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きみを守るのは、ぼくの知られない戦争  作者: 最後に残った形


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第1章 第2話:見えている罠


 出撃から三十七秒後、戦場は予定と別の顔を見せた。


 戦術支援管制室の壁面モニタに展開された立体マップ上で、青い識別灯が前進し、その周囲に赤い敵性反応が次々と咲いていく。花弁みたいに広がるその配置は、美しいと形容したくなるほど整っていた。整いすぎているからこそ不気味だった。


「敵増援、中央寄り遮蔽帯より出現!」

「北東正面の主力反応は囮の可能性大!」

「第二中継ライン、通信遅延二・七秒! まずい、回避勧告が先鋒まで届かない!」


 報告が重なり、室内の空気が一気に張り詰める。


 榊冬真は声を出さなかった。


 焦りはある。だが焦りは、状況を改善しない。必要なのは確認、選別、判断。その順番を崩した瞬間、人は自分の手で味方を殺す。


 モニタ上で、天城澪機――暁式参号の識別灯が、予測交戦圏へ滑り込んでいく。先鋒だから当然だ。最前列にいる者は、いつだって最初に噛まれる。


「先鋒隊、敵伏兵を確認! 数が違う、聞いてない!」

『右上からも来る! 散開、散開しろ!』

『天城少尉、前へ出すぎです!』

『分かってる、でもここで崩れたら後ろが――』


 開いた回線から、前線の雑音混じりの怒声が飛び込んでくる。金属が擦れる高音、警告音、誰かの荒い呼吸。距離は何キロも離れているはずなのに、耳元で火花が散ったみたいに神経を刺した。


 冬真はすでに複数のウィンドウを立ち上げていた。敵通信帯域の位相分析、味方中継の遅延ログ、各機の進行ベクトル。指先が滑るたび、情報が層になって重なる。


 やはり、罠だ。


 伏兵の位置だけじゃない。通信中継の遅延そのものが、仕込まれている。敵は正面火力で潰すつもりではない。まず命令系統をわずかに鈍らせ、その遅れの中へ先鋒を踏み込ませる。乱れた瞬間を狙って包囲する。古典的で、だからこそ効率のいい殺し方だった。


「榊!」


 隣席の瀬名が声を張る。


「お前の予測、当たりだ! ルート修正要求、司令卓が通してない!」

「分かってる」

「分かってる、じゃねえだろ!」


 瀬名の怒鳴り声も正しい。今この瞬間に必要なのは、冷静な苛立ちではなく手段だ。


 冬真は指揮卓へ接続された共有画面を呼び出し、最短退避ルートを三パターン抽出した。だが、そのどれもが遅い。今から正式経路で送れば、澪たちが受信する頃には一番危険な交差点へ入っている。


 間に合わない。


 冬真は浅く息を吸った。


「瀬名。中継二号と四号の負荷率」

「二号八七、四号六一」

「四号を優先に切り替えた場合、先鋒までの遅延は」

「一・二……いや、零・九まで落ちる。でも司令承認がいる」

「取ってる時間はない」


 そう言ってから、自分の声が思ったより平坦だったことに気づく。感情を押し込めすぎると、こうなる。


 瀬名は一瞬だけ冬真を見た。


「やる気か」

「まだだ」

「その顔は“まだ”じゃねえよ」


 冬真は返さず、回線ログを精査する。自分の権限で触れる範囲の内側で、できることはある。まずそこからだ。越えるのは最後でいい。最後で済むなら、そのほうがいい。


 壁面モニタの戦場映像が切り替わる。機体カメラの視点。白い装甲の腕が画面端を掠め、前方で敵の中型二脚機がビル残骸を蹴って飛ぶ。砂塵、火花、警告表示。暁式参号の視界は忙しい。だがその中で、澪の操縦だけは妙に静かだった。


 機体を振りすぎない。

 先を急ぎすぎない。

 だが一歩目は誰より速い。


 昔からそうだ、と冬真は思った。澪は反射で動くように見えて、実際には踏み込む前に一瞬だけ状況を見ている。その一瞬が短すぎるから、周囲には勢いに見えるだけだ。


『左側面、来る!』


 味方機の警告と同時に、赤いマーカーが三つ跳ねた。敵軽量機だ。ビルの陰を使って横合いから切り込んでくる。


 暁式参号が半歩だけ踏み込みをずらす。右肩の装甲を掠めるように弾道が走り、次の瞬間、白い機体は逆に内側へ潜り込んでいた。ブレードが閃き、先頭の一機のセンサー部を断つ。機体を止めないまま旋回し、二機目の脚部関節へ蹴りを叩き込む。鮮やかだった。


