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きみを守るのは、ぼくの知られない戦争  作者: 最後に残った形


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第4章 第9話:越えてはいけない線


 越えてはいけない線は、たいてい正しさの外側にある。


 だから人は迷う。

 だから踏みとどまろうとする。

 けれど、その線の向こうにたった一人の生存がある時、正しさは驚くほどあっさり意味を失う。


 残るのは、間に合わせたいという焦りだけだ。


 相模第七防衛区画、戦術支援管制室。


 夜に近い時間だった。

 即応制圧任務の第二波。敵残存集積点の圧縮は成功しかけていたが、そのぶん相手は撤退ではなく“釣り上げ”に切り替えていた。最初からそのつもりだったのかもしれない。削られたふりをしながら、こちらの先鋒を深い位置まで引き込み、支援の癖を読む。ここ最近の敵はずっとそうだった。


 壁面モニタに広がる戦域図も、もう戦況表示というより罠の設計図に見える。


「嫌な沈み方してる」

 瀬名が言った。

「ああ」

 榊冬真は答える。


 敵反応は散っているようで、中心がある。

 中層回廊のさらに奥、崩れた高架群と半地下搬送路が重なる地点。通信は薄く、視界は悪く、先鋒が一度踏み込めば後方支援の遅延が一気に増える場所だ。


 そして、そこへ向かっている白い識別灯がある。


 暁式参号。

 天城澪。


「引いてこないな」

 瀬名が低く言う。

「引けない形にされてる」

 冬真が返す。

「それでも、ちょっと深い」

「ああ」


 今日の澪は、昨日までよりわずかに前へ出る判断が早い。

 無茶をしているとまでは言えない。

 だが、ぎりぎりで危険を踏み越えるまでの時間が短い。


 昨日の口論の熱が、まだ完全には抜けていないのだと冬真には分かった。

 守られるだけじゃ嫌だ。

 一緒にいたい。

 追いつけない背中。


 その全部を抱えたまま、澪はまた戦場の中心へいる。


『先鋒、右下層に残存群!』

『見えてる! 押し込む、二番機は左を維持して!』

『天城少尉、待って、その先は中継が――』


 ノイズ。

 回線が一瞬乱れる。


 冬真は即座に中継濃度を確認した。

 薄い。

 予測よりさらに薄い。

 敵が表層で小さな妨害を刻みながら、こちらの再接続順を崩している。


「来るぞ」

 冬真が言う。

「来てる」

 瀬名が返した。

「しかも今日は早い」


 戦域図上で、赤い敵反応が急に引いた。

 だが退いてはいない。

 澪機の前面だけ薄く空け、左右と後方へ静かに回り込んでいる。


 見覚えのある包囲だった。

 いや、もっと悪い。

 今までより綺麗すぎる。


「完全に待ってるな」

 瀬名が吐く。

「ああ」

「今日は天城少尉の突破じゃなく、“お前の介入”が本命だ」


 冬真は何も言わない。

 言い返す余地がないからだ。


 その瞬間、前線回線へ澪の短い声が落ちた。


『……っ、遅い』


 中継応答の遅れに気づいたのだろう。

 その一拍で、敵中型反応が三つ、一斉に深層へ沈んだ。


「中型三!?」

「どこから湧いた!」

「高架下、半地下、上層影……全部だ!」


 管制室の空気が凍る。


 敵は澪を完全に囲んだのではない。

 半包囲だ。

 だがその半端さが最悪だった。

 退路があるように見せて、そこを通った瞬間に収束を閉じる形。


『天城少尉、戻って!』

『戻れない、前のほうがまだ――』

『ダメだ、そこは――!』


 遅い。


 冬真の中で思考が鋭く一点へ集まる。

 合法範囲の支援では間に合わない。

 通常の優先処理では足りない。

 いまここで道を無理やり作らなければ、澪は完全包囲へ落ちる。


「榊」

 瀬名の声が低く硬くなる。

