第7章 第4話:囮にされる光
光は、見つけられるためにある。
前に立つ者。
名を呼ばれる者。
希望として見上げられる者。
そういう存在は、隠れることを最初から許されない。
だからこそ残酷なのは、
その光が誰かを見つけるための囮として使われる時だ。
しかも敵だけじゃない。
味方まで同じことを考え始めた時、
光はもう守られる側ではいられなくなる。
相模第七防衛区画の午後は、混乱のあとに来る妙な静けさをしていた。
警報の連打は一段落した。
外縁の大規模妨害も、表向きには局地的な押し返しに成功したことになっている。だが基地の中に残る空気は平常には戻りきっていない。通路を歩く兵士の足が少しだけ速く、端末を持つ手つきが少しだけ硬い。何かが終わったのではなく、何かが次へ移っただけだと、現場の人間なら誰でも分かる種類の静けさだった。
榊冬真は、北観測区画寄りの簡易ブリーフィング室で端末を見ていた。
正式な招集ではない。
敵襲対応の余波で一時的に空いた小部屋を、瀬名が内部手順の隙を使って押さえたのだろう。照明は半分しか点いておらず、投影卓の青白い光だけが三人の顔を薄く照らしている。
冬真。
澪。
瀬名。
また三人が同じ図面を見ている。
そのこと自体が、もう普通ではなかった。
「で」
瀬名が椅子にもたれたまま言う。
「ここからさらに嫌な話するぞ」
「今さらだな」
冬真が返す。
「それ言えるのすごいよな」
瀬名は呆れたように息を吐く。
「もう十分嫌なのに、さらに上がある」
投影卓には、敵襲時の各種反応ログが重ねられていた。
外縁の陽動。
中継妨害。
整備帯域への接触。
認証遅延。
待機区画周辺への薄い探索。
そして、暁式参号の想定運用域に対する異常な注視。
「やっぱり」
澪が言う。
「白い機体が中心に見えてる」
「ああ」
冬真が頷く。
「前からそうだったけど、今はもっと露骨だ」
「澪を前に出させる」
瀬名が端末を叩きながら言う。
「そこまではいつも通り」
「……」
「でも今の敵は、その先を見てる」
瀬名の指が、別の反応ログへ滑る。
「白い機体に寄る支援反応」
「……」
「いや、もっと正確には」
そこで一拍置く。
「白い機体へ寄る“お前”の反応だよ」
冬真は返さない。
返す必要がないくらい、図面がそれを示していた。
敵は澪を囮にして、冬真を炙り出そうとしている。
それはもう明白だ。
だが厄介なのは、それが敵だけの話ではないことだった。
「上も似たこと考えてる」
冬真が低く言う。
「うん」
澪も頷く。
「私を外せないから、私の周りから冬真を剥がしたい」
「ああ」
「つまり」
瀬名が言う。
「敵も味方も、光を使って影を引っ張り出したがってる」
部屋の空気が少しだけ重くなる。
光を囮にして影を炙る。
言葉にすると、嫌になるほど構図が綺麗だった。
綺麗だからこそ危険だ。
敵も味方も、その形が成立すると読んでいる。
「最悪だな」
冬真が言う。
「うん」
澪が静かに返す。
「ほんとに最悪」
短い沈黙。
投影卓の青い光の中で、澪はじっと戦況図を見ていた。
怒っているようにも見えるし、落ち着いているようにも見える。
その両方なのだろうと冬真は思う。
「でも」
澪が言う。
「それなら逆に、使える」
冬真の視線が上がる。
瀬名も少しだけ眉を動かした。
「何を」
冬真が訊く。
「この構図」
澪は迷いなく言う。
「私を前に出させたいなら、出る」
「……」
「でも、使われるんじゃなくて」
一度だけ息を吸う。
「自分で使う」
その言葉は、前に一度聞いている。
囮になるのは嫌だ。
でも、使うなら自分で使う。
その時より今のほうが、意味はずっと具体的だった。
「お前」
冬真が低く言う。
「分かってるか」
「分かってる」
澪は即答した。
「敵の視線も、上の視線も、両方集まる」
「……」
「しかも前より露骨に」
「……」
「でも、今のまま黙ってるほうが嫌」
澪は冬真を見た。
「だって、このままだとまた私が前で」
「……」
「冬真が後ろで切られる形に戻される」
その一言が、冬真の胸に強く入る。
そうだ。
今ここで何もしなければ、制度はきっと二人を元の構図へ押し戻す。
光は前へ。
影は後ろへ。
見えないまま削られる側へ。
それをもう二人とも受け入れられない。
「だから」
澪が続ける。
「囮になる」
「危ない」
反射みたいに冬真が言う。
「知ってる」
「かなり」
「知ってる」
「敵味方両方に見られる」
「うん」
「それでも?」
澪は目を逸らさなかった。
「それでも」
「……」
「今は、それで冬真も守れる」
その言葉が、あまりにも澪らしくて、冬真は一瞬だけ息を詰める。
囮になると言いながら、
自分の危険より先に、
そこへ“冬真も守れる”という意味を入れてくる。
そういうところが、ずるいと思う。
「ずるいな」
気づけば口に出ていた。
「何が」
澪が少しだけ首をかしげる。
「一番断れない理由を、先に置く」
澪はそこで、ほんの少しだけ笑った。
