第4章 第7話:守られるだけじゃ嫌だ
人は、守られていると知った瞬間に安心するとは限らない。
むしろ、その守りが自分の知らないところで誰かを削っていたと知った時、
安心より先に怒りが来ることがある。
それは感謝がないからじゃない。
その逆だ。
大事だからこそ、一人で壊れてほしくないと思う。
相模第七防衛区画の夜は、静かなふりをして全然静かじゃない。
整備区画では補助灯が落ちきらず、戦術支援管制室では夜間監視卓の端末が途切れなく明滅している。大規模殲滅作戦の余波はまだ基地全体に残っていた。表向きには戦果があり、前線の押し返しも一定の成果を上げた。だが裏側では、敵の探索、味方の監視、補助帯域の揺れ、白い機体の周辺だけに漂う嫌な空気が、少しずつ濃くなっている。
榊冬真は管制室の自席で端末を睨んでいた。
画面上には三つのウィンドウが並んでいる。
敵側の近傍支援源追跡ログ。
管理AIの追加監視通知。
そして、暁式参号周辺設備への異常接触履歴。
どこを見ても気分のいい情報はない。
「その顔、もうほぼ末期だな」
隣で瀬名が言う。
「うるさい」
冬真は返す。
「いや本当に。今日ずっと同じ顔してる」
「仕事だ」
「最近その言葉、免罪符だと思ってるだろ」
「思ってない」
「思ってるやつの言い方なんだよなあ」
瀬名は軽く言いながらも、自分の端末にはしっかり目を落としている。彼も彼で、冬真の卓から流れた異常な処理痕と、それを薄く覆い隠すための再整理に追われているのだろう。
「上、まだ動いてる」
瀬名が小声で言う。
「どこまで」
「正式調査一歩手前。今は“再確認”って建前だけどな」
「……」
「で、敵は敵で白い機体の周辺舐めてる。ほんと綺麗に詰んでる」
冬真は答えない。
綺麗に詰んでいるという表現が、嫌になるほど正しかったからだ。
白い機体を守るための補助制御。
澪を助けるための非公式介入。
それらが積み重なった結果、敵も味方も“何かがある場所”として暁式参号の周辺を見始めている。
しかも今は、そこにいる人間まで巻き込み始めた。
「榊」
瀬名が今度は少し真面目な声になる。
「……」
「このまままだ一人で抱える気か?」
「他にやりようがない」
「あるだろ」
「ない」
「嘘つけ」
瀬名が低く言う。
「天城少尉に話せ」
冬真の指が、一瞬だけ止まる。
「無理だ」
「無理じゃなくて、したくないだけだろ」
「……」
「守るって名目で、自分だけが傷つく役やってるほうが楽なんだよ、お前は」
「黙れ」
「図星か」
「黙れ」
声が思ったより低く出た。
管制室の端のほうで、別卓の誰かが一瞬だけこちらを見る。
瀬名は小さく肩をすくめたが、それ以上は言い返さなかった。
だが、その沈黙の直後に個人回線が震えた。
送信者:天城澪
冬真の呼吸が少しだけ止まる。
「ほら来た」
瀬名が嫌そうに笑う。
「お前の都合の悪い時に限って、ほんと天城少尉はタイミングいいな」
「見るな」
「見てない。でもだいたい分かる」
冬真は通知を開いた。
――話したい
――今、来られる?
短い。
だがいつもと少し違う。
遠慮が薄く、迷いが少ない文面だった。
冬真は数秒だけ画面を見つめる。
行くべきだ。
でも行けば、たぶん避けていた話からは逃げられない。
それでももう、逃げている場合ではない気もしていた。
――どこだ
返信はすぐ返る。
――整備区画の奥
――白い機体のところ
またそこだ、と冬真は思う。
だが今の二人にとって、そこ以外では話せないこともある。
「行け」
瀬名が言う。
「……」
「で、今度こそちゃんと殴られてこい」
「物騒だな」
「比喩だよ。でもたぶん、似たようなもんだ」
冬真はそれには返さず、管制室を出た。
整備区画の奥は、今日も白い補助灯に照らされていた。
暁式参号の固定台周辺だけが眠りきれていないみたいに明るい。整備員の姿はまばらで、必要最低限の点検だけが静かに続いている。ここに漂う緊張は、ただの戦闘機整備のものではない。誰も言葉にはしないが、最近ここだけ“何かが起きる場所”として扱われ始めている。
澪は、その白い機体の脇に立っていた。
簡易制服の上から薄いジャケットを羽織っている。
髪は少しだけ乱れていて、たぶんさっきまで別の場所で説明か確認に呼ばれていたのだろう。
だが何より目立ったのは、その表情だった。
静かに怒っている。
そういう顔を、冬真は昔にも見たことがある。
泣く前とか、怒鳴る前じゃない。
本当に譲れない時の澪の顔だ。
「来た」
