なんか帰る前にも用事が増えるらしい
年度末休暇の行程表が、寮の掲示板に貼り出された。
王都に残る生徒。
実家へ戻る生徒。
親族の屋敷へ向かう生徒。
商隊や護衛馬車に合わせて帰る生徒。
名前と行き先が、ずらりと並んでいる。
俺の名前もあった。
ヨウカ。
行き先は、フィル村方面。
少し離れたところに、カリンの名前もある。
同じ方面。
当然といえば当然だ。
夏にも一度、フィル村へは帰っている。
だから、学園に来てから初めて帰るわけではない。
それでも、年度末の帰省は少し違った。
順位戦が終わった。
一年目が終わる。
投擲と短剣が上がった。
問診も上がった。
カリンは序列二十一位に入った。
俺は序列外だった。
エルナ会長には、精霊魔法を見抜かれた。
夏には持っていなかったものを、いくつも持って帰る。
そう思うと、ただの帰省ではない気がした。
「ヨウカさん、帰るんですね」
リーナが横から掲示板を見上げた。
「はい」
「フィル村、ですよね」
「はい」
「いいですね」
「はい。いいです」
短く答えると、リーナが少し笑った。
「すごく素直ですね」
「帰るのは嬉しいので」
そこは、誤魔化す必要がない。
フィル村へ帰る。
アンナ。
ヨシュア。
ルカ。
セリアさん。
レナードさん。
村長。
薬草棚。
森の匂い。
夏にも見たはずなのに、思い浮かべるだけで体の奥が少し緩む。
家だ。
そう思える場所がある。
それは、思っていたより大きい。
ただ、掲示板の前は穏やかな気分だけでは終わらなかった。
少し離れたところから、声が聞こえる。
「ヨウカも帰るのか」
「光と闇の子だろ」
「精霊魔法って聞いたぞ」
「でも序列外なんだよな?」
「一年で二年二人抜いたらしいぞ」
やめてほしい。
本当に、やめてほしい。
俺はただ行程を確認しているだけだ。
帰省の掲示板にまで、順位戦を持ち込まないでほしい。
マリベルが隣で肩を揺らしていた。
「有名人は大変ね」
「楽しそうですね」
「ええ、少し」
「否定しないんですね」
「嘘はよくないもの」
とても堂々としていた。
エレシアは掲示板を眺めながら、落ち着いた声で言う。
「順位戦の直後ですから。しばらくは仕方ないと思います」
「しばらくで終わりますか」
「終わる噂もあれば、残る噂もあります」
嫌な言い方だった。
でも、たぶん正しい。
誰に勝ったか。
誰に負けたか。
どんな魔法を使ったか。
誰に見られたか。
そういうものは、簡単には消えない。
エルナ会長の一言も、思っていたより広がっている。
精霊魔法。
俺の中では、もう名前が分かっている。
精霊魔法LV1。
ただ、周りから見れば、普通の魔法とは違う珍しいものらしい。
分かっている。
でも、広がるのは困る。
「ヨウカ」
声がした。
振り向くと、カイルがいた。
いつもの軽い笑みを浮かべている。
けれど、順位戦前より少しだけ、表情の奥が落ち着いて見えた。
負けた人間の顔。
いや、負けたことを自分の中に置いた人間の顔、かもしれない。
「少し話せる?」
「はい」
「じゃあ、こっち」
カイルは掲示板前の人混みから少し離れた。
マリベルが何か言いたそうにしていたが、俺は見なかったことにした。
廊下の端。
窓際。
人の声はあるが、話すには困らない距離。
カイルはそこで足を止めた。
「まず、帰省のこと」
「はい」
「フィル村方面の馬車列だけど、フォルデラ家の護衛が一部つくことになった」
「フォルデラ家の?」
「うん。ルーベル方面まで。そこから先は、村ごとの大人と合流する形になると思う」
少しだけ、言葉に詰まった。
フォルデラ家。
公爵家。
カイルの家。
「それは……私たちのためですか」
「一部はそう。でも、君たちだけじゃない」
カイルは窓の外を見た。
「年度末は、王都から地方へ戻る学生や家族が増える。商人も動く。荷も動く。人が動けば、狙うやつも出る」
「野盗ですか」
「それもあるし、もっと面倒なのもある」
もっと面倒なもの。
盗賊だけではない。
人が動く時に、それを利用する連中。
王都の外。
地方へ向かう道。
子ども。
荷馬車。
頭の中に、嫌な言葉が浮かびかけた。