 管制室の誰かが息を呑む。


「やっぱり化け物だな……」

「いや、でも数が多すぎる」


 賞賛と不安が同時に漏れる。


 冬真は画面から目を逸らさず、別の表示を開いた。敵の動きが綺麗すぎる。澪の回避先を、先回りして潰している。偶然ではあり得ない。


 通信妨害だけじゃない。敵側は味方の回避傾向をある程度読んでいる。


 それが澪個人の操縦癖なのか、先鋒隊全体の戦術テンプレートなのかまでは分からない。だが、どちらにせよまずい。澪は強い。だが強い人間ほど、読まれた瞬間に危うい。選択肢が多いからこそ、相手はその中の“らしい”手を狙う。


『天城少尉、前方遮蔽帯に敵重火力!』

『見えてる!』

『退いてください、少尉!』


 重火力機。


 その単語に、冬真の背筋が冷たくなる。表示を拡大すると、遮蔽帯奥に赤い大型反応が二つ。伏せていた砲撃機だ。最初からそこで待っていた。澪たちを横から追い込み、進路を固定し、そこへ火力を叩き込むために。


「……最低だな」


 誰かが吐き捨てるように言った。


 冬真は指揮卓への申請画面を開き、退避推奨経路を最優先フラグ付きで再送する。承認待ちランプが点灯する。数秒が、やけに長い。


「司令卓反応!」

「遅い!」


 瀬名が机を叩きそうな勢いで身を乗り出す。


 冬真はもう一つ、局地マップの裏層を呼び出した。通常運用では使わない保守用の中継ルート。正式回線ではない。演習用の予備経路で、普段は死んでいるはずのもの。生きている保証はない。ノイズまみれで、下手をすれば誤情報になる。


 けれど、今はそれでも速いほうがいい。


「榊」

「まだ越えてない」

「言ってるうちに越えるやつの台詞なんだよ、それ」


 瀬名はそう言ったが、止めはしなかった。止めてどうにかなる段階ではないと分かっている顔だった。


 冬真は一度だけ目を閉じ、次に開いた。


 自分に言い聞かせる。


 これは澪だからじゃない。

 先鋒が崩れれば後列が死ぬ。

 ここで穴が空けば防衛線全体が裂ける。

 だから必要な処置だ。


 その理屈は半分だけ本当で、半分は嘘だった。


『っ、まず……!』


 澪の声が短く切れた。


 画面上で、暁式参号が敵二機を捌いた直後、頭上のビル残骸が爆ぜた。重火力の着弾。崩れた瓦礫が退路を塞ぎ、右側面から別の軽量機が飛び込んでくる。


 読まれている。


 敵は澪を殺せる手順で動いている。


「瀬名、四号中継を優先化」

「承認なしで?」

「ログは俺が被る」

「最初からそう言え!」


 瀬名の指が別卓を叩く。冬真も同時に、自端末から予備回線へ接続を試みた。警告表示が幾つか浮かぶ。権限不足。使用目的外。通信品質未保証。それらを片端から脇へ押しのける。


 許されていないことくらい、分かっている。


 だが、許可を待って死なれるくらいなら、処分のほうがまだ軽い。


『先鋒隊へ、緊急回避ルート送信! 繰り返す、緊急――』

「届くか……?」


 誰かが呟く。


 モニタ上で、澪の識別灯が一度だけ揺れた。受信したのか、それとも単なる機動の揺らぎか。判別できない。


 次の瞬間、暁式参号が本来の前進ベクトルを切り、斜め下方へ滑り込むように落ちた。


 重火力の砲撃が、その頭上を通過する。


 遅れて、ビル壁面が丸ごと吹き飛んだ。


「……っ、避けた!」

「今の回避、推奨ルートと一致してる!」

「届いたのか!?」


 室内に、張り詰めたままの歓声が小さく走る。


 冬真は何も言わなかった。ただ、指先に滲んでいた力がほんの少しだけ抜ける。助かった、とはまだ言えない。包囲は継続中だし、重火力も生きている。だが少なくとも、今の一撃では死ななかった。


 それだけで十分重い。


『……榊?』


 ノイズの向こう、かすれた声がした。


 冬真の心臓が一拍だけ乱れる。


 聞き間違いかもしれない。予備回線に乗った音声が歪んだだけかもしれない。それでも、澪が今の回避ルートに何を感じたのかが、喉の奥へ刺さるみたいに残った。


「回線切り替え痕、残るぞ」

 瀬名が低く言う。

「分かってる」

「司令卓から問い合わせ来る」

「後で答える」

「“後で”があるならいいけどな」


 軽口の形をしていても、その声には本物の心配が混じっていた。


 冬真は戦域図を注視する。澪たち先鋒隊は一時的に包囲の薄い地点へ流れたが、敵もすぐ修正してくるはずだ。むしろここからが本命かもしれない。こちらが回避を通したと分かった以上、敵は次に“その回避を読む”。


