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なんか捨て子の女の子に転生したらしい  作者: ダレイワス1世
第六章 アレクシア学園一年目序列戦編
89/163

なんか名前は勝手に歩くらしい

朝食のあと、アンナは椀を片づける手を止めなかった。

 

それでも、声だけこちらへ飛んできた。

 

「ヨウカ」

 

「はい」

 

「勝った話」

 

覚えていた。

 

忘れているとは思っていなかったが、順番まで覚えているとは思わなかった。

 

「今からですか」

 

「洗い終わるまでに始めなさい」

 

条件が厳しい。

 

ヨシュアは土間の椅子に座って、短剣の手入れをしていた。

 

自分のではない。

 

俺の訓練用だ。

 

昨日、板に何度も当てたから、縁が少し傷んでいる。

 

「一人目から」

 

ヨシュアが言った。

 

聞く体勢はできているらしい。

 

⸻

 

「一人目は、ガルドさんです」

 

「槍だったわね」

 

「はい。二年生で、去年は下剋上をした人です」

 

アンナの手が一瞬止まった。

 

「初戦でそれ?」

 

「はい」

 

「くじ、ひどいわね」

 

「ひどかったです」

 

本当にひどかった。

 

「長さは」

 

ヨシュアが聞いた。

 

「私の身長より、かなり上です。構えた時点で、こちらの短剣は届きません」

 

「踏み込みは」

 

「速くありません。でも、戻しが速いです」

 

ヨシュアが手を止めた。

 

「面倒だな」

 

「面倒でした」

 

「どうした」

 

「最初は、押されました」

 

そこは正確に言う必要がある。

 

「一度だけ内側に入って、袖をかすめました。でも、そこから相手が変わりました。木球は弾かれて、光も外されて、闇を出せば引かれました」

 

「通した手が潰されたわけね」

 

アンナが後ろから言った。

 

「はい」

 

「それで?」

 

「押し返されて、結界の縁が近くなりました」

 

アンナが振り向いた。

 

濡れた手を布で拭いている。

 

「負ける流れじゃない」

 

「はい」

 

「でも勝った」

 

「はい」

 

「どこで変えたの」

 

そこを聞くのか。

 

やはりそこを聞く。

 

「踵です」

 

ヨシュアが顔を上げた。

 

「踵?」

 

「ガルドさんは、突いた後に必ず戻します。その時、左の踵が同じ場所に残っていました。二回続けて、同じ場所でした」

 

言いながら、自分の足で位置を作る。

 

「ここです。結界の縁の、すぐ内側」

 

アンナが布を置いた。

 

腕を組んで、俺の足元を見ている。

 

「それで、そこを狙ったの?」

 

「いえ」

 

「違うの?」

 

「そこは踏ませたままにしました。動かしたのは、前足の方です」

 

木球を前に置くふりをする。

 

「前足の手前に投げると、踏まずに外へ逃げます。逃げると、体が少し開きます。開いたところで、槍を戻す手の横に光を出しました」

 

「止まるわね」

 

「一瞬です。その間に前へ出て、二つ目を槍の後ろの端に当てました。手元が浮きます」

 

ヨシュアが小さく頷いた。

 

「そこまでで、踵は動いていないわけだ」

 

「はい。縁の内側に残ったままです」

 

「あとは」

 

「足元に光を出しました。反射で足が引かれて、踵が縁に触れました」

 

静かになった。

 

アンナが息を吐く。

 

それから、笑った。

 

声を出して笑った。

 

「あんた、性格悪いわね」

 

「褒めていますか」

 

「褒めてるわ」

 

ヨシュアも、口の端が少し上がっていた。

 

「相手には言われたか」

 

「嫌なところに投げる、と言われました」

 

「それは勝ちだな」

 

基準がおかしい。

 

でも、この家ではそれが基準らしい。

 

⸻

 

「二人目は」

 

「ラウルさんです。剣と、土の小さい魔法を使う人でした」

 

「相性が悪いじゃない」

 

アンナがすぐに言った。

 

