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きみを守るのは、ぼくの知られない戦争  作者: 最後に残った形


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第2章 第6話:敵の目


 戦場を見る目は、一つでは足りない。


 前線の兵士は自分の射界を見る。

 指揮官は戦線の流れを見る。

 後方支援は、そこにまだ現れていない崩れ方を見る。


 そして敵が本当に厄介なとき、向こうにもまた、こちらと同じように“全体を見ている目”がある。


 それは、火力より先に人の癖を読む目だ。


 相模第七防衛区画、戦術支援管制室。


 壁面モニタには、前回作戦の戦後解析がまだ残っていた。暁式参号の損傷ログ、先鋒の突破経路、敵中型機の照準同期誤差、そして“説明不能”として処理されたごく短いノイズの痕跡。誰に見せてもそれだけでは断定材料にならない、だが知っている人間には十分すぎる一行たちだ。


 榊冬真は、その一つ一つを無言で見ていた。


 隣では瀬名が紙端末をめくりながら、深いため息をつく。


「嫌な予感しかしない」

「予感じゃない」

 冬真が言う。

「もう来てる」

「言い方がもっと嫌なんだよ」


 冬真は新しい敵通信分析を共有画面へ送った。拾えたのは断片だけだ。だが断片の質が変わっている。前は“探っている”だけだったものが、今は“絞り込んでいる”動きに変わっていた。


 前線追尾帯域。

 補助中継の負荷変動。

 機体応答補助の更新周期。


 どれも単体なら意味を持たない。

 だが全部を重ねれば、澪の生存率だけが異常に高いことと、その背後にある“意図”に近づける。


「敵側、先鋒の被弾致命率だけ重点再計算してる」

 瀬名が言う。

「しかも時系列が天城少尉の出撃回から偏ってる」

「ああ」

「完全に英雄様だけ別枠だな」

「そうだ」


 そのとき、共有画面の一角に新しい断片映像が上がった。

 敵側の戦後処理らしきログだ。

 ノイズは多いが、輪郭は見えた。


 崩れた工業地帯の奥。

 薄暗い高架下。

 複数の敵機が停止したまま並んでいる。

 その中央、背部に長い通信ブレードを持つ機体――あの敵指揮型が立っていた。


 人型に近いのに、妙に人間味がない。

 細いセンサー群が周囲を撫でるように動き、まるで視線そのものが金属化したようだった。


「来たな」

 瀬名が低く言う。

「ああ」


 映像に音声復元がかかる。

 歪んだ機械ノイズの向こうに、複数の声があった。


『――先鋒機、依然高生存』

『――偶然率、閾値以下』

『――支援介在の可能性』

『――照準誤差、環境要因では説明不能』


 そこまでで十分だった。


 冬真は無意識に、机の端へ置いた指に力を入れていた。

 敵はもう“可能性”の段階を越えつつある。

 誰かがいると見ている。


 続けて、別の声が入る。

 落ち着きすぎていて、感情が薄い。


『英雄機を折るより、支える指を折るほうが早い』


 管制室の空気がひやりと冷えた気がした。


 瀬名が露骨に顔をしかめる。


「うわ、言い切った」

「ああ」

「最悪」

「そうだな」


 英雄を狙うのではなく、その背後にいる見えない支援者を狙う。

 合理的だ。

 そしてひどく、嫌な発想だった。


 冬真は敵音声ログを保存しながら、画面の波形へ目を走らせる。話しているのはおそらく敵電子戦担当、あるいは後方指揮官だ。前線で撃つ人間じゃない。こちらと同じように、戦場の流れを後ろから組み替える側の声。


