表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
きみを守るのは、ぼくの知られない戦争  作者: 最後に残った形


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

27/75

第3章 第7話:似合う並び


 “似合う”という言葉は、たいてい外側から与えられる。


 本人の気持ちとは関係なく、

 並んだ見た目が綺麗なら、

 周囲が安心する形なら、

 そこに物語を見た人間は簡単にそう呼ぶ。


 似合う。

 お似合い。

 理想的だ。


 その一言は便利で、軽くて、そしてときどき残酷だ。


 相模第七防衛区画の朝は、昨日より少しだけ騒がしかった。


 北側戦線の再編に合わせた作戦説明会が控えている。ホール前の通路には、前線要員、広報担当、後方支援、警備兵が入り混じり、短い足音と紙端末の操作音が忙しなく行き交っていた。大きな式典ではない。けれど見せ方を意識した場であることは、空気だけで十分分かる。


 榊冬真は戦術支援要員として、ホール脇の補助卓へ機材同期を入れていた。


 壁面モニタに投影される戦況図の調整。

 記録用カメラの遅延確認。

 質疑応答時の補助情報表示のリンクテスト。


 必要な仕事だった。

 誰かがやらなければならない。

 だからここにいる理由はある。


 ただ、その仕事の位置が、今日もまた“壇上には上がれない場所”だというだけだ。


「お前、今日もすごいな」

 瀬名が背後から言った。

「何が」

「まだ始まってないのに、もう暗い」

「仕事中だ」

「その返し、最近雑になってきたぞ」


 瀬名は補助卓の隣へ来て、ホール前方を顎で示した。


「見ろ」

「見てる」

「いや、そっちじゃない。人の流れ」


 言われて視線を上げる。


 ホール前方では、広報担当と前線指揮班が壇上まわりの確認をしていた。その中央に、伊吹蒼士がいる。今日もよく通る声で人を捌き、説明の順番を整理し、自然な顔でそこに立っている。前へ出る人間の立ち方だった。


「今日も隣かな」

 瀬名が言う。

「……」

「否定しないのな」

「する意味がない」


 そのすぐあと、反対側の通路から澪が現れた。


 簡易正装に近い制服姿。前線用の軽装より硬い印象になるはずなのに、不思議と澪はそれを着ても“借り物”には見えない。姿勢を正して歩けば、それだけで人が少し道を空ける。派手な威圧感ではなく、自然と目を向けさせる種類の存在感だ。


