表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
きみを守るのは、ぼくの知られない戦争  作者: 最後に残った形


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

1/75

第1章 第1話:戦場の再会


 日本列島は、もう一つの国になってしまっていた。


 国境線が消えたわけではない。地図の上では、相変わらず北海道から沖縄まで一つの色で塗られている。だが現実には、その輪郭は無数の戦線によって裂かれ、都市は防衛区画へ、港は補給拠点へ、山間部は無人機の巣へと変わり果てていた。


 空はいつも遠かった。


 晴れていても、青いと感じる前に警戒表示が目に入る。薄い雲の向こうに監視衛星の影があり、耳を澄ませば高高度を巡回する偵察機の低い駆動音が混ざっている。地上では防壁の向こうで機械が唸り、時折、遠方の着弾が空気を震わせた。


 戦争は、特別な出来事ではない。


 朝の点呼と同じように、昼の補給と同じように、夜の消灯と同じように、ここには当たり前にある。だから誰も、いちいち空を見上げたりはしない。


 相模第七防衛区画、戦術支援管制室。


 窓のない部屋に並ぶ端末群の光だけが、朝なのか夜なのかを曖昧にする。壁面モニタには防衛線の立体地図が展開され、無数の識別灯が微かに瞬いていた。友軍は青、敵性機は赤、通信不良は黄。色にすれば整理できるものを、人間は状況と呼ぶ。


「北東セクター、索敵更新。敵性反応、前回比マイナス三」

「補給中継一号、回線回復しました」

「前線第二区、出撃準備完了まで残り十二分」


 抑揚を削った声が飛び交う。誰もが忙しく、誰もが疲れている。だが、その疲労を表情に出す余裕すらない。


 その中で、榊冬真は無言のまま端末に向き合っていた。


 年齢のわりに落ち着きすぎて見える顔立ち。整いすぎない黒髪。感情の乗らない視線。部隊章のついた灰色の制服は他の隊員と何一つ変わらないはずなのに、冬真の周囲だけ妙に音が薄い。彼は喋らないのではなく、必要のないことを口にしない。その沈黙が、結果として周囲を一歩遠ざけていた。


 端末上には敵通信帯域のログが流れている。


 整然としすぎたノイズ列。三秒ごとに入る位相の揺れ。通常戦術AIが使う圧縮形式とはわずかに違う。意図的だ。隠しているというより、見つけられる側の反応を測っているような波形だった。


 冬真は一度だけ瞬きをして、別ウィンドウを開いた。昨日からの索敵結果、敵補給線の推移、出撃予定機のルートデータ。複数の情報を重ね合わせていくと、一本の線が浮かび上がる。


 北東からの圧力は囮。

 本命は、中央寄りの迎撃線。


 より正確に言えば――これから出る主力機を、そこで噛み砕くつもりだ。


「榊」


 背後から声が飛んだ。振り返ると、隣席の管制士・瀬名が紙コップ片手に立っていた。珍しく本物のコーヒーらしい匂いがする。


「朝から死人みたいな顔してるぞ」

「元からだ」

「自覚あるなら直せよ。ほら」


 差し出されたコップを見て、冬真は小さく首を振った。


「いらない」

「まあそう言うと思った」


 瀬名は肩をすくめ、自分で一口飲む。彼は冬真より二つ年上で、この管制室では数少ない、遠慮なく話しかけてくる人間だった。軽口が多いが、状況を見る目は鋭い。


「また敵波形追ってたのか?」

「ああ」

「で?」

「嫌な感じがする」

「お前のその『嫌な感じ』、大体当たるんだよな」


 瀬名はモニタに目をやる。赤い識別灯の並びを見て眉を寄せたが、すぐに苦笑へ戻した。


「上に上げた?」

「さっきな」

「反応は」

「定型文」


 脅威評価未達。現行作戦に影響なし。監視継続。

 いつものやつだ。


「だろうな」

「だろうな」


 同じ言葉を繰り返して、二人ともそれ以上は言わなかった。上層部が無能という話ではない。情報は毎日洪水のように流れ込む。その中で、確証の薄い違和感にいちいち大部隊を動かしていれば、防衛線は一週間で破綻する。合理的な判断だ。正しい。だからこそ厄介だった。


