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きみを守るのは、ぼくの知られない戦争  作者: 最後に残った形


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第1章 第7話:見えない敵意


 敵意には、音のあるものとないものがある。


 砲声や警報みたいに誰にでも聞こえるものは、まだましだ。来ると分かっていれば構えられる。だが本当に厄介なのは、静かに近づいてくるほうだった。視線の端でだけ動く影。記録の片隅に残る微細なノイズ。こちらの呼吸や迷いの癖を、見えない場所で学んでいる何か。


 榊冬真は、その“静かな敵意”の輪郭を、端末の中に見ていた。


 戦術支援管制室の照明は、朝も夜も同じ色をしている。壁面モニタの立体戦域図、各卓に並ぶ個別画面、空調の乾いた音。変わらない環境の中で、変わったのは敵の波形だった。


「探索パターン、また増えてる」

 瀬名が言う。

「昨夜から三段階。前線、中継、補助制御」

「ああ」

「露骨だな」

「露骨なほうが厄介だ」


 冬真は敵通信分析のウィンドウを拡大した。短周期の浅い走査。こちらの中継網をなぞるだけでは終わらず、今は補助制御帯域に近い低層まで触れようとしている。直接侵入ではない。だが侵入口を探している動きに見えた。


 敵は、“誰かがいる”前提で組み始めている。


 偶然の照準誤差ではない。

 単発の中継遅延でもない。

 それらをつないで、背後の意図を探っている。


「向こうの頭、相当しつこいな」

 瀬名が紙端末をめくりながら呟く。

「しつこいというより、合理的だ」

「嫌な言い換えするなよ」

「嫌な相手だからな」


 冬真は新しい推定モデルを開いた。敵指揮型の再配置予測。前回戦闘で見せた学習速度から逆算した、次の包囲角度の候補。そこへ味方先鋒機の標準進路を重ねると、嫌になるほど綺麗に重なった。


 澪が使われている。


 英雄としてではなく、誘き出す餌として。

 前線の象徴だから狙うのではなく、そこへ手を伸ばす“影”がいると分かっているから狙う。


 理屈としては正しい。

 正しいからこそ腹が立つ。


「榊」

「なんだ」

「その顔で“冷静に分析してます”は無理あるぞ」

「してる」

「してるやつは机の角あんな握り潰さない」


 自分でも気づかないうちに、右手に力が入っていた。冬真は無言で手を離す。机の角に薄く白い跡がついていた。


 壁面モニタに、次回迎撃訓練から切り出した敵模擬配置が表示される。まだ実戦命令ではないが、どう見ても嫌な形だった。中央寄りに薄く穴を作り、そこへ先鋒を差し込み、左右から閉じる。正面衝突ではなく、介入を待つための配置。


 待っている。


 こちらの手を。


「見えてる罠だな」

 瀬名が言う。

「ああ」

「なのに踏ませるのか、上は」

「見えているだけじゃ止まらない。止めるには証拠がいる」

「お前の勘じゃ足りない」

「勘じゃない」

「分かってるよ。でも、書類の上ではな」


 書類。

 申請。

 証拠。

 承認。


 そのどれもが戦場には必要で、同時に遅い。遅さの中で人が死ぬことを、冬真は嫌になるほど見てきた。


「次の模擬、暁式参号も入る?」

「入る」

「だろうな」


 瀬名はため息をついた。


 澪の機体は再同期テストを問題なく終えている。つまり、次も前に出る。前に出る人間は前に出るべきだ。誰もそれを止められないし、澪自身も止まる気はない。


 だからこそ、敵もそこを読む。


 戦場でいちばん輝くものは、いちばん見つかりやすい。


 通信室の向こう側で、別卓の分析員が声を上げた。


「敵側断片ログ、追加取得!」

「出せ」


 共有画面へ粗い映像が出る。ノイズまみれの高架上、雨で濡れたみたいに鈍く光る敵指揮型の後ろ姿。人型に近いが、背部に張り出した通信ブレードが異様に長い。頭部センサーは細く、顔があるようには見えない。それでも妙に“見られている”感じがした。


 断片音声も付いている。復元精度は低いが、単語の一部が拾えた。


『――先鋒機』

『――支援反応』

『――誘導』

『――観測』


 それだけで十分だった。


 瀬名が舌打ちする。


「ほらな。完全に“待ってる”」

「ああ」


 冬真は音声ログの歪みを補正し、再生し直す。言葉はまだ断片的だが、意図は明白だった。敵は天城澪機を単独で撃ち落とすことに執着していない。むしろ、そこへ反応する支援のほうに興味を持っている。


 つまり自分だ。


 その認識を口に出すつもりはなかった。だが形になった瞬間から、もう曖昧ではいられない。


「榊」

 瀬名が低く呼ぶ。

「何があっても、今日は余計なことするな」

「今日?」

「模擬だろうが何だろうが、向こうが見てる。今ここで変に手を入れたら、痕跡をわざわざ渡すだけだ」

「……分かってる」

「分かってる声に聞こえない」


 冬真は返答しない。


 模擬戦でも、読まれるものは読まれる。実戦だけが戦場じゃない。情報を集める側にとっては、訓練もテストも貴重な材料だ。そこへこちらが“守る癖”を見せれば、次はその癖ごと罠になる。