澪が言う。
「ああ」
「来ると思ってた」
「呼ばれたからな」
「うん。そういう返しももう分かる」
少しも笑わない。
そのことで、冬真は内心で息を整えた。
「何の話だ」
先にそう言うと、澪は一拍だけ置いて答えた。
「守るって、何?」
「……」
「正確に言うと」
澪の声は低く、静かだった。
「冬真がやってるそれが、どういうつもりなのか聞きたい」
冬真はすぐに返せない。
「この前」
澪が続ける。
「守ってくれてたことは嬉しいって言った」
「ああ」
「それは今も本当」
「……」
「でも、そのせいで周りが危なくなってるなら、もう私だけの話じゃない」
白い機体の肩装甲へ、澪が指先で軽く触れる。
その仕草は優しいのに、声は硬い。
「整備区画のこと、聞いた」
澪が言う。
「補助ラインの異常」
「……ああ」
「冬真、あれ見て“俺のせいだ”って思ったでしょ」
「……」
「今の沈黙で分かる」
逃げ道がない。
澪は今、感情だけで責めているわけじゃない。
事実を積み上げながら、本音を引き出しに来ている。
「俺のせいかどうかはまだ」
「そういう言い方、今はいい」
澪がはっきり遮る。
「私、そこ聞きたいんじゃない」
「……」
「なんで一人で背負うのか聞いてる」
その言葉に、冬真の胸の奥が少しだけきしむ。
「背負ってない」
「嘘」
「……」
「背負ってる。ずっと」
澪が一歩だけ近づく。
「私を守るために、危ないことして」
「……」
「そのせいで周りまで巻き込んで」
「……」
「それでもまだ、一人で何とかしようとしてる」
冬真は目を逸らしたくなる。
だが逸らせば、それこそ全部を認めるようなものだった。
「澪」
「うん」
「お前を死なせるよりましだ」
気づけば、そう言っていた。
かなり深いところの本音だった。
澪の表情が、そこで初めて揺れる。
怒りだけではなく、痛みが混じる。
「……それ」
小さく言ってから、澪は唇を噛むみたいに一度黙る。
「そういう極端な言い方、ほんと嫌」
「事実だ」
「違う!」
声が、初めて強くなる。
整備区画の静けさの中で、その一言はやけにはっきり響いた。
遠くの整備員がこちらを見ないかと一瞬思ったが、今はそんなことを気にしている余裕がなかった。
「死ぬか守るか、だけじゃないでしょ」
澪が言う。
「私が言ってるのは、そういうことじゃない」
「なら何だ」
「勝手に守って、勝手に傷つくなって言ってるの!」
冬真は言葉を失う。
澪の目は、今や怒っているというより、必死だった。
「私、守られるのが嫌だなんて言ってない」
澪が続ける。
「戻れたの、冬真のおかげだったのも分かってる」
「……」
「でも、そのために冬真が壊れていくのを、黙って見てろって?」
「壊れてない」
「嘘!」
また、はっきり遮る。
「最近ずっと危ない顔してる!」
「……」
「私のこと見てる時も、機体見てる時も、数字見てる時も!」
澪の声が少し震える。
「なんで全部一人で抱えるの」
その問いに、冬真はすぐには返せない。
なぜか。
答えは単純だ。
守りたいから。
死なせたくないから。
でも、それをそのまま言葉にしたら、今度は別のものまで零れそうだった。
「お前に背負わせたくなかった」
ようやく出たのは、それだった。
「それが一番ましだと思った」
「それが嫌だって言ってるの!」
澪が強く言う。
その目に浮かんでいるのが怒りだけではないことが、冬真には分かる。
怖いのだ。
自分が守られていることで、冬真が傷ついていくのを見るのが。
そしてそこへ、自分が入れてもらえないことが。
「一緒に背負いたいって言ってるの」
澪の声が低く、でもはっきり落ちる。
「守られるだけじゃ嫌だ」
「……」
「隣にいたいのに、なんでいつも一人で決めるの」
その言葉に、冬真は喉の奥がつまる。
隣にいたい。
それは今までのどの言葉よりも、直接に近かった。
でも今の冬真には、それを受け取って綺麗に返す余裕がない。
現実があまりにも悪すぎる。
「お前は」
冬真の声も少しずつ硬くなる。
「危ない場所に行く」
「行くよ」
「何度止めても行く」
「必要なら行く」
「そうやって、自分を平気で差し出す」
「それは冬真もでしょ!」
澪が返す。
「何が違うの」
「俺は後ろだ」
「違わない!」
澪の声が震える。
「私から見たら同じだよ! 危ないって分かってるのに、私のために線を越えてる!」
冬真は歯を食いしばる。
「じゃあどうしろって言う」
ついに声が低くなる。
「見捨てろって?」
