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きみを守るのは、ぼくの知られない戦争  作者: 最後に残った形


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第3章 第10話:数字に出る執着


 数字は、言い訳をしてくれない。


 気持ちが入っていようが、

 建前を並べようが、

 合理だと信じ込もうが、

 最終的に並ぶ数値は、ただその偏りだけを静かに示す。


 人は嘘をつける。

 報告書も整えられる。

 でも、繰り返された選択の癖は、数字の上に必ず残る。


 相模第七防衛区画、戦術支援管制室。


 深夜に近い時間帯だった。

 昼の会議の余熱はすでに冷め、室内には夜勤要員の低い声と端末の駆動音だけが残っている。壁面モニタには次作戦の予測マップが何枚も並び、青と赤の識別灯が無機質に明滅していた。


 榊冬真は、自席の端末に映る数値から目を離せなかった。


 次作戦の分岐シミュレーション。

 突破軸の損耗率。

 中継遅延発生時の局地崩壊予測。

 澪の暁式参号が通るラインにだけ、補助制御の有無で生存率がどれだけ変わるか。


 同じ条件を少しずつ変えながら、冬真は何度も同じ演算を回していた。

 敵配置の揺らぎ。

 中継の薄さ。

 味方支援の遅延。

 その中で、澪だけがどうすれば死なずに戻れるかを。


「……お前さ」


 隣から声がした。

 瀬名だった。紙コップのコーヒーを片手に、呆れ半分の顔で画面を覗き込んでいる。


「まだやってんのか」

「確認だ」

「何回目の確認だよ」

「分からない」

「数えろよ。怖いから」


 冬真は答えない。

 代わりに、また一つ条件を変えてシミュレーションを回す。


 突破軸に暁式参号投入。

 補助制御、現行値。

 敵収束速度、想定上限。

 中継再接続、〇・八秒遅延。


 結果が出る。

 局地生存率、低下。

 暁式参号損傷率、上昇。

 撤退成功率、規定値割れ。


 冬真の眉がわずかに寄る。

 すぐに別条件を重ねる。


 補助制御強化。

 予備中継回線、非公式活用想定。

 敵指揮ノード同期に限定ノイズ介入。


 再計算。

 暁式参号生存率、回復。

 局地損耗、やや減。

 ただし操作痕検出率、高。


「ほら」

 瀬名が紙コップを机に置く。

「またそれだ」

「何が」

「天城少尉の生存率だけ見てる」

「突破軸の要だからだ」

「はいはい」


 瀬名は自分の端末を開き、冬真の画面からログを引っ張った。

 数秒見て、深く息を吐く。


「……ほんと、数字に出てるな」

「何が」

「偏り」

「合理だ」

「違う」

 瀬名は即答した。

「それもう、合理の顔してる執着だぞ」


 その言葉に、冬真の指が止まる。


 否定する言葉はすぐに思いつく。

 先鋒の重要性。

 突破軸の成功率。

 澪の機体が戦況の鍵になっている事実。

 いくらでも並べられる。


 でも今、瀬名の声にはそれを先回りして封じる温度があった。


「天城少尉を落としたら、局地崩壊の可能性が高い」

 冬真は言う。

「知ってる」

「なら」

「でもお前、今それ以外の数字ほとんど見てないだろ」

「……」

「他の機体の補助条件、軽く流したくせに、暁式参号だけ五回目だ」


 五回。

 いや、もっとかもしれない。


 冬真は画面を見つめる。

 確かにそこに並んでいるのは、暁式参号のシミュレーション結果ばかりだ。他の機体も同じ作戦に出るのに、手の入り方がまるで違う。


「支援担当として、全体を見てるつもりなんだろ」

 瀬名が静かに言う。

「でも数字は正直だ。お前がどこを最優先にしてるか、全部出てる」

「……そうだとしても」

「死なせるよりまし?」

「……ああ」


 口にした瞬間、やけに静かに胸へ落ちる。


 瀬名は少しだけ目を細めた。

 驚いたというより、やっと言ったか、という顔だった。


「やっぱ認めるんだな」

「認めたくはない」

「でも認めてる」

「……」


 否定しない。

 もうできなかった。


 暁式参号の生存率を上げるためなら、他の条件計算より先にそこを詰めている。

 敵に見つかる危険があっても、味方から疑われる可能性があっても、澪だけは死なせたくない。

 それが合理の範囲からどれだけはみ出しているか、自分でも分かっている。


 その時、共有モニタに新しい敵分析結果が出た。

 北部戦線の敵側学習ログから抽出した、こちらの支援優先予測。

 そこには嫌になるほど鮮明な線が引かれていた。


 局地介入型支援者

 推定優先順位:英雄機>中継保全>僚機支援

 傾向:致命局面における一点集中


「……来たな」

 瀬名が低く言う。

「ああ」


 敵にも、もう見えている。


 自分が何を優先しているか。

 どの局面で動くか。

 誰を最優先で守るか。


 そしてその優先順位は、冬真がいくら言葉で否定しても、数字として、痕跡として、向こうに渡っている。


「ほら」

 瀬名がまた言う。

「敵にもバレてる。お前の“執着”」

「執着じゃない」

「じゃあ何だ」

 瀬名が真っ直ぐ訊く。

「……」

「言ってみろよ、合理って」


 冬真は答えられなかった。


 合理。

 任務。

 支援担当としての責務。

 それらはもちろん嘘じゃない。

 だが全部ではない。

 もう全部では済まないところまで来ている。


「死なせたくない」

 気づけば、そう言っていた。


 声は低かった。

 管制室の雑音に紛れそうなほどだった。

 でも瀬名には、はっきり届いたはずだ。


「……ああ」

 瀬名は短く答える。

「知ってる」

「それだけだ」

「それだけで十分重いんだよ」


 冬真は画面へ視線を戻す。

 そこには、生存率の比較がまだ残っていた。


 暁式参号、補助制御なし、四三。

 現行補助、五九。

 非公式介入込み、七二。


 数字は冷たい。

 だがその差の一つ一つに、自分の感情が染み込んでいるように見えて気分が悪い。


 このままでは守りきれない。

 その感覚が、次第にはっきりしていく。


 現行の補助制御では足りない。

 合法の範囲の中継操作では、敵の学習速度に追いつかない。

 次の作戦は、いままでよりさらに澪を危険域へ置く。


 つまり、守るだけでは足りない。


 そこまで思ったところで、端末の端に個人回線の通知が灯った。

 送信者:天城澪。


 冬真の呼吸が一拍だけ乱れる。

 瀬名がそれを見て、小さく苦笑した。


「ほら来た」

「見るな」

「見てない。でも今の反応でだいたい分かる」


 冬真はメッセージを開く。


 ――今、少しだけ平気?


