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きみを守るのは、ぼくの知られない戦争  作者: 最後に残った形


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第5章 第4話:近づく手


 手は、触れるためだけに近づくわけじゃない。


 守るために伸びる手もあれば、

 奪うために伸びる手もある。

 そして本当に厄介なのは、まだ触れていないのに、その気配だけで人の呼吸を乱す手だ。


 近づいている。

 まだ掴まれてはいない。

 でも、もう遠くにはいない。


 相模第七防衛区画の午後は、曇り空みたいな空気をしていた。


 基地内に天気はない。

 あるのは照明と金属の匂いと、人の足音だけだ。

 それでも冬真には、今日は全体が薄く曇って見えた。戦術支援管制室の壁面モニタも、整然と並ぶ戦況図も、どこか膜を一枚かけたみたいに遠い。


 榊冬真は、自席で端末を開いたまま動かなかった。


 画面には三つのウィンドウが並んでいる。


 敵側探索ログ。

 味方内部照会履歴。

 個人行動記録へのアクセス統計。


 どれも、数日前までなら見慣れない種類の画面だった。

 少なくとも、自分自身の輪郭をそこから読み取るような日は来ないと思っていた。


「嫌な寄り方してるな」

 瀬名が言う。

「ああ」

 冬真は短く返した。


 敵の追跡は、もう抽象的な“局地介入型支援者”を追っていない。

 支援卓の挙動、

 補助帯域の癖、

 整備区画の接触領域、

 そしてそれらに近い人員の行動パターン。


 今、敵は“何かがいる”ではなく、“誰に近いか”を辿り始めている。


「見ろ」

 瀬名が端末を軽く叩く。

「お前のシフト、接触帯域、暁式参号の更新時間」

「……」

「全部、気持ち悪いくらい重なってきてる」

「偶然の範囲はまだある」

「味方にはな」

 瀬名が低く言う。

「でも敵は、偶然じゃなく“傾向”で追ってる」


 冬真は別窓を開く。

 敵断片通信の自動再構成。

 そこには、短く削られた文が並んでいた。


 ――整備帯域接近反応

 ――卓動作との相関

 ――人的候補、再圧縮


 人的候補。


 その単語が、今はひどく露骨だった。


 澪ではない。

 白い機体だけでもない。

 その周囲にいる人間の中から、“近いもの”を削って絞っている。


「お前本人が、もう標的の輪郭に入ってる」

 瀬名が言う。

「分かってる」

「分かってるやつの顔じゃねえんだよな、それ」


 冬真は返さなかった。


 顔に出ているのだろう。

 怖くないわけがない。

 ただそれは、自分が狙われること自体への恐怖というより、自分に近いものまでさらに危険に引き寄せるかもしれないことへの嫌悪に近かった。


 その時、管理AIから新しい内部照会通知が入る。


 ――戦術支援三番卓担当官の行動記録照会

 ――対象期間:直近七日

 ――照会元:戦術運用監督部門


「うわ」

 瀬名が本気で嫌そうな声を出す。

「内側ももう来てるな」

「ああ」

「敵が外から、お上が内から。綺麗に挟んできた」

「……」


 冬真は通知を閉じる。

 閉じても現実が消えるわけではない。

 ただ画面の上から一時的に見えなくなるだけだ。


「退避案、考えろ」

 瀬名が唐突に言った。

「何?」

「だから、退避だよ」

 瀬名は椅子を回し、真正面から冬真を見る。

「今のうちに一回、シフトから抜ける」

「無理だ」

「無理じゃない。やろうと思えば病欠でも整備補助転属でも形は作れる」

「……」

「少なくとも、今のまま敵に追わせるよりはましだ」


 冬真は首を振る。


「離れたら終わる」

「何が」

「全部だ」

「出たよ」

 瀬名が深く息を吐く。

「その“全部”って便利すぎるだろ」

「便利じゃない」

「じゃあ言い換えろ」

「……」

「ほらな」


 言い換えられなかった。


 澪から離れたくない。

 白い機体から完全に切り離されるのが怖い。

 支援卓から外されたまま、本人まで物理的に遠ざけられるのが耐えられない。

 そのどれもが本音だった。

 だがそれをそのまま言語化すれば、もう合理の顔をできなくなる。


「まだ離れない」

 結局、冬真はそう言うしかない。

「そう言うと思った」

 瀬名は呆れたように言う。

「でも言っとくぞ。今のお前、天城少尉の近くにいること自体がリスクだ」

「分かってる」

「だからその台詞やめろって」

「……」


 会話はそこで切れた。

 だが、現実は切れない。


 午後の後半、前線再編のための小規模会議が開かれた。

 冬真は監視下の補助解析担当として後列に入る。前に出る役目ではない。発言も必要最低限。以前なら自然に拾っていた中継再編の細部や先鋒の補助案にも、今は直接触れられない。