違法奴隷。
アレクセイ王国は、完全に綺麗な国ではない。
国王がいて、学園があって、フィル村のような場所があって。
それでも、どこかには人を商品にしようとする者がいる。
そして、そういう欲や支配に、何か黒いものが絡むこともある。
黒い根。
邪神の精霊のカケラ。
全部が同じだと決めつけるつもりはない。
でも、嫌なもの同士は、ときどき同じ匂いがする。
「だから、公爵家が護衛を出すんですか」
「そう」
カイルは頷いた。
「王都から命令が出れば、全部の道が安全になるわけじゃない。王がどれだけまともでも、全部の村道までは見られない。だから、見られる者が見る」
その言葉は軽くなかった。
俺はカイルを見た。
「それが、貴族の仕事ですか」
カイルは少し笑った。
ただ、その笑い方はいつものものと違った。
「うん。少なくとも、僕はそう教えられてきた」
「フォルデラ公爵に?」
「父上に。あと、父上を見て」
カイルの父。
フォルデラ公爵。
かなり有能な公爵。
国王とともに、アレクセイ王国の政治を支えている人。
王だけでは届かないところへ、公爵家が手を伸ばす。
それは権力だ。
だが、同時に責任でもある。
カイルは、その近くで育っている。
「カイルは、貴族が嫌いなんだと思っていました」
口にしてから、少し言い方が雑だったと思った。
けれど、カイルは怒らなかった。
「嫌いなのは、矜持のない貴族だよ」
すぐに返ってきた。
声は軽くない。
「貴族は、偉そうにするための身分じゃない。強い家名も、土地も、人も、金も、好き勝手するための道具じゃない」
カイルは窓枠に軽く手を置いた。
「でも、そう思っている貴族ばかりじゃない」
「はい」
「だから面倒なんだ」
少しだけ、言葉が落ちた。
「僕は、フォルデラの名前が嫌いなわけじゃない。父上のことも、家のことも、誇りに思ってる」
それは意外ではなかった。
でも、はっきり聞くと少し印象が変わる。
カイルは、貴族であることを捨てたい少年ではない。
貴族の矜持を知っている。
それを大切にしている。
だからこそ、重い。
「ただ、ずっとその名前の中にいると、息が詰まる時がある」
「自由になりたい?」
「うん」
カイルは苦笑した。
「でも、自由って、フォルデラを捨てれば手に入るものでもないんだろうね」
その言葉は、順位戦の敗北よりも深いところから出ている気がした。
カイルはソルベに負けた。
土に水と風を飲まれた。
自分の場を作れなかった。
けれど、カイルが見たものは試合の負けだけではないのかもしれない。
自分がどこへ行くのか。
何から逃げたいのか。
何を捨てたくないのか。
そういうものも、順位戦で少し見えたのだろう。
「順位戦、悔しかったですか」
俺が聞くと、カイルはすぐに答えた。
「悔しかった」
それから、少しだけ笑う。
「ヨウカに聞かれると、誤魔化しにくいな」
「誤魔化してもいいですよ」
「君、誤魔化したら気づくでしょ」
否定はできなかった。
カイルは続けた。
「ソルベ先輩は強かった。場を全部土にされた。僕の水も風も、うまく使えなかった」
「見ていました」
「うん。あれは、負けた」
負けた。
カイルはその言葉を避けなかった。
「でも、フォルデラの名前で立っているなら、負けたことも見られる。負けを隠すための家名じゃない」
それは、貴族の矜持なのだろう。
勝った時だけ堂々とするのではない。
負けた時も、名前を背負って立つ。
そういう矜持。
「カイルは、貴族ですね」
俺が言うと、カイルは少し目を丸くした。
それから、困ったように笑った。
「それ、褒めてる?」
「たぶん」
「たぶんか」
「少なくとも、悪口ではないです」
「ならいいや」
カイルはそう言って、懐から一枚の紙を出した。
封はされていない。
行程表の写しのようだった。
「フィル村方面の馬車列。君とカリン先輩の名前も入ってる。確認しておいて」
「ありがとうございます」
「礼はいらない。これはフォルデラ家の私的な好意じゃなくて、仕事だから」
その言い方が、少しだけ硬かった。
俺は紙を受け取る。
護衛人数。
出発時刻。
合流地点。
ルーベルまでの休憩場所。
