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きみを守るのは、ぼくの知られない戦争  作者: 最後に残った形


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第6章 第1話:監視下の呼吸


 自由を奪われた人間は、最初に足を止めるわけじゃない。


 むしろ逆だ。

 歩けるうちは歩こうとする。

 見えるうちは見ようとする。

 届かないと分かっていても、癖みたいに手を伸ばす。


 そうして初めて、自分がどれだけ狭い檻の中で呼吸しているのかを知る。


 相模第七防衛区画の朝は、妙に整いすぎていた。


 白い廊下。

 規則正しい足音。

 戦術支援管制室の均質な照明。

 壁面モニタに並ぶ戦況図も、補給予定も、整備進捗も、全部がきちんといつも通りに見える。


 その“いつも通り”が、榊冬真には少し息苦しかった。


 自席の端末を起動する。

 表示は変わらない。


 補助解析専任。

 主支援系統、無効。

 深層処理権限、停止。

 監視下運用、継続。


 文面は昨日と同じだ。

 でも、その同じ表示が毎朝そこにあるということが、地味にきつい。


「おはよう、監視対象」

 瀬名が隣から言う。

「朝から最悪だな」

 冬真が返す。

「元気そうで何より」

「お前がな」

「俺は元気じゃない。お前の顔見てちょっと気分悪くなっただけだ」

「失礼だな」

「事実だろ」


 瀬名は紙コップを机へ置いて、自分の端末を開く。

 今の瀬名は主支援寄りのラインに残っている。だから冬真より戦場に近い位置で情報を持っているし、たぶんそのぶん余計なものも見えているのだろう。


「今朝の監視更新、見たか」

 瀬名が低く言う。

「まだだ」

「見ろ。嫌な感じに細かくなってる」


 冬真は監視ログのタブを開く。

 行動記録照会。

 端末使用時間。

 補助帯域閲覧履歴。

 整備区画への出入り。

 個人回線の接続時間帯。


 露骨だった。

 拘束ではない。

 けれど、自由でもない。


「これ、もう首輪だな」

 瀬名が言う。

「ああ」

「で、笑えないのは、外から見たら普通に勤務してるように見えること」

「……」

「ほんと嫌らしい」


 冬真は返事をしなかった。


 その通りだった。

 椅子はある。

 仕事も与えられる。

 端末も使える。

 でも、その全部が監視の中でしか許されていない。


 呼吸はできる。

 ただし、深く吸えない。

 今の自分はそういう状態なのだと、冬真はだんだん理解し始めていた。


 午前の処理を淡々と進める。

 敵残存群の傾向整理。

 中継圏の偏差予測。

 整備帯域への浅い探索痕の整理。


 読める。

 分かる。

 だがそこから先へは行けない。


 冬真が気づいた危険も、主支援卓へは一度瀬名か別担当を経由しなければ届かない。その半拍が、前なら致命的な差に見えた。今もそう思っている。


「お前、その顔ずっとしてると老けるぞ」

 瀬名が言う。

「お前よりはましだ」

「言うねえ」

 瀬名は軽く笑ってから、少しだけ真面目な声になる。

「でもほんと、気をつけろよ」

「何を」

「見えなくなってる時のほうが危ない」

「……」

「今のお前、“自分は何もできない”側に寄りすぎてる」

「事実だろ」

「半分はな」

「半分?」

「見えてるものはまだあるってことだよ」


 その言葉の意味を、冬真はすぐには測れなかった。


 その時、壁面モニタの一角に今日の作戦候補一覧が展開された。

 敵残存勢力の再編兆候。

 局地圧縮。

 偵察兼先鋒誘導。

 その候補ラインの先頭に、また白い識別名がある。


 天城澪。


 冬真の視線が一瞬だけ止まる。


「ほらな」

 瀬名が言う。

「すぐそれだ」

「仕事だ」

「もうその返し要らねえよ」

 瀬名は小さく息を吐く。

「でも分かる。見るなって言っても無理だろ」


 無理だった。


 澪が出るかもしれない。

 その事実だけで、胸の奥がじわりと緊張する。

 主支援にいない自分。

 監視下の自分。

 それでも、やはり澪の動向に意識が引かれる。


 そのまま午前が流れた。


 昼に近い時間。

 管制室から整備区画への補助資料が回る。

 補助通信員が端末を持ってきて、冬真は確認だけをして返す。

 そこに書かれているのは白い機体の簡易調整予定だった。

 冬真が直接触れられない場所。

 でもまだ完全に消えたわけではない接点。


 その薄い接点が、今の冬真には逆につらかった。


 個人回線が震えたのは、その直後だった。


 送信者:天城澪


 冬真の指が、ほんの少しだけ止まる。

 瀬名がそれを見て、何も言わずに自分の画面へ目を戻した。

 その気遣いがありがたくて腹が立つ。


 メッセージを開く。


 ――今、少しだけ見えた

 ――こっち向いて


 意味が分からず、冬真は反射的に顔を上げる。


 管制室の壁面ガラスの向こう、中央通路を挟んだ先の観測回廊。

 そこに澪が立っていた。


 ほんの数秒だけだった。

 白い制服姿のまま、資料端末を抱え、こちらを見ている。

 完全に偶然を装っているわけではない。

 でも、露骨に立ち止まってもいない。

 視線だけで、いる、と言ってくる。


 冬真は自分でも驚くほど自然に、小さく頷いていた。


 澪はそれを見ると、ほんの少しだけ目を細め、そのまま通路の向こうへ消えていく。


「……」

 冬真は言葉を失う。

「見えたか?」