 冬真は視線を戻す。


 通信室全体に、柔らかな電子音が鳴った。定刻映像の配信通知。前線向け士気向上用プロモーションの時間だ。忙しい隊員の何人かが、半ば無意識に壁面モニタへ目を向ける。


 表示されたのは、白と青を基調にした新型機の映像だった。


 砲煙の中から踏み出し、振り上げたブレードで敵機の腕部を切断し、そのまま旋回して着地する。演出された編集だと分かっていても、絵になる動きだった。軽量高機動型、暁式参号。相模防衛区画が保有する数少ない対大型機決戦用フレームの一つ。


 そのコクピットハッチが開く。


 ヘルメットを外した少女が、風に乱れた髪を押さえながら振り返った。


 ただそれだけの動作で、映像の空気が変わる。


「お、出た」

「やっぱ映えるなあ」

「次の作戦も先鋒だろ、天城少尉」


 室内のあちこちで、声が漏れた。


 天城澪。


 相模第七防衛区画所属、機動戦闘中隊先任パイロット。十代でありながら前線の生存率と戦果の両面で頭一つ抜け、半ば広告塔のように扱われている若きエース。市民避難誘導の広報映像にも、兵士向けの奨励配信にも、彼女の名前はよく使われた。人は希望を顔で覚える。彼女はその役目に、嫌でも向いてしまっていた。


 冬真は、画面の中の澪から目を離さなかった。


 幼い頃から知っている顔だった。


 泣き虫で、でも意地っ張りで、転んでも誰かに手を引かれる前に自分で立つやつだった。泥だらけになりながら笑って、喧嘩をして、負けると悔しそうに唇を噛んで、それでも次の日にはまた前を向いていた。


 昔から、光のほうへ歩く人間だった。


 今はそれが、戦場の真ん中にある。


 画面越しに笑う澪の横で、戦果数値がテロップで流れる。撃破確認、護衛成功、撤退支援完遂。誰が見ても英雄だった。


 冬真は無意識に、右手をわずかに握り込んでいた。


「お前さ」


 瀬名が、横からひそりと声を落とした。


「天城少尉の映像流れるたびに、呼吸浅くなるのやめろよ」

「なってない」

「いや、なってる。自覚ないだけで」


 冬真は否定しかけたが、やめた。代わりにログを一つ開き直す。瀬名は面白がるでもなく、ただ観察するように彼を見ていた。


「……幼馴染、だっけ」

「ああ」

「そりゃ心配もするか」


 その一言だけは、からかいがなかった。


 冬真が返事をしないままモニタを見ていると、映像が切り替わった。次作戦に参加する主要隊員の紹介。澪の名前が中央に大きく表示される。


『本日一三〇〇時、北東迎撃作戦に機動戦闘中隊を投入』

『先鋒:天城澪少尉』


 赤い識別灯が、端末の片隅で一つ増えた。


 冬真の指先が止まる。


 やはりそこか。


 北東から押してくるように見せかけて、中央よりへ引き込む。澪の進行想定ルートと、敵の静的配置が綺麗に噛み合いすぎている。偶然ではない。狙っている。


「瀬名」

「ん?」

「北東迎撃の作戦経路、最新のもの見せろ」

「まだ出てないはずだが」

「草案でもいい」


 瀬名が眉をひそめつつデータを引っ張る。数秒後、薄い青線で仮想ルートが表示された。それを見た冬真は、喉の奥に冷たいものが落ちるのを感じた。


 最悪だ。


 真正面から行くつもりだ。しかも中継支援の薄い谷間を通る。敵がこの配置を仕込んでいるなら、澪の隊は二度目の反応遅延を食らう。そこで重火力機に頭を押さえられれば、高機動型は逃げ場を失う。


「……修正申請出す」

「通るか?」

「分からない」


 分からないが、やるしかない。


 冬真が立ち上がりかけた、そのときだった。


「榊、久しぶり」


 不意に、よく知っている声が背後から落ちた。


 あまりにも自然に耳へ入ってきたせいで、一瞬、昔の記憶が混線した。夕焼けの河川敷。補習帰りの教室。夏祭りの帰り道。呼ばれ慣れたその声音は、戦場になった今でも変わらない。


