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きみを守るのは、ぼくの知られない戦争  作者: 最後に残った形


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第7章 第2話:混乱の隙間


 混乱というものは、たいてい人を不自由にする。


 命令が増えて、

 確認が重なって、

 足を止められて、

 誰もが自分の持ち場から動けなくなる。


 けれど、ごくまれに逆もある。

 あまりに多くのものが一度に崩れた時だけ、

 普段なら通れない隙間ができる。


 その隙間は自由ではない。

 ただ、奪われる前に一歩だけ先に選べる余白だ。


 相模第七防衛区画の午後は、警報音で始まった。


 短く乾いた第一報。

 続いて、壁面モニタの一角が赤へ切り替わる。

 基地近傍外縁、敵大規模妨害反応。

 通信中継群、断続的障害。

 北防壁寄り整備帯域、局所ノイズ増大。


 戦術支援管制室の空気が、一瞬で変わった。


「何だこれ」

「外縁で同時多発!?」

「待て、陽動だけじゃない! 施設側にも触ってる!」

「防壁監視ライン、三番と五番が飛ぶ!」


 声が重なる。

 端末が一斉に明滅する。

 今までは“起きそうな気配”だったものが、ついに目に見える形で押し寄せてきた。


 榊冬真は補助解析卓の端で、壁面モニタを睨んでいた。


 敵反応は単純な正面攻勢ではない。

 外縁へ圧をかけながら、中継と施設側へ細い妨害を差し込んでいる。しかも狙いは前線だけではない。認証、搬送、待機区画寄りの動線、整備帯域。基地そのものの呼吸を浅くするような触れ方だった。


