第5章 第6話:そんなことまでしなくていい
守るという行為が似ているほど、人は相手の危うさに敏感になる。
自分がやってきたことと同じ形で、
目の前の誰かが傷つこうとしている。
それを見た時、人はようやく、自分のやっていたことの重さを別の角度から知る。
だからこそ、止めたくなる。
でも、止めたい言葉はたいてい、そっくりそのまま返ってくる。
相模第七防衛区画の夜は、疲れているのに眠らない。
戦術支援管制室の壁面モニタでは、翌日の局地配置案が静かに更新され続けている。整備区画では補助灯が落ちきらず、白い機体の周りだけがまだ昼の延長みたいに明るい。基地全体が「今日」の終わりを拒んで、「次」の準備へ押し出されていくような夜だった。
榊冬真は、自席で端末を開いたまま動かなかった。
灰色の権限表示。
主支援接続、保留。
補助制御書き込み、一時停止。
深層アクセス、監視下。
その並びにももう慣れ始めている自分が嫌だった。
慣れたくないはずなのに、現実は人を簡単に順応させる。
「その顔、また悪くなってるぞ」
隣で瀬名が言う。
「元からだ」
冬真が返す。
「今日は違う。天城少尉の会議後だろ」
「……」
「効いてるなあ」
瀬名はわざとらしく息を吐いた。
「庇われたの、そんなにきついか」
「きつい」
思ったよりすぐに言葉が出た。
瀬名が少しだけ目を細める。
「珍しいな」
「何が」
「そこ、否定しないの」
「……」
「で?」
瀬名が続ける。
「嬉しいのか、怖いのか」
「両方だ」
「あーあ」
瀬名が椅子にもたれる。
「完全に重症だな」
重症。
その言い方が妙に腑に落ちる。
澪が会議の場で、自分の立場を使って後方支援を庇った。
個人名は出していない。
でも誰に向けた発言かは明らかだった。
前に立つ人間の重みで、
光の側の言葉で、
見えない側を切り捨てるなと訴えた。
ありがたかった。
同時に、そんなことまでさせたくないと思った。
「会いに行くのか」
瀬名が訊く。
「何が」
「天城少尉」
「……」
「お前、ほんとにそこだけは素直じゃねえな」
冬真は返さない。
返せば、そのまま立ち上がってしまいそうだったからだ。
だが結局、その迷いに意味はなかった。
個人回線が震える。
送信者は、やはり天城澪だった。
――少しだけ話せる?
短い。
だがその一文だけで、澪も同じように今日のことを引きずっているのだと分かる。
冬真は少しだけ画面を見つめてから返した。
――どこだ
返信はすぐだった。
――白い機体のところ
――人少ないから
「行ってこい」
瀬名が言う。
「……」
「で、今度はちゃんと自分の嫌さも言え」
「無理だ」
「お前が無理って言う時、大体もう半分言う気あるんだよ」
「うるさい」
整備区画の奥は、夜の白さを溜め込む場所だった。
補助灯の下、暁式参号が固定台の上に立っている。
白い装甲、整備用の薄い光、足元に散る工具の影。
ここは最近、二人が何度も立ち止まってきた場所だ。
言えないことばかりが積み重なって、でも少しずつ形を持っていく場所。
澪は機体の脇に立っていた。
ジャケットを羽織ったまま、白い肩装甲を見上げている。冬真の足音に気づくと、ゆっくり振り向いた。
「来た」
澪が言う。
「ああ」
「来てくれると思ってた」
「呼ばれたからな」
「うん」
少しだけ笑う。
「ほんと、その返し好きだね」
「お前もな」
「私?」
「そうやって分かってる顔するところ」
「今さらだよ」
短いやり取りだけが、少しだけ呼吸を整える。
だが今日の本題は、その先にある。
「さっきの会議」
冬真が先に言う。
「やりすぎだ」
「やっぱりそれ言うんだ」
澪は苦く笑う。
「言う」
「うん」
「そんなことまでしなくていい」
その言葉を聞いた瞬間、澪の表情が少しだけ変わる。
怒ったわけではない。
でも、逃がさない顔になった。
「その台詞」
澪が静かに言う。
「ほんとにそっくりそのまま返す」
「……」
「今まで冬真が私にしてきたことのほうが、よっぽど“そんなことまで”だよ」
冬真は言葉を失う。
分かっていた。
言われると。
それでも実際に返されると、想像よりずっときつい。
「私は」
澪が続ける。
「今日、自分にできることをしただけ」
「危ない」
「うん」
「目立つ」
「うん」
「敵にも味方にも、余計なものを見せる」
「うん」
澪は全部頷く。
「でも、それって今まで冬真がやってきたことと何が違うの?」
真正面からだった。
冬真はすぐには答えられない。
「違う」
ようやく絞り出す。
「何が?」
「お前は前に立つ」
「立つよ」
「だから余計な傷を増やすな」
「冬真」
澪は少しだけ声を落とす。
「その言い方、ほんとずるい」
ずるい。
それは責める言葉なのに、どこか少しだけ優しい響きもあった。
「私が前に立つから」