 短い文面だった。

 それだけなのに、今日の会議で澪が見せた顔が頭に浮かぶ。

 怖い、と言った声も。


 冬真は少し迷ってから返す。


 ――どこだ


 返信はすぐだった。


 ――観測通路の端

 ――人が少ないところ


 横から瀬名が、何も言わずに端末を閉じる仕草をした。

 行け、という意味なのだろう。

 余計な一言を言わないあたり、珍しく気を遣っている。


「行く」

 冬真が立ち上がる。

「だろうな」

 瀬名が言う。

「でも一個だけ」

「何だ」

「支援の数字より先に、天城少尉の呼び出しを優先した時点で、もう答え出てるからな」

「……」

「今さら誤魔化すなよ」


 冬真はそれには返さず、管制室を出た。


 観測通路の端は、夜になるとほとんど人が来ない。

 防壁内の薄い夜景が窓の向こうに見え、蛍光灯の白が床へ細長く落ちている。人気がないぶん、声も届きやすい場所だ。


 澪は、窓際に立っていた。


 簡易制服の上に軽いジャケットを羽織っている。昼間より少しだけ疲れて見える。だがその疲れ以上に、何かを決めてきたような静けさがあった。


「来た」

 澪が言う。

「呼ばれたからな」

「うん」

「何だ」

「ちょっと、確認したかった」


 澪はそう言って、冬真の顔を見る。

 逃げ道を残さない目だ、と冬真は思う。


「会議の時」

 澪が静かに言う。

「私が怖いって言ったの、分かるって言ったよね」

「ああ」

「それ、本当に?」

「本当だ」


 迷いなく答えると、澪は少しだけ息を吐いた。


「そっか」

「それで?」

「その続きを聞きたくなった」

「続きを?」

「うん」


 澪は少しだけ視線を窓の外へ向ける。

 防壁の上の警戒灯が、遠くで規則的に点滅していた。


「冬真、最近ずっと見てる」

「仕事だ」

「それはもういい」

 澪は苦笑する。

「見てるだけじゃ足りないって言ったでしょ」

「……」

「それ、たぶん今までで一番本音だった」


 冬真は返せない。


 あれは、口を滑らせたに近い。

 でも、滑った言葉ほど本音だ。

 それを澪はもう知っている。


「私さ」

 澪が言う。

「怖いのを分かってほしかったのもあるけど」

「……」

「冬真がどこまで本気で見てるのか、知りたかったのかも」


 その言葉に、冬真の喉が少しだけ詰まる。


「知ってどうする」

「分かんない」

 澪は正直に答える。

「でも、知らないまま行くの、嫌だった」


 それはもう、ただの作戦前の確認ではない。

 感情の話だ。

 その手前ぎりぎりのところまで、澪は来ている。


「冬真」

「なんだ」

「私が怖いの、分かる?」

「分かる」

「私が、それでも行くのも?」

「……ああ」

「じゃあ」

 澪は少しだけ言葉を止める。

「冬真が怖いのも、たぶん少し分かるよ」


 その一言で、冬真は目を見開く。


「何が」

「失うのが怖い顔してる」

 澪は静かに言う。

「前よりずっと」


 呼吸が止まる。

 そこまで見えているとは思っていなかった。


 いや、本当はどこかで分かっていた。

 澪はずっと、そういうところを拾う人間だ。


「違う」

 とっさに否定しそうになって、冬真は止まった。

 ここで嘘を言えば、たぶんもう何も届かなくなる。


「……否定しないんだ」

 澪が少しだけ驚いたように言う。

「できない」

「そっか」


 その“そっか”は、どこか痛そうだった。

 嬉しそうでも、安心しただけでもない。

 受け取った重さに少し戸惑った顔。


「数字に出るくらい?」

 澪がぽつりと言う。

「何が」

「私を優先してるの」


 冬真の視線が澪へ戻る。