 同業者みたいなものだ、と冬真は思う。

 だからなおさら、手癖が読まれる。


『観測対象、英雄機周辺の回線偏差』

『次段階、反応位置の絞り込み』

『介入時間、周期、優先順位を解析』


 優先順位。


 その単語に、冬真の目が細くなる。

 向こうは回線だけ見ているわけじゃない。

 自分が“何を優先して守るか”まで読もうとしている。


 つまり、澪だけじゃない。

 澪の僚機、撤退線、補給中継、どこで手を出すか、どこでは出さないか。

 そういう癖まで捕まえようとしている。


「お前、完全に見られてるぞ」

 瀬名が言う。

「まだ特定はされてない」

「慰めにもならねえ」

「ならなくていい」

「お前な……」


 瀬名は呆れたように息を吐いたが、その視線はすぐに別のログへ移る。彼も状況の深刻さは分かっている。


 敵の狙いが“支援者の絞り込み”に移った以上、もう問題は澪一人の生存率では済まない。冬真が動けば、その痕跡は敵に読まれる。動かなければ、澪が危険に晒される。しかもその間で、味方側のログ監視もじわじわ厳しくなっている。


 隠れ続ける難易度が、段違いに上がっていた。


「昨日の未申請補正、管理AIの再確認入ってる」

 瀬名が別窓を見ながら言う。

「一次承認済みでも、後追い監視かかってるな」

「想定内だ」

「想定内で済ませる顔じゃないだろ」

「……」


 冬真は答えず、敵映像のフレームを止めた。


 背部ブレードを持つ敵指揮型。

 その足元に散らばる複数の解析ウィンドウ。

 そこには澪の戦闘ログらしき線が重なっていた。

 白い機体の移動軌跡。

 回避角度。

 被弾タイミング。

 そして、そのたびにわずかにずれる“何か”。


 敵はもう、暁式参号そのものではなく、その“不自然な守られ方”を見ている。


 そのとき、管制室の通信卓から新しい通知が入った。


「逆探知痕、追加検出!」

「どこだ」

 瀬名が即座に応じる。

「補助制御帯域の表層です。かなり浅いですけど、複数回」

「……やっぱり来てるな」

 瀬名が低く言う。


 冬真はログを引き寄せた。


 浅い。

 だが執拗だ。

 特定の時間帯に集中している。

 そしてその時間帯は、澪機の補助制御更新や、冬真が整備区画で手を入れたタイミングと薄く重なっている。


「まずいな」

 瀬名が言う。

「お前の使ってる帯域、だいぶ絞られてる」

「ああ」

「まさか整備側まで読まれるとは思わなかった」

「向こうも本気なんだろう」

「ほんと嫌な相手だな」


 冬真は無言のままログを追う。

 逆探知の深さはまだ浅い。

 完全な侵入には遠い。

 だが、“どこを嗅げば反応があるか”はもう掴み始めている。


 その事実は、戦場の最前線にいる時よりむしろ嫌だった。

 見えない場所から、見えない形で近づかれている感覚がある。


 敵の目は、火線の向こうだけにあるんじゃない。

 今はもう、こちらのシステムの表面を撫でるところまで来ている。


「榊」

 瀬名が静かに呼ぶ。

「なんだ」

「ここで一回、本気で考えろ」

「何を」

「止まるかどうかだよ」


 その言葉で、冬真の視線がわずかに止まる。


「今ならまだ、引き返せる」

 瀬名は続ける。

「天城少尉の生存率が高いのは、本人の腕でも説明がつく。お前の補正も、今のところは“やりすぎな後方担当”で済む」

「……」

「でも次に深く手を入れたら、敵にも味方にも“偶然じゃない”って輪郭が濃くなる」


 正しい。

 全部、正しい。


 合理で言えば、ここで止めるべきだ。

 澪の自力を信じて、正式な支援の範囲に留めるべきだ。

 そうすれば少なくとも、自分が敵の標的として明確になる可能性は下がる。


 けれど冬真の頭に浮かぶのは、そういう正しさではなかった。


 澪が包囲の中心に置かれたときの白い機影。

 半歩ずれた死線。

 “また、あの感じ”と呟いた声。

 そして整備区画で、息が詰まると零した顔。


「……引けない」

 冬真は短く答えた。

「だろうな」

 瀬名は即座に返した。

「言うと思った」

「止めないのか」

「止めて止まるなら苦労しねえよ」