「待て」

「無理だ」

「まだ一拍ある」

「足りない」

「冷静に見ろ!」

「見えてるから言ってる!」


 思わず声が強くなった。

 別卓の空気が一瞬こちらへ寄る。

 だがもう、そんなことに構っていられない。


 戦域図の中で、暁式参号の白い灯が赤の中心へ押し込まれていく。

 敵中型三機。

 交差砲撃角、成立。

 軽量群は外から逃げ道だけを狭める。

 そして敵指揮ノードの同期波形が、今までで一番深く沈んだ。


 本命だ。


 冬真は承認外層を開いた。


 警告表示が三重に重なる。

 承認外アクセス。

 記録対象。

 逆探知深度上昇。


 もう知っている。

 もう何度も見た。

 だが今日のそれは、今までとは意味が違う。

 これを切れば、たぶん隠しきれない。

 敵にも味方にも、痕が残る。


「榊」

 瀬名がまた呼ぶ。

「今切ったら終わるぞ」

「終わらせない」

「そういう問題じゃ――」

「瀬名、同期の谷!」

 冬真が遮る。

「……くそっ!」


 瀬名が自分の端末を叩く。

「深いの一・一三! 浅いの〇・三八! でも今日の相手、再同期が速い!」

「三段で行く」

「は!?」

「一回じゃ足りない」

「お前ほんと、そういう時だけ迷わないな!」


 迷っている暇がないだけだ。


 第一段。

 浅い谷に局所ノイズを注入。

 敵中型三機の照準共有ラインへ、ごく短い揺らぎを滑り込ませる。崩すのではない。撃つ順番と視線だけを半拍ずらす。


 敵の一射目が早く走る。

 本来なら暁式参号のコクピット線上を貫くはずの閃光が、肩装甲の外を削るだけで流れる。


『っ……!』


 澪の息。

 まだ生きている。

 だがまだ足りない。

 敵は即座に再同期する。


「第二!」

 冬真が低く言う。

「分かってる! 深い谷来るぞ!」

 瀬名が返す。


 第二段。

 予備中継の強制再配分。

 合法の皮を被せきれない速度で、暁式参号周辺の回線濃度を一点だけ持ち上げる。同時に白い機体の補助制御へ、臨界応答の解除を一段深く入れる。


 暁式参号が跳ねるように反応した。

 高負荷旋回。

 崩落通路の縁を使った急角度のひねり。

 普通なら応答遅延が出るところを、冬真が仕込んだ補助が無理やり噛み合わせる。


『北西上層……!』


 澪の声。

 同じ道を見ている。


 白い機体が半壊高架の脚を蹴り、上へ抜けようとする。

 だが敵も早い。

 第三の中型機が、その出口へ照準を重ねた。


「まだ来る!」

 別卓の誰かが叫ぶ。

「出口収束!」

「榊!」

 瀬名が怒鳴る。

「今やったら本当に隠せねえぞ!」


 冬真は一瞬だけ止まる。


 ここで切れば、たぶん味方側にも処理痕が完全に残る。

 敵にも支援源の位置を大きく絞られる。

 それでも。

 それでも、目の前の戦域図で澪が死ぬよりはましだと、もう思ってしまっている。


「見つかってもいい」

 冬真が低く言う。

「は?」

「今だけは」


 第三段。

 敵指揮ラインと味方補助回線を、同時に捻じ曲げる。


 承認外層のさらに奥。

 今まで手を入れなかった深さへ、冬真の指先が落ちる。

 敵ノードの収束を局所的に飽和させ、同時に味方中継の再送順を強制的に入れ替える。

 正規の戦術支援じゃない。

 ほとんど、戦場そのものの因果を一瞬だけ捻じ曲げるような介入だった。


 管制室の空気が変わる。


 壁面モニタ上の波形が暴れ、

 敵同期の三本線がほんの一瞬だけ噛み合いを失い、

 暁式参号の出口へ開いていた殺線が、半歩だけ遅れる。


 その半歩で十分だった。


『……そこ!』


 澪が叫ぶ。


 白い機体が上層崩落縁へ飛び込み、敵中型の射線を紙一重で抜ける。肩装甲が裂け、火花が長く尾を引く。だがコクピットは無事だ。そのまま暁式参号は回転し、追尾してきた軽量機の頭を叩き割り、残る一機のセンサーを蹴り飛ばす。


