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きみを守るのは、ぼくの知られない戦争  作者: 最後に残った形


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第5章 第10話:切り離される影


 切り離される時、人は大きな音を想像する。


 命令の声とか、

 扉の閉まる音とか、

 戻れないと告げる明確な言葉とか。


 でも実際には、もっと静かな形でそれは起きる。

 名前を呼ばれ、

 書類を一枚渡され、

 “以後”という言葉が置かれるだけで、

 人の居場所は驚くほどあっさり切り離される。


 相模第七防衛区画の夜は、妙に整っていた。


 戦術支援管制室の照明は白く均一で、端末の駆動音も一定で、壁面モニタにはいつも通りの戦況図が浮かんでいる。基地は相変わらず戦争の中にあった。だからこそ、その中で榊冬真一人の立場が崩れていくことは、余計に静かで、余計に現実味があった。


 個人端末に入った通知は短い。


 ――戦術運用監督部門へ出頭

 ――処置通達


 確認ではない。

 再審査でもない。

 言葉が一段進んでいる。


「来たな」

 瀬名が隣で言う。

「ああ」

 冬真が返す。


 それ以上、すぐには言葉が続かなかった。

 何を言っても、今さら現実は変わらないと分かっていたからだ。


「……行く前に一個だけ」

 瀬名が低く言う。

「なんだ」

「戻ってきた時、椅子が残ってる保証はない」

「……」

「いや、脅しじゃなくて事実な」

「分かってる」

「だからその台詞ほんと」

 瀬名は途中で諦めたみたいに息を吐く。

「まあいい。とにかく、最悪を覚悟しとけ」


 冬真は無言で立ち上がった。


 会議棟へ向かう廊下は、前に確認室へ呼ばれた時よりも短く感じた。

 短いというより、もう途中で止まる理由がない。

 覚悟ができたわけではない。

 ただ、ここまで来たら切られるものが何かを知りに行くだけだ。


 処置通達室は前回よりさらに無機質だった。

 白い壁、細い机、記録端末、正面の席。

 机の向こうにいるのは前回と同じ中佐、それから監査官、もう一人法務寄りの担当官らしい人物だった。


「榊冬真担当官」

 中佐が言う。

「着席を」

 冬真は無言で座る。


 端末が起動し、処置文書が机上へ投影された。

 文面は冷静で、簡潔で、だからこそ残酷だった。


『直近戦闘における独断介入の疑い、

 戦術支援系統逸脱の可能性、

 および前線機との不自然な補助相関を受け、

 当面、榊冬真担当官を主戦術支援系統より外す』


 主戦術支援系統より外す。

 その一文だけで十分だった。


『加えて、継続監視下におく』

『深層処理権限は停止』

『支援卓への直接介入は禁止』

『隔離監視区画への出入りを伴う待機命令を発する可能性あり』


 冬真は文面を最後まで見た。

 途中で目を逸らす気にはなれなかった。


「異議があれば」

 法務担当が形式的に言う。

「現時点で?」

 冬真が低く返す。

「記録します」


 異議はある。

 澪が前線へ出る時に自分を外すことの危険も、

 支援の噛み合わせの差も、

 敵の追跡が進んでいる現状も。

 だがそれをこの場で言えば、余計に“個人的執着”の証明にしかならないことも分かる。


「……ありません」

 冬真は答えた。


 その言葉を口にした瞬間、自分の中で何かが静かに落ちるのを感じた。

 諦めではない。

 まだそこまでは行っていない。

 でも、今までの位置がもう終わったのだという実感だけは、嫌になるほどはっきりした。


「なお」

 監査官が言う。

「暁式参号を含む先鋒投入機群への補助提言についても、あなたの関与は一時停止とします」

「……」

「接触を全面禁止するものではありません」

 中佐が付け加える。

「ただし、任務系統に関わるやり取りは監視対象となる」


 接触は全面禁止しない。

 それが逆にきつかった。


 完全に奪うわけではない。

 ただ“近くにいながら、もう前みたいには手を伸ばせない”位置へ置く。

 そのやり方が一番残酷だと、冬真は知っていた。


「以上です」

 中佐が言う。

「本日付で措置は有効」

「……承知しました」


 部屋を出る時、冬真は振り返らなかった。

 振り返ったところで、あそこに自分の居場所はない。


 管制室へ戻る途中、個人端末が震えた。

 送信者は瀬名。

 文面は短い。


 ――どうだった


 冬真は少し迷ってから返す。


 ――主系統から外された

 ――当面監視下


 返信はすぐだった。


 ――最悪寄りだな

 ――戻ってこい


 自動扉が開く。

 管制室の空気はいつも通りだった。

 だが、自席の表示だけが変わっている。


 戦術支援三番卓。

 補助解析専任。

 主支援系統、無効。


 椅子はある。

 端末もある。

 でもそこはもう、前と同じ場所ではなかった。


「……ほんとに切ったか」

 瀬名が言う。

「ああ」

「くそ」

 瀬名が小さく吐き捨てる。

「正式に?」

「ああ」

「天城少尉、知ったら荒れるぞ」

「……」


 その言葉に、冬真は一瞬だけ答えに詰まる。

 澪には伝わる。

 隠しきれるはずがない。

 しかも今の彼女は、もう“守られるだけ”では終わらない。


 そう思った瞬間、まるでそれを待っていたみたいに個人回線が震えた。


 送信者:天城澪


 胸の奥が一拍、重く打つ。


 メッセージを開く。


 ――本当?


