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きみを守るのは、ぼくの知られない戦争  作者: 最後に残った形


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第4章 第4話:揺れる証拠


 証拠というものは、決定的な形で現れるとは限らない。


 むしろ厄介なのは、

 言い逃れできる程度に曖昧で、

 だが何度も積み重なることで、

 少しずつ逃げ道を削っていく証拠だ。


 否定はできる。

 説明もできる。

 でも、全部を重ねた時に残る“意図”だけは消し切れない。


 相模第七防衛区画、戦術支援管制室。


 作戦終了から三時間。

 朝に始まった大規模殲滅作戦は、局地的な押し返しと敵前進拠点の一部圧迫という形で一応の成果を残していた。損耗は想定内。被害は軽くない。だが、上層部が表向きに「成功」と呼べる程度には持ち直している。


 問題は、その“成功”の裏に残ったものだった。


 榊冬真は自席で端末を見つめたまま動かなかった。

 画面には確認要求が並んでいる。


 承認外帯域接触。

 多重優先処理。

 補助制御との異常な同期。

 処理時刻と前線危機局面の高い一致率。


 どれも単体なら説明できる。

 どれも単体なら、戦況に応じた現場判断の範囲で押し切れる。

 だが、それが“単体ではない”ことを、冬真自身がいちばんよく知っていた。


「来たな」

 隣で瀬名が小さく言う。

「ああ」

「しかも今回、だいぶ重い」

「分かってる」

「ほんと、お前その台詞好きだな」


 瀬名は紙端末を冬真の机へ滑らせた。

 管理AIの一次解析結果。

 そこには冬真の卓に対する注意喚起が、今までより明確な文言で記されていた。


 ――戦術支援三番卓において、通常任務範囲を超える処理集中を確認

 ――継続監視対象に指定

 ――追加説明資料を要求


「ほら」

 瀬名が言う。

「ついに“監視対象”」

「処分じゃない」

「今はな」


 その言い方に、冬真は何も返せない。


 処分ではない。

 だが見逃しでもない。

 戦果があるから今は保留されているだけで、次に同じことがあれば一気に掘られる。そういう段階へ、もう来ている。


 しかもそれは味方側だけの話ではない。


 別窓には敵側断片ログも出ている。

 昨日まで“局地介入型支援者”と抽象化されていた表現が、今日はさらに狭くなっていた。


 ――近傍支援源、位置誤差縮小

 ――人的接点候補、追加追跡

 ――白色高機動機周辺を優先


 人的接点。


 その単語が、冬真の胸の奥へ鈍く沈む。


 敵はもう、回線や帯域や処理ログだけを見ていない。

 澪という英雄の周囲にいる人間まで含めて、絞り込みを始めている。


「最悪だな」

 瀬名が吐くように言う。

「ああ」

「天城少尉だけじゃない。あいつの近くにいる人間ごと炙るつもりだ」

「分かってる」


 澪本人だけではない。

 整備主任、補給担当、補助通信員、後方支援卓。

 そして当然、その中心に自分がいる。


 守るために手を伸ばした結果、

 その手の近くにいる人間まで危険域に入っている。


 そこまで考えた時、自動扉が開いた。


 入ってきたのは整備主任だった。

 今日の彼女はいつもより声が低い。


「榊さん、今いいですか」

「何だ」

「ちょっと、暁式参号まわりで嫌なログが出てます」


 冬真と瀬名の視線が同時に上がる。


「どの層だ」

 冬真が訊く。

「補助制御の表層です。侵入までは来てません。でも、撫で方がいやらしい」

「敵か?」

 瀬名が訊く。

「断定はできません。ただ、普通の監視じゃ拾わない薄さです」


 整備主任が差し出した端末を冬真が受け取る。

 そこには暁式参号の補助制御帯域に、断続的に触れた痕跡があった。


 深くはない。

 だが執拗だ。

 しかも接触タイミングが、澪機の整備・補助更新の時間帯に薄く重なっている。


「……絞り込まれてるな」

 冬真が低く言う。

「ですよね」

 整備主任が眉を寄せる。

「最近ほんと、白い機体の周りだけ空気悪いんですよ」


 その言葉が妙に残る。


 白い機体の周りだけ空気が悪い。

 まるで呪いみたいな言い方だった。

 だが実際、そうなのだろう。


 自分が守ろうとしすぎた結果、

 暁式参号そのものが“何かが隠れている場所”として敵に見られ始めている。


「監視強度を上げてください」

 冬真が言う。

「了解です。でも」

 整備主任は少し迷ってから続けた。

「これ、偶然で済ませるのそろそろ無理じゃないですか」


 冬真は答えなかった。

 答えられないというより、すでにその通りだからだ。


 整備主任が出ていくと、瀬名が椅子を引き寄せるみたいに冬真へ体を向けた。


「聞いたな」

「ああ」

「お前が守ってるつもりのもの、そのせいで周りまで危険地帯になってる」

「……」

「これ、もう“天城少尉だけ守ればいい”話じゃねえぞ」


 正論だった。

 正論すぎて、今は殴られているような気分になる。


 冬真は端末を見つめる。

 そこに並ぶのは証拠というほど決定的ではない痕跡ばかりだ。

 だがそのどれもが、自分の行動が広い範囲へ影響を及ぼし始めていることを示していた。


 そのとき、個人回線に短い通知が入る。


 送信者:天城澪


 冬真の指が一瞬だけ止まる。

 瀬名がそれを見て、今度は笑わなかった。


「行く前に一個だけ」

 瀬名が言う。

「……」

「次、お前選べ」

「何を」

「天城少尉を守るためにどこまで巻き込むかだよ」

「……」

「守るってのは、選ぶってことだぞ」


 その言葉は、軽口ではなかった。


 冬真は通知を開く。


 ――今、少しだけ話せる?


