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きみを守るのは、ぼくの知られない戦争  作者: 最後に残った形


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第6章 第2話:不在を前提にした作戦


 人が本当に切り離されるのは、名前を消された時じゃない。


 その人がいないことを前提に、

 計画が組まれ、

 配置が決まり、

 危険が許容され始めた時だ。


 存在はまだそこにある。

 けれど、未来の図面からはもう外されている。

 それが一番、静かで残酷な切り方だった。


 相模第七防衛区画の朝は、冷たいというより乾いていた。


 戦術支援管制室の空気はいつも通り白く整っていて、壁面モニタには敵残存群の新しい動きが展開されている。北中層の崩落地帯、半地下搬送路、高架残骸の連結域。ここ数日の押し返しで敵は減っているはずなのに、散り方があまりに綺麗で、むしろ次の罠を組んでいるようにしか見えなかった。


 榊冬真は補助解析卓の端で、その戦域図を見上げていた。


 読める。

 危険も見える。

 敵がどこへ引き込みたがっているのかも、どこで先鋒の脚を止めたいのかも分かる。


 だが今の自分は、その読みをそのまま戦場へ反映できない。


 補助解析専任。

 監視下運用。

 主支援系統、無効。


 画面の片隅に残るその表示が、今日はいっそう目障りだった。


「顔に出てるぞ」

 瀬名が主支援卓のほうから言う。

「何が」

 冬真が返す。

「“嫌な案が出るなこれ”って顔」

「……」

「図星だな」


 瀬名は自席から立ち上がるでもなく、端末だけこちらへ半分向けた。

 そこには今日の作戦草案が展開されていた。


 局地殲滅ではない。

 敵再編阻止を目的とした中規模制圧。

 だが構造は悪い。

 先鋒一極集中、

 中継層の再現重視、

 属人的支援の想定排除。


 文言だけ見れば正しい。

 だが冬真には分かる。

 これはつまり、“冬真がいないことを前提にした戦場”だった。


「最悪だな」

 冬真が低く言う。

「だろ」

 瀬名が答える。

「再現可能な支援体系、って言い方してるけど」

「ああ」

「要するに、お前抜きでも回る形にしたい」

「……」

「で、回るかどうかは別問題」


 冬真は資料を引き寄せる。

 先鋒投入候補。

 先頭にあるのは、やはり白い識別名だった。


 天城澪。

 暁式参号。


 冬真の視線がそこに止まる。

 止めたくなくても止まる。


「その顔やめろ」

 瀬名が言う。

「仕事だ」

「それもう呪文にもなってねえよ」

 瀬名は小さく息を吐いた。

「でも分かる。今日の案で天城少尉見るの、かなりきついよな」


 きつい。

 その一言で十分だった。


 この作戦案は、冬真の存在を危険因子として排除しながら、澪の運用だけはこれまで通り前へ押し出している。

 つまり“守る側”だけ切り離して、“守られていた側”へ同じ重さを背負わせる形だ。


 それがどれだけ危ういか、冬真には嫌になるほど分かる。


 午前のうちに簡易会議が開かれた。

 冬真は補助解析担当として後列へ入る。

 発言権は限定的。

 主支援への口出しも、今は建前上しづらい。


 前列には澪がいた。


 簡易正装の制服姿。

 背筋は伸びている。

 表情も落ち着いている。

 だが冬真には分かる。

 今日の澪は、静かなだけではない。

 かなりはっきりした拒否を内側に抱えている顔だ。


『本作戦では、支援系統の再現性を優先する』

 戦術運用局の佐官が言う。

『特定卓への依存を避けるため、先鋒支援は標準化されたラインへ統一する』


 標準化。

 再現性。

 依存回避。


 どれも正しい。

 そしてどれも、冬真を外したい時に使うにはあまりにも都合のいい言葉だった。


 澪の指先が、机上の端末の縁へ少しだけ触れる。

 癖だ。

 冬真はそれを知っている。

 平気な顔で怒っている時の仕草だ。


『質問があります』

 澪が言った。


 会議室の空気が、ほんの少しだけ変わる。


『発言を許可する』