 伊吹が澪に気づき、数歩近づいて短く何かを話す。

 澪が頷く。

 二人はそのまま並んで壇上側へ向かった。


 たったそれだけの動作なのに、周囲の空気が妙に整う。


「……ほらな」

 瀬名がぼそっと言う。

「何が」

「言われる前から分かるだろ。“似合う”って」


 冬真は何も返さない。


 言われなくても分かる。

 分かってしまうから、なおさら嫌だった。


 伊吹は人前に立つことに慣れている。

 澪は人に希望を見せる位置に立ってしまう。

 その二人が前へ出れば、周囲は簡単に安心する。

 理想的な前線の並び。

 見ていて落ち着く組み合わせ。

 そういう物語に、勝手に整えられる。


「お前さ」

 瀬名が小さく言う。

「今、かなり分かりやすいぞ」

「うるさい」

「顔に出るって意味な」

「分かってる」

「分かってて直せないんだろ」

「……」


 図星だった。


 ホール内の照明が一段落ち、説明会が始まる。

 中央スクリーンには北側再編後の戦線図が出され、司会役の担当官が簡潔に進行を始めた。


『今後の中期防衛方針について、まず前線指揮系統より説明を行う』


 伊吹が一歩前へ出る。

 次いで澪が半歩横へ並ぶ。


 やはり、綺麗だった。


 冬真はその“綺麗さ”に、自分でも嫌になるくらい反応してしまう。


 伊吹が戦線全体の構造を話し、澪が現場感覚に寄った補足を入れる。どちらも無駄がない。理屈と実感の並びとして完成している。周囲から見れば、たしかに理想的なのだろう。


 後ろの席から、小さな声が聞こえた。


「やっぱ、あの二人並ぶと映えるな」

「分かる。安心感ある」

「天城少尉、ああいう位置ほんと似合うよな」


 似合う。


 その言葉が、やけに鮮明に耳へ残る。


 冬真の指先が、補助卓の端を無意識に掴んでいた。

 力が入りすぎていると自覚して、少しだけ手を離す。


「な?」

 瀬名が横目で言う。

「来ただろ」

「……ああ」

「分かってても食らうんだな」

「分かってるから食らうんだろ」


 そう返した自分の声が、思ったより低かった。


 冬真は視線を壇上から完全には外せない。

 外したいのに、外せない。


 澪は堂々としている。

 だが冬真には分かる。

 あの“ちゃんとした顔”がどれだけ消耗を伴っているか。

 言葉を切る前の呼吸。

 口元に浮かぶ笑みのタイミング。

 少しだけ早く瞬く目。


 周囲が“似合う”と言うたび、その場所に合わせて自分を整えているのだと見えてしまう。


 それがたまらなく苦しかった。


 説明の途中、避難区画代表の一人が質問した。


「今後も、天城少尉が前線の中心に立たれるのですか」


 ホールが静まる。

 司会役より先に、伊吹ではなく澪が答えた。


「立てる限りは、立ちます」

 声は静かで、でもはっきりしていた。

「けど、一人で戦ってるわけじゃありません。前に見える人間だけじゃなくて、後方も整備も全部含めて、今の防衛線です」


 その言葉に、ほんの一瞬だけ冬真の呼吸が止まる。


 まただ。

 澪は、こういう場でも“自分だけではない”と言う。

 それができる人間だ。

 だから余計に、誰より前へ出される。


「……やっぱずるいな」

 冬真が小さく呟く。

「天城少尉が?」

 瀬名が訊く。

「ああ」

「何が」

「そういうことを言うから、余計に前へ立たされる」


 瀬名は少しだけ黙り、それから苦笑した。


「たしかにな」

「本人のせいじゃない」

「でも本人の資質でもある」

「ああ」


 説明会が終わると、人の流れが一気に崩れる。

 壇上には広報、記録係、確認担当が集まり、澪と伊吹はその中心に巻き込まれる。


 まただ、と冬真は思う。


 似合う並び。

 見栄えのする構図。

 使いやすい英雄。


 澪はそれに抵抗できない。

 たぶんしない。

 必要だと分かってしまうから。


 冬真は補助卓のログをまとめ、送信を終えると、誰に言うでもなくホール脇の搬出通路へ出た。仕事は終わっている。ここに留まる理由はない。


 いや、理由がないからこそここを出るのだ。

 壇上の光景をこれ以上見ていたくなかった。


「逃げるの早」

 背後から瀬名がついてくる。

「逃げてない」

「その速度で出ていって言うなよ」

「……」

「まあ、分かるけどな」


 搬出通路はホールの裏手にあたり、人の声がぐっと薄くなる。機材ケースと補助照明の箱が積まれ、壁際には配線カバーが走っている。無機質で、誰もここを“華やかな場所”とは呼ばない。