 やるな。

 その忠告は正しい。


 だが、もし模擬とはいえ澪の機体が危険域に入ったら。

 もし敵モデルが、こちらの想定以上に澪だけを狙う形を見せたら。

 そのとき本当に手を出さずにいられるのか、自分でも分からなかった。


 昼前、模擬迎撃ブリーフィングが始まった。


 前線機のパイロットたちは第一作戦室へ集められ、後方支援要員は管制室からデータ接続で参加する。壁面モニタに出撃名簿が並び、その中央近くに天城澪の名が表示される。先鋒。やはり変わらない。


 映像越しに見える澪は、昨日の整備区画の柔らかい空気から一転して、もう前線の顔になっていた。背筋を伸ばし、説明を聞く目に迷いはない。英雄というより、役目を受け取りに来た兵士の顔だ。


 冬真は説明内容より、澪の進路想定のほうを見ていた。

 そしてその先に重なる、敵模擬配置を。


 嫌なほど、噛み合う。


「北東遮蔽帯からの侵攻を想定」

 作戦説明担当の声が流れる。

「先鋒は中央寄りへ圧をかけ、中継の再接続時間を稼げ」


 それを聞いて、冬真は目を細めた。


 中央寄りへ圧。

 つまりまた同じ形だ。


 前回の実戦で敵が使った包囲の延長線上にある。模擬だから安全? そんなものは相手の学習には関係ない。澪がどう動き、こちらがどう支えるか、そのサンプルになる時点で十分危険だった。


「意見あるか」


 司令卓経由で後方支援側にも発言権が回ってくる。いつもなら誰かが無難な確認だけして終わる。だが今回は、冬真が先に口を開いた。


「戦術支援三番、榊」

『発言を許可する』


「現想定では中央寄りの先鋒進路に対する敵側誘導余地が大きすぎます。中継再接続時間の確保なら、先鋒投入ではなく陽動の層を一枚増やすべきです」


 室内が少し静かになる。


 言い方は選んだ。勘ではなく、構造の問題として。澪の名は出さない。出せば感情に見える。


 司令卓が少し間を置いて答える。


『代替案を提示できるか』

「可能です。後列無人機の囮軸を北東正面へ広げ、中央寄りへの圧を一段遅らせれば、敵模擬の収束角は分散します」

『効果予測は』

「現在のモデルで先鋒集中率を二一パーセント低下させられます」


 数字を出せば、少しは通りやすい。


 だが司令卓の返答は、やはり慎重だった。


『検討に値する。だが予定の組み替えは全体同期に影響するため、今回は現行案で進める』

「……了解」


 分かっていた答えだ。

 分かっていても、腹の底が冷える。


 瀬名が横で小さく呟く。


「よくやったほうだ」

「足りない」

「最初から全部は通らねえよ」


 その通りだ。だが、通らないことの重さを受けるのはいつも前線だ。


 ブリーフィング終了後、管制室は模擬戦準備で慌ただしくなる。敵モデル投入、中継状態再現、各卓の監視ライン割り振り。冬真も自席へ戻り、解析レイヤを開いた。


 そして気づく。


 敵模擬モデルの一部に、前回戦闘にはなかった挙動予測が混ざっている。澪の機体が被弾回避に成功した直後の動き。右へ流して左へ切る癖。補助制御がかかったときの応答の滑らかさに近いものまで、薄く反映されている。


「……なんで入ってる」

 冬真の声が、ほとんど独り言みたいに落ちる。

「何が」

 瀬名が横から覗き込む。

「敵模擬の追尾予測。更新されてる」

「前回戦闘ログベースか?」

「そのはずだが、取り込み方が早すぎる」


 つまり、こちらが思っている以上に昨日の戦闘解析が進んでいる。模擬モデルの中にまで、澪の生存挙動がもう組み込まれている。


 敵は学習している。

 しかもかなり速い。


「おいおい」

 瀬名が顔をしかめる。

「それ、次で試してくるってことか」

「ああ」

「模擬で?」

「模擬だからだ。安全圏で傾向を見るつもりだろう」


 安全圏、という言葉がひどく空虚に思えた。


 模擬戦闘で本当に死ぬわけじゃない。だがそこで“どう追い込めば介入するか”の手順を取られれば、次の実戦は確実に危険になる。


 冬真の視線が、自分の端末の深層メニューへ一瞬だけ落ちる。


 まだ触るな。

 今は観測だ。


 そう頭では分かっているのに、指先のほうが落ち着かなかった。


 模擬戦闘開始まで残り八分。


 その間に、前線側の簡易待機映像が共有モニタへ映る。ハッチ前でヘルメットを調整する澪の姿が見えた。彼女は出撃前でもほとんど落ち着いている。肩に余計な力が入らず、目だけが静かに冴える。