「悪かったです。足元を乱されると、投げるのも入るのも遅れます」

 

「どうしたの」

 

「最初は何もできませんでした。投げれば弾かれて、入れば押されて、逃げる先の土を盛られました」

 

思い出すと、今でも嫌になる。

 

「でも、土を動かす時だけ、剣先が下がっていました」

 

アンナの目が細くなる。

 

「同時にできないのね」

 

「はい。左手で腰の札を使っていました。札から土に流れていたので、そこを木球で撃ちました」

 

「壊したの?」

 

「壊れません。でも、流れが乱れて、土が崩れました」

 

ヨシュアが短剣を布で拭き、鞘に戻した。

 

「よく見つけたな」

 

「光を出した時に、剣が止まったので。その一瞬だけ、手を見る余裕がありました」

 

「牽制を、見るために使ったわけだ」

 

「はい」

 

ヨシュアはそれ以上言わなかった。

 

だが、短剣を置く手つきが、少しだけ丁寧になった気がした。

 

⸻

 

「ねえちゃ!」

 

予告どおりだった。

 

ルカが土間から入ってきた。

 

手には木の輪。

 

昨日と同じものだ。

 

「なげて」

 

「今、話をしています」

 

「なげて」

 

「後で投げます」

 

「いま」

 

交渉が成立しない。

 

アンナが笑いながらルカを抱え上げた。

 

「ルカ。お姉ちゃんは今、自慢してるの」

 

「していません」

 

「してるわよ」

 

「報告です」

 

「同じよ」

 

違うと思う。

 

ルカはアンナの腕の中で、俺の方へ木の輪を差し出し続けている。

 

諦めが悪い。

 

ヨシュアが手を伸ばして、輪を受け取った。

 

それから、土間の柱に軽く投げた。

 

輪が柱に引っかかる。

 

ルカの目が丸くなった。

 

「……とうちゃ」

 

「拾ってこい」

 

ルカが下ろされて、走っていく。

 

時間を稼いだらしい。

 

「早い」

 

「二人目だからな」

 

ヨシュアは平然としていた。

 

⸻

 

「それで」

 

アンナが座った。

 

「まだあるでしょう」

 

分かるのか。

 

いや、分かるのだろう。

 

「三人目のことは、昨日話しました」

 

「そっちじゃない」

 

「……はい」

 

話す順番を考えていた。

 

考えている間に、見抜かれていたらしい。

 

「初戦の最後に、精霊に頼みました」

 

アンナの表情は変わらなかった。

 

ヨシュアも動かない。

 

「土埃を、少しだけ立ててもらいました。踵を狙う前に、視線を落としてもらうためです」

 

「命令したの?」

 

「していません。頼みました。来てくれるかは分かりませんでした」

 

「来たのね」

 

「来てくれました」

 

アンナが小さく頷いた。

 

「それで、何を言われたの」

 

飛ばされた。

 

頼んだ話ではなく、その後の話を聞かれている。

 

「順位戦の後、生徒会長に呼び止められました」

 

「生徒会長」

 

「今年の序列一位の人です。氷の魔法を使います」

 

「その人が、見てたわけね」

 

「はい。普通の土魔法ではない、と言われました」

 

アンナは何も言わない。

 

続けろ、という顔だった。

 

「精霊魔法に近いのかもしれない、と。使い方次第では強いけれど、今の私のものは不安定で珍しい、と言われました」

 

「他には」

 

「精霊は道具ではないでしょう、と」

 

そこで、アンナが少し笑った。

 

「いい人ね」

 

「いい人でした」

 

「怖くもあるけど」

 

「怖くもありました」

 

教師からの呼び出しはなかったこと。

 

危険行為とは見なされなかったこと。

 

それも話した。

 

ただ、その後に一つ残っている。

 

「周りに、聞かれていました」

 

アンナの指が、卓の上で止まった。

 

「広まった?」

 

「たぶん」

 

「たぶんじゃなくて」

 

「……広まりました。帰る前に、掲示板の前でも言われました」

 

ヨシュアが立ち上がった。

 