 そして、崩れた搬送橋の陰へ滑り込む。


「抜けた!」

「先鋒生存!」

「中型収束、崩壊!」


 歓声ではない。

 だがそれに近いざわめきが管制室を走る。


 同時に、冬真の端末へ赤い警告が殺到した。


 承認外深層接触、検出。

 多重優先処理、異常判定。

 処理源局所特定率、上昇。

 敵逆探知深度、閾値超過。


「うわあ……」

 瀬名が本気で嫌そうな声を出した。

「やりやがった」

「ああ」

「今の、もう誤差じゃないぞ」

「分かってる」

「味方にも敵にも、ほぼ“いる場所”まで渡した!」


 それでも冬真の目はまだ前線から外れない。


 暁式参号は生きている。

 だが完全には抜けきっていない。

 味方青圏までは、あと少しある。

 少しだけ。

 その少しが、一番危ない。


『天城少尉、追尾二!』

『見えてる!』

『そのまま北へ! 北、まだ生きてる!』


 白い機体が半壊橋の影から飛び出す。

 追ってきた軽量機二機を相手にしながら、澪はさらに北へ走る。その機動は明らかに限界寄りだった。肩損傷、姿勢負荷、補助制御の過熱。全部が危ない。


 だがそれでも暁式参号は止まらない。

 澪も止まらない。


「ほんと、似た者同士だな」

 瀬名が吐き捨てるみたいに言う。

「……」

「止まれねえとこが最悪だよ」


 戦域図の中で、ついに白い識別灯が味方青圏へ滑り込む。

 そこへ遅れて僚機も合流し、敵側の追尾はようやく深追いを止めた。


「先鋒、帰還ライン確保!」

「敵残存群、撤退傾向!」

「局地戦終了!」


 管制室に遅れて安堵が広がる。

 だが冬真だけは、ほとんどその波へ乗れなかった。


 端末には赤い警告が並び続けている。

 敵の断片通信も新たに拾われる。


 ――捕捉域収束

 ――支援源、近い

 ――継続追跡


 近い。

 その一言が、ひどく冷たく見える。


「ほらな」

 瀬名が低く言う。

「敵、もう位置まで寄せてる」

「ああ」

「しかも味方も絶対来る」

「……ああ」


 それでも後悔はない、と言い切れればよかった。

 だが実際の冬真の中にあるのは、後悔でも誇りでもなく、ただひどく静かな確信だった。


 次も同じなら、またやる。


 その時点で、もう終わっているのだと自覚する。


 前線回線の奥で、澪の息が荒いまま整っていく。

 そして、その合間に小さな声が落ちた。


『……冬真』


 ノイズの奥。

 誰に向けたものでもない。

 でも、その名前はたしかにそう聞こえた。


 冬真の呼吸が一瞬だけ止まる。


 澪はもう確信している。

 いや、今の局面でほぼ断定したのだろう。

 この死線を半歩外したのが、誰なのかを。


「聞こえたか」

 瀬名が言う。

「……」

「今の、もう言い逃れできねえな」


 冬真は答えない。

 言葉にすれば、何かが決定的に変わる気がしたからだ。


 戦域図の中で、白い暁式参号はまだ光っている。

 それだけが今の救いだった。


 だがその光を守るために越えた線は、

 たぶんもう、

 戻れる種類のものではなかった。

:::


次は「第4章 第10話本文執筆」を続けられます。


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