 その会議の中で、澪も前列にいた。


 白い簡易制服。

 背筋の伸びた姿勢。

 表向きにはいつも通りの“前に立つ人間”の顔。


 だが冬真には分かった。

 澪はいつもより周囲をよく見ている。

 それも戦場を見る目ではなく、何かを探す目に近い。


 そして会議の終盤、上官が後方支援再編案について軽く触れた時だった。


『局地支援の属人化を避けるため、一部卓の再調整を――』


 その言葉に重ねるように、澪が手を挙げた。


「確認したいことがあります」

 室内の視線が集まる。

 上官が発言を許可すると、澪は立ち上がった。


「前に立つ機体だけで、戦場は成立しません」

 静かな声だった。

 だがよく通る。

「局地突破においては、整備、補助制御、後方支援、中継判断の噛み合わせが生存率を大きく左右します」

『……』

「属人化の是正が必要なのは理解します。でも、切るなら何が失われるかも同時に見てください」


 冬真の指先がわずかに止まる。


 澪は個人名を出さない。

 だが言っていることは明確だった。

 誰か一人を庇うための発言に見せず、

 戦術論として、

 しかも“前に立つ人間にしか言えない重さ”で、

 支援側の価値を押し出している。


「やりやがった」

 瀬名が後ろでぼそっと言う。

「……」

「ほんとに動いたな、天城少尉」


 会議室の空気がほんの少し変わる。

 上官たちは即座に反論しない。

 それは澪の発言に一理あるからでもあり、今の彼女の立場を無視しにくいからでもある。


『天城少尉』

 戦術担当の佐官が口を開く。

『あなたは特定の支援卓について述べていますか』

「いいえ」

 澪は即答した。

「前線にいる側として、切り離し方を誤れば損耗に直結するという確認です」

『……』

「今の防衛線では、前に見える人間だけを残しても意味がありません」


 綺麗だった。

 あまりにも綺麗で、冬真は逆に少し息苦しくなる。


 澪は英雄の位置を使った。

 自分のためではなく、冬真のような“見えない側”を守るために。


 それはありがたい。

 だが同時に、そんなことまでさせてしまっている現実が、冬真にはたまらなく嫌だった。


 会議が終わる。

 人の流れが崩れ、資料端末の閉じる音が重なる。

 冬真は最後列から立ち上がり、誰とも目を合わせずに外へ出た。


 会議室脇の細い通路。

 壁際の補助灯が白く光っている。

 ここへ来れば少しだけ呼吸が整うかと思ったが、そうでもなかった。


「冬真」


 振り向く。

 澪だった。

 会議後の人の流れを抜けて追ってきたのだろう。少しだけ息が上がっている。


「何してる」

 冬真が言う。

「追いかけてきた」

 澪があっさり返す。

「見れば分かるでしょ」


 その素直さに、冬真は一瞬だけ言葉を失う。


「さっきの」

 冬真が言う。

「やったな」

「うん」

 澪は頷く。

「やった」

「……」

「怒ってる?」


 怒っている。

 いや、正確には違う。

 怒りに近い、怖さと戸惑いと感謝が混ざった感情だった。


「そんなことまでしなくていい」

 冬真が低く言う。


 澪は一瞬だけ目を細め、それから静かに返した。


「それ、ほんとにそのまま返す」

「……」

「今まで冬真がやってきたことのほうが、よっぽど“そんなことまで”だよ」


 図星だった。


「お前は前に立つ側だ」

 冬真が言う。

「だから何」

「そういう立場を、俺のために使うな」

「何で」

「危ない」

「うん」

 澪は頷いた。

「でも、冬真だけ危ないのはもっと嫌」


 その一言で、冬真は返答を失う。


 澪は会議の時と違って、今は少しだけ柔らかい顔をしていた。

 でもその柔らかさの下にある意志は、さっきよりむしろはっきりしている。


「私、感情だけで言ったんじゃないよ」

 澪が言う。

「分かる」

「ほんとに?」

「ああ」


 分かる。

 澪はちゃんと考えていた。

 前線にいる人間として、

 自分の言葉がどこまで届くか理解したうえで使った。