そこから先、村ごとに分かれる予定。
ちゃんとしている。
かなりちゃんとしている。
これを準備するには、金も人も手間もかかる。
貴族の力。
こういうものにも使えるのか。
俺は少しだけ、前世の感覚で考えていた。
権力は、上から押さえるもの。
誰かを従わせるもの。
そういう側面は確かにある。
でも、この世界の封建制の中では、道を守ることも、地方の子どもを帰すことも、貴族の仕事になり得る。
良い制度だとは言い切れない。
悪い制度だとも言い切れない。
人による。
家による。
使い方による。
だから面倒だ。
「ヨウカ」
「はい」
「君は、こういうのを見ると、たぶん色々考えると思う」
「考えますね」
「うん。だから、一つだけ」
カイルの顔が少し真面目になった。
「貴族の力は、悪いものじゃない。悪く使えば、悪いものになる」
その言葉は、カイル自身に向けられているようにも聞こえた。
「僕は、それをちゃんと使える人間になりたい」
「自由になりたいのに?」
「自由だから、選ぶんだと思う」
カイルは少し照れたように視線を外した。
「今のは、ちょっと格好つけた」
「はい」
「否定してよ」
「格好つけていました」
「素直だね」
「嘘はよくないので」
カイルが笑った。
今度の笑い方は、いつものカイルに近かった。
でも、その奥にあるものは少し変わって見えた。
明るい。
軽い。
話しやすい。
けれど、フォルデラの名前を捨てたいわけではない。
カイルは、自由になりたい。
でも、貴族の矜持も捨てたくない。
その二つが、同じ胸の中にある。
葛藤というのは、たぶんこういうものだ。
どちらかが嘘なのではない。
どちらも本当だから、苦しい。
「ところで」
カイルが急に声を軽くした。
「君、エルナ会長に声をかけられて、また噂になってるね」
「その話は終わりました」
「終わってないよ。廊下三つ分くらい広がってる」
「最悪ですね」
「光と闇と精霊魔法。忙しいね」
「帰省前に全部置いて帰りたいです」
「無理だろうね」
最近、無理と言われる回数が増えている。
よくない傾向だ。
「でも、気をつけて」
カイルの声が少しだけ低くなる。
「珍しい力は、人を引き寄せる。善意も、悪意も」
「分かっています」
「うん。君は分かってる顔をする。でも、分かっていても巻き込まれる時はある」
それは、何となく分かる。
俺には、まだ分からない表示がある。
???LV-。
???の女神の加護。
便利なのか。
危ないのか。
そもそも何なのか。
分からない。
でも、分からないものがあるということだけは、もう分かっている。
それに、精霊魔法。
医学。
鑑定。
叡智。
どれも、便利なだけではない。
目立つ。
気づかれる。
巻き込まれる。
自分の意思だけでは、避けきれないこともある。
「その時は、誰かを呼ぶことも考えて」
カイルは言った。
「君は一人で考えすぎる」
「最近、それもよく言われます」
「じゃあ、たぶん本当だ」
反論できない。
少し悔しい。
「カリン先輩もいる。僕もいる。リーナたちもいる。使えるものは使えばいい」
「貴族の力も?」
「使い方次第」
カイルは笑った。
さっきの言葉を、今度は軽く返してくる。
「悪く使えば悪いものになる。良く使えば、誰かを家に帰せる」
俺は手の中の行程表を見る。
フィル村方面。
護衛つき。
ルーベル経由。
帰る道。
貴族の力が、今はその形になっている。
「ありがとうございます」
もう一度言うと、カイルは少し肩をすくめた。
「仕事だって言ったのに」
「それでもです」
カイルは少し黙った。
それから、柔らかく笑った。
「どういたしまして」
⸻
夕方、寮に戻ると、フィル村からの手紙が届いていた。
アンナの字。
少し大きくて、勢いがある字。
ヨシュアの追記。
短く、必要なことだけが書かれている字。
それから、端の方にぐにゃぐにゃした線。
たぶん、ルカだ。
手紙を開く前から、少し笑ってしまった。
内容は、ほとんどいつもの調子だった。
帰ってくる日を楽しみにしていること。
荷物は持ちすぎないこと。
王都で変なものを拾わないこと。
体を冷やさないこと。
ルカが最近