 瀬名が言う。

「……ああ」

「器用だよなあ、あいつ」

「何が」

「監視されてる相手に、“いなくなってない”って見せに来るとこ」

「……」


 その言葉が、妙に胸に残る。


 見えなくなっても、いなくなったことにはしない。

 前に澪が言った言葉が、今こういう形で返ってきている。


 午後、冬真は補助資料の搬送を名目に整備区画寄りの廊下を歩いた。

 完全な口実じゃない。

 仕事は仕事だ。

 だが、そこに期待が一滴も混じっていないと言えば嘘になる。


 整備区画手前の角を曲がると、白い機体の見える通路の向こうで、澪が整備主任と何か話していた。

 冬真に気づいた整備主任が、ごく自然な顔で「じゃあこちら確認しておきますね」と別方向へ去っていく。


 あからさますぎない配慮。

 ありがたかった。


「来た」

 澪が言う。

「仕事だ」

 冬真が返す。

「うん、そういうことにしとく」

 澪は少しだけ笑った。


 今日の澪は落ち着いている。

 前線前の張り詰め方でもなく、会議で立つ時の英雄の顔でもない。

 でも、その落ち着きの下に強い意志があるのが分かる。


「さっき」

 澪が言う。

「見えたから」

「……」

「ちゃんといるなって思いたくて」


 その言葉に、冬真は返事が遅れる。


「俺はいる」

 ようやく言う。

「うん」

「ただ、前とは違う」

「知ってる」

 澪は頷いた。

「見てれば分かる」

「……」

「監視されてるのも、切られてるのも」

「……」

「それでも、いなくなったことにはしたくない」


 まっすぐだった。

 責めるでも慰めるでもなく、ただ存在を繋ぎ止めようとする言葉。


 冬真は白い機体へ目を向ける。

 整備灯の下で、暁式参号は静かだった。

 自分が触れられなくなった場所。

 それでも、完全に切れたわけではない場所。


「お前、こうやって来るの危ないぞ」

 冬真が言う。

「知ってる」

「見られる」

「知ってる」

「……」

「でも」

 澪は少しだけ視線を上げる。

「何もしないで、冬真が遠くなってく感じ見てるほうが嫌」


 その一言で、胸の奥が少しだけ重くなる。


 遠くなっている。

 それは事実だ。

 制度的にも、物理的にも、役割としても。

 でも澪は、その距離を当然のものとして受け入れる気がない。


「冬真」

「なんだ」

「呼吸できてる?」

「は?」

 少し間の抜けた声が出る。

「顔、ずっと苦しそうだから」

 澪が静かに言う。

「……」

「平気って言うなら、多分嘘」

「……」

「だから、せめて今だけでも、ちゃんと息して」


 その言い方が優しすぎて、少し困る。


「してる」

 冬真が言う。

「浅い」

「……お前な」

「分かるよ」

 澪は少しだけ笑う。

「幼馴染だし」


 それだけの言葉なのに、妙に救われる。

 幼馴染。

 もうそれだけでは説明できないところまで来ている。

 でも、その長さが今も自分たちを支えているのも事実だった。


「次」

 澪が言う。

「私、多分また出る」

「……ああ」

「しかも、冬真いない前提の案で」

「分かってる」

「それ、嫌」

「知ってる」

「でも」

 澪は白い機体を見て、それからまた冬真へ視線を戻す。

「このまま切られて終わる気もない」

「……」

「私、会いに来るし、見るし、ちゃんと繋ぐ」

「お前」

「今できる反抗って、そういうとこからでしょ」

 少しだけ笑う。

「大きいことまだできないし」


 大きいこと。

 その言い方に、冬真はわずかに眉を寄せる。

 まだ、という含みがあった。


「何考えてる」

「色々」

 澪は即答を避ける。

「でも今は、冬真がいなくなってないって確かめたかっただけ」


 それは本音なのだろう。

 そして、その本音だけで十分に重い。


「……俺も」

 冬真が低く言う。

「何?」

「お前が普通に立ってるの見て、少し楽になった」

「……」

 澪の表情が少しだけやわらぐ。

「それ、かなり珍しい」

「知らない」

「知って」

 小さく笑う。

「今の、結構嬉しいから」


 数秒だけ、どちらも黙る。

 通路の向こうでは整備員の足音が響き、白い補助灯が一定の明るさで機体を照らしている。

 何も解決していない。

 監視も処置も敵の追跡も、そのままだ。


 それでも今、こうして呼吸を合わせていられること自体が、少しだけ反抗みたいに思えた。


「戻る」

 澪が言う。

「ああ」

「また、見えるとこ来る」

「危ないって言っただろ」

「知ってる」

 澪は肩をすくめる。

「でも来る」

「……」

「いなくなったことにしないために」


 その言葉に、冬真はもう何も返せなかった。

 返せなかったというより、返す必要がない気がした。


「おやすみ」

 澪が言う。

「まだ昼だ」

「気分」

「雑だな」

「冬真も大概だよ」


 少しだけ笑い合う。

 そのあと、澪は一歩下がる。


「次、ちゃんと吸って」

「何を」

「息」

 澪が言う。

「監視下でも」


 それだけ残して、澪は白い機体の向こうへ消えていく。


 冬真はしばらくその場に立ち尽くしていた。


 監視下の呼吸。

 それは自由な呼吸ではない。

 深くも吸えない。

 でも、完全に止まったわけでもない。


 見えなくなっても、いなくなったことにはしない。

 澪のその意志が、今の冬真には酸素みたいに必要だった。


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