 それができるようになったのは、たぶんこの数章で彼女が“希望の顔”を背負ってきたからだ。

 その成長は誇らしい。

 でも、誇らしいからこそ痛い。


「冬真」

「なんだ」

「お前まで傷つく必要はない、って思ってる顔してる」

「……」

「それ、私も同じ」

「……」

「似てるから、こうなるんだよ」


 澪は少しだけ困ったように笑った。

 冬真も、ほんの少しだけ息を抜く。


「嬉しくないわけじゃない」

 冬真がようやく言う。

「うん」

「でも、怖い」

「知ってる」

「……」

「守られる側になるの、嫌なんでしょ」

「嫌というか」

「慣れてない?」

「多分な」


 澪はそこで、ふっと小さく笑った。


「私も」

 静かに言う。

「守られるの、ずっと慣れなかった」

「……」

「でも、今は分かるよ」

「何が」

「守ってもらうって、借りを作ることじゃないんだなって」

「……」

「ちゃんと返すために受け取ることもある」


 その言葉が、冬真の胸へ静かに落ちる。


 返すために受け取る。

 それはたぶん、今まで冬真が一番苦手だった発想だ。

 守ることは一方的に差し出すもので、

 返される前提を持ってはいけないと思ってきた。

 でも澪は、その前提そのものを変えようとしている。


「私、今度は私が見てるって言った」

 澪が続ける。

「うん」

「それ、本気」

「……」

「でも、冬真が前に出なくていいって意味じゃない」

「何が言いたい」

「一緒に立ちたいってこと」

 澪はまっすぐ言った。

「守る側と守られる側で固定されたままじゃなくて」


 その言葉に、冬真は少しだけ目を閉じたくなった。

 閉じなかった。

 今それをしたら、たぶん逃げになる。


「……難しい」

 冬真が正直に言う。

「うん」

 澪は頷く。

「私も分かってる」

「今の状況で、それやるのは危ない」

「知ってる」

「俺を庇えば、お前にも目が向く」

「もう向いてる」

 澪は静かに返す。

「それでも黙ってるよりましだと思った」


 それ以上は、もう言い返せなかった。


 通路の向こうで人の足音が近づいて、また遠ざかる。

 二人だけの時間は長くはない。

 でも今は、それでよかった。

 長く話せば、たぶんもっと深いところまで行ってしまう。


「……ありがとう」

 冬真が低く言う。


 今度は、すんなり出た。

 澪が少しだけ目を見開き、それからやわらかく笑う。


「うん」

「何だ」

「ちゃんと受け取った」

「……」

「前よりちょっとだけ進歩」


 その言い方に、冬真もほんの少しだけ息を抜く。


「戻る」

 澪が言う。

「ああ」

「でも、これで終わりじゃないから」

「分かってる」

「今度は私が」

 そこで澪は、一歩だけ近づく。

 触れない距離。

 でも近い。

「冬真のこと、守る」


 その言葉は、もう反射では否定できなかった。


 怖い。

 でも、嬉しい。

 そしてたぶん、少し救われてもいる。


「……無茶するなよ」

 冬真が言う。

「そのまま返す」

 澪が笑う。

「知ってる」


 短いやり取り。

 それだけなのに、今までとは違う位置に立っている気がした。


「じゃあ、行く」

 澪が言う。

「ああ」

「冬真も」

「そうする」

「逃げないでね」

「……善処する」

「まだ逃げてる」

「知ってる」


 最後にまた少しだけ笑って、澪は通路の向こうへ消えていく。


 残された冬真は、しばらく動けなかった。


 近づく手。

 敵の手。

 上層部の手。

 自分を剥がそうとする力。


 その中で、今度は澪の手も近づいている。

 奪うためではなく、守るために。

 光の側から、影を掬い上げるみたいに。


 そのことが、

 冬真にはどうしようもなく怖くて、

 同時にどうしようもなく、嬉しかった。

:::


次は「第5章 第5話本文執筆」を続けられます。


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