第6章 第4話:三人目の共犯
正しさだけで人が手を貸すことは、案外少ない。
面倒だから。
放っておくと後味が悪いから。
気に入らない案を、そのまま通したくないから。
そういう半端で人間くさい理由のほうが、ときどき正義より強く人を動かす。
そして戦場では、そういう人間くさい手のほうが、最後に生き残る道を作ったりする。
相模第七防衛区画の夜は、妙に事務的だった。
戦術支援管制室では翌日の作戦更新が続き、壁面モニタには中層制圧案の修正版が何枚も重なっている。白い照明、低い駆動音、紙コップのコーヒー、疲れた兵士の視線。どこを見ても、いかにも軍の夜という景色だ。
その中で、榊冬真だけが少し違う種類の緊張を抱えていた。
補助解析卓の端末に映っているのは表向きの資料だ。
敵残存群の予測。
中継濃度の推移。
先鋒投入の候補ライン。
だが冬真の頭の中にあるのは、それとは別の図面だった。
澪と観測通路裏で見た、正式案のままでは戻れない戦場。
それを変えるための半歩。
そして、その半歩を現実へ落とし込むために必要な“もう一人”の存在。
「で」
隣から瀬名の声がした。
「何を企んでる」
冬真は端末から目を上げずに答える。
「何の話だ」
「その返し、最近雑になってきたな」
瀬名は椅子を半分回してこちらを見る。
「天城少尉と何話した?」
「……」
「黙るな。余計に分かる」
「お前な」
「で?」
瀬名は容赦なく続ける。
「会議であれだけ言ったあとだ。天城少尉が“はい分かりました、従います”で終わるわけない」
「……」
「で、お前もその顔してるってことは」
「……」
「案、組んだな」
図星だった。
冬真は小さく息を吐いて、端末の補助表示を閉じる。
周囲に聞かれないよう、声を少しだけ落とした。
「正式案のままじゃ戻れない」
「ああ」
「中継が細い」
「ああ」
「南中層に引かれたら終わる」
「ああ」
「だから変える」
そこまで言うと、瀬名は妙に静かになった。
「なるほど」
数秒後、そう言う。
「天城少尉、ほんとにやる気か」
「ああ」
「お前も?」
「……やるしかない」
瀬名はその答えを聞いて、呆れたように天井を見た。
「うわ」
「何だ」
「いや、ついに来たなって」
「何が」
「お前らが正式に共犯になる瞬間」
軽く言う。
だが目は笑っていなかった。
「まだだ」
冬真が言う。
「まだ?」
「お前が乗るかどうか分からない」
「乗る前提で話すなよ」
「違うのか」
瀬名はそこで少しだけ笑った。
「違わないのが一番腹立つんだよな」
端末を引き寄せる。
冬真が先ほどまとめていた非公式の補助案を流す。
正式な作戦図に手を入れるほど露骨ではない。
だが、監視の穴、承認待ちのタイムラグ、主支援卓の視線の死角を利用すれば、局地的に“そう動くしかない”形へ寄せられる程度の改変だ。
瀬名は数秒で全体を読み切った。
そのあと、思い切り嫌そうな顔をする。
「うわあ」
「何だ」
「嫌だこれ」
「そうか」
「嫌に決まってんだろ」
瀬名は端末を指で叩く。
「監視の穴を使って、承認順の遅れ利用して、再配分の初期位置だけずらす」
「……」
「しかも表向きは“現場の自然修正”で通せる範囲」
「そうだ」
「お前ほんと、こういうのだけ天才だな」
褒められている気はしない。
実際そうなのだろう。
「ただし」
瀬名が真顔に戻る。
「これ、失敗したら終わるぞ」
「ああ」
「お前だけじゃない。天城少尉も、俺も」
「ああ」
「上から見れば、命令系統への実質的な改ざんだ」
「分かってる」
「敵にも噛み合い方でバレる」
