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きみを守るのは、ぼくの知られない戦争  作者: 最後に残った形


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第2章 第7話:薄氷の回線


 回線は、繋がっているだけでは足りない。


 戦場で必要なのは、届くことだ。

 必要な情報が、

 必要な相手に、

 必要な一秒のうちに届くこと。


 そのどれか一つでも欠ければ、繋がっている回線はただの飾りになる。


 相模第七防衛区画、戦術支援管制室。


 壁面モニタには、次の局地作戦用に再構成された戦域図が浮かんでいた。北側の半壊都市区画。前回までの中央寄り交戦域より建物密度が高く、通信中継が不安定になりやすいエリアだ。高層残骸と崩落道路が複雑に入り組み、前線にいる人間からすれば“隠れやすい”。後方から見れば“回線が薄くなる”場所だった。


 そして敵は、そういう場所を好む。


「嫌な地形だな」

 瀬名が共有画面を見ながら言う。

「回線が死ぬ」

「ああ」

「しかも相手はそこに引っ張り込む気満々」

「……ああ」


 冬真は淡々と戦術予測を重ねる。


 味方中継の届きにくい高層残骸の陰。

 敵指揮ノードの隠れやすい通路網。

 澪のような高機動機なら通れてしまう抜け道。

 全部が噛み合いすぎていた。


 嫌な予感というより、もはや答え合わせに近い。

 敵は確実に、澪を“薄い回線の場所”へ押し込んでくる。


「今回、非公式は使うなよ」

 瀬名が先に言った。

「……」

「その沈黙、ほんとやめろ」

「使わない」

「今のところ、だろ」

「合法の範囲で足りるなら、それでいい」

「足りないときにお前が止まらないのは知ってる」


 冬真は返事をしない。


 否定できないからだ。


 今の自分が守るためにどこまで行くか、自分でも分からない。分からないまま、敵はその“どこまで”を測ろうとしている。


 戦域図の右上、先鋒隊の進路候補に暁式参号の識別マーカーが浮かぶ。天城澪。今回も当然のように前にいる。危険度の高い観測寄り任務で、機動力と判断力が必要なら、上は真っ先に澪を使いたがる。


 合理的だ。

 だから余計に腹が立つ。


「作戦開始まで二十分」

 別卓のオペレーターが報告する。

「先鋒各機、接続準備中」


 壁面モニタの一角に、発進前待機映像が映る。

 白い暁式参号が整備デッキの光の下に立っていた。肩装甲は前話で入れた調整のあと、綺麗に組み直されている。冬真が仕込んだ補助制御も、その中で静かに眠っている。


 あの白い機体はもう、ただの兵器じゃない。

 敵に狙われ、

 味方に期待され、

 そして自分にとっては、触れられない守りそのものになっている。


「おい」

 瀬名が肩を軽くぶつけてきた。

「見すぎ」

「仕事だ」

「今日はそれで通すの三回目な」


 冬真は無視して、通信ログの再確認へ戻る。

 今回、自分が使うのは合法範囲の中継制御だけだ。表向きの負荷分散、優先順位の調整、途切れかけた回線の再送補助。その範囲でどうにかなるなら、それが一番いい。


 だが敵もそれを承知で、そこぎりぎりを攻めてくるだろう。


 出撃。

 戦域展開。

 接触。


 最初の数分は、むしろ静かに進んだ。


 前線の青い識別灯が北側区画へ入り、味方中継もまだ十分に届いている。敵反応は散発。先鋒隊も不用意には突っ込まず、澪を先頭にしつつも、いつもより慎重に距離を刻んでいた。