 不意に、澪が顔を上げた。


 もちろん、映像越しに冬真を見るはずもない。ただカメラの位置が偶然こちらに向いただけだ。それでも一瞬、視線が合ったような錯覚がした。


 昨日、整備区画で言われた言葉がよみがえる。


 顔、見たかったから。


 待つくらいならできるよ。


 そんなことを言うから、困る。

 距離を置いている意味が薄くなる。


「榊」

 瀬名がまた低く呼ぶ。

「今日は、見るだけにしろ」

「……」

「頼むから」


 珍しく“命令”でも“忠告”でもなく、頼むと言った。


 冬真は目を閉じ、短く息を吐く。


「分かってる」

「今度はちょっと信じる」


 信じる、という言葉に何も返せなかった。


 模擬戦闘開始。


 青い識別灯が戦域図へ展開され、敵モデルの赤い反応が配置される。予定通り、先鋒の進路は中央寄り。予定通り、敵の薄い包囲がそこを待っている。そして予定以上に、敵模擬の追尾が早い。


「追尾モデル、更新速度高い!」

「敵模擬、先鋒に対して重点配置!」

「中継再接続、予測より遅い!」


 室内の声が上がる。


 澪の暁式参号は前へ出る。迷いなく。機体の白い識別灯が、またあの危うい位置へ入っていく。今回は模擬。だが動きは本気に近い。本気でなければ意味がないからだ。


 冬真は食い入るように戦域を見つめる。


 敵モデルが、澪の回避癖をなぞる。

 前回と似た角度で押し込み、前回と少し違う位置で逃げ道を狭める。


 観測だ。

 誘いだ。

 “次はこうする”という予告に近い。


 胃のあたりが冷たくなる。


「榊」

 瀬名が気づいたように言う。

「触るな」

「まだ触ってない」

「“まだ”って言ったな今」

「言ってない」

「聞こえた」


 口論している余裕はなかった。


 暁式参号が一度、敵模擬の集中追尾へ入る。危険域の一歩手前。もちろん模擬だから、実弾は飛ばない。だが表示される撃墜判定は本物と同じ基準だ。


 次の瞬間、敵モデルの照準収束予測が一気に澪へ重なる。


「……っ」


 冬真の指が、端末の縁を掴む。


 介入は不要だ。

 まだ不要だ。

 これは観測だ。


 頭では繰り返しても、身体のほうがそう思わない。


 だが、その瞬間。


 暁式参号が、わずかに予測を外した。

 昨日までの癖とは少し違う角度で、半歩だけ沈み込む。

 冬真が仕込んだ補助制御が、本人の無意識と噛み合ったのだとすぐ分かった。


 敵模擬の追尾が、一瞬だけ遅れる。


「……避けた」

 誰かが呟く。

「いや、ずらしたのか?」

「先鋒、抜けます!」


 模擬戦闘はそのまま継続し、澪は致命判定を外したまま前線を押し返す。模擬だからこそ、こちらの損害は記録だけで済む。だが今の一手は、単なる成功じゃない。敵モデルにも見せた。“こうやって生き延びる”という新しい傾向を。


 冬真は安堵より先に、嫌な確信を抱く。


 向こうは今のも学習する。


 守れば守るほど、

 生き延びるたびに、

 敵は澪を殺すための精度を上げる。


 戦闘終了後、総括ログが流れる。先鋒生存。包囲突破。敵追尾モデル有効。ただし先鋒の回避挙動に更新余地あり。


 更新余地。


 その四文字が、ひどく嫌だった。


「見ただろ」

 瀬名が低く言う。

「向こう、もう完全に追ってる」

「ああ」

「しかも、お前が手を入れたぶんまで」

「……」

「だから言ったんだ。見せたら学ぶって」


 正しい。全部正しい。


 それでも、もし今日の補助制御がなければ、模擬であっても澪は撃墜判定を取られていた可能性が高い。そう思う自分もいる。だから余計に厄介だった。


 正しいものと必要なものが、綺麗に重ならない。


 そのとき、共有モニタの待機映像に、模擬戦を終えた澪が映る。ヘルメットを外し、息を整えながら、何か考え込むような顔をしていた。やがて彼女は整備員へ短く何かを伝え、それから自分の機体の肩へ手を当てる。


 その仕草だけで、冬真は分かった。


 気づいている。


 細部までは分からなくても、何かが自分を守る側へ働いていることを、澪は感じ始めている。


 そして敵もまた、同じものを感じ取っている。


 見えない敵意は、もうこちらのすぐ近くまで来ていた。


 冬真は端末を閉じる。


 次の実戦で、敵はもっと深く来る。

 澪を狙うだけでは終わらない。

 そこへ手を伸ばす自分の癖ごと、罠へ変えてくる。


 分かっている。

 全部分かっている。


 それでもたぶん、

 そのときが来れば、自分はまた守るために手を出す。


 その確信だけが、ひどく静かに胸の奥へ沈んでいった。


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