 振り返る。


 そこに澪がいた。


 作戦前の簡易制服姿。出撃前だからか髪は高く結ばれていて、首元には認証タグが揺れている。映像越しに見るよりずっと近く、ずっと生身だった。肩にうっすらと残る整備油の匂いまで分かる距離。


 管制室の数人が慌てて姿勢を正した。前線の有名人が後方区画に顔を出せば、どうしても空気がざわつく。


 だが澪自身はそういう視線に慣れているのか、軽く会釈しただけで気に留めなかった。そして、そのまま真っ直ぐ冬真を見る。


「ほんとにいた」

「任務中だ」

「知ってる。だから、少しだけ」


 澪は昔と同じ調子で言ったが、その目の奥にはわずかな緊張があった。冬真のほうが、どんな顔をしているのか分からなくなる。


「久しぶり」

「……ああ」

「それだけ?」


 少し笑ってみせる。昔なら、その笑顔だけで距離は埋まっていた。けれど今の冬真には、それがひどく眩しかった。


「忙しい」

「冷たいなあ」


 冗談めかして言う声の端に、ほんの少しだけ寂しさが混じる。冬真は気づかないふりをした。気づけば、手を伸ばしたくなるからだ。


 澪は端末群に目をやり、それから冬真の顔へ戻す。


「後方勤務って聞いてたけど、本当にこういうところにいるんだ」

「見れば分かるだろ」

「うん。分かる。でも、なんていうか……ちゃんと元気そうでよかった」


 その言葉に、冬真は答えを詰まらせた。


 元気。そんな尺度で測れる場所に、自分たちはもういない。それでも澪はそう言った。戦場の中で失わずにいる、柔らかな部分として。


 昔からそうだった。


 強いくせに、他人の傷のほうを先に見る。


「天城少尉、そろそろブリーフィングの時間です」


 近くのオペレーターが遠慮がちに声をかける。澪は「あ、はい」と振り向き、それからまた冬真へ向き直った。


「ねえ、あとで少し話せる?」

「無理だ」

「即答」

「作戦前だろ。お前も忙しい」


 正論だった。正論で押し返すのは、昔から冬真の悪い癖だ。


 澪は一瞬だけ黙り、それから小さく息をついた。


「……そういうとこ、変わってない」

「変わったよ」

「ううん。変わったとこもある。でも、変わってないとこもある」


 まっすぐな視線が刺さる。


 冬真は耐えきれず、先に目を逸らした。端末へ視線を戻すふりをしながら、映る数値が何一つ頭に入ってこない。


「澪」


 名前を呼んでから、自分で驚いた。軍の中でそう呼ぶことは、意識して避けていたからだ。


 彼女も目を丸くしたが、すぐに柔らかく笑った。


「なに?」

「……北東のルート、気をつけろ」

「え?」


 言ってしまってから、冬真は舌打ちしたくなる。これでは説明不足にもほどがある。だが具体的に言えば、どうしてそんなことが分かると問い返される。


「敵の配置が少し変だ」

「榊が言うなら、ほんとに変なんだろうね」

「ただの勘だ」

「それでも」


 澪は、そこで不意に昔の顔になった。


「冬真の勘、外れたことあんまりないじゃん」


 その名前を聞いた瞬間、管制室のざわめきが遠のいた気がした。戦場に来てから、そう呼ばれることはほとんどない。ここでは榊、あるいは管制担当。個人名より役職が先に来る。だが澪だけは、平然と昔のまま呼ぶ。


 呼ばれるたびに、心のどこかが遅れて痛む。


「だから、気をつける。ありがと」


 澪はそう言って、軽く手を振った。そしてブリーフィング室へ向かって歩き出す。まっすぐな背中。迷いのない足取り。誰かに見せるためではなく、自分の意思で前へ進む人間の歩き方だった。


