表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
きみを守るのは、ぼくの知られない戦争  作者: 最後に残った形


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

36/75

第4章 第5話:答えを持たない問い


 問いには、答えを求めるためのものと、答えがないと知りながら投げるものがある。


 たとえば、

 もう分かっていることを相手の口から聞きたい時。

 沈黙そのものを答えとして受け取る覚悟がある時。

 人はそんな問いを、ひどく静かな声で投げる。


 そしてたいてい、そういう問いのほうが、人を逃がさない。


 相模第七防衛区画の夕方は、昼と夜のどちらにも属さない。


 格納デッキでは夜間整備の準備が始まり、中央通路では交代要員が行き交い、戦術支援管制室では昼の分析がまだ終わらない。誰も完全には休まず、誰も完全には戦っていない。その曖昧な時間帯に、基地の空気だけが少しずつ重く冷えていく。


 榊冬真は、整備区画へ続く脇通路を歩いていた。


 理由はある。

 あるはずだ。

 暁式参号の補助制御ログ確認。

 補助帯域接触痕の再点検。

 表向きにはいくらでも並べられる。


 だが実際には、そのどれもが半分だけ本当で、半分は言い訳だと冬真自身が知っていた。


 今日の午後、澪から短い個人メッセージが来ていた。


 ――少しだけ、時間ある?


 それだけだ。

 時間と場所の指定もない。

 けれど、こういう曖昧な呼び方をする時の澪は、たいてい「話したいこと」がはっきりしている。


 だからこそ、冬真は逆に時間を置いた。

 即答すれば、自分のほうが待っていたみたいで嫌だった。

 結局、三分ほど余計に端末画面を見てから、


 ――今なら


 とだけ返した。


 その返信に対して澪は、


 ――じゃあ、白い機体のところ


 と返してきた。


 白い機体のところ。

 それがもう、ただの待ち合わせ場所じゃないことくらい、二人とも知っている。


 整備区画の奥、暁式参号は固定台の上で静かに整備を受けていた。

 今日は大掛かりな作業ではないらしい。補助灯だけが点いていて、周囲の整備員の姿も少ない。戦場を抜けてきた白い装甲には細かな擦過痕が残っているが、致命的な損傷ではない。