 今日何度目か分からない短い文面。

 それだけなのに、澪の顔が浮かぶ。

 戦場から戻ったばかりの白い機体の中で、ほぼ確信に近い声で「やっぱり、いる」と零した澪。


 冬真は短く返した。


 ――どこだ


 返信はすぐに来る。


 ――格納デッキ脇

 ――人の少ない整備通路


「行ってこい」

 瀬名が言う。

「……」

「その代わり、今度こそ誤魔化すだけで済むと思うなよ」

「分かってる」

「だからその台詞はやめろって」


 冬真はそれ以上返さず、管制室を出た。


 格納デッキ脇の整備通路は、夜に近づくほど静かになる。

 昼間の喧騒はほとんど消え、残るのは遠くで作業する整備アームの低い音と、補助灯の白だけだ。壁際には交換部品のケースが積まれ、床の金属光が冷たい。


 澪は、その通路の端に立っていた。


 今日の簡易制服はまだ着たままだが、袖が少し乱れている。疲れを隠せていないわけではない。むしろ隠そうとして、その結果少しだけ不自然に整っている顔だった。


「来た」

 澪が言う。

「ああ」

「今、忙しかった?」

「まあ」

「ごめん」

「別にいい」


 冬真は数歩の距離を残して立ち止まる。

 澪はそれを見て、少しだけ寂しそうに笑った。


「まだちょっと遠い」

「……」

「冗談」

「そうは見えない」

「うん。半分本気」


 そう言ってから、澪は少しだけ視線を落とす。


「今日」

 澪が言う。

「また、守られた」

「……」

「しかも今までで一番、はっきり」


 冬真は答えない。

 答えたら、もう言葉では隠せない。


「冬真」

「なんだ」

「言えないなら、それでもいい」

「……」

「でも、私もう気づいてると思う」


 その一言で、通路の空気が少しだけ張る。


 やっぱり来た。

 この話は避けられない。

 そう分かっていたはずなのに、いざ真正面から言われると、呼吸が浅くなる。


「何に」

 冬真が低く訊く。

「誰かがいること」

 澪が言う。

「私の機体に、戦場に、戻る道に」

「……」

「で、その“誰か”が、たぶんすごく近いところにいること」


 答えに近い問いだった。

 いや、もう問いですらないのかもしれない。

 ほとんど確信を、最後の一押しだけ自分へ預けている。


「澪」

「うん」

「今は、言えない」

 結局、それしか出てこない。


 澪はしばらく黙っていた。

 責めるかと思った。

 怒るかと思った。

 でもそのどちらでもない。


「そっか」

 静かにそれだけ言う。

「今は、ね」

「ああ」

「じゃあ、今はそれでいい」


 引き方が、あまりにも澪らしかった。

 でもその引き方は、受け入れとは違う。

 今はまだここで止める、という意思だ。


「でも」

 澪が少しだけ目を上げる。

「ひとつだけ聞いていい?」

「なんだ」

「危なかった?」


 問いの意味はすぐに分かる。

 今日の介入。

 冬真の卓から見た、あの一線越え。

 それがどれだけ危うかったのか。


「……危なかった」

 冬真は正直に答える。

「やっぱり」

 澪は小さく言う。

「私、そういうの嫌」


 その言葉に、冬真の眉が寄る。


「何が」

「私を守るために、冬真が壊れそうになるの」

 澪ははっきり言った。

「それは」

「嬉しくないわけじゃないよ」

 澪はすぐに続ける。

「むしろ、いなかったらたぶん戻れてない」

「……」

「でも、そのせいで冬真が削れてるの、嫌」


 胸の奥に、鈍い痛みが落ちる。


 守るつもりでやってきた。

 見つからないように。

 知られないように。

 澪にだけは背負わせないように。


 なのに今、澪はその代償ごと見ようとしている。


「壊れてない」

 冬真が言う。

「嘘」

 澪が即座に返す。

「最近、顔がずっと危ない」

「……」

「瀬名さんにも言われたでしょ」

「何で知ってる」

「言いそうだから」


 少しだけ笑う。

 だがその笑いはすぐに薄れる。


「ねえ」

 澪がまた言う。

「私のせいで、整備班とか周りまで危なくなってる?」