「来たな」

 瀬名が主支援寄りの席から言う。

「ああ」

 冬真が返す。


「しかも最悪の来方だ」

 瀬名が続ける。

「敵襲で上の拘束判断が一回止まる」

「……」

「代わりに現場が全部ぐちゃぐちゃになる」

「分かってる」

「だからその台詞」

 瀬名は途中で息を吐いた。

「いや、今日はいい。今はそれどころじゃねえ」


 壁面モニタに追加情報が流れる。


 基地近傍敵影、複数。

 妨害強度、上昇。

 即応前線再編、開始。

 先鋒候補、再選定。


 その時点で、冬真の胸に嫌な予感が強く走る。

 混乱は、自由をくれることがある。

 だが同時に、もっと雑で危険な命令も降らせる。


「上、拘束より前線優先だな」

 瀬名が言う。

「ああ」

「皮肉だ」

「何が」

「敵襲が一番自由をくれる」

 瀬名は低く笑うみたいに言った。

「ほんと最悪の話だけどな」


 その言葉が終わるより先に、個人端末が震えた。


 送信者:天城澪


 冬真の指先が止まる。

 周囲はもう混乱の中にある。

 誰も一人ひとりの画面など見ていない。

 今だけは、その無秩序が隠れ蓑になる。


 メッセージを開く。


 ――来た

 ――今しかない


 短い。

 余計な言葉がひとつもない。

 だが十分だった。


 冬真はすぐに返す。


 ――どこだ


 返信はほとんど同時だった。


 ――北観測回廊の下

 ――整備搬送路の死角


「来たか」

 瀬名が訊く。

「ああ」

「天城少尉?」

「ああ」

「行け」

 即答だった。

「いいのか」

「良くはない」

 瀬名は端末を叩いたまま言う。

「でも今なら監視の視線が散ってる」

「……」

「上も敵襲対応で、お前一人の足取り追ってる余裕は薄い」

「……」

「だから、今しかない」

 そこで初めて瀬名が冬真を見る。

「動け」


 冬真は頷く。

 もう迷う段階じゃなかった。


 北観測回廊の下へ続く整備搬送路は、普段はほとんど人が通らない。

 今日はさらに少ない。

 外縁の異常対応で人員が上へ吸われ、下の搬送路には警告灯の赤と白が交互に落ちている。壁際の配線が低く唸り、遠くで防壁側の重い遮断音が鳴った。


 この騒がしさの中で、ここだけが逆に人の目から外れている。


 澪は搬送路の曲がり角に立っていた。


 白い制服の上に薄いジャケット。

 いつもより呼吸が少しだけ速い。

 それでも、目だけは静かだった。

 冬真の姿を見ると、まっすぐこちらを見る。


「来た」

 澪が言う。

「ああ」

「来ると思った」

「呼ばれたからな」

「うん」

 少しだけ笑う。

「その返し、こういう時はかなり助かる」


 今の二人に長い前置きはなかった。


「上の拘束、止まった」

 澪がすぐに言う。

「敵襲対応で」

「ああ」

「でも止まっただけ」

「分かってる」

「終わったら、多分もっと強く来る」

「ああ」


 澪は一度だけ周囲を確認して、さらに声を落とす。


「だから、今のうちに動きたい」

 冬真は短く息を吐く。

「何を」

「合流」

 澪がはっきり言った。

「正式命令の外で」

「……」

「このまままた別々に戻ったら、次は本当に切られる」


 その言葉は、昨日までより一段深かった。


 離される前の朝。

 二人でそう決めた。

 次に大きな動きが来たら、待たない。

 今、それが来ている。


「瀬名も?」

 冬真が訊く。

「まだ直接は」

 澪が首を振る。

「でも多分、同じこと考えてる」

「……ああ」

 それは分かる。

 瀬名なら、この混乱を“最悪だ”と吐き捨てながら、同時に“今しかない”とも見るはずだ。


 外でまた警報が鳴る。

 今度は少し長い。

 基地近傍の敵影がさらに増えたのだろう。

 壁がわずかに低く震える。


「敵」

 澪が言う。

「本命、基地の外だけじゃない」

「……」

「整備帯域と認証動線、かなり細かく触ってる」

「分かる」

「私」

 澪が冬真を見た。

「これ、二人を別々に追うんじゃなくて」

「……」

「“対になったまま崩す”つもりだと思う」


 冬真はその言葉を受けて、壁へ背を預けた。

 たしかにそうだ。

 敵はもう澪だけを前へ出させたいわけじゃない。

 冬真だけを炙り出したいわけでもない。

 二人が繋がる瞬間そのものを見つけ、そこを潰そうとしている。


「なら」

 冬真が低く言う。

「逆に言えば、今の混乱でこっちが先に繋がれば」

「うん」

「向こうの狙いより先に、こっちで形を取れる」

「そう」

 澪が頷く。

「だから今しかない」


 短い沈黙。

 それは迷いじゃなく、覚悟を整えるための沈黙だった。


「冬真」

「なんだ」

「動く?」

 澪の問いは、命令でもお願いでもなかった。

 並んだ相手への確認だった。


 冬真は答える前に、ほんの一瞬だけこれまでを思う。


 隠れて守っていた頃。

 澪が気づき始めた頃。

 守られるだけじゃ嫌だと言われた夜。

 秘密が共有された日。

 主支援から外された朝。

 言葉より先に並んだ昨日。


 そこまで来て、今ここで待つ選択肢はもうなかった。


「動く」

 冬真が言う。

「……うん」

 澪の表情が少しだけやわらぐ。

「どう動く?」

「まず合流を切らさない」

「うん」

「上が拘束判断に戻る前に、次の敵圧に備えて並ぶ」

「うん」

「瀬名を通す」

「うん」

「それで」

 冬真は澪を見る。

「今度こそ、本当に同じ側へ行く」


 その言葉は、戦術の話であり、同時にそれだけじゃなかった。


 澪はほんの少しだけ目を伏せて、それからまたまっすぐこちらを見た。


「やっと」

 小さく言う。

「うん」

「そう言ってくれた」


 胸の奥が少しだけ熱を持つ。

 だが今は、そこへ溺れている時間はない。


 個人端末が短く震えた。

 送信者は瀬名。


 ――北搬送路の監視、今だけ薄い

 ――五分以内に戻るか、もう戻るな


 ひどい文面だった。

 でも瀬名らしい。

 そして、今の状況を正確に言い表してもいる。


「来た」

 冬真が画面を見せる。

「瀬名さん?」

「ああ」

「さすが」

 澪が息を吐く。

「雑に優しい」

「嫌な言い方だな」

「でも合ってる」


 その短いやり取りだけで、少しだけ緊張がほどける。

 だが次の瞬間には、現実がまた押し戻してきた。


「冬真」

 澪が声を落とす。

「ここで別れたら、多分また追われる」

「ああ」

「でも、一緒に動いたらもっと見つかる」

「ああ」

「それでも?」

 その問いに、冬真はもう迷わなかった。


「それでも、一緒に動く」

 澪は静かに頷いた。

「うん」

「じゃあ決まりだ」

「うん」


 その“決まり”は、命令系統のどこにも存在しない。

 でも今の二人には、それが何より強い決定だった。


「敵襲が一番自由をくれる」

 冬真がぽつりと言う。

「瀬名さんの?」

「ああ」

「皮肉だね」

「かなり」

「でも」

 澪が少しだけ笑う。

「今しかないなら、今を使う」


 その言い方が、あまりにも澪らしい。


「行こう」

 冬真が言う。

「うん」

「今のうちに」

「うん」

「正式命令の前に」

「うん」

「自分たちで、同じ場所へ行く」

 澪はそれに、小さく、でもはっきり頷いた。


「やっと戻れる」

 そう言う。

 冬真はその言葉に、少しだけ目を細めた。


「今度は」

 低く返す。

「戻したんじゃない」

 澪が顔を上げる。

「……」

「一緒に来る」


 その一言で、澪の表情が少しだけほどけた。

 泣きそうではない。

 でも、ずっと張っていたものがようやく緩んだ顔だった。


「うん」

 小さく言う。

「それがいい」


 外でまた、警報が鳴る。

 基地の混乱は広がっている。

 だからこそ今、二人には動ける隙がある。


 混乱の隙間。

 それは長く続く自由じゃない。

 でも、奪われる前に自分たちで道を選ぶには十分だった。


 冬真と澪は、同時に通路の奥へ歩き出す。


 制度の外へ。

 敵の視線の内側へ。

 そして何より、

 ようやく自分たちで選んだ同じ側へ。


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