 その脇に、澪が立っていた。


 簡易制服のまま、腕を組んでいるわけでもなく、ただ白い肩装甲を見上げている。冬真の気配に気づくと、ゆっくり振り向いた。


「来た」

 澪が言う。

「ああ」

「来ないかもって思った」

「呼ばれたから来た」

「うん。そういう言い方すると思った」


 少しだけ笑う。

 でも、その笑いは軽くない。

 今日ここで話すことが軽くないと、最初から分かっている笑い方だった。


「何の話だ」

 冬真が先に言う。

「直接だね」

「回りくどいのは嫌いだ」

「嘘。回りくどくしてるの、最近ずっと冬真じゃん」


 図星だった。

 そのことに反論する気力もない。


 澪は白い機体に一度だけ目をやり、それからまた冬真を見た。


「私ね」

 静かに言う。

「最近の戦場の違和感、ずっと考えてた」

「……」

「機体の動き方、回線の戻り方、ぎりぎりで開く道」

「……」

「全部、偶然って言うには出来すぎてる」


 冬真は何も返さない。


 逃げる余地が少しずつ狭くなるのが分かる。

 だがここで嘘を重ねるのは、もう違う気がしていた。


「冬真」

 澪が名前を呼ぶ。

「なんだ」

「私を守ってるの、誰?」


 まっすぐだった。


 曖昧に濁さない。

 “誰かいると思う”でもなく、“そういう気がする”でもない。

 すでに答えに触れていて、その最後の輪郭だけをこちらへ預けるような問いだった。


 冬真はすぐには答えられない。


 心臓の音が、自分で分かるくらい静かに重い。


「答えないんだ」

 澪が言う。

「……」

「じゃあ、もう少し変える」

 一歩だけ近づく。

「私を守ってるの、あなたなの?」


 その瞬間、整備区画の空気が少しだけ止まった気がした。


 遠くで工具の金属音が鳴る。

 補助灯が微かに唸る。

 でも、ここだけは音が届かないみたいに静かだった。


 冬真は視線を逸らしたくなる。

 逸らした瞬間、それが答えになると分かっている。

 だから逆に、逸らせない。


「……言えない」

 ようやく出た声は低かった。


 否定ではない。

 肯定でもない。

 ただ、そのどちらにも逃げきれない言葉。


 澪はしばらく黙っていた。

 怒るかもしれないと思った。

 泣くかもしれないとも。

 だが澪は、そのどちらでもなかった。


「そっか」

 小さく、そう言う。

「今は、言えないんだ」


 責める響きはない。

 ただ、その沈黙の意味をちゃんと受け取った声だった。


「……ああ」

 冬真は答えるしかない。


 澪は白い装甲へ目を向ける。

 暁式参号の肩。

 冬真が何度も手を入れた場所。

 澪の生存率を少しでも上げるため、普通より深く馴染むように調整した場所。


「やっぱり、そうなんだ」

 澪が呟く。

「何が」

「全部じゃなくても、きっと近かった」


 冬真は返事をしない。

 その言い方が、もう答えを受け取っている人間のそれだったからだ。


 しばらく二人とも黙る。

 沈黙は長かったが、不思議と壊れそうではなかった。

 むしろ今までずっと張っていた糸が、ようやく本当の形で張り直されているみたいだった。


「言ってほしかった」

 やがて、澪が言う。

 声は静かだった。

「でも、言えなかったのも分かる」


 その一言が、胸の奥に痛いほど染みる。


「……言えなかった」

 冬真が正直に言う。

「知ってる」

「お前に知られたら、終わる気がした」

「何が」

「色々だ」

「雑だなあ」

 澪は少しだけ笑う。

「でも、分かるよ」


 笑っているのに、目の奥は少しだけ痛そうだった。


「私ね」

 澪が続ける。

「守ってくれてたの、嬉しい」

「……」

「たぶん、今まで何度も助けられてた」

「……」

「そのこと自体は、すごく嬉しい」


 冬真は少しだけ目を伏せる。

 嬉しい、と言われると救われる。

 でも、その救いは軽くない。


「でも」

 澪が言葉を切る。

「やっぱり痛い」

「何が」

「一人で背負ってたこと」


 その言葉に、冬真は答えを失う。


 たしかにそうだ。

 冬真は“守る側”として一人で抱え込んできた。

 知られないように。

 巻き込まないように。

 でもその結果、澪にとっては“自分の知らないところで、自分のために傷ついていたかもしれない”という痛みになっている。


「守るためだ」

 冬真が言う。

「うん」

「お前に余計なものを背負わせたくなかった」

「うん」

「だから――」

「それが、一番一人にされた感じした」

 澪は静かに言った。


 その一言は、思っていたより深く刺さった。


 守るつもりだった。

 でもそれは、澪を外側へ置くことでもあった。

 そのことを、今ようやく真正面から突きつけられる。


 冬真は言葉が出ない。


 澪は責めるようには見てこない。

 ただ、痛かったことをそのまま伝えているだけだ。

 だから余計に苦しい。


「ごめん」