 だから少し落ち着けるはずだった。


「冬真」


 その声を聞くまでは。


 振り向くと、澪が通路の入口に立っていた。

 ほんの少しだけ息が上がっている。さっきまで囲まれていたはずだ。無理に抜けてきたのかもしれない。


「来ると思った」

 澪が言う。

「……何が」

「こっちに逃げるかなって」

「逃げてない」

「うん。遠ざかってる」


 その言い方が妙に正確で、冬真は一瞬だけ言葉を失う。


 瀬名が空気を読んだように「俺、記録係の回収あるから」と去っていく。去り際にちらりと“頑張れ無名”みたいな顔をしたのが腹立たしかった。


 通路に残ったのは二人だけだ。


「どうした」

 冬真が先に言う。

「それ、ほんと毎回聞くね」

 澪が苦笑する。

「ちょっと、話したくて」

「今?」

「今じゃないとまた人が来るから」


 それは、たしかにそうだろう。


 澪は機材ケースのひとつへ軽く手を置き、視線を少し落とした。

 昼間の“希望の顔”ではない。

 作っていない時の表情だった。


「さっき」

 澪が言う。

「見てた?」

「仕事だ」

「うん、見てたんだ」


 言い直しを許さない返しだった。


「似合う、って言われた」

 澪が続ける。

「聞こえてた」

「そうか」

「……嫌だった?」


 まっすぐすぎる問いだった。


 冬真は反射的に否定したくなる。

 でもそれはたぶん、今ここで最悪の嘘になる。


「嫌、というか」

 ようやく出た声は、自分でも驚くほど低かった。

「……苦手だ」

「何が」

「そうやって、簡単に似合うって言われるのが」


 澪は少しだけ目を見開く。


「そっか」

 それだけ言って、しばらく黙る。


 冬真はそれ以上何も足せない。

 嫉妬だとか、隣に立てないのが苦しいとか、そこまで言うつもりはなかったし、言えるわけもなかった。


「私も、ちょっと苦手」

 澪が静かに言った。

「え」

「似合うって、便利すぎるから」

 澪は苦笑する。

「そう言われると、そこに収まってなきゃいけないみたいになるし」


 同じことを思っていたのか、と冬真は少しだけ息を止めた。


「でも周りが安心するのも分かる」

 澪は続ける。

「伊吹少尉が悪いわけでもないし、ああいう並びが必要なのも分かる」

「……ああ」

「だから余計にややこしい」


 ややこしい。

 まさにその通りだった。


 正しいから苦しい。

 必要だから否定できない。

 でも、納得できるわけでもない。


「冬真」

 澪が少しだけこちらを見る。

「避けたでしょ」

「……」

「ホールのあと」


 またその話になる。

 そして、また図星だ。


「避けてない」

 口ではそう言う。

「うん、完全には」

 澪が返す。

「でも遠くなってた」

「……」

「ねえ、あれって私のせい?」


 その問いに、冬真は思わず顔を上げた。


 違う、と即座に言わなければならない。

 それだけは分かる。


「違う」

 今度は迷わず言えた。

「お前のせいじゃない」

「じゃあ、誰のせい?」

「……俺の」


 澪はそこで黙った。


 通路の補助灯が、わずかに唸る。ホールの向こうからはまだ人の気配が流れてくる。けれどこの狭い通路だけは、少しだけ切り離されているみたいだった。


「なんで?」

 澪が訊く。

「それは」

「言えない?」

「……言いたくない」

「そっか」


 澪は困ったように笑った。

 責める笑いじゃない。

 分かっていた答えを受け取った顔だ。


「でも、やっぱり」

 澪が言う。

「冬真、私が思ってたよりちゃんと嫌だったんだね」

「だから嫌っていうか」

「うん、分かる。そういうの、言いたくないんでしょ」

「……」


 図星を突かれても、もう訂正する気力がない。


 澪は少しだけ壁に背中を預ける。

 疲れているのだろう。

 昼間からの“ちゃんとしてる顔”のあとで、今ようやく少しだけ力を抜けている。


「私さ」

「なんだ」

「冬真がああいう顔するの、嫌じゃない」

「は?」

 思わず間の抜けた声が出る。

「いや、好きって意味じゃなくて」

 澪が慌てて言い直す。

「うまく言えないけど、ちゃんと本音なんだなって分かるから」

「……最悪だな」

「ひどい」

「そういう言い方をするのがだ」

「でも本当だよ」