澪が言う。
「その立場を使わないで黙ってるほうが、今は無責任だと思った」
「……」
「だって、冬真を切るってことは」
「澪」
「聞いて」
静かに遮る。
「私の生存率を切るってことでもある」
「……」
「それ、前にいる人間として知ってるのに、黙ってるほうが嫌だった」
その言葉は重かった。
感情論ではなく、現実だ。
澪は庇うために立場を使った。
でもそれは、ただ冬真を守りたいからだけじゃない。
戦線の事実として、冬真を切ることの危うさを知っているからでもある。
そこまで理解していて、
なおかつ感情でも動いている。
それが今の澪だった。
「……嬉しくないわけじゃない」
冬真が低く言う。
澪の目がわずかに揺れる。
「でも」
「うん」
「やっぱり嫌だ」
「何が」
「お前が、俺と同じことをしようとするのが」
かなり本音だった。
澪はそれを聞いて、しばらく黙る。
怒るかと思った。
でも違った。
「そっか」
小さく言う。
「やっぱり、そう見えるんだ」
「見える」
「私が危ない?」
「ああ」
「傷つく?」
「ああ」
「削れる?」
「……ああ」
澪はそこで、ほんの少しだけ笑った。
その笑い方は嬉しそうでも、悲しそうでもない。
ただ、何かに納得した顔だった。
「それ、私が今まで冬真に思ってたことと同じだよ」
澪が言う。
冬真は返せない。
返せる言葉がない。
「だから」
澪が続ける。
「たぶん、こんなに苦しいんだと思う」
「……」
「似てるから」
「最悪だな」
「ほんとにね」
また少しだけ笑う。
でも、その目の奥は少しも軽くない。
白い機体の肩装甲へ、澪がそっと手を置く。
いつか守られる側の象徴だったその機体を、今はまるで別の意味で見ているようだった。
「私」
澪がぽつりと言う。
「守られてばっかりだった時、ほんとはすごく怖かった」
「……」
「嬉しいのに、どこまで冬真が無理してるのか分からなかったから」
「……」
「今も怖いよ」
そこで冬真のほうを見る。
「でも、今度は私のほうがそれを少し分かる」
「……」
「だから放っておけない」
放っておけない。
それは澪にとって、もう感情の結論なのだろう。
「お前まで傷つく必要はない」
冬真がもう一度言う。
「その台詞、そっくり返す」
澪は即座に返した。
「冬真だけ傷つく必要もない」
そこにはもう、綺麗な反論も、戦術論もなかった。
ただ、それだけが本音なのだと分かる声だった。
「私たち」
澪が少しだけ言葉を探す。
「たぶん、似てるからうまくいかない」
「……」
「どっちも相手のことばっかり先に考えるし」
「……」
「だから、ちゃんと言わないと多分ずっとすれ違う」
その言葉が、胸の奥にじわりと残る。
守るだけでは届かない。
何度も出てきたその感覚に、今日は別の輪郭がついた気がした。
自分と似ているから、
同じ場所で痛むから、
同じ言葉がそのまま返ってくる。
だから一方通行では済まない。
「……分かった」
冬真が言う。
「何が」
「お前が止まらないのは」
「うん」
「でも、納得はしてない」
「それでいい」
澪は頷く。
「私も、冬真が止まらなかったの、納得してなかった」
「……」
「でも、全部否定もしない」
その言い方が、やけに澪らしい。
単純に切り捨てない。
痛みごと持ったまま、相手の側に立とうとする。
「ねえ」
澪が少しだけ笑う。
「似てるから、たぶんこんなに面倒なんだよ」
「ひどい言い方だな」
「でも本当でしょ」
「……ああ」
冬真も小さく認める。
「本当だ」
その一言で、少しだけ空気がゆるんだ。
何も解決していない。
上層部の監視も、
敵の追跡も、
冬真の剥がれかけた居場所も、そのままだ。
それでも今、少なくとも一つだけ前よりはっきりしたことがある。
澪はもう、守られるだけの側へ戻らない。
そして冬真もまた、それをただ否定して押し返すことはできない。
「戻る」
澪が言う。
「ああ」
「冬真も」
「そうする」
「ちゃんと休んで」
「お前もだ」
「私は……努力する」
「しないだろ」
「冬真もね」
短い応酬に、少しだけ笑いが混じる。
その軽さに救われる。
でも、その軽さだけではもう続かないところまで来ているのも分かる。
「また話そう」
澪が言う。
「ああ」
「今度は、もう少しちゃんと」
「無茶言うな」
「知ってる」
そう言って、澪は白い機体の脇を離れていく。
冬真はしばらくその場に残ったまま、白い装甲の反射を見つめていた。
そんなことまでしなくていい。
その言葉は、本当は相手を止めたいから出る。
でも、似た者同士にはそれがそのまま返ってくる。
だからこそ、どちらか一方だけが守る形では、もう続かないのだろう。
その気づきは、少し遅すぎたのかもしれない。
でも今はまだ、
遅すぎると決めるには早い気もしていた。




