なんか帰る道にも目があるらしい
出発の日の朝は、学園の門前が少し騒がしかった。
荷物を積んだ馬車。
見送りに来た家人。
護衛らしき大人たち。
行き先を確認する教師。
そして、休暇を前に浮き足立った生徒たち。
夏の帰省でも見た光景だ。
でも、今回は少し違って見えた。
順位戦が終わった。
「ヨウカ」
声がした。
振り向くと、カリンが立っていた。
制服ではなく、移動用の服。
盾は背負いやすいようにまとめられている。
剣もある。
ただの帰省なのに、戦える格好に見えた。
いや、今のカリンなら、何を着ていてもそう見えるのかもしれない。
序列二十一位。
その数字を思い出す。
「カリン、おはようございます」
「おはよう」
なんだかそわそわする思いで挨拶を交わす。
カリンは俺の荷物を一度見た。
「少ない?」
「母さんに、持ちすぎるなと書かれていました」
「アンナさんらしい」
「はい」
カリンの口元が少し緩む。
それだけで、少しフィル村が近くなった気がした。
「セリアさんとレナードさんも、帰りを楽しみにしていますか」
「うん。母さんは、ヨウカにも会いたいって」
「私にも?」
「うん」
少し、胸が温かくなる。
「ヨウカさん、、、かっカリン先輩!」
リーナが小走りで来た。
カリンを呼ぶ時には緊張が見える。
マリベルとエレシアも一緒だった。
「見送りですか」
「はい。気をつけてくださいね」
「大丈夫です。護衛もつきますし」
「そういうことじゃなくて」
リーナが少し眉を寄せた。
俺は黙った。
その顔は、反論してもあまり意味がない顔だった。
マリベルが横から口を挟む。
「ヨウカの場合、道で何も起きなくても、何かを見つけて首突っ込む可能性があるものね」
「人を何だと思っているんですか」
エレシアが静かに頷いた。
「帰省中は休むことを考えてください」
「はい」
返事はした。
守れるかは分からない。
でも、努力する。
「ヨウカ」
今度はカイルの声がした。
見ると、少し離れたところにカイルが立っていた。
その後ろには、フォルデラ家の護衛らしき大人たちがいる。
鎧を着込んでいるわけではない。
だが、立ち方が違う。
周囲を見る目。
馬車との距離。
門の外へ向く意識。
ただの付き添いではない。
「行程表は見た?」
「はい」
「今日の最初の休憩地点までは、予定通り。途中で隊列が変わるかもしれないけど、指示があったら従って」
「分かりました」
カイルはカリンにも目を向けた。
「カリン先輩も、よろしくお願いします」
「こちらこそ」
二人が短く頷き合う。
カリンは三年生。
カイルは一年生。
でも、フォルデラ家の子として話している今のカイルは、ただの後輩には見えなかった。
カイル自身も、それを分かっているのだろう。
少しだけ表情が硬い。
「カイルは帰らないんですか」
俺が聞くと、カイルは肩をすくめた。
「僕は王都に少し残る。父上に呼ばれてるから」
「順位戦のことですか」
「それもあるし、帰省馬車の警備報告もある。たぶん、色々聞かれる」
少し面倒そうに言う。
「仕事ですね」
「そう。嫌になるくらいね」
言い方は軽い。
「気をつけて」
カイルはそう言った。
「道中は安全にする。でも、安全な道でも、見る目は必要だから」
「はい」
「君は見すぎるけど」
「どっちですか」
「ほどほどに見て」
難しい注文だった。
カイルは笑った。
その笑みは、昨日より少しだけ自然だった。
⸻
馬車が動き出す。
学園の門が後ろへ流れていく。
王都の石畳。
店の看板。
朝の市場へ向かう人。
武具を運ぶ商人。
荷を引く馬。
夏に帰った時も見たはずの景色。
でも、今は少し違うものが見えた。
人が動く。
物が動く。
金が動く。
その流れに、護衛がつく。
誰かが道を守る。
誰かが狙う。
誰かが見逃す。
誰かが止める。
帰るだけでも、国の形が見える。
王都の門を抜けると、空気が少し変わった。
石と人の匂いが薄くなり、土と草の匂いが増える。
馬車の揺れも少し大きくなった。
俺は窓の外を見る。
道の脇に、冬を越した草が低く伸びている。
風が吹く。
精霊の気配が、王都の中より少し軽い。
気のせいかもしれない。
俺の魔法なのに、自分のものだけではない。
頼むもの。
応えてもらうもの。
エルナ会長の言葉を思い出す。
精霊は道具ではない。
その通りだ。
「どうしたの?」
隣のカリンが聞いた。
「少し、風が軽いと思って」
「精霊?」
「たぶん」
カリンは窓の外を見た。
「王都より、村に近いから?」
「そうかもしれません」
「触らない?」
「はい」
短く答えると、カリンは頷いた。