 澪は少しだけ視線を逸らし、それからまた言う。


「みんな、あの並び見て“安心する”って言う」

「……」

「でも冬真だけは、そこで引っかかる」

「……」

「それって、私をちゃんと見てるってことなんじゃないかなって」


 その言葉が、胸の奥に重く沈む。


 見ている。

 たしかに、自分は“似合う構図”より先に、澪がその中でどう削られるかを見てしまう。

 それを見てしまうから、平気でいられない。


「平気じゃない」

 気づけば、そう言っていた。

「何が」

「ああいうの見て、平気でいられるほど、器用じゃない」


 言ってから、少しだけ後悔する。

 かなり本音に近かった。


 けれど澪は驚かなかった。

 むしろ、少しだけ安心したみたいに息を吐く。


「そっか」

「何だ」

「やっぱり、遠慮してただけなんだ」

「……」

「嫌われたわけじゃないならいい」


 嫌われる。

 そんな発想が澪の中にあったことに、冬真は少しだけ眉を寄せた。


「お前、そう思ってたのか」

「少しだけ」

 澪は苦笑する。

「だって、前より距離置かれてる感じしたし」

「嫌いになる理由がない」

「うん。そう言うと思った」


 その返しが妙に澪らしくて、少しだけ息が抜ける。


 数秒だけ、どちらも黙る。

 沈黙はあるのに、気まずいわけではなかった。

 むしろ、今ようやく少しだけ正直な位置へ戻れた気がした。


「ねえ」

 澪が言う。

「冬真」

「なんだ」

「似合うって、言われたくない相手にだけ言われたくない」

「……」

「たぶん、冬真が言ったら、私ちょっと傷つく」


 その一言は、軽く聞こえるのにひどく重かった。


 冬真は即答できない。

 自分もまた、思ってしまったからだ。

 似合う、と。

 それが苦しくて、認めたくなかった。


「言わない」

 しばらくして、やっとそれだけ返す。

「うん」

 澪が頷く。

「知ってる」


 その“知ってる”に、また胸が静かに詰まる。


 ホールの奥から、伊吹の声が聞こえた。

 澪を探しているのだろう。

 ちょうどよすぎるタイミングに、冬真は少しだけ皮肉を感じる。


「行かなきゃ」

 澪が言う。

「ああ」

「でも、ちょっとだけ楽になった」

「何が」

「冬真が、ほんとに遠くなったわけじゃないって分かったから」


 それだけ言って、澪は一歩下がる。


「……またあとで」

「ああ」

「今度はそんな顔しないで」

「無理だな」

「正直だ」


 澪は小さく笑った。

 それは昼間の希望の顔でも、慰問の笑顔でもない。

 ここでだけ見せる、生身の笑い方だった。


 そのまま澪は伊吹の声のしたほうへ戻っていく。

 通路の出口で一度だけ振り返り、ほんの少しだけ手を上げる。

 それから、また光のある場所へ出ていった。


 残された冬真は、しばらく機材ケースにもたれたまま動けなかった。


 似合う並び。

 正しい位置。

 必要な構図。


 全部、分かっている。

 それでも、その中に自分の居場所がないことが苦しい。

 そしてその苦しさを、澪が少しずつ気づいていることが、さらに苦しかった。


「……終わったか?」


 いつの間にか瀬名が戻ってきていた。

 壁際に寄りかかり、面白がるでもなくこちらを見る。


「何が」

 冬真が言う。

「その“俺だけしんどいと思ってたら相手にも半分バレてた”会話」

「殴るぞ」

「図星だな」


 瀬名は肩をすくめる。


「でもまあ」

「何だ」

「天城少尉、ちゃんとお前の顔で傷つくし、安心もするんだな」

「……」

「それ、もうだいぶ終わってるぞ」

「何が」

「お前の逃げ道」


 冬真は返さなかった。


 逃げ道はたしかに、前より減っている。

 無名の後方にいれば安全だと思っていたのに、その無名の位置そのものを澪が見つけてしまっている。

 それが嬉しくて、苦しい。


 ホールの向こうからは、また拍手とざわめきが聞こえてくる。

 光のある場所は、まだ澪を必要としている。

 その光景を思い浮かべるだけで、胸の奥がじわりと痛んだ。


 それでも冬真は、結局またそちらを見てしまうのだろう。


 苦しいと知っていても、

 目を逸らせないこと自体が、

 もう答えみたいなものだった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