第3章 第7話:似合う並び
“似合う”という言葉は、たいてい外側から与えられる。
本人の気持ちとは関係なく、
並んだ見た目が綺麗なら、
周囲が安心する形なら、
そこに物語を見た人間は簡単にそう呼ぶ。
似合う。
お似合い。
理想的だ。
その一言は便利で、軽くて、そしてときどき残酷だ。
相模第七防衛区画の朝は、昨日より少しだけ騒がしかった。
北側戦線の再編に合わせた作戦説明会が控えている。ホール前の通路には、前線要員、広報担当、後方支援、警備兵が入り混じり、短い足音と紙端末の操作音が忙しなく行き交っていた。大きな式典ではない。けれど見せ方を意識した場であることは、空気だけで十分分かる。
榊冬真は戦術支援要員として、ホール脇の補助卓へ機材同期を入れていた。
壁面モニタに投影される戦況図の調整。
記録用カメラの遅延確認。
質疑応答時の補助情報表示のリンクテスト。
必要な仕事だった。
誰かがやらなければならない。
だからここにいる理由はある。
ただ、その仕事の位置が、今日もまた“壇上には上がれない場所”だというだけだ。
「お前、今日もすごいな」
瀬名が背後から言った。
「何が」
「まだ始まってないのに、もう暗い」
「仕事中だ」
「その返し、最近雑になってきたぞ」
瀬名は補助卓の隣へ来て、ホール前方を顎で示した。
「見ろ」
「見てる」
「いや、そっちじゃない。人の流れ」
言われて視線を上げる。
ホール前方では、広報担当と前線指揮班が壇上まわりの確認をしていた。その中央に、伊吹蒼士がいる。今日もよく通る声で人を捌き、説明の順番を整理し、自然な顔でそこに立っている。前へ出る人間の立ち方だった。
「今日も隣かな」
瀬名が言う。
「……」
「否定しないのな」
「する意味がない」
そのすぐあと、反対側の通路から澪が現れた。
簡易正装に近い制服姿。前線用の軽装より硬い印象になるはずなのに、不思議と澪はそれを着ても“借り物”には見えない。姿勢を正して歩けば、それだけで人が少し道を空ける。派手な威圧感ではなく、自然と目を向けさせる種類の存在感だ。
伊吹が澪に気づき、数歩近づいて短く何かを話す。
澪が頷く。
二人はそのまま並んで壇上側へ向かった。
たったそれだけの動作なのに、周囲の空気が妙に整う。
「……ほらな」
瀬名がぼそっと言う。
「何が」
「言われる前から分かるだろ。“似合う”って」
冬真は何も返さない。
言われなくても分かる。
分かってしまうから、なおさら嫌だった。
伊吹は人前に立つことに慣れている。
澪は人に希望を見せる位置に立ってしまう。
その二人が前へ出れば、周囲は簡単に安心する。
理想的な前線の並び。
見ていて落ち着く組み合わせ。
そういう物語に、勝手に整えられる。
「お前さ」
瀬名が小さく言う。
「今、かなり分かりやすいぞ」
「うるさい」
「顔に出るって意味な」
「分かってる」
「分かってて直せないんだろ」
「……」
図星だった。
ホール内の照明が一段落ち、説明会が始まる。
中央スクリーンには北側再編後の戦線図が出され、司会役の担当官が簡潔に進行を始めた。
『今後の中期防衛方針について、まず前線指揮系統より説明を行う』
伊吹が一歩前へ出る。
次いで澪が半歩横へ並ぶ。
やはり、綺麗だった。
冬真はその“綺麗さ”に、自分でも嫌になるくらい反応してしまう。
伊吹が戦線全体の構造を話し、澪が現場感覚に寄った補足を入れる。どちらも無駄がない。理屈と実感の並びとして完成している。周囲から見れば、たしかに理想的なのだろう。
後ろの席から、小さな声が聞こえた。
「やっぱ、あの二人並ぶと映えるな」
「分かる。安心感ある」
「天城少尉、ああいう位置ほんと似合うよな」
似合う。
その言葉が、やけに鮮明に耳へ残る。
冬真の指先が、補助卓の端を無意識に掴んでいた。
力が入りすぎていると自覚して、少しだけ手を離す。
「な?」
瀬名が横目で言う。
「来ただろ」
「……ああ」
「分かってても食らうんだな」
「分かってるから食らうんだろ」
そう返した自分の声が、思ったより低かった。
冬真は視線を壇上から完全には外せない。
外したいのに、外せない。
澪は堂々としている。
だが冬真には分かる。
あの“ちゃんとした顔”がどれだけ消耗を伴っているか。
言葉を切る前の呼吸。
口元に浮かぶ笑みのタイミング。
少しだけ早く瞬く目。
周囲が“似合う”と言うたび、その場所に合わせて自分を整えているのだと見えてしまう。
それがたまらなく苦しかった。
説明の途中、避難区画代表の一人が質問した。
「今後も、天城少尉が前線の中心に立たれるのですか」
ホールが静まる。
司会役より先に、伊吹ではなく澪が答えた。
「立てる限りは、立ちます」
声は静かで、でもはっきりしていた。
