なんかまた忙しくなるらしい
村を出る朝は、よく晴れていた。
荷物は、来た時より少しだけ増えている。
アンナが持たせた保存食。
ヨシュアが手入れした短剣。
薬草の小袋。
それから、ルカが「持っていけ」と渡してきた木の輪。
断れなかった。
「これは、ルカのものでは」
「あげる」
「大事なものでは」
「あげる」
二回言われた。
本気らしい。
荷物の隙間に、木の輪を差した。
持って帰るには、少し大きい。
でも、置いていくのは違う気がした。
⸻
家の前に、カリンが来ていた。
セリアさんとレナードさんも一緒だ。
「ヨウカ、おはよう」
「おはようございます」
セリアさんが、俺を見て少し笑った。
「大きくなったわね」
「そうですか」
「夏より」
みんな、同じことを言う。
自分では分からない。
「カリンと、ちゃんと話せたって聞いたわ」
セリアさんの声は柔らかかった。
「はい」
「よかった」
それだけ言って、セリアさんはカリンの方を見た。
カリンが少し目を逸らす。
たぶん、昨日のうちに全部話したのだろう。
順位戦のことも。
俺と話したことも。
セリアさんは、何を言ったかより、何を言わなかったかを見る人だ。
だから、カリンが話せたなら、それで安心したのだと思う。
レナードさんは、カリンの荷物を一度確認していた。
「盾は」
「持った」
「剣は」
「持った」
「なら、いい」
短い。
ヨシュアと少し似ている。
父親というのは、そういうものなのかもしれない。
⸻
アンナが家から出てきた。
手に、小さな包みを持っている。
「これ、道中で食べなさい」
「まだ持てます」
「持てるうちは持ちなさい」
反論できない。
包みを受け取る。
温かかった。
たった今、作ったのだろう。
「ヨウカ」
「はい」
「無理はしない」
「はい」
「でも、必要な時は無理をする」
矛盾している。
でも、分かる。
「はい」
アンナが少し笑った。
「分かってる顔ね」
「分かったつもりです」
「それでいい」
アンナは俺の頭に手を置いた。
昨日と同じ手だった。
それから、ヨシュアの方を見る。
ヨシュアは荷物を馬車へ積む手を止めて、こちらへ来た。
「腕を伸ばせ」
「はい」
「まだ短い。でも、伸びる」
「はい」
「次に帰ってくる時は、もう少し伸びていろ」
それは、届く距離の話だった。
「はい」
ヨシュアが、俺の肩を一度だけ叩いた。
軽く。
でも、手の重さは残った。
⸻
ルカが、俺の服を掴んでいた。
さっきから、離さない。
「ねえちゃ」
「はい」
「いく?」
「行きます」
「いかないで」
胸の奥が、少し痛んだ。
膝をつく。
ルカと目を合わせる。
「また帰ってきます」
「いつ?」
「少ししたら」
「すぐ?」
すぐ、ではない。
でも、そう言った方がいいのかもしれない。
迷った。
「……すぐじゃない。でも、帰ってくる」
また、言葉が崩れた。
今度は、直そうとも思わなかった。
ルカが俺を見た。
それから、掴んでいた服を、少しだけ緩めた。
「かえってくる?」
「帰ってくる」
「やくそく?」
「約束」
ルカが頷いた。
まだ不安そうだった。
でも、手を離した。
木の輪は、俺の荷物の中にある。
「これ、ルカが投げるより上手に投げます」
「なげる?」
「はい。次に帰ってきたら、見せます」
「みる」
少しだけ、機嫌が戻った。
子どもは、次の約束があると強い。
俺は立ち上がった。
アンナがルカを抱き上げる。
ルカはアンナの腕の中から、俺を見ていた。
手を振る。
少しずれている。
俺も振り返した。
⸻
馬車が動き出した。
村が、後ろへ流れていく。
家。
薬草棚のある窓。
広場の平たい石。
畑。
アンナ。
ヨシュア。
ルカ。
セリアさん。
レナードさん。
みんな、そこにいた。
夏に帰った時も見た景色だ。
それでも、今日は少し違って見えた。
「ヨウカ」
隣で、カリンが言った。
「はい」
「泣きそう?」
「泣きません」
「そう」
「カリンは」
「私も、泣かない」
二人とも、窓の外を見ていた。
村の入り口が見えなくなるまで。
⸻
道が森に入ると、村は完全に見えなくなった。
馬車の揺れだけが残る。
「順位戦の次、どうする?」
カリンが聞いた。
「次?」
「来年も、ある」
そうだ。
順位戦は、来年もある。
今年、俺は序列外だった。
ディオンさんに負けた。
「来年は、届きたいです」
「序列に?」
「はい。あと、ディオンさんにも」