何かを取りに行くわけではない。

 

ただ、窓の方へ歩いて、外を見た。

 

アンナはこちらを見たままだった。

 

二人とも、驚いていない。

 

そこが引っかかった。

 

「あの」

 

「なに」

 

「怒られると思っていました」

 

「なんで」

 

「目立ちすぎたので」

 

アンナは首を横に振った。

 

「隠せた話じゃないでしょう。試合で使ったんだから」

 

「はい」

 

「見た人がいて、名前がついた。それだけよ」

 

それだけ、と言った。

 

言い方が軽くはなかった。

 

「名前は、勝手に歩く」

 

窓の方でヨシュアが言った。

 

こちらを見ていない。

 

「一度ついたら、外せない。人が先に来る」

 

「はい」

 

「善意も来る。悪意も来る」

 

カイルと同じことを言っている。

 

違うのは、カイルは公爵家の子として言い、ヨシュアは何も名乗らずに言っていることだった。

 

「父さんも、そうでしたか」

 

聞いてから、少し迷った。

 

踏み込みすぎたかもしれない。

 

ヨシュアはしばらく外を見ていた。

 

「昔の話だ」

 

それだけだった。

 

アンナが横で、卓を指で一度叩いた。

 

「その話は、あとでね」

 

「あとで」

 

「そう。あとで」

 

はぐらかされた。

 

はぐらかされたが、嘘ではない。

 

あとで、と言う時のアンナは、たいてい本当にあとで話す。

 

⸻

 

「ヨウカ」

 

アンナが座り直した。

 

「一つだけ、今言っておく」

 

「はい」

 

「頼んだなら、最後まで見なさい」

 

「見る、というのは」

 

「頼んだ結果よ」

 

アンナは自分の手のひらを上に向けた。

 

何も乗っていない手だ。

 

「土埃が立って、相手の足が止まった。そこまではあなたが見た。でも、その先で相手が転んで頭を打っていたら?」

 

「……私のせいです」

 

「そう」

 

アンナは手を下ろした。

 

「頼んだのはあなた。来てくれたのは精霊。でも、起きたことの責任はあなたが持つの」

 

「はい」

 

「頼るのは悪いことじゃない。私だってヨシュアに頼るし、ヨシュアも私に頼る」

 

ヨシュアが窓の方で小さく息を吐いた。

 

たぶん、認めている。

 

「でも、頼った結果を相手に押しつけたら、それはただの利用よ」

 

利用。

 

言葉が重かった。

 

「はい」

 

「分かった顔してるわね」

 

「分かったつもりです」

 

「じゃあ、いいわ」

 

アンナは立ち上がって、卓の椀を持った。

 

「はい、終わり。ルカが戻ってくる」

 

言い終わる前に、土間から足音が聞こえた。

 

木の輪を持っている。

 

柱から外すのに、かなり苦戦したらしい。

 

「ねえちゃ、なげて」

 

「はい」

 

今度は断らなかった。

 

⸻

 

夕方、庭で木の輪を投げた。

 

ルカが拾って、戻ってきて、また差し出す。

 

それを何度も繰り返す。

 

輪は軽くて、狙った場所には飛ばない。

 

それでいい。

 

狙わない投げ方を、久しぶりにした。

 

アンナが窓から顔を出した。

 

「日が落ちる前に戻りなさい」

 

「はい」

 

返事をしてから、少しだけ考えた。

 

昨日、一度だけ崩れた言葉。

 

戻そうと思えば戻る。

 

戻さないでいることも、たぶんできる。

 

どちらも、まだうまくできない。

 

「ねえちゃ」

 

「はい」

 

「もっかい」

 

「はい」

 

輪が飛ぶ。

 

落ちる。

 

ルカが走る。

 

それを見ながら、俺は明日のことを考えていた。

 

まだ話していないことがある。

 

硝子が割れた日のこと。

 

黒い膜で受けたこと。

 

手が震えたこと。

 

あれは、勝った話でも負けた話でもない。

 

だから、順番が来ていない。


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