 戦いは、相手の一手先を奪うことだ。

 そして奪われたほうから死ぬ。


 敵通信帯域に新たな波形が走る。先ほどまでにはなかった、短く鋭い同期信号。冬真はすぐ分析を走らせ、顔をしかめた。


「瀬名。敵側、再編してる」

「早すぎるだろ」

「こっちの回避反応を見て隊列を修正してる。指揮がいる」

「現地指揮か、後方制御か?」

「両方の可能性」


 つまり、向こうにも“見ている奴”がいる。


 前線の一兵ではなく、戦場全体を俯瞰して針を刺してくる何か。冬真はその存在を、嫌というほどよく知っている。自分がそういう役割にいるからだ。


 壁面モニタの隅に、小さな映像窓が追加される。敵中継網から拾った断片映像。ジャミング越しの粗い画質の中、崩れた高架上に一機の指揮型らしき機体が立っていた。人型よりも少し長い四肢、背部に通信ブレードのような張り出し。直接火力は低いが、戦場制御を主とするタイプ。


「いたか」

 瀬名が低く吐く。

「ああ」


 冬真はその機体の識別ログを掘る。登録なし。新型か、もしくは既存機の改修型。どちらにせよ厄介だった。敵の重火力より、こういう機体のほうが面倒だ。見えている砲弾は避けられる。だが、見えない意図は避けにくい。


『先鋒隊、左翼損傷! 支援を――』

『後列が追いつかない!』

『天城少尉、単独突出は――』

『分かってるって!』


 澪の声が、今度は明確に苛立ちを含んでいた。追い詰められると、彼女は自分を前へ出して穴を塞ごうとする。昔からそうだ。自分が走ればどうにかなる局面ばかりではないと分かっていても、体が先に出る。


 そこが好きで、そこが危うい。


 冬真は戦術予測を更新し、先鋒隊の次の三手を並べる。最も確率が高いのは、澪が左翼損傷機を庇って一時的に前へ出る動き。その場合、敵重火力の第二射線と交差する。


「……くそ」


 思わず、声が漏れた。


 瀬名が横目で見る。


「珍しいな」

「何が」

「お前がそういう顔するの」


 冬真は返さない。


 自分でも分かる。今、相当ひどい顔をしている。冷静でいるつもりでも、奥歯の噛み締め方一つで感情は滲む。


 申請ランプがようやく承認色へ変わった。遅い。だが来た以上は使う。


「正式ルート開通!」

「先鋒へ再送、急げ!」


 複数の回線から退避勧告が飛ぶ。今度は予備経路ではない。正規の、誰に見られても問題ない命令系統だ。けれどその数秒前に、冬真はすでに非公式ルートで先んじていた。


 ログは残る。


 痕跡も残る。


 誰かが見れば、不自然だと分かるだろう。


 それでも今は、澪が生きていることのほうが重い。


 戦場映像の中で、暁式参号が左翼損傷機の前へ割り込むように機体を滑らせた。予測通りだ。次の瞬間、敵の第二射が降る。


 だが澪はそこで真正面には受けなかった。


 わずかに機体を傾け、推力偏差を使って沈み込み、爆風の抜け道へ潜る。紙一重。まるで最初からそこに道が見えていたみたいな動きだった。


 敵弾が白い肩装甲を掠め、火花が散る。


 完全な無傷ではない。

 けれど致命傷でもない。


『……っ、まだいける!』


 澪の息混じりの声が飛ぶ。


 その一言に、管制室の空気が少しだけ戻る。完全に押し潰される流れではなくなった。だが押し返したわけでもない。綱渡りの途中だ。


 冬真は戦域の外縁に目を走らせた。敵指揮型が位置を変えている。こちらの回避成功を見て、次の誘導を組み直している。速い。想像以上に。


「瀬名」

「分かってる。向こうにも頭がいる」

「ああ」

「最悪だな」

「最悪だ」


 同じ会話を繰り返しながら、冬真の意識はすでに別の層へ潜っていた。敵指揮型の通信ブレード、その送受信周期、重火力機の照準更新タイミング、軽量機の押し込み角度。ばらばらの情報が一つの輪郭を結ぶ。