 たった三文字だった。

 でもそこに入っている感情は、長文より重い。


 冬真はすぐに返せなかった。

 返し方を考えているうちに、次の通知が来る。


 ――今どこ

 ――会いたい


「来るな」

 瀬名が横から言う。

「何が」

「天城少尉」

「……」

「この勢い、もう止まらねえ顔してる」


 たぶん、その通りだった。


 冬真は短く返した。


 ――整備区画の脇通路


 送信してから数分も経たないうちに、冬真は管制室を出ていた。

 整備区画の脇通路。

 何度も二人で立った場所。

 白い機体へ続く、少し人の少ない細い通路。


 澪はすでにそこにいた。


 息が少し上がっている。

 たぶん本当に急いできたのだろう。

 その顔には、いつもの静かな強さだけではないものが混じっていた。

 怒り。

 焦り。

 そして、はっきりした拒絶。


「本当なんだ」

 澪が言う。

「ああ」

「外された?」

「ああ」

「主支援から?」

「ああ」


 短い応答しかできない。

 それだけで十分すぎるからだ。


 澪は一度だけ目を閉じる。

 そのあとで、冬真をまっすぐ見た。


「そんなの、認めない」

 はっきり言った。


 冬真は少しだけ呼吸を止める。

 予想はしていた。

 でも、実際に言われるとやはり重い。


「認める認めないの話じゃない」

 冬真が言う。

「命令だ」

「分かってる」

 澪が返す。

「でも、だからって納得するわけじゃない」

「……」

「冬真を外すの、危ないって言った」

「ああ」

「それでも切った」

「ああ」

「じゃあ、間違ってる」


 その一言に、冬真は返せなかった。


 澪はもう、英雄の位置からだけ喋っているのではない。

 もっと個人的で、もっと切実な場所から怒っている。


「私」

 澪が言う。

「今まで、前に立つしかないと思ってた」

「……」

「でも今は違う」

「何が」

「前に立ちながら、冬真を切らせない方法を考えたい」

「澪」

「止めないで」

 静かに遮る。

「もう、そういう段階じゃない」


 冬真は喉の奥が詰まる。

 そういう段階じゃない。

 それはたぶん本当だ。


 秘密はほぼ共有され、

 立場は崩れ、

 監視も追跡も現実になった。

 今さら“何も起きていないふり”はできない。


「俺は従うしかない」

 冬真が言う。

「知ってる」

「監視下だ」

「知ってる」

「お前まで巻き込むな」

「もう巻き込まれてる」

 澪は即答した。

「戦場でも、会議でも、今のこれでも」

「……」

「今さらそこだけ切り離されるほうが嫌」


 その声は強い。

 でも、強いだけじゃない。

 少し掠れている。

 澪自身もかなり追い詰められているのだと分かる。


「冬真」

「なんだ」

「私、もう“しょうがない”で終わらせたくない」

「……」

「英雄とか、希望とか、そういう正しい並びのために」

「……」

「影のまま消えるの、見てられない」


 影のまま消える。

 その言葉は、冬真の胸に痛いくらい残る。


 そうだ。

 今の処置はまさにそれだ。

