即座に跳ぶ。

 しかし位置が悪い。間に合うか微妙だ。


 冬真の指先が、端末の端を掴む。


 まだ大丈夫だ。

 澪なら届く。


 そう信じるしかない距離だった。


 白い機体が柱を蹴り、半回転しながら上昇する。高架の影を裂くようにブレードが閃き、最後の無人機を真っ二つに断つ。爆散した破片が高架の外へ散り、火花だけが雨みたいに落ちた。


 数拍遅れて、管制室に息が戻る。


「制圧確認!」

「車列、防壁内到達!」

「民間人被害なし!」


 拍手は起きない。ここはそういう場所じゃない。だが安堵の空気は隠しきれなかった。


 冬真は肩の力を抜こうとして、抜けていないことに気づく。


 映像の中で、暁式参号は防壁ゲート前へ降り立つ。避難を終えた市民の中から、小さな子どもが一人、係員の手を振り切って澪のほうへ駆け寄るのが見えた。まだ先ほど助けられたばかりの子どもだ。


『お姉ちゃん、助かった!』


 回線越しでも分かるくらいの、まっすぐな声だった。


 白い機体のハッチはまだ開いていない。澪本人に聞こえているかは分からない。それでも子どもは両手を振っている。周囲の大人たちも、疲れた顔で、それでも確かな安堵を浮かべていた。


 戦果の数字じゃない。

 撃破数でもない。

 守られた人の顔だ。


 ああ、と思う。


 これを見てしまうから、もう引き返せないのかもしれない。


 自分が守りたいのは、澪本人だけじゃない。

 澪が守ろうとするものごと、全部を壊されたくないのだ。


 壁面モニタの隅で、澪機のバイタルが安定表示へ戻る。大きな損傷はない。ただ、肩部装甲にまた新しい傷が増えていた。守るとき、彼女は躊躇なくそこへ自分を差し込む。


「やっぱり危ういな」

 瀬名がぽつりと言う。

「ああ」

「強いけど、止まる発想が薄い」

「……ああ」

「だから、お前みたいなのが放っておけなくなるんだろうな」


 最後の一言だけ、妙に静かだった。


 冬真は何も返せない。


 否定できないからだ。

 肯定したくもないからだ。


 暁式参号のハッチが開く。澪が降り立ち、先ほどの子どもに目線を合わせるように膝を折った。何かを言って、笑う。子どもが泣きそうな顔で頷く。画面越しだから声までは拾えない。だがそのやり取りだけで十分だった。


 澪は“希望の顔”として使われている。

 けれど、ただ消費されているわけじゃない。

 本人自身が、ちゃんとその役目を引き受けてしまっている。


 それが誇らしくて、苦しい。


 英雄であればあるほど、

 遠くなるからだ。


 周囲には澪を囲む人が増えていく。避難誘導係、整備員、上官、感謝を伝えたい市民。誰もが彼女の近くに行ける理由を持っている。冬真だけが、モニタ越しに見ている。


 行けない。

 行く理由がない。

 行けば余計なものまで零れる。


 戦術支援管制室の乾いた空気の中、冬真は画面の向こうの澪を見つめたまま思う。


 届かない。


 同じ基地にいて、

 同じ戦いの中にいて、

 それでも今の自分は、あの背中の隣に立てない。


 ただ守ることだけが、自分に許された接点みたいだった。


 そのとき、共有モニタの別窓に小さなデータ通知が出る。

 敵側散発侵入ログの回収結果。

 通常なら後で見ればいい程度の情報だったが、冬真の目が止まった。


 無人機群の侵入角度。

 高架上の最後の一機の待機位置。

 どれも、避難車列を止めることより、先頭護衛機を最後まで高架下に留める形になっていた。


「……瀬名」

「なんだ」

「これ、ただの妨害じゃない」

「どれ」


 画面を共有すると、瀬名の顔から軽い色が消える。


「先頭機の滞留時間、取ってるな」

「ああ」

「避難車列を壊すんじゃなくて、天城少尉をそこに固定したい配置だ」

「観測目的の可能性が高い」

「またかよ……」


 まただ。


 敵は直接的な撃破だけを狙っていない。

 澪を危険な場所へ置き、そのとき“影”がどう動くかを見ようとしている。


 今回は冬真が手を出す必要はなかった。

 澪自身が守り切った。

 だがその事実すら、向こうには新しいデータとして積み上がる。


 光の背中を見つめる敵がいる。

 そしてその背中を守ろうとする自分もまた、見られている。


 冬真は端末の画面を閉じ、目を伏せる。


 守りたいという気持ちが強くなるほど、

 その行為自体が澪を危険へ近づける。


 それでも、今モニタの向こうで子どもに笑っている澪を見れば、やはり思ってしまう。


 だから守りたい。


 誰にも壊されたくない。

 あの笑い方も、

 あの背中も、

 あの光も。


 戦術支援管制室の壁面モニタで、澪が立ち上がる。

 子どもが手を振り、彼女もそれに応える。

 その背中はやはり、誰が見ても光だった。


 だからこそ冬真は、その光が届かない位置から、なおさら目を逸らせなくなるのだった。


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