「だって本当だから」
「……」
「今の私は、前に立つことから逃げない」
「知ってる」
「でも、使われるだけの光にもならない」
澪は投影卓へ視線を戻す。
「だったら、自分で選ぶ」
その言葉は静かだった。
でも、これまでのどの場面よりも強く聞こえた。
「瀬名」
冬真が低く呼ぶ。
「何だ」
「現実的にどう見る」
瀬名は数秒だけ端末を操作し、三つの反応ログを重ねた。
敵の追跡傾向。
上層部の拘束導線。
暁式参号の想定投入域。
「正直に?」
「言え」
「めちゃくちゃ嫌」
瀬名は言う。
「でも、成立はする」
「……」
「敵が白い機体へ寄るのも」
「……」
「上が天城少尉を外せないのも」
「……」
「全部、逆に餌になる」
そこで瀬名は澪を見る。
「ただし、お前に集中する」
「うん」
「今までで一番きつい」
「分かってる」
「しかも榊」
今度は冬真を見る。
「お前も結局、そこへ反応せざるを得ない」
「ああ」
「つまり敵の読みは半分当たってる」
「……」
「だから、それを上回るしかない」
冬真が低く言う。
「そう」
瀬名が頷く。
「“炙り出される”んじゃなく、“見せたいものだけ見せる”に変える」
それが、今やるべきことだった。
敵も味方も、
澪を光として前へ立たせ、
冬真をそこから引き出そうとしている。
なら逆に、その視線を誘導して、
必要なタイミングだけこちらの形で再接続する。
かなり危ない。
でも、ただ拒むよりはまだ勝ち筋がある。
「冬真」
澪が静かに言う。
「何だ」
「受けて」
その言葉は短い。
でも意味は深い。
囮になる自分の覚悟を、ただ止めるのではなく受け入れてほしい、という意味だと分かる。
冬真はすぐには答えなかった。
受ける、ということは、澪が前に立つ危険を認めることでもある。
それはこれまで一番したくなかったことだ。
だが同時に、それを拒んで後ろへ下げることが、
もう“守る”ではなく“押し戻す”になってしまうのも分かる。
「……条件がある」
やがて冬真が言う。
「何?」
「一人で背負うな」
「うん」
「囮になった気で突っ込むな」
「うん」
「俺が組む線の中で動け」
「……」
「それと」
一拍置く。
「途中で死ぬ気になるな」
澪はそれを聞いて、ほんの少しだけ目を細めた。
やわらかいのに、泣きそうでもある、妙な表情だった。
「うん」
小さく言う。
「それ、ちゃんと守る」
「守れ」
「冬真も」
「……」
「私を前に出したからって、自分だけ削る方向に逃げないで」
「……ああ」
「そこも条件」
澪は少しだけ笑った。
「対等でしょ」
「面倒だな」
「今さらだよ」
そのやり取りだけで、少しだけ呼吸が整う。
怖さは消えない。
でも、怖さを一人で持っている感じではなくなった。
「じゃあ決まり」
瀬名が言う。
「天城少尉が光を引く」
「……」
「榊はそこへ寄ってくる敵と上の視線、両方を逆算する」
「……」
「俺が内側の穴を作る」
「完全に共犯だな」
冬真が言う。
「今さら?」
瀬名が肩をすくめる。
「もっと早く気づけよ」
澪がそこで少しだけ笑った。
「でも、これで主導権は少し戻せる」
「ああ」
冬真も頷く。
「使われるだけじゃなくなる」
「うん」
「その代わり」
瀬名が低く言う。
「次は本当に最終戦級だぞ」
「分かってる」
冬真が言う。
「知ってる」
澪も重ねる。
また短い沈黙が落ちる。
だが、その沈黙はさっきより重くない。
覚悟が揃ったからだろうと冬真は思った。
「冬真」
澪がもう一度呼ぶ。
「何だ」
「今、私が前に立つの」
「……」
「利用されるためじゃない」
「知ってる」
「ちゃんと、私が選ぶ」
「……ああ」
「だから」
澪は冬真をまっすぐ見た。
「隣に来て」
その一言は、戦術の話なのに、それだけじゃなかった。
隣に来て。
それはこの物語でずっと澪が違う形で言い続けてきたことだ。
守られるだけじゃ嫌だ。
一緒に立ちたい。
影のままにしない。
そして今は、囮になる覚悟の先でもう一度、同じことを言っている。
「行く」
冬真は短く答えた。
迷いはなかった。
「今度は、ちゃんと」
澪の表情が、そこでようやくやわらいだ。
「うん」
小さく言う。
「それがほしかった」
外で、緊急通信の試験音が鳴る。
長くはここにいられない。
でも、今の話はもう十分だった。
「戻るか」
瀬名が言う。
「上も敵も、混乱が収まったらまた締めてくる」
「ああ」
冬真が答える。
「その前に、作戦図組む」
「うん」
澪も頷いた。
「最後のやつ」
「嫌な言い方するな」
瀬名が言う。
「でも合ってる」
「知ってる」
投影卓が落ちる。
青い光が消え、部屋に薄い白だけが残る。
囮にされる光。
それは本来、あまりにも理不尽な構図だ。
でも今、その光は使われるだけでは終わらない。
自分で立ち、自分で選び、その光の向け先まで奪い返そうとしている。
そのことが、
冬真にはどうしようもなく誇らしくて、
同時にどうしようもなく怖かった。