「けど、一人で戦ってるわけじゃありません。前に見える人間だけじゃなくて、後方も整備も全部含めて、今の防衛線です」
その言葉に、ほんの一瞬だけ冬真の呼吸が止まる。
まただ。
澪は、こういう場でも“自分だけではない”と言う。
それができる人間だ。
だから余計に、誰より前へ出される。
「……やっぱずるいな」
冬真が小さく呟く。
「天城少尉が?」
瀬名が訊く。
「ああ」
「何が」
「そういうことを言うから、余計に前へ立たされる」
瀬名は少しだけ黙り、それから苦笑した。
「たしかにな」
「本人のせいじゃない」
「でも本人の資質でもある」
「ああ」
説明会が終わると、人の流れが一気に崩れる。
壇上には広報、記録係、確認担当が集まり、澪と伊吹はその中心に巻き込まれる。
まただ、と冬真は思う。
似合う並び。
見栄えのする構図。
使いやすい英雄。
澪はそれに抵抗できない。
たぶんしない。
必要だと分かってしまうから。
冬真は補助卓のログをまとめ、送信を終えると、誰に言うでもなくホール脇の搬出通路へ出た。仕事は終わっている。ここに留まる理由はない。
いや、理由がないからこそここを出るのだ。
壇上の光景をこれ以上見ていたくなかった。
「逃げるの早」
背後から瀬名がついてくる。
「逃げてない」
「その速度で出ていって言うなよ」
「……」
「まあ、分かるけどな」
搬出通路はホールの裏手にあたり、人の声がぐっと薄くなる。機材ケースと補助照明の箱が積まれ、壁際には配線カバーが走っている。無機質で、誰もここを“華やかな場所”とは呼ばない。
だから少し落ち着けるはずだった。
「冬真」
その声を聞くまでは。
振り向くと、澪が通路の入口に立っていた。
ほんの少しだけ息が上がっている。さっきまで囲まれていたはずだ。無理に抜けてきたのかもしれない。
「来ると思った」
澪が言う。
「……何が」
「こっちに逃げるかなって」
「逃げてない」
「うん。遠ざかってる」
その言い方が妙に正確で、冬真は一瞬だけ言葉を失う。
瀬名が空気を読んだように「俺、記録係の回収あるから」と去っていく。去り際にちらりと“頑張れ無名”みたいな顔をしたのが腹立たしかった。
通路に残ったのは二人だけだ。
「どうした」
冬真が先に言う。
「それ、ほんと毎回聞くね」
澪が苦笑する。
「ちょっと、話したくて」
「今?」
「今じゃないとまた人が来るから」
それは、たしかにそうだろう。
澪は機材ケースのひとつへ軽く手を置き、視線を少し落とした。
昼間の“希望の顔”ではない。
作っていない時の表情だった。
「さっき」
澪が言う。
「見てた?」
「仕事だ」
「うん、見てたんだ」
言い直しを許さない返しだった。
「似合う、って言われた」
澪が続ける。
「聞こえてた」
「そうか」
「……嫌だった?」
まっすぐすぎる問いだった。
冬真は反射的に否定したくなる。
でもそれはたぶん、今ここで最悪の嘘になる。
「嫌、というか」
ようやく出た声は、自分でも驚くほど低かった。
「……苦手だ」
「何が」
「そうやって、簡単に似合うって言われるのが」
澪は少しだけ目を見開く。
「そっか」
それだけ言って、しばらく黙る。
冬真はそれ以上何も足せない。
嫉妬だとか、隣に立てないのが苦しいとか、そこまで言うつもりはなかったし、言えるわけもなかった。
「私も、ちょっと苦手」
澪が静かに言った。
「え」
「似合うって、便利すぎるから」
澪は苦笑する。
「そう言われると、そこに収まってなきゃいけないみたいになるし」
同じことを思っていたのか、と冬真は少しだけ息を止めた。
「でも周りが安心するのも分かる」
澪は続ける。
「伊吹少尉が悪いわけでもないし、ああいう並びが必要なのも分かる」
「……ああ」
「だから余計にややこしい」
ややこしい。
まさにその通りだった。
正しいから苦しい。
必要だから否定できない。
でも、納得できるわけでもない。
「冬真」
澪が少しだけこちらを見る。
「避けたでしょ」
「……」
「ホールのあと」
またその話になる。
そして、また図星だ。
「避けてない」
口ではそう言う。
「うん、完全には」
澪が返す。
「でも遠くなってた」
「……」
「ねえ、あれって私のせい?」
その問いに、冬真は思わず顔を上げた。
違う、と即座に言わなければならない。
それだけは分かる。
「違う」
今度は迷わず言えた。
「お前のせいじゃない」
「じゃあ、誰のせい?」
「……俺の」
澪はそこで黙った。
通路の補助灯が、わずかに唸る。ホールの向こうからはまだ人の気配が流れてくる。けれどこの狭い通路だけは、少しだけ切り離されているみたいだった。
「なんで?」
澪が訊く。
「それは」
「言えない?」
「……言いたくない」
「そっか」
澪は困ったように笑った。
責める笑いじゃない。
