なんか一つ目が一番嫌らしい
出発の朝は、まだ暗いうちに集まった。
学園の裏門に、班ごとに並ぶ。
天幕。
食料。
水袋。
着替え。
配られた紙のとおりに詰めた荷は、思ったより重かった。
「重い」
レオスが、さっそく言った。
「一週間分です」
「分かってるけど、重い」
「はい」
そこは、同意した。
サーナは、荷を背負っても姿勢が変わらなかった。
足の幅が広いからか、重さの乗せ方がうまい。
ソリスは、黙って立っていた。
荷が重いのかどうかも、顔に出ない。
ウィルが来た。
やはり、足音がしない。
「揃ってるな。行くぞ」
それだけで、歩き出した。
説明は、道の途中でするらしい。
⸻
森は、王都から半日ほどの場所にあった。
道は整っていた。
最初のうちは。
森に入ると、道が細くなる。
土が湿ってくる。
木が高くなり、光が減る。
「このあたりは、まだ浅い」
ウィルが言った。
「魔物は、めったに出ない。出ても弱い。研修用の森だ」
安全な森、ということらしい。
少し歩くと、開けた場所に出た。
野営地らしい。
焚き火の跡がある。
毎年、ここを使っているのだろう。
「今日はまず、天幕を張れ。それから、一つ目の依頼だ」
班の四人が、少し身構えた。
一つ目。
奉仕作業。
ウィルが、森の奥を指した。
「この先に、村へ流れる水路がある。詰まってる」
水路。
「落ち葉、泥、倒れた枝。溜まって、水が流れにくくなってる。それを、さらう」
さらう。
つまり。
「ドブ掃除ですか」
レオスが言った。
「そうだ」
はっきりしていた。
班の空気が、目に見えて落ちた。
「討伐じゃなくて?」
「一つ目は、これだ」
サーナが、少し口を開けた。
だが、何も言わなかった。
言いたいことは、顔に出ていた。
「この水路は、下流の村が使ってる。飲み水じゃないが、畑に引く水だ。詰まれば、村が困る」
班の四人が、黙った。
「冒険者の依頼は、魔物を斬るだけじゃない。むしろ、こういうのが多い。地味で、誰かの役に立つ」
ウィルは、荷から道具を出した。
木の熊手が二本。
桶が二つ。
それを地面に置く。
「足りないのは、わざとだ。どう使うかも、依頼のうちだ」
それだけ言って、背を向けた。
「え」
レオスが声を上げた。
「先輩、一緒にやらないんですか」
「やらない」
ウィルは振り向かなかった。
「これは、お前たちの依頼だ。俺のじゃない」
「でも、やり方とか」
「村の水路だ。難しくない。終わったら、次を教える」
歩き出す。
「じゃあ、頑張れ」
軽い言い方だった。
そして、木々の間へ入っていった。
足音は、最初からしていない。
姿が、すぐに見えなくなった。
残されたのは、四人だった。
「……行っちゃった」
レオスが、間の抜けた声を出した。
「行きましたね」
「引率って、こういうものなの?」
「分かりません」
初めての研修だ。
去年は、なかった。
こういうものなのか、そうでないのか、判断できない。
サーナが、息を吐いた。
「まあ、やるしかないでしょ」
仕切りに戻った。
早い。
「泥だらけになるやつ、行くよ」
⸻
水路は、思っていたより、ひどかった。
落ち葉が積もり、泥が溜まり、枝が絡んでいる。
水は、ほとんど流れていない。
淀んで、少し匂う。
「うわ」
レオスが顔をしかめた。
「これ、素手のとこもあるよな」
「熊手が二本しかありません」
「だよなあ」
サーナが、道具を見た。
「二人がさらって、二人が運ぶ?」
すぐに割り振ろうとする。
そこで、少し考えた。
見えたら、言う。
記録板に書いた。
今が、その時かもしれない。
「サーナさん」
「ん?」
「その前に、上流を見た方がいいと思います」
サーナが、こちらを見た。
「上流?」
「はい。ここを掻き出しても、上で詰まっていたら、また流れてきます」
言いながら、少し緊張した。
三年生に、意見を言っている。
仕切っている人に、別のやり方を言っている。
「上から順にやらないと、下を綺麗にしても、また溜まります」
サーナは、少し黙った。
言い返されるかと思った。
だが、違った。
「……確かに」
上流の方を見る。
「先に上、見た方がいいか」
「はい」
「よく気づいたね」
その言い方は、素直だった。
仕切る人だが、意地は張らないらしい。
「畑の水路は、村でも見ていたので」
「あー、そういうこと」
サーナが頷いた。
⸻
上流を見ると、案の定、大きな枝が詰まっていた。
そこで水が堰き止められ、下流に泥が溜まっていた。
「これか」
サーナが、枝を掴む。
「重い。ソリス、風でどうにかならない?」
ソリスが、枝を見た。
少し考える。
それから、杖を向けた。
風が、枝の下に潜り込む。
枝が、少し浮いた。
その隙に、サーナが引く。
枝が動いた。
「お、いける」
「風、こういう使い方もあるんですね」
俺が言うと、ソリスは小さく頷いた。