「分かってる」
そこで瀬名は深く息を吐いた。
「ほんと便利だな、その台詞」
「事実だ」
「いや、もうそこじゃないんだよ」
瀬名は椅子を引き寄せて、さらに声を落とす。
「榊」
「なんだ」
「お前、まだ一人で背負う気が残ってる」
「……」
「ここまで来てまだ、“俺だけがどうにかする”の癖が抜けてない」
「……」
「天城少尉が何て言ってるか、ちゃんと聞け」
冬真は返せない。
それが図星だからだ。
一緒に決める。
一人で決めさせない。
澪はそう言った。
それでも冬真の中にはまだ、危険の総量を自分だけが背負う癖が残っている。
「だから」
瀬名が続ける。
「俺が入る」
「……」
「三人だ」
「軽いな」
「重いよ」
瀬名は即答した。
「でも、重いって言って止まる段階じゃねえだろ」
その言葉に、冬真は少しだけ目を伏せる。
もう止まる段階じゃない。
たしかにそうだ。
冬真不在を前提にした作戦。
澪の生還率を切り捨てた再現性。
敵の追跡。
上層部の監視。
全部が同時に迫っている。
ここで黙ることのほうが、よほど危険だった。
「……巻き込むぞ」
冬真が低く言う。
「とっくに巻き込まれてる」
瀬名が返す。
「天城少尉関連でお前のログ隠した時点でな」
「……」
「今さら“巻き込むぞ”は遅い」
少しだけ口元を歪める。
「だから、せめて勝てる案にしろ」
その言い方に、冬真はようやく少しだけ息を吐いた。
「正義じゃないぞ」
瀬名が言う。
「分かってる」
「俺は善人でもない」
「知ってる」
「ただ」
そこで瀬名は端末へ視線を落とす。
「お前抜きの案が気に入らないだけだ」
「……十分だ」
「だろ」
短い沈黙。
その中で、戦術支援管制室の雑音だけが遠くで動いている。
その日の夜更け、三人は整備区画寄りの空いたブリーフィング室に集まった。
正式な会議ではない。
予約も曖昧だ。
点検待ちの空き室に、瀬名が内部手順の隙を使って短時間だけ入れるようにしたのだろう。
室内には簡易投影卓が一つ。
照明は落とし気味。
外から見れば、ただの補助確認作業に見えるはずだった。
「来た」
澪が言う。
「ああ」
冬真が答える。
「瀬名さんも」
「呼ばれたからな」
瀬名が椅子を引きながら言う。
「しかも嫌な予感しかしないやつ」
澪が少しだけ笑う。
でもすぐに真面目な顔へ戻る。
投影卓に作戦図が出る。
南中層の谷。
半地下搬送路。
再現性優先の中継配置。
そして冬真案による修正ルート。
「ここ」
冬真が指す。
「正式案だと、先鋒が落とされる位置が浅すぎる」
「うん」
澪が頷く。
「しかも戻れそうに見える分、踏み込んじゃう」
「そうだ」
「天城少尉の悪い癖前提の罠、ってことか」
瀬名が言う。
「言い方」
澪が少しだけ眉を寄せる。
「でも合ってる」
三人の視線が同じ図面へ落ちる。
そこからの話は早かった。
中継初期配置を北へわずかに寄せる。
承認待ちの遅れを利用して、最初の再配分だけ“自然な現場判断”として通す。
主支援卓の公式指示と矛盾しない程度に、澪が自分で北へ逃げる余地を持つ。
そしてその余地を、澪自身が“教えられた逃げ道”として使う。
「要するに」
瀬名がまとめる。
「表の作戦は従う」
「うん」
澪が言う。
「でも、死ぬための形には従わない」
「言い方が強いな」
瀬名が言う。
「でもその通りです」
澪は引かなかった。
「監視の穴は三つ」
瀬名が端末を叩きながら言う。
「一つ、承認ログの時間差」
「……」
「二つ、主支援卓の交代タイミング」
「……」