それ以上、言わない。
今のカリンは、そういう聞き方をする。
昔なら、危ないならやめよう、とすぐ言っていたかもしれない。
それが悪いわけではない。
でも、少し変わった。
カリンも、学園で変わった。
でも変わってない。安心する。
それが少し、安心する。
「カリンは、帰ったら何を話しますか」
俺が聞くと、カリンは少し考えた。
「順位戦のこと」
「はい」
「二十一位に入ったこと。ロデュウ先輩に負けたこと」
「悔しかったことも?」
「うん」
カリンは素直に頷いた。
「母さんには、たぶん隠しても分かる」
「セリアさんなら、分かりそうです」
「ヨウカは?」
「私は……負けたことから話すと思います」
「勝ったことじゃなくて?」
「勝ったことも話します。でも、ディオンさんに負けたことは、ちゃんと話したいです」
「どうして?」
「どこまで届いて、どこから届かなかったか。母さんと父さんには、知っておいてほしいので」
それから、少し遅れて付け足す。
「あと、誤魔化しても、たぶんバレます」
カリンは小さく笑った。
「母さんにも?」
「母さんには、顔でバレます」
「父さんは?」
「黙って聞いて、最後に一番痛いところを聞いてきます」
「……分かる」
二人で少し笑った。
フィル村はまだ遠い。
でも、話していると、少しだけ帰った気がした。
「あと」
カリンが窓の外を見たまま言う。
「ヨウカとちゃんと話したことも、母さんに言う」
少し、返事が遅れた。
「それも話すんですか」
「うん」
「セリアさんに」
「うん。たぶん、気にしてたから」
カリンの声は静かだった。
「学園で、私がヨウカとどうしているか」
それは、そうだろうと思った。
セリアさんは、カリンをよく見ている。
何を言ったかより、何を言わなかったかを見る人だ。
「ちゃんと話せたって言えば、安心すると思う」
「……そうですね」
学園にいて、同じ場所にいて。
それでも、ちゃんと話せていなかった。
順位戦が終わって、ようやく話した。
遅かったのかもしれない。
でも、話せた。
なら、遅すぎたわけではないと思いたい。
「また話しましょう」
俺が言うと、カリンは頷いた。
「うん」
短い返事だった。
でも、それで十分だった。
⸻
最初の休憩地点は、王都から少し離れた宿場だった。
馬車が止まり、生徒たちが順に降りる。
護衛が周囲を確認し、水を飲む者、体を伸ばす者、荷物を見直す者が散っていく。
俺も馬車を降り、足を伸ばした。
長く座っているだけでも、体は疲れる。
前世の感覚で平気だと思っていると、十一歳の体は普通に文句を言ってくる。
「ヨウカ」
カリンが水袋を渡してくる。
「ありがとうございます」
水を飲むと、少し落ち着いた。
その時、道の端で小さな声がした。
「痛っ」
反射的にそちらを見る。
商人らしき男の子が、荷箱の横でしゃがみこんでいた。
年は俺より少し上か、同じくらい。
足元に、小さな木片が落ちている。
足をひねったか。
刺したか。
周囲の大人は荷の確認をしていて、まだ気づいていない。
一歩、足が出かける。
そこで止めた。
ここは帰省中の馬車列で、護衛もいる。
勝手に動いていい場所ではない。
でも、見えてしまった。
「カリン」
「うん」
カリンはすでに気づいていた。
俺が行きたいことも、たぶん分かっている。
「近くまで。勝手に離れない」
「はい」
二人で近づく。
男の子は足首を押さえていた。
顔色は悪くない。
ただ、痛みで少し涙目になっている。
「大丈夫ですか」
俺が声をかけると、男の子が顔を上げた。
「だ、大丈夫」
大丈夫と言う時の顔ではない。
「足を見てもいいですか。痛む場所を確認するだけです。嫌ならしません」
男の子は少し迷って、頷いた。
俺はしゃがむ。
触る前に見る。
足首。
靴の横。
小さな木片が靴底の端に引っかかっている。
血は見えない。
腫れもまだ強くない。
「ひねりましたか」
「荷箱を降ろそうとして、足が滑って」
「歩けますか」
「たぶん」
たぶん、は危ない。
俺はすぐ後ろの大人に声をかけた。
「すみません。足をひねったみたいです」
商人らしき大人が振り向いた。
「え、ああ、すみません」
「私は学園で救護の手伝いをしたことがあります。診断はできませんが、休ませた方がいいと思います」
言い方を選ぶ。
治すのではない。
判断を奪わない。
状態を伝えて、大人に渡す。
救護所でやったことと同じだ。
商人は慌てて男の子のそばに来た。
その間に、護衛の一人もこちらを見る。
勝手に列から離れてはいない。
カリンもいる。
問題にはならないはずだ。