 佐官が言う。


「再現可能な支援体系への移行自体に異論はありません」

 澪の声は静かだった。

「ただ、確認したいです」

『何を』

「その形で、生還率も再現できますか」


 冬真の指先が、一瞬だけ止まる。


 まっすぐだった。

 しかも戦術論の形を崩していない。

 感情ではなく、数字の話として斬り込んでいる。


『説明を』

 佐官が言う。

「これまでの先鋒運用では、局地判断と支援の噛み合わせによって突破精度が維持されていました」

 澪は一つひとつ丁寧に言う。

「その属人性を排除するなら、同時に損耗率上昇の想定も必要です」

『標準化により、長期的には安定します』

「短期的には?」

 澪が重ねる。

『……』

「今回のような即応制圧において、短期損耗がどの程度増える想定なのか、先鋒側として把握したいです」


 綺麗だった。

 あまりにも綺麗で、冬真は逆に少しだけ苦しくなる。


 澪はもう、ただ庇っているわけではない。

 “冬真抜きの戦場”そのものへ、理屈で抵抗し始めている。


 監査官がそこで口を開く。


『天城少尉』

 柔らかく、冷たい声だ。

『あなたは、現在の再編案に感情的な抵抗を持っているのではありませんか』

 その問いに、澪は少しもひるまなかった。


「あります」

 即答だった。


 会議室の空気が一拍だけ止まる。


 冬真まで一瞬だけ息を止める。

 認めるのか、と。


「前線に立つ人間として」

 澪は続ける。

「自分の生還率が下がる形に抵抗があるのは当然です」

『……』

「ですが、今の発言は感情だけではありません」

 まっすぐ、視線を逸らさない。

「この案は、“今までそこにあった支え”を消した前提で組まれている」

『特定の卓を指していますか』

「特定個人を言っているわけではありません」

 そこでほんの一拍だけ間を置く。

「でも、不在を前提にしているのは事実です」


 その言葉が、冬真の胸へまっすぐ落ちる。


 不在を前提にしている。

 そうだ。

 今の作戦案の本質はそこだ。

 冬真がいないこと。

 いなくても回ることを示したいこと。

 そのうえで澪だけは前へ出すこと。


 それを澪は、誰より正確に見抜いている。


『天城少尉』

 佐官の声が少しだけ硬くなる。

『あなたの立場は前線の遂行です』

「はい」

「ならば、再編判断は上層部へ委ねるべきでは」

「委ねます」

 澪は頷く。

「でも、死ぬかもしれない側が違和感を言う権利はあると思っています」


 冬真は目を閉じたくなる。

 嬉しい。

 怖い。

 そんなところまで言わせてしまっていることが、たまらなく嫌だった。


 会議はその後、結論を先送りする形で流れた。

 草案は維持。

 ただし生還率再試算と局地補助の再評価を追加。

 つまり、澪の言葉で完全には押し切れなかったが、無視もされなかった。


 会議終了後、人の流れが崩れる。

 資料端末の閉じる音と小さな話し声が重なる。

 冬真は誰とも目を合わせずに後方出口から出た。


 会議室脇の細い通路。

 最近、二人が話すことの多い場所。

 今日はここへ来るだろうと思った。

 そして、その予感は外れなかった。


「冬真」


 澪の声。

 振り向くと、会議の熱をまだ少しだけ残した顔で立っている。


「来た」

 澪が言う。

「ああ」

「来ると思ってた」

「……そうか」

「うん。今日の会議のあと、多分そのまま帰れない顔してたから」


 図星だった。


「さっきの」

 冬真が低く言う。

「かなり踏み込んだな」

「うん」

「危ない」

「知ってる」

「……」

「でも、言わないとだめだった」


 澪は壁に寄りかからず、ただまっすぐ立っている。

 それだけで、今日の彼女の決意が分かる気がした。


「このままじゃ行かない」

 澪が言う。

「……」

「冬真がいない前提のまま、はいそうですかって前に出るの、無理」

「命令だぞ」

「うん」

「反抗になる」

「うん」

 澪は頷く。

「だから今、ちゃんと理由を作ってる」


 その言い方に、冬真は少しだけ眉を寄せる。

 ただ感情で拒否しているわけではない。

 戦術的に不備を指摘し、