「そんなこと言ってない!」
「じゃあ死ねって言うのか」
「そういう極端な話じゃない!」
澪の目が、痛いくらいにまっすぐこちらを見る。
「一緒に背負いたいって言ってるの」
澪はもう一度言う。
「守られるだけじゃなくて」
「……」
「隠されるだけでも嫌だし、一人で壊れていくのも嫌」
「……」
「私、そんなふうに守られたいんじゃない」
整備区画の補助灯が低く唸る。
静かな場所なのに、二人の呼吸だけがやけにうるさく聞こえた。
冬真は答えを持っていない。
一緒に背負うとは何か。
どこまで澪へ見せるのか。
守るという形をどう変えればいいのか。
何一つ分からない。
でも分からないまま、ここまで来てしまった。
「……俺には」
冬真が低く言う。
「お前を死なせない以外、最優先がない」
「それが重いの!」
澪がすぐに返す。
「嬉しいよ、苦しいくらい嬉しい。でも、それだけで全部決められるのが嫌だって言ってるの!」
嬉しい。
その言葉は救いなのに、今は救いにならない。
「だったらどうすれば届く」
冬真が思わず言う。
「……」
「守るだけじゃ足りないのは分かってる」
「冬真」
「でも、じゃあ何をすればいい」
その問いは、澪に向けたというより、自分自身に向けたものに近かった。
澪はそこで少しだけ黙る。
強い感情のまま言い返すのではなく、本当に答えを探すみたいに。
「ちゃんと話して」
やがて、澪が言った。
「全部じゃなくていい」
「……」
「でも、一人で決めた結果だけ渡さないで」
「……」
「私にも選ばせて」
その言葉は、前よりずっと強かった。
お願いじゃない。
澪自身の意志だ。
冬真はその視線を受け止めたまま、何も言えなくなる。
敵に追われている。
味方に監視されている。
そして今、澪は“守られるだけの側”から降りようとしている。
それは正しい。
でも、その正しさを受け入れるには、自分のやり方を変えなければならない。
それが怖い。
たぶん冬真は、そこからも逃げていた。
「……分からない」
ようやく出た言葉は、それだった。
「うん」
澪が頷く。
「私も分かんない」
「……」
「でも、分かんないまま一人で決めるのはやめて」
その声は、少しだけ掠れていた。
怒りの熱が抜けたぶん、今度は本音の疲れが出ているのだと分かる。
冬真はそこで、初めて少しだけ目を伏せた。
「……考える」
小さく言う。
「うん」
「今すぐは無理だ」
「うん」
「でも、考える」
「それならいい」
澪の返事もまた、小さかった。
口論は終わっていない。
たぶん決着もついていない。
それでも、さっきまでとは違う種類の静けさが二人のあいだに落ちる。
遠くで整備主任の声がした。
点検終了の報告か何かだろう。
現実が、またこちらへ戻ってくる。
「私」
澪が静かに言う。
「今、ちょっと怒ってる」
「分かる」
「でも、それと同じくらい」
「……」
「怖い」
冬真は顔を上げる。
「何が」
「冬真が、いなくなるかもって思うの」
その一言で、胸の奥が強く掴まれたみたいになる。
味方の監視。
敵の追跡。
禁じ手の使用痕。
全部が、確かにそこへ繋がっている。
「……いなくならない」
冬真が言う。
「嘘」
澪はかすかに笑う。
「今の状況で、それ言われても信用しにくい」
「……」
「だから、余計に一緒に背負いたいの」
それが今日の本音の核なのだろう。
守られるだけじゃ嫌だ。
一緒に背負いたい。
隣に立ちたい。
その言葉は、冬真が今まで守ってきた距離を、静かに壊しに来る。
「今日はここまで」
澪が一歩だけ下がって言う。
「……逃げるのか」
「冬真がそれ言う?」
澪が少しだけ笑った。
「また話すよ」
「ああ」
「その時は、もう少しちゃんと答えて」
「無茶言うな」
「知ってる」
最後のやり取りだけ、少しだけ昔に近かった。
でも、その軽さの下にあるものは、前とは比べものにならないくらい重い。
「おやすみ」
澪が言う。
「ああ」
「ちゃんと考えて」
「……ああ」
「私も考えるから」
そう言って、澪は白い機体の脇を離れていく。
その背中を見送りながら、冬真はようやく自分の呼吸が浅くなっていたことに気づいた。
守られるだけじゃ嫌だ。
その言葉は、怒りでも、拒絶でもない。
むしろ一緒にいたいという意思の裏返しだ。
だからこそ、今の冬真には痛い。
守るだけでは届かない。
そのことを、また別の角度から突きつけられた気がした。
整備区画の白い補助灯の下で、
冬真はしばらく動けなかった。