『先鋒、視界良好』

『二番機、残骸上部確認。異常なし』

『天城少尉、右側ルートは死んでます』

『了解。左を浅く取る』


 澪の声が回線に乗る。


 静かだ。

 だがその静けさの裏で、冬真には分かる。

 澪も警戒している。

 敵の気配が薄すぎることを、前線の感覚で感じている。


「まだ来ないな」

 瀬名が呟く。

「来る」

 冬真が答える。

「薄い場所まで待つ」

「ほんと気分悪いな、お前の言い方」


 言い方じゃない。

 実際そうだからだ。


 戦域図上で、先鋒隊が半壊高層群の谷間へ差し掛かる。

 中継の濃さが一段落ちる。

 壁面表示の青が、ほんの少し薄くなる。


「ここだ」

 冬真が言ったのと同時に、

 赤い識別灯が三方向から浮かんだ。


「敵軽量群、接敵!」

「中型反応一、後方から!」

「中継遅延発生、二号と四号が薄い!」


 管制室の空気が一気に締まる。


 敵は正面から潰しに来ていない。

 澪の隊列を裂き、薄い通信圏へ押し込む形を選んでいた。


『右から来る!』

『二番機、上! 上見て!』

『っ、下がるな、そのまま寄せて!』


 暁式参号が敵軽量機を捌きながら前へ出る。

 僚機を置いて抜ける動きはしない。

 だからこそ、敵の角度に噛み合う。


 冬真は即座に中継負荷を再配分した。

 合法範囲。

 承認不要の優先調整。

 できるだけ自然に。

 澪機の周辺回線が完全には切れないように、他の雑音を一段落とす。


「もうやってるな」

 瀬名が横目で見る。

「規定内だ」

「今はな」


 戦域図上で、澪の周辺に細い通信線がもう一度繋がる。

 完全ではない。

 だが“何も届かない”よりはましだ。


『先鋒、回線戻った!』

『今のうちに左へ!』

『天城少尉、そっちは危ない!』


 危ない。

 その通りだ。


 左側通路は敵軽量群の圧が薄い代わりに、中型機の射線が死角から通る。普通なら選ばない。だがここで右に残れば、中継がさらに薄くなる。敵がそれを見越して両方を嫌な形にしている。


 答えのない二択。


 澪は一瞬だけ迷ったように見えた。

 だが次の瞬間、左へ切った。


 合理としては正しい。

 感情としては、最悪の選択だ。

 その先に“手を出したくなる角度”が待っていると冬真には分かっていたからだ。


「またそこ行くのかよ……」

 瀬名が呻く。

「相手も待ってる」

「ああ」


 敵中型機の熱源が動く。

 射線収束。

 だが即撃ちはしない。

 一度だけ、澪が“自力でどうにかしようとする”のを待つ。


 やっぱりそうだ。

 敵は澪を殺すより、そこでどんな支援が入るかを見ている。


 冬真の手が、端末の縁を掴む。

 非公式プログラムには触れない。

 まだだ。

 まだ合法範囲で足りるはずだ。


「榊」

 瀬名が低く言う。

「回線優先だけで済ませろ」

「……」


 戦況予測を更新。

 左通路への侵入。

 中型機の視界外射線。

 軽量群の追尾角。

 味方僚機の追従時間。


 ぎりぎり、間に合う可能性がある。

 合法範囲の中継支援だけでも、澪が最適解を引けば抜けられる。


 その最適解がどこか、冬真には見える。

 北西側の半壊搬送路。

 普通の前線機なら視界不良で避ける道。

 だが澪なら、通れる。


『……北西、細いけど抜ける』

 澪の独り言みたいな声が回線に落ちる。


 冬真の背筋がわずかに震える。

 同じものを見ている。


「中継三号、先鋒へ優先!」

 冬真が短く指示する。

「了解!」

 別卓が即応する。


 正式な範囲の、ぎりぎりの押し込み。

 それだけで回線遅延がほんの少し縮まる。


『先鋒、北西搬送路に退避推奨!』

 支援回線が飛ぶ。

『了解――行ける!』


 暁式参号が狭い搬送路へ滑り込む。

 細い。

 危うい。

 だが敵中型機の射線は半拍だけ遅れる。


 冬真は息を止めたまま、次の瞬間を待つ。


 砲撃。

 閃光。

 瓦礫の飛散。


 暁式参号の白い機影が煙の中へ消え、

 次の瞬間には、その先から飛び出していた。


 避けた。

 いや、通した。


「抜けた!」

「先鋒生きてる!」

「中型の収束、間に合ってない!」


 管制室に張り詰めた安堵が走る。


 だが同時に、冬真の端末に警告が上がった。


 管理AI注意:

 戦術支援三番卓において不自然な優先処理連続を検出

 確認推奨


「来たか」

 瀬名が顔をしかめる。

「合法の範囲でも、連続でやれば癖になる」

「ああ」

「敵だけじゃなく、味方にも見られ始めたぞ」

「分かってる」


 そう返しながらも、冬真の視線は前線から外れない。


 澪はまだ安全圏じゃない。

 搬送路を抜けても、敵軽量群が後を追ってくる。

 しかも回線はまた薄くなり始めていた。


『天城少尉、後ろ!』

『見えてる!』


 暁式参号が振り返りざまに一機を断つ。

 返す刃で二機目のセンサーを潰し、三機目の突進を肩で逸らす。

 澪の動きは鋭い。

 だがそれでも、今日の敵配置は嫌なほど食いついてくる。


 そして冬真の端末には、新たな逆探知痕が走った。


「敵、見てる」

 冬真が言う。

「どっちを?」

 瀬名が訊く。

「戦場だけじゃない。こっちの優先処理も」

「くそ……」


 つまり今の“合法範囲の支援”すら、敵の観測対象になっている。


 違法か合法かは問題じゃない。

 澪が危険域に入った時、どの卓が、どの速さで、どのルートを優先したか。

 それ自体が敵へのヒントになる。


 薄氷だった。


 自分が今立っているのは、ぎりぎり割れない氷の上だ。

 一歩踏み込みすぎれば沈む。

 だが立ち止まっても、向こうからひびが広がってくる。


「榊」

 瀬名の声が低く硬い。

「ここで非公式入れたら終わるぞ」

「分かってる」

「ほんとか?」

「……今は、まだ」


 その“まだ”に、瀬名が顔をしかめる。


 戦域図では、先鋒隊がようやく味方中継圏に戻りつつあった。敵もここで深追いはしてこない。今日の目的は半分達したと見たのだろう。澪を薄い回線へ押し込み、こちらの合法支援がどこまで伸びるかを見る。それだけでも十分な収穫だ。


 前線回線が少し安定したところで、澪の短い声が入る。


『……また、ぎりぎり』


 その呟きに、冬真の心臓がひどく静かに痛む。


 また。

 ぎりぎり。

 そして、その境目で道が開く。


 澪はもう、偶然だけでは片付けていない。

 確信に近づいている。


「戦闘後、絶対なんか聞かれるぞ」

 瀬名が言う。

「……」

「その顔見る限り、もう分かってるだろ」

「ああ」


 分かっている。


 澪はたぶん、機体のことも、戦場での感覚のことも、そして自分の視線のことも、もう少しずつ繋げ始めている。

 そこへ今日の“絶妙な優先処理”まで重なれば、いよいよ気づく。


 戦況は小康状態へ戻る。

 先鋒隊の致命的損失はなし。

 戦果としては悪くない。

 だが冬真の端末には、別の意味での傷跡が残っていた。


 不自然な連続処理。

 優先順位の偏り。

 澪周辺の回線にだけ妙に正確な再接続。


 どれも単体なら説明できる。

 けれど積み重なれば、“誰かが意図している”形になる。


 その日の戦後処理の終わり際。

 管制室を出ようとした冬真を、通路の角で澪が待っていた。


 壁際に寄りかかるでもなく、ただ静かに立っている。

 前線帰りの疲れはあるはずなのに、その目は妙に澄んでいた。


「……何してる」

 冬真が言う。

「待ってた」

「何で」

「聞きたいことがあるから」


 やっぱり来た、と思う。


 澪は数歩だけ近づいて、少し声を落とした。


「私の機体」

 そこで一度区切る。

「何かしてる?」


 まっすぐだった。

 責める口調ではない。

 疑い切った声でもない。

 ただ、本当に知りたいときの澪の声だった。


 冬真は一瞬だけ息を止める。


 聞かれると分かっていた。

 なのに、準備していた言葉は一つも役に立たなかった。


「調整はしてる」

 ようやく出たのは、それだけだ。

「それ、普通の範囲で?」

「……」

「冬真」


 名前を呼ばれる。

 逃げ道をなくすように。


 冬真は視線を逸らした。

 完全な否定もできない。

 肯定もできない。

 その沈黙だけで、たぶんいくつかの答えになってしまっている。


 澪はそれ以上は迫らなかった。

 ただ少しだけ、困ったように笑う。


「やっぱり、何かあるんだ」

「……」

「でも、今すぐ言えないなら、いい」

「澪」

「ただ」


 澪はほんの少しだけ目を細めた。


「助けられてるなら、ちゃんと知りたいとは思うよ」

「……」

「怖いからじゃなくて、信じたいから」


 その言葉に、冬真は何も返せなかった。


 信じたい。

 その言い方がいちばん困る。

 疑われるより、ずっと。


 通路の向こうで誰かの足音がした。

 澪は小さく息をつき、これ以上は聞かないというふうに一歩引く。


「今日はそれだけ」

「……そうか」

「でも、その顔は覚えた」


 そう言って澪は去っていく。


 残された冬真は、通路の壁にもたれたい衝動をどうにか抑えた。


 薄氷の回線。

 敵にも、

 味方にも、

 そして澪にも、

 もうひびの音は聞こえ始めている。


 その氷の上でなお、自分は次も立ち続けるしかないのだと、

 冬真は嫌というほど分かっていた。


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