 その言い方は呆れているのに、どこかもう腹を括っている響きもあった。


 壁面モニタの隅で、新しい敵断片ログが展開される。

 今度は音声ではなく解析メモに近い。


 英雄機:高優先観測対象

 背後支援:局地介入型

 推定特性:反応遅延を嫌う/致命局面で介入/英雄機優先


 冬真はその最後の一行を見て、目を細めた。


 英雄機優先。


 当たっている。

 当たりすぎている。


 澪が絡めば、自分の優先順位は簡単に歪む。

 それを敵はもう“特性”として扱い始めている。


「ほら」

 瀬名が嫌そうに笑う。

「分析されてるぞ、お前の恋心」

「恋心じゃない」

「その即答も含めて分析材料だろうな」

「……」

「冗談だよ。半分は」


 半分、というのが妙に現実的で嫌だった。


 通信卓の別窓に、次作戦の候補リストが表示される。

 前線の危険任務案。

 敵指揮ノードの位置特定。

 中継再接続を兼ねた前進観測。

 そして、その先鋒候補欄に当然のように天城澪の名がある。


 敵に見られている。

 味方から期待されている。

 そしてその間で、自分だけが“守るために何を捨てるか”を問われ始めている。


「ほんと、嫌なタイミングだな」

 瀬名が呟く。

「ああ」

「向こうが来るのも、上が天城少尉を前に出したがるのも、全部同時だ」

「……分かってる」


 分かっている。

 だからこそ余計に、逃げ場がない。


 そのとき、不意に管制室の自動扉が開いた。

 入ってきたのは整備主任だった。珍しく少しだけ険しい顔をしている。


「榊さん」

「何だ」

「暁式参号の補助制御、外側から浅く撫でられた痕跡があります」

「……どの層だ」

「表層だけです。でも、普通じゃない」


 冬真と瀬名が同時に顔を上げる。


「敵か?」

 瀬名が訊く。

「断定はできません。ただ、こっちの通常監視じゃ拾わないくらい薄い」

「ログは」

「保存してあります」


 整備主任が端末を差し出す。

 そこには、暁式参号の補助制御帯域へ一瞬だけ触れた、細く浅い探索痕が残っていた。


 直接の侵入じゃない。

 だが、機体そのものにまで“目”が近づいている。


「……早いな」

 冬真が低く言う。

「まじでここまで来るか」

 瀬名が顔をしかめる。


 整備主任は二人の様子を見比べてから、小さく首を傾げた。


「何か知ってます?」

「まだ断定はできない」

 冬真は短く答える。

「でも、今後は暁式参号の監視を一段上げてください」

「了解です。……やっぱり、ただの英雄機じゃないんですね」

 主任のその一言に、冬真は何も返さなかった。


 ただの英雄機じゃない。

 その通りだ。


 澪自身が戦場の象徴であると同時に、その白い機体はもう、敵にとっても味方にとっても“何かが隠れている場所”になりつつある。


 整備主任が去ったあと、管制室の空気はさらに重くなった。


「榊」

 瀬名が小さく呼ぶ。

「お前、もう守る側のつもりだろうけどさ」

「……」

「片足どころか、だいぶ戦場の中心に入ってるぞ」


 冬真は視線を壁面モニタへ戻した。


 澪の名前。

 敵の目。

 白い機体。

 補助制御帯域に残る浅い痕。


 全部が一本の線になってきている。


 守るために手を伸ばすほど、その手そのものが次の標的になる。

 それでも今さら、手を引くという選択肢だけは見えなかった。


「それでも引けない」

 冬真がもう一度言う。

「知ってる」

 瀬名は短く返した。

「だから胃が痛いんだよ」


 軽口の形をしていても、その声は少しだけ疲れていた。


 敵の目は、もう前線の向こうだけにあるわけじゃない。

 こちらの回線に、

 機体に、

 判断に、

 そしてたぶん、いずれは人間関係にまで向いてくる。


 その入口に立ってしまったことを、冬真ははっきり理解していた。


 理解した上でなお、

 次に澪が危険域へ置かれたら、自分はまた手を出すだろうとも分かっていた。


 それがいちばん救いがなくて、

 いちばん確かな事実だった。


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