「押す。浮かす。逸らす」
三語だった。
だが、それで分かった。
攻撃の風ではない。
物を動かす風だ。
カイルの水と風に、少し似ている。
でも、ソリスのは、もっと静かだった。
枝が抜けると、水が動き出した。
淀んでいた水路に、流れが戻る。
下流の泥が、少し押し流された。
「上からやると、楽だな」
レオスが言った。
「はい」
「ヨウカ、頭いいな」
「畑の水路と同じです」
「それが分かるのが、頭いいんだよ」
そういうものだろうか。
村では、当たり前のことだった。
⸻
上から順に、詰まりを取っていった。
枝はソリスの風で浮かせ、サーナが引く。
泥はレオスと二人で掻き出す。
運ぶのは、交代でやった。
役割は、最初にサーナが決めたものから、少しずつ変わった。
誰が何をするか、やりながら決まっていく。
昼を過ぎる頃には、手も服も泥だらけだった。
匂いも染みついた。
「風呂、ないんだよな……」
レオスが、遠い目をした。
「ありません」
「この泥のまま寝るの?」
「洗える場所を探した方がいいです」
「洗える場所?」
「上流の、詰まりを取った先です。水が綺麗になっているはずです」
レオスの顔が、明るくなった。
「天才か?」
「水の流れの話です」
サーナが笑った。
「ヨウカ、水のこと詳しいね」
「畑と、あと、体を清潔にするのは大事なので」
言ってから、少し説明を足した。
「傷口に汚れが入ると、化膿します。野営中は、特に」
サーナの顔が、少し変わった。
「それ、大事なやつ?」
「大事です。応急処置より前に、清潔にする方が大事なこともあります」
「へえ」
サーナが、自分の手を見た。
泥で汚れている。
「今度から、聞くわ。そういうの」
「はい」
少しだけ、班の中に居場所ができた気がした。
戦う場面ではない。
でも、俺にできることが、ここにはあった。
⸻
作業が終わる頃には、日が傾いていた。
水路は、流れを取り戻していた。
淀みが消え、匂いも薄くなっている。
下流の村の畑に、水が届くだろう。
「これで、終わりでいいのかな」
レオスが、水路を見て言った。
「終わりだと思います」
「ウィルさん、いないけど」
そうだった。
終わったかどうかを、判断する人がいない。
「流れは戻っています。詰まりも、上から下まで取りました」
「じゃあ、終わりだよな」
「たぶん」
サーナが、水路の端から端まで歩いて確かめた。
「うん。もう詰まってるとこ、ない」
それで、終わりにした。
誰かに「終わり」と言ってもらったわけではない。
自分たちで、そう決めた。
少し、落ち着かない。
でも、たぶん、それでいいのだろう。
⸻
上流へ戻り、綺麗になった水で手と顔を洗った。
冷たい。
だが、気持ちよかった。
「ドブ掃除で、こんな疲れると思わなかった」
レオスが言った。
「討伐より疲れたかも」
サーナも言う。
「討伐、まだしてないですよ」
「あ、そうだった」
四人で、少し笑った。
朝は、他人だった。
今は、少しだけ話せる。
一日、同じ泥をさらっただけだ。
それでも、変わるものがあるらしい。
⸻
野営地に戻ると、焚き火のそばにウィルがいた。
いつからいたのか、分からない。
「終わったか」
「終わりました」
サーナが言った。
「上から順に、全部取りました。流れも戻っています」
「そうか」
ウィルは、それだけ言った。
確かめに行くわけでもない。
褒めるわけでもない。
「飯にしろ。明日は探索だ」
それで、終わりだった。
本当に見ていないのか、どこかで見ていたのか。
分からない。
ただ、こちらが「終わった」と言えば、そうか、と返すだけだった。
⸻
夜、焚き火のそばで、記録板を開いた。
研修一日目。奉仕作業=水路の掃除。
下流の村の、畑の水。詰まると村が困る。
道具が足りない。上から順にやると効率がいい。
枝=ソリスの風で浮かせる。泥=掻き出して運ぶ。
清潔にすることの大事さを、少し話せた。
ウィルは、説明だけして消えた。作業は、自分たちだけでやった。
そこまで書いて、少し考えた。
今日、一つ、言えた。
上流を先に、と。
三年生に、仕切っている人に、別のやり方を言った。
言い返されるかと思った。
でも、サーナさんは聞いてくれた。
たぶん、言い方も大事だった。
否定ではなく、こうした方がいい、と言った。
村の水路の話として言った。
自分の手柄にはしなかった。
それが、良かったのかもしれない。
記録板に、一行足した。
見えたら、言えた。今日は。
書いてから、少し安心した。
でも、まだ一日目だ。
明日から、探索。
そして、討伐。
戦う場面で、同じことができるかは、分からない。
焚き火の向こうで、サーナが何か話している。
ソリスは、聞いているのか、いないのか、分からない顔をしている。
レオスは、もう眠そうだった。
知らない人と、一週間。
まだ、始まったばかりだ。