 冬真はその背中を、視界の端で追った。


 守りたい、と思う。


 その感情はもう、ずっと前から自分の中にある。恋だの何だのと、綺麗に名前をつけるより先に、もっと深い場所へ沈んでしまったものだった。


 ただ、生きていてほしい。


 笑っていてほしい。


 どんな形でもいいから、明日も呼吸をしていてほしい。


 それだけでいいと、何度も自分に言い聞かせてきた。


「……榊」


 瀬名の声で現実へ引き戻される。


「顔、やばいぞ」

「何が」

「何が、じゃない。今すぐ前線走ってって、天城少尉の機体に自分で装甲板貼りに行きそうな顔してる」


 そんなつもりはない、と返しかけて、冬真は飲み込んだ。否定しきれない自分がいた。


 瀬名は端末を操作しながら、低く続ける。


「さっきのルート、俺も見た。確かに妙だ」

「だろ」

「上にもう一回上げるか?」

「上げる」

「通らなかったら?」

「……そのとき考える」


 瀬名は一度だけ冬真を見た。軽口はなかった。その代わりに、少しだけ真面目な声になる。


「幼馴染だからじゃなく?」

「関係ない」

「嘘つけ」


 だがそれ以上は踏み込まない。彼なりの線引きなのだろう。


 壁面モニタに、出撃カウントが表示される。残り六分。パイロットたちのバイタルリンクが順次接続され、機体同期率が流れ始めた。澪の名の横に表示された数値は、相変わらず高い。安定しすぎているくらいだ。


 だが冬真は、数字ではなく敵の沈黙のほうが気になっていた。


 静かすぎる。


 いつもならもっと乱れたノイズがある。挑発めいた偽装が混ざる。なのに今日は、綺麗に整っている。息を潜めているような静けさだった。


「北東セクター、敵反応微増!」

「増加率、想定レンジ内!」

「機動戦闘中隊、カタパルト接続!」


 室内の空気が一段階、緊張へ寄る。


 冬真は座り直し、操作権限を確認した。自分の権限で触れられる範囲、触れられない範囲、その境界を脳内でなぞる。今のところ、まだ越える必要はない。まだ。


 通信回線が開く。


『機動戦闘中隊、各機、発進シークエンスへ移行』

『暁式参号、起動正常』

『パイロット生体認証、天城澪、リンク確認』


 ヘッドセット越しに届く機械音声の合間、ほんの一瞬だけ、澪本人の息遣いが混じった気がした。気のせいかもしれない。それでも冬真の背筋は勝手に強張る。


 壁面モニタに、発進デッキの映像が映る。白い機体が膝を沈め、カタパルトに固定される。周囲の整備員が退避し、最終安全灯が青へ切り替わった。


 その光景の中で、暁式参号だけがやけに脆く見える瞬間がある。


 強い機体だ。優秀な操縦者だ。誰よりも前に出る勇気もある。分かっている。分かっているのに、冬真にはいつも、あの白い装甲があまりにも薄く感じられた。


 壊れることを前提に作られた兵器の中で、澪だけは壊れてほしくなかった。


『三、二、一――射出』


 白い機体が、轟音とともに空へ叩き出される。


 モニタに青い航跡が伸びた。直後、味方各機の識別灯が戦域マップ上へ散っていく。澪の機体は先頭。やはり中央寄りへ入っていく。


 冬真は唇の内側を噛んだ。


 嫌な予感が、消えない。


「榊」


 瀬名が小さく呼ぶ。


「来るぞ」

「ああ」


 次の瞬間、敵性反応が一斉に増えた。


 赤い灯が、地図上に花が開くみたいに増殖する。北東正面だけではない。中央寄りの遮蔽帯、そのさらに奥。沈黙していたはずの地点からも、遅れて複数。


 やはり伏せていた。


「敵増援確認! パターン、事前想定と一致せず!」

「中継支援、第二ラインに遅延発生!」

「機動戦闘中隊へ回避勧告――っ、だめだ、届きが遅い!」


 室内の声が一気に荒れる。


 冬真は立ち上がりかけた衝動を押し込み、目の前の戦域図へ視線を固定した。澪の青点が、赤の群れへ吸い込まれるように進んでいく。


 罠だ。


 しかも、想像より深い。


 喉の奥で、冷えた何かが確信へ変わる。


 このままでは、澪が危ない。


 冬真の右手が、操作端末の上で静かに止まった。


 まだ命令はない。

 まだ越えてはいけない線の手前だ。

 だが、その線の向こうにしか助かる道がないのなら――。


 戦域マップの中で、天城澪の識別灯が、敵照準予測円の中心へ重なった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