「……何でそう思う」

「なんとなく」

 澪は小さく笑う。

「冬真、たまに隠すの下手だから」


 数字に出ている。

 瀬名にも言われた。

 敵にも読まれている。

 そしてたぶん、澪にももう、輪郭は伝わり始めている。


「……ああ」

 冬真は観念したように言う。

「出てるんだろうな」


 澪はしばらく黙っていた。

 窓の外を見るでもなく、ただ冬真を見ている。


「それ、嫌じゃない」

 やがて、澪がそう言った。

「嫌じゃないどころか、たぶん私」

「……」

「それがあるから、今まで戻ってこれたんだと思う」


 胸の奥に熱いものが落ちる。

 嬉しいのに、苦しい。

 その両方が一緒に来る。


「でも」

 澪が続ける。

「そのせいで冬真が壊れるのは、たぶん嫌」


 冬真は目を伏せる。

 それを言われると弱い。

 澪が自分の危険より、こちらの損耗を気にし始める。

 そうなると、守るという構図自体が崩れていく。


「壊れない」

「嘘」

「……」

「今の顔、だいぶ危ないよ」


 澪はそう言って、少しだけ笑った。

 でも目は笑っていない。


「ねえ」

 澪が声を落とす。

「次の作戦、私たぶんまた前に出る」

「ああ」

「怖い」

「ああ」

「でも、冬真が見てるなら行ける」

「……」

「それって、やっぱり重い?」


 重い。

 ひどく重い。

 でも、それ以上に嬉しいと思ってしまうから最悪だった。


「重い」

 正直に答える。

「そっか」

「でも」

「でも?」

「置いていけない」


 澪の目が、少しだけ揺れる。


「それ、ずるい」

「お前に言われたくない」

「ふふ」


 澪はようやく少しだけ、本当に少しだけ笑った。

 その笑い方を見ていると、守りたいのはこういう顔のほうなのかもしれないとさえ思う。

 英雄でも希望でもなく、澪自身の笑い方。


 遠くから、通路に近づく足音がした。

 もう誰かが来る。


「行かなきゃ」

 澪が言う。

「ああ」

「冬真」

「なんだ」

「私、明日ちゃんと怖いままで行くと思う」

「……」

「それでも見てて」


 結局また、それを言う。


「見てる」

 冬真は短く返す。

「知ってる」

 澪は頷いた。


 そして少しだけ迷ったあと、小さく言う。


「帰ってきたら、続き話そう」

「何の」

「今の」


 それだけ残して、澪は通路の向こうへ戻っていく。

 残された冬真は、しばらく窓の外を見たまま動けなかった。


 数字に出る執着。

 それはもう、端末の中だけじゃない。

 視線にも、

 言葉にも、

 たぶん沈黙にまで出ている。


 戦術支援管制室へ戻ると、瀬名が椅子を半分回してこちらを見た。


「どうだった」

「……」

「その顔、だいぶ進んだな」

「何が」

「誤魔化しの限界」


 冬真は自席へ座り、再びシミュレーション画面を開いた。


 暁式参号生存率。

 補助制御強化時。

 中継再接続優先。

 非公式介入あり。


 数字は変わらない。

 変わらないまま、そこにある偏りだけが、さっきよりもはっきりして見える。


「瀬名」

「なんだ」

「このままじゃ足りない」

「だろうな」

「守るだけじゃ、たぶん」

「届かない?」

 瀬名が先に言った。


 冬真は答えない。

 だが、その沈黙が何よりの答えだった。


 画面の上では、また澪の生存率だけが赤と青の間で揺れている。

 その数字を見つめながら、冬真は自分がどこまで行くのかを、もう止められないところまで来ているのだと、静かに理解していた。


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