 気づけば、そう言っていた。

「謝るんだ」

 澪が少しだけ目を細める。

「悪かったなら」

「……そっか」


 澪は小さく息を吐いた。

 それは怒りが抜ける息というより、ずっと張っていたものが少しだけほどける息だった。


「私」

 澪が言う。

「今すぐ全部知りたいわけじゃない」

「……」

「どうやって守ってたかとか、どこまでやってるかとか、たぶん聞いたら怖いし」

「怖いだろうな」

「うん」

 澪は正直に頷く。

「でも、分からないままも嫌」


 それは前にも聞いた言葉だった。

 けれど今日のそれは、前よりずっと深い場所から来ている。


「じゃあ、どうする」

 冬真が訊く。

「今は」

 澪は少しだけ考えてから言う。

「守ってくれてたことだけ、受け取る」

「……」

「それで、次は一人で背負わないでって言う」


 冬真はそれにすぐ返せない。


 一人で背負わない。

 それがどれだけ難しいか、澪はたぶん全部は分かっていない。

 でも同時に、分かっていないまま言っているわけでもないのだろう。

 今の澪は、守られる側から少しずつ外へ出ようとしている。


「冬真」

「なんだ」

「私を守ってくれたの、ほんとに嬉しかった」

「……」

「でも、それで壊れてほしくない」


 その言葉は優しい。

 優しいのに、冬真にとってはいちばん厳しい種類の言葉だった。


 澪は白い機体の肩装甲へそっと手を置く。

 その仕草には、機体へ向けたものと、そこへ触れてきた見えない手へ向けたものと、両方が混じっているように見えた。


「ねえ」

 澪が視線を上げる。

「今は、まだ全部言えないんだよね」

「ああ」

「じゃあ、それでいい」

「……」

「でも、次はもう少し先まで言って」

「無茶言うな」

「知ってる」

 澪は少しだけ笑った。

「でも、今日ここまで来たんだから」


 たしかにそうだった。

 今日、二人の間には決定的な何かが置かれた。

 まだ全面的な告白ではない。

 秘密の完全な共有でもない。

 でも、“守っていた”という事実だけは、もう二人とも否定できない形でここにある。


 それは前へ進んだということだ。

 同時に、もう前の場所には戻れないということでもある。


「……澪」

 冬真が低く呼ぶ。

「ん」

「お前、怒らないんだな」

「怒ってるよ」

 澪は即答した。

「え」

「ちょっとだけ」

 そう言って、少し困ったように笑う。

「言ってくれなかったことには」

「……」

「でも、たぶんそれ以上に安心した」

「……」

「やっとちゃんと形が見えたから」


 安心と痛み。

 その両方を一緒に抱えている顔だった。

 たぶん冬真も、同じような顔をしているのだろう。


 遠くで端末の通知音が鳴る。

 今度は冬真の端末だった。

 管理AIからの追加確認要求。タイミングが悪すぎる。


 冬真が画面を確認すると、澪が少しだけ眉を寄せた。


「仕事?」

「ああ」

「……また、危ないやつ?」

「多分な」

「そっか」


 澪は少しだけ目を伏せる。

 その一瞬で、今日の話がここで終わるわけではないのだと分かった。


「冬真」

「なんだ」

「逃げないで」

「……」

「私も逃げないから」


 その言葉は、約束に近かった。


 冬真はすぐには答えられない。

 でも、ここで黙ったらまた同じことになる気がした。


「努力する」

 ようやく言う。

「それ、ちょっと逃げてる」

 澪が小さく笑う。

「知ってる」

「じゃあ、半分だけ合格」


 そう言って、澪は手を白い装甲から離す。

 もうこれ以上はここで話せないと、お互いに分かっていた。


「今日はそれでいい」

 澪が言う。

「ああ」

「でも次は、もう少しちゃんと聞く」

「容赦ないな」

「今さらだよ」


 最後に、ほんの少しだけやわらかく笑う。

 その笑い方は、英雄の顔でも慰問の顔でもない。

 今ここでだけの、澪の顔だった。


「おやすみ」

 澪が言う。

「ああ」

「ちゃんと休んで」

「お前もだ」

「私は……努力する」

「しないだろ」

「冬真もね」


 短い会話なのに、胸の奥へ残るものが大きすぎる。


 澪はそのまま通路の向こうへ歩いていく。

 冬真はしばらく、その背中を見送るしかなかった。


 やっぱり、あなただった。


 その言葉は澪の口からはっきり出たわけではない。

 でも今日の沈黙の中で、もう十分に共有されてしまっている。


 守っていたこと。

 言えなかったこと。

 嬉しかったこと。

 痛かったこと。


 その全部が、白い機体の前で静かに積み重なった。


 冬真はようやく端末へ視線を落とす。

 管理AIの追加確認要求がまだ画面で光っている。

 現実は待ってくれない。


 それでも今夜だけは、

 秘密が少しだけ名前を持ったような気がした。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