 見えない位置で必要なことをしていた人間を、見えないまま切り離す。

 正しい手順で。

 正しい文面で。


「……危ないぞ」

 冬真が言う。

「お前がそこまで言うの」

「知ってる」

「今の立場で反発すれば、余計に見られる」

「知ってる」

「それでも?」

「それでも」

 澪は迷わなかった。

「冬真をこのまま切らせたくない」


 その本気が、冬真には嬉しくて、苦しかった。


「私」

 澪が少しだけ声を落とす。

「今日、ほんとはすごく怖かった」

「……」

「処置の話、聞いた時」

「……」

「私のせいで、冬真の場所がほんとに消えるんだって思った」


 冬真は小さく首を振る。

 でも澪はそこで引かなかった。


「違うって言っても、ゼロにはならない」

 澪が言う。

「知ってる」

「……」

「だから余計に、今度は私が黙れない」


 今度は私が。

 その言葉を、澪はもう何度も形を変えて言っている。

 守られるだけじゃ嫌だ。

 一緒に立ちたい。

 光の側から庇う。

 そして今は、切り離される影を見過ごせない。


「……澪」

 冬真が低く呼ぶ。

「うん」

「俺は多分、しばらく前みたいには戻れない」

「うん」

「お前のところへ、前みたいに手は伸ばせない」

「うん」

「それでも」

 そこで言葉が少しだけ止まる。

「それでも、まだ離れたくない」


 かなり本音だった。

 言ってから、自分の中で少しだけ何かが静かになる。


 澪の目が揺れる。

 痛みと安堵が一緒に入ったみたいな表情だった。


「うん」

 澪が小さく言う。

「私も」

「……」

「離したくない」


 その言葉は、もうほとんど答えの形をしていた。


 でも今はまだ、その先へ行くには現実が重すぎる。


 通路の向こうで、人の気配が近づく。

 整備員か、補助担当か。

 長くは話せない。


「今日はこれ以上、無茶しないで」

 冬真が言う。

「お互い様」

 澪が少しだけ笑う。

「でも、私」

 そこでまた真顔に戻る。

「多分、止まらないよ」

「知ってる」

「冬真のこと、切らせたくない」

「……」

「だから、私も考える」

「……ああ」


 今はそれしか返せなかった。


「おやすみ」

 澪が言う。

「……まだ夜じゃない」

「気分」

「雑だな」

「冬真に言われたくない」


 少しだけ笑い合う。

 その軽さが、逆に切なかった。


 澪は最後に一歩だけ近づく。

 触れない距離。

 でも今までで一番、強い意志のある近さだった。


「影のままにしない」

 小さく、でもはっきり言う。

「……」

「絶対」


 それだけ残して、澪は通路の向こうへ去っていく。


 冬真はしばらくその場で動けなかった。


 切り離される影。

 たしかに今、自分はそこへ向かっている。

 でも、その影を選びに来る人間がいる。


 それは救いで、

 同時に、この先がもっと穏やかでは終わらないという予感でもあった。


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