 敵は澪個人を狙っている。


 先鋒だからだけではない。彼女が生き残ればこちらの士気が保たれると知っていて、その象徴を折りにきている。前線の光を消せば、後ろにいる人間まで怯む。理屈としては正しい。だから腹が立つ。


 冬真は静かに、端末の一番奥にある管理メニューへ視線を滑らせた。


 通常運用では開かない領域。

 戦術補助を超える介入。

 使用には複数承認が必要なはずの階層。


 今はまだ、触れていない。


 だが、次に同じような包囲が来ればどうなるか。正式命令を待っている間に、一度でも判断が遅れれば。澪は今度こそ死ぬかもしれない。


 その想像が、胸の奥を嫌に静かに冷やした。


『先鋒隊、一次包囲を突破! 繰り返す、一次包囲を突破!』

「抜けた!」

「でも敵指揮がまだ生きてる!」

「安心するな、次が来るぞ!」


 歓声を押さえ込むように現場指揮が飛ぶ。


 冬真も同意見だった。今のは凌いだだけだ。戦いは終わっていない。むしろ敵にとっては、こちらの対応力を測る試し斬りに近い。


 そのとき、司令卓から直通の呼び出しが入った。


「戦術支援三番、応答しろ」

 冷たい声だった。責任だけを切り出して磨いたような、上層部の声。

「こちら榊」

「先ほど、承認前に四号中継へ負荷優先がかかった。お前か」

「戦況を見て必要と判断しました」

「判断権限は誰にある」

「本来は司令卓です」

「ならば独断だな」


 室内の空気がまた別の意味で冷える。


 瀬名がわずかに顔をしかめる。止めるでもなく、庇うでもなく、ただ状況を見ている。ここで余計な言葉を挟めば、かえって悪化すると分かっているのだろう。


 冬真は短く答える。


「はい」

「戦闘終了後に詳細報告を提出しろ」

「了解」


 回線が切れる。


 たったそれだけのやり取りなのに、室内の何人かが露骨に安堵した。戦闘中に処分を言い渡されなかっただけ、まだましだ。今は前線を支える人員を欠けさせるほうが損だと、向こうも理解している。


 瀬名が肩を竦める。


「とりあえず首は繋がったな」

「まだ分からない」

「分からないけど、天城少尉は今ので死なずに済んだ」


 その言葉だけは、まっすぐだった。


 冬真は返事をしなかった。できなかった。頷けば、自分が何を優先したのかを認めることになる気がしたからだ。


 戦域マップ上で、澪の機体が再び動く。前に出すぎないよう抑えながら、それでも味方の崩れた列へ体を差し込んで立て直していく。あれをできるから、彼女はエース候補と呼ばれる。あれをやるから、死に近づく。


 昔から、放っておけない人間だった。


 小さい頃、近所の神社の石段から落ちそうになった子どもを、澪が自分で飛び込んで引っ張り上げたことがある。本人は膝を擦りむいて泣きそうな顔をしていたのに、助けた相手のほうを先に慰めていた。あの頃から、変わっていない。自分の痛みより他人を先に見てしまう。


 だから冬真は、昔から知っている。


 澪は強い。

 でも、無茶をしないわけじゃない。

 むしろ強いからこそ、無茶が成立してしまう瞬間がある。


 その一瞬を、いつか誰かが取り立てに来る。


 戦争はそういう場所だ。


「榊」


 瀬名がまた小さく呼んだ。


「さっきの予備回線……聞こえたか」

「何が」

「天城少尉、たぶんお前のこと呼んだ」


 冬真は黙る。


「気のせいかもしれないけどな」

「気のせいだ」

「そういうことにしとくか」


 瀬名はそれ以上言わなかった。


 壁面モニタに、新たな警報帯が走る。敵指揮型が再配置を完了。次の包囲予測線が薄赤で表示される。今度は一次包囲より狭い。逃がして学習した分、精度が上がっている。


 冬真の視線が自然と、端末の奥に眠る権限外領域へ戻る。


 もし次が来たら。

 もし次で正式命令が遅れたら。

 もし今度こそ澪の機体が敵照準の中心で固定されたら。


 そのとき、自分はどこまで踏み込むのか。


 答えは、もう半分出ていた。


 出撃前に澪は言った。

 冬真の勘は外れない、と。


 ならば外さないまま守るしかない。


 たとえそのために、越えてはいけない線の向こうへ手を伸ばすことになっても。


 戦域マップの赤い光が、再び澪の進路へ重なり始める。


 冬真は静かに、管理メニューのロック画面を開いた。


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