「……」

「今の沈黙、だいぶ答え」

「まだ断定はできない」

「でも、可能性はある」

「ああ」


 今度の沈黙は重かった。


 澪は壁へ背を預け、ゆっくり息を吐く。


「そっか」

「……」

「じゃあ、もう私だけ守ればいいって話じゃないんだね」


 その通りだった。

 そして、それを澪自身に言わせてしまったことが、冬真にはひどく苦かった。


「俺のせいだ」

 気づけばそう言っていた。

「何が」

「手を出しすぎた」

「……」

「守るつもりでやった。でも、その痕を追われてる」

「冬真」


 澪が静かに名前を呼ぶ。

 それだけで、冬真は続きを飲み込みそうになる。


「だから」

 冬真は無理に言葉を続ける。

「お前の近くにいる人間まで危険になるなら、それはもう……」


 そこまで言って、止まる。

 自分でも先を言いたくなかった。

 距離を取る、という結論に繋がりそうだったからだ。


 澪はその先を待たなかった。

 代わりに、少しだけ首を振る。


「勝手に一人で背負わないで」

「……」

「私、守られてるだけなの嫌だって言ったよね」

「言ったな」

「なら、そこも一緒に考えたい」


 その言葉はまっすぐだった。

 怒っていない。

 泣いてもいない。

 でも拒絶よりずっと強かった。


「お前を巻き込みたくない」

 冬真が言う。

「もう巻き込まれてる」

 澪は即答した。

「戦場でも、こういう話でも」

「……」

「だったら、一人だけ全部知ってて一人で傷つくより、一緒に考えたほうがいい」


 冬真は返せない。


 それは正しい。

 でも同時に、いちばん怖いことでもある。

 澪を守るための秘密が、澪自身と共有され始める。

 それはもう、ただの“見えない守護者”ではいられないということだ。


「今すぐ全部聞かない」

 澪が言う。

「でも、分からないままにもしない」

「……」

「冬真、ちゃんと私にも選ばせて」


 選ばせて。

 その言葉が胸に残る。


 これまで冬真は、守る側として一人で選んできた。

 手を出すか。

 隠すか。

 どこまで越えるか。

 でもその選択の当事者である澪が、いま初めてそこへ入ろうとしている。


 遠くで夜勤の整備員の足音がした。

 現実が少しだけ近づく。

 二人きりの時間は長く続かない。


「……考える」

 冬真がようやく言う。

「うん」

 澪は頷く。

「今はそれでいい」


 また“今は”だった。

 だがその今は、もう前の“保留”とは違う。

 確実に次を含んでいる。


「冬真」

「なんだ」

「無茶しすぎないで」

「お前もだ」

「私はたぶんする」

「知ってる」

「でも、冬真が壊れるのは嫌」

「……」

「そこだけは、本当に嫌」


 その一言が、ひどく静かに沁みる。

 守られる側の言葉じゃない。

 もう、こちらを守ろうとする言葉になり始めている。


 それが嬉しくて、苦しい。


 澪は一歩だけ下がる。

 それでも目は逸らさない。


「今日はそれだけ」

「そうか」

「でも、次はもう少し先まで聞く」

「無茶言うな」

「知ってる」


 少しだけ笑う。

 その笑い方は疲れているのに、ひどく澪らしかった。


「おやすみ」

 澪が言う。

「ああ」

「ちゃんと休んで」

「努力する」

「しないやつの言い方」

「お前もだ」

「私は……善処する」

「同じだな」

「うん、同じ」


 短いやり取りだけが、少しだけ昔に近い。

 でもその中身は、昔よりずっと重い。


 澪が通路の向こうへ消えたあと、冬真はしばらくその場を動けなかった。


 揺れる証拠。

 敵のログ。

 味方の監視。

 整備帯域への接触痕。

 それらは全部、自分がもう“誰にも知られず守る”場所には戻れないことを示している。


 それでも問題は、証拠が揺れていることじゃない。

 本当に揺れているのは、自分の選び方そのものなのだと、冬真はようやく理解し始めていた。


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