「おい、無理に歩くな。荷は俺がやる」
「でも」
「でもじゃない」
男の子は口を閉じた。
俺は少し息を吐いた。
大した怪我ではないかもしれない。
でも、ここで無理をすれば悪くなる。
旅の途中で足を痛めるのは、かなり困る。
「冷やすものはありますか」
俺が聞くと、商人は少し困った顔をした。
「冷たい水なら少し」
「布に含ませて、少し当てるくらいで。強く揉まない方がいいです」
「助かる」
商人が頭を下げた。
俺は首を横に振る。
「私は確認しただけです」
本当にそうだ。
治したわけではない。
それでも、男の子が少し安心した顔になった。
それで十分だった。
戻る途中、カリンが小さく言った。
「すぐ行かなかった」
「はい」
「ちゃんと周りを見た」
「……少しは」
「うん。少し」
褒められているのか、釘を刺されているのか分からない。
たぶん両方だ。
「問診?」
「はい。少しだけ」
「帰る道でも使うんだね」
「使わないで済むなら、その方がいいです」
「でも、使えた」
カリンの声は静かだった。
その言葉は、思ったより胸に残った。
戦うために伸びたもの。
救護所で伸びたもの。
それは、学園の外でも使う。
誰かが無理をしないようにするためにも。
⸻
休憩が終わり、馬車列は再び動き出した。
昼を過ぎると、王都の影はかなり遠くなった。
道の両側に畑が増える。
小さな村を過ぎる。
子どもが馬車を見て手を振る。
フォルデラ家の護衛が、隊列の前後を見ている。
カイルが言っていた。
良く使えば、誰かを家に帰せる。
その言葉の意味が、馬車の揺れと一緒に少しずつ分かってくる。
俺は窓の外を見る。
草の間に、小さな白い花が咲いていた。
鑑定を使えば、名前は分かるかもしれない。
でも、今は使わなかった。
ただ、見る。
帰る道の景色として。
⸻
夕方前。
ルーベルへ向かう宿場が近づいた頃、馬車列が少し速度を落とした。
前方で護衛が動いている。
騒ぎではない。
ただ、隊列が少し詰まった。
道の端に、壊れた荷車があった。
車輪が外れている。
近くに、旅人らしき男女が二人。
荷の前には護衛が立っている。
こちらの護衛が一人、前へ出た。
距離があるので、話の内容までは聞こえない。
「故障でしょうか」
「かもしれない」
カリンの声も少し低い。
俺は窓の外を見る。
荷車。
車輪。
旅人。
道幅。
草の揺れ。
何もない。
何もない、ように見える。
でも、護衛たちの立ち方が変わっていた。
馬車列を完全には止めない。
前後を塞がない。
一台ずつ通せる幅を残している。
助けるだけではない。
罠かどうかも見ている。
俺は口を閉じた。
鑑定を使えば、何か分かるかもしれない。
でも、今は俺が前に出る場面ではない。
見る。
動かない。
必要なら、護衛が動く。
必要なら、カリンが動く。
必要なら、俺も動く。
その順番を間違えない。
少しして、隊列がまた動き出した。
荷車は本当に車輪が外れていただけらしい。
フォルデラ家の護衛が一人残り、近くの宿場まで手配するようだった。
馬車が通り過ぎる時、旅人の女が深く頭を下げた。
俺は窓越しにそれを見る。
何も起きなかった。
でも、何も起きないように誰かが見ていた。
「ヨウカ」
カリンが小さく呼んだ。
「はい」
「今、動かなかった」
「はい」
「偉い」
「子ども扱いですか」
「少し」
否定しないのか。
少し不満だった。
でも、たぶんそれでよかった。
⸻
宿に着いた頃には、体が重かった。
鑑定を使わなくても分かる。
眠い。
足がだるい。
頭も少しぼんやりする。
部屋で荷物を置くと、俺は記録板を開いた。
今日のことを書く。
年度末帰省、出発。
フォルデラ家護衛。
休憩地点で足をひねった子。
見る。聞く。大人に渡す。
壊れた荷車。
護衛が確認。自分は動かず見る。
そこまで書いて、手が止まった。
今日は、何度か足が前に出かけた。
男の子の時。
壊れた荷車の時。
どちらも、すぐには動かなかった。
動かないことが正しいとは限らない。
でも、動くことだけが正しいわけでもない。
記録板に、もう一行だけ足す。
見ることと、動くことは同じではない。
記録板を閉じる。
隣の部屋から、誰かの笑い声が聞こえた。
明日は、さらにフィル村に近づく。
母さん。
父さん。
ルカ。
フィル村。
夏に帰った時とは違うものを持って帰る。
でも、帰る場所は同じだ。
布団に入る。
目を閉じる前、カリンの声を思い出した。
今、動かなかった。
偉い。
子ども扱いは少し不満だった。
でも、今日はそれでいい。
どうやら、帰る道にも目があるらしい。