 生還率の問題として声を上げ、

 “従わないための理由”を積み上げている。


 つまり澪はもう、“反抗する準備”に入っている。


「……死なないために、従わない気か」

 冬真が言う。


 澪は少しだけ目を細めた。

「うん」

「それは危ない考え方だぞ」

「知ってる」

「……」

「でも、今の私はそれを選ぶ」

 静かだった。

 でも、揺れていない。


 冬真は何も返せなくなる。


 前なら止めていた。

 いや、今も止めたい気持ちはある。

 でも同時に、澪がそう言うしかない形へ追い込まれていることも分かる。

 冬真不在の戦場を、澪はもう受け入れられないのだ。


「冬真」

「なんだ」

「このままの形で出たら、多分勝てない」

「……」

「勝てるかもしれないけど、戻れない可能性が高い」

「……ああ」

「だから、変えたい」

「何を」

「作戦の形」


 その言葉に、冬真は少しだけ息を止めた。


 そこまで来たか、と思う。

 命令を拒否するのではなく、

 戦える形へ作戦そのものを変えるつもりなのだと。


「お前」

 冬真が低く言う。

「最初からそれを言いに来たな」

「うん」

 澪は少しだけ笑う。

「ばれた?」

「かなり」

「よかった」

「何が」

「冬真、ちゃんと分かってる顔してるから」


 その言い方に、少しだけ息が抜ける。

 こんな状況なのに、そうやって軽く笑えるところが澪らしい。


「でも」

 冬真が言う。

「それをやるなら、かなり危ない」

「うん」

「お前だけじゃない。俺も、瀬名も、たぶん巻き込む」

「分かってる」

「失敗したら終わる」

「うん」

「……」

「それでも、やりたい」

 澪ははっきり言った。

「一人で決めないで。今度は一緒に考えて」


 その一言が、胸の奥へ強く入る。


 一緒に考える。

 守るための案を一人で抱えるんじゃなく、

 同じ作戦図を前にして、並んで考える。


 それは今まで冬真が最も避けてきたことでもあり、

 今ようやく必要だと分かり始めていることでもあった。


「……資料、持ってるのか」

 冬真が訊く。

「うん」

 澪が端末を少し持ち上げる。

「南中層と半地下搬送路の新しいやつ」

「ここで見るのはまずい」

「じゃあ、どこならいい?」

「……」

 少しだけ考える。

 監視はある。

 だが完全ではない。

 瀬名が言っていた“監視網の穴”を思い出す。


「観測通路の裏側」

 冬真が言う。

「整備灯の死角になるとこがある」

「うん」

「そこなら、少しはましだ」

「じゃあ行こう」

 澪が即答する。


 その迷いのなさに、冬真は少しだけ笑いそうになった。


「最初からそのつもりだろ」

「うん」

 澪が悪びれず頷く。

「冬真に考えてもらうつもりだった」


 図星すぎて、もう返す気力もない。


「……ほんとに、従わない気なんだな」

 冬真が最後に確認するみたいに言う。

「従うよ」

 澪が静かに返す。

「ただ、そのままでは行かない」

「……」

「死なないために、変える」


 その言葉は、もうただの反抗じゃなかった。

 生きるための意思だ。


 冬真はそこで、ようやく小さく息を吐いた。


「分かった」

「何が」

「一緒に見る」

 澪の目が少しだけ揺れる。

「うん」

「でも、危ないことに変わりはない」

「知ってる」

「そのうえでやる」

「うん」


 そのやり取りだけで、何かが少し変わる気がした。


 守る側と守られる側じゃなく、

 命令する側と従う側でもなく、

 同じ作戦図を見る二人。


 そこへ、ようやく足をかけた感じだった。


「じゃあ、行こう」

 澪が言う。

「ああ」

「今度は、一緒に」

「……ああ」


 その言葉に、冬真はもう迷わなかった。


 不在を前提にした作戦。

 それが今、敵味方の共通現実になっている。

 だからこそ、その前提を壊さなければならない。


 そう思った時点で、

 もう二人は少しだけ、

 制度の外側へ足を踏み出していた。


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