「風刃?」
「はい」
今は、見えなかった。
鑑定にも映らなかった。
でも、来年はどうだろう。
分からない。
分からないけれど、今よりは近づきたい。
「カリンは」
「私は、上に行く」
「二十一位より?」
「もっと上」
迷いがなかった。
「エルナ会長とか、ロデュウ先輩とか」
「あの人たちに?」
「まだ届かない。でも、行く」
カリンは前を見ていた。
その横顔は、フィル村にいた頃より、少し遠くを見ていた。
遠い。
でも、下は見ていない。
「私も、行きます」
言うと、カリンがこちらを見た。
「一緒に?」
「同じ場所ではないかもしれません。でも、行きます」
カリンが小さく笑った。
「なら、また競える」
「勝てませんよ」
「今はね」
今は。
その言い方が、少し悔しくて、少し嬉しかった。
⸻
ルーベルで、フィル村の大人たちと別れた。
そこから先は、また学園方面の馬車列に合流する。
王都へ戻る道。
来た時と同じ道のはずなのに、少しだけ短く感じた。
帰りは、いつもそうだ。
馬車の中で、荷物を確かめる。
保存食。
短剣。
薬草。
アンナの包み。
それから、ルカの木の輪。
持ってきてよかった、と思う。
学園の部屋に置いておけば、フィル村を思い出せる。
「ヨウカ」
カリンが言った。
「その輪、何?」
「ルカにもらいました」
「弟の?」
「はい」
「大事にしてるんだ」
「大事です」
そこは、迷わなかった。
カリンが少し笑って、また窓の外を見た。
⸻
学園が近づく頃には、日が傾いていた。
石畳の道。
高い塀。
見慣れた門。
夏の休みが終わって戻ってきた時と、同じ景色。
でも、あの時とは持っているものが違う。
順位戦を戦った。
二年生に二回勝った。
三年生に負けた。
投擲と短剣が上がった。
問診も上がった。
精霊を見抜かれた。
カリンと、ちゃんと話した。
家族に、硝子の日のことを話した。
夏には、どれも持っていなかった。
馬車が門の前で止まる。
「着いた」
カリンが先に降りた。
俺も続く。
学園の空気は、フィル村とは違う。
石と、人と、魔力の匂い。
帰ってきた、とは少し違う。
戻ってきた、の方が近い。
ここは、家ではない。
でも、ここでやることがある。
「じゃあ、また」
カリンが手を上げた。
三年生の寮は、別の棟だ。
「はい。また」
カリンが歩いていく。
その背中を見送ってから、俺も自分の寮へ向かった。
⸻
部屋に戻ると、リーナがいた。
「ヨウカさん、おかえりなさい!」
「ただいま戻りました」
マリベルも顔を上げる。
「あら、無事に帰ってきたのね」
「無事です」
エレシアが、静かに頷いた。
「おかえりなさい」
部屋の空気が、少しだけ緩む。
フィル村とは違う。
でも、ここにも、知っている顔がある。
「フィル村、どうでした?」
リーナが聞いた。
「変わっていませんでした」
「いいですね」
「はい。いいです」
荷物を置く。
木の輪を、机の端に立てかけた。
リーナがそれを見る。
「それは?」
「弟にもらいました」
「弟さん、いるんですね」
「はい。ルカといいます」
話すことは、たくさんある。
順位戦のこと。
家族のこと。
村の子たちのこと。
でも、それは少しずつでいい。
⸻
夜、記録板を開いた。
帰省、終了。
家族に、順位戦の話をした。勝った話も、負けた話も。
硝子の日のことも話した。手が震えたことも。
村の子どもたちに、投擲の話をした。
ルカが、木の輪をくれた。
カリンと、同じ馬車で帰ってきた。
そこまで書いて、手を止めた。
書いていないことが、一つある。
アンナが、「その話は、あとで」と言った。
父さんの、昔の話。
名前が勝手に歩く、と言った時の顔。
聞かないままだった。
たぶん、今はまだ聞く時ではない。
アンナが「あとで」と言う時は、本当にあとで話す。
だから、待つ。
記録板に、一行だけ足した。
まだ、聞いていないことがある。
記録板を閉じる。
明日から、また学園の日々が始まる。
授業。
訓練。
順位戦の、次の一年。
そして、少ししたら。
新入生が入ってくる。
そうか。
来年は、俺が先輩になるのか。
今まで、上を見てばかりだった。
カリン。
カイル。
上級生。
序列。
見上げる相手ばかりだった。
でも、下ができる。
後ろに、誰かが来る。
どう接すればいいのか、まだ分からない。
分からないけれど、たぶん。
また、忙しくなる。