分かっていた答えを受け取った顔だ。
「でも、やっぱり」
澪が言う。
「冬真、私が思ってたよりちゃんと嫌だったんだね」
「だから嫌っていうか」
「うん、分かる。そういうの、言いたくないんでしょ」
「……」
図星を突かれても、もう訂正する気力がない。
澪は少しだけ壁に背中を預ける。
疲れているのだろう。
昼間からの“ちゃんとしてる顔”のあとで、今ようやく少しだけ力を抜けている。
「私さ」
「なんだ」
「冬真がああいう顔するの、嫌じゃない」
「は?」
思わず間の抜けた声が出る。
「いや、好きって意味じゃなくて」
澪が慌てて言い直す。
「うまく言えないけど、ちゃんと本音なんだなって分かるから」
「……最悪だな」
「ひどい」
「そういう言い方をするのがだ」
「でも本当だよ」
澪は少しだけ視線を逸らし、それからまた言う。
「みんな、あの並び見て“安心する”って言う」
「……」
「でも冬真だけは、そこで引っかかる」
「……」
「それって、私をちゃんと見てるってことなんじゃないかなって」
その言葉が、胸の奥に重く沈む。
見ている。
たしかに、自分は“似合う構図”より先に、澪がその中でどう削られるかを見てしまう。
それを見てしまうから、平気でいられない。
「平気じゃない」
気づけば、そう言っていた。
「何が」
「ああいうの見て、平気でいられるほど、器用じゃない」
言ってから、少しだけ後悔する。
かなり本音に近かった。
けれど澪は驚かなかった。
むしろ、少しだけ安心したみたいに息を吐く。
「そっか」
「何だ」
「やっぱり、遠慮してただけなんだ」
「……」
「嫌われたわけじゃないならいい」
嫌われる。
そんな発想が澪の中にあったことに、冬真は少しだけ眉を寄せた。
「お前、そう思ってたのか」
「少しだけ」
澪は苦笑する。
「だって、前より距離置かれてる感じしたし」
「嫌いになる理由がない」
「うん。そう言うと思った」
その返しが妙に澪らしくて、少しだけ息が抜ける。
数秒だけ、どちらも黙る。
沈黙はあるのに、気まずいわけではなかった。
むしろ、今ようやく少しだけ正直な位置へ戻れた気がした。
「ねえ」
澪が言う。
「冬真」
「なんだ」
「似合うって、言われたくない相手にだけ言われたくない」
「……」
「たぶん、冬真が言ったら、私ちょっと傷つく」
その一言は、軽く聞こえるのにひどく重かった。
冬真は即答できない。
自分もまた、思ってしまったからだ。
似合う、と。
それが苦しくて、認めたくなかった。
「言わない」
しばらくして、やっとそれだけ返す。
「うん」
澪が頷く。
「知ってる」
その“知ってる”に、また胸が静かに詰まる。
ホールの奥から、伊吹の声が聞こえた。
澪を探しているのだろう。
ちょうどよすぎるタイミングに、冬真は少しだけ皮肉を感じる。
「行かなきゃ」
澪が言う。
「ああ」
「でも、ちょっとだけ楽になった」
「何が」
「冬真が、ほんとに遠くなったわけじゃないって分かったから」
それだけ言って、澪は一歩下がる。
「……またあとで」
「ああ」
「今度はそんな顔しないで」
「無理だな」
「正直だ」
澪は小さく笑った。
それは昼間の希望の顔でも、慰問の笑顔でもない。
ここでだけ見せる、生身の笑い方だった。
そのまま澪は伊吹の声のしたほうへ戻っていく。
通路の出口で一度だけ振り返り、ほんの少しだけ手を上げる。
それから、また光のある場所へ出ていった。
残された冬真は、しばらく機材ケースにもたれたまま動けなかった。
似合う並び。
正しい位置。
必要な構図。
全部、分かっている。
それでも、その中に自分の居場所がないことが苦しい。
そしてその苦しさを、澪が少しずつ気づいていることが、さらに苦しかった。
「……終わったか?」
いつの間にか瀬名が戻ってきていた。
壁際に寄りかかり、面白がるでもなくこちらを見る。
「何が」
冬真が言う。
「その“俺だけしんどいと思ってたら相手にも半分バレてた”会話」
「殴るぞ」
「図星だな」
瀬名は肩をすくめる。
「でもまあ」
「何だ」
「天城少尉、ちゃんとお前の顔で傷つくし、安心もするんだな」
「……」
「それ、もうだいぶ終わってるぞ」
「何が」
「お前の逃げ道」
冬真は返さなかった。
逃げ道はたしかに、前より減っている。
無名の後方にいれば安全だと思っていたのに、その無名の位置そのものを澪が見つけてしまっている。
それが嬉しくて、苦しい。
ホールの向こうからは、また拍手とざわめきが聞こえてくる。
光のある場所は、まだ澪を必要としている。
その光景を思い浮かべるだけで、胸の奥がじわりと痛んだ。
それでも冬真は、結局またそちらを見てしまうのだろう。
苦しいと知っていても、
目を逸らせないこと自体が、
もう答えみたいなものだった。