「三つ、監視AIが“自然修正”と見なす補正範囲」
「つまり」
冬真が言う。
「露骨にやれば終わる」
「そう」
瀬名が頷く。
「だから派手にはやらない」
「半歩だけ」
澪が言う。
「ああ」
冬真も頷く。
「半歩だけ」
その言葉が、今の三人にはちょうどよかった。
派手な反抗じゃない。
逃亡でもない。
でも、明確に従順でもない。
半歩だけルールをずらして、生き残るための形へ変える。
「三人とも終わる可能性あるよね」
澪が静かに言う。
「ある」
冬真が答える。
「かなり」
瀬名も言う。
それでも、誰もそこで止めようとは言わなかった。
短い沈黙のあとで、瀬名が肩をすくめる。
「ほんと嫌だな」
「何が」
冬真が訊く。
「お前ら」
「私たち?」
澪が言う。
「そう」
瀬名は二人を交互に見る。
「最悪の相性してるくせに、一番噛み合うのやめろ」
「褒めてます?」
澪が言う。
「褒めてない」
即答だった。
「ただ、もう損切りできないだけ」
澪がそこで少しだけ笑った。
「十分すぎる理由です」
「でしょ」
瀬名は投げやりに言う。
「善人じゃないんで」
そういう軽口があると、かえって現実味が増す。
これは勢いの計画じゃない。
ちゃんと現実の中で、怖さも損得も分かった人間たちが、それでもやると決めたことなのだ。
「冬真」
澪が小さく呼ぶ。
「なんだ」
「今、一人で抱えてないよ」
「……」
「そこ、ちゃんと覚えてて」
その言葉に、冬真は少しだけ目を閉じたい気持ちになる。
でも閉じなかった。
ここで閉じるのは、まだ逃げだと思ったからだ。
「……ああ」
短く答える。
「分かった」
「ほんとに?」
「多分」
「まだ怪しい」
澪が少し笑う。
「知ってる」
そのやり取りを、瀬名が横から見てため息をつく。
「ほんと、会話の温度だけ恋愛小説なのやめろ」
「何だそれ」
冬真が言う。
「今さらだなあ」
瀬名は投影卓を切る。
「で、話戻すぞ共犯者ども」
「共犯って言いましたね」
澪が言う。
「言った」
「認めましたね」
「うるさい」
その軽さの下で、決めることは決まった。
監視の穴を使う。
作戦の表は崩さない。
だが中身は半歩だけ変える。
冬真は直接支援へ戻れない。
それでも瀬名の手と澪の判断を通じて、自分の読みを戦場へ繋ぐ。
終われば、証拠は残るかもしれない。
敵にも味方にも、また“何か”を見せるかもしれない。
それでも今は、このまま不在を前提に削られるよりましだった。
話が終わり、澪が先に席を立つ。
「戻ります」
「うん」
冬真が頷く。
「気をつけろ」
「冬真も」
「お前もな」
瀬名が横から言う。
「はい」
澪は少しだけ笑った。
「三人とも、ですね」
その一言を残して、澪はブリーフィング室を出ていく。
扉が閉まったあと、瀬名が椅子へ深くもたれた。
「はあ」
「何だ」
「ほんとにやるんだな」
「ああ」
「戻れなくなるぞ」
「……」
「まあ、もう半分戻れてないけどな」
冬真は返さず、閉じた投影卓の黒い面を見る。
三人目の共犯。
その響きは悪い。
でも、今の自分にはそれが少しだけ救いだった。
一人で決めない。
一人で背負わない。
その形が、ようやく現実になり始めている。
「榊」
瀬名が低く言う。
「なんだ」
「明日、お前らが並ぶなら」
「……」
「せめて生き残れよ」
その言い方が、冗談ではないことくらい分かった。
「……ああ」
冬真も短く返す。
「そのつもりだ」
その瞬間、
この反抗がもう、ただの感情ではなく、
本当に始まってしまったのだと、
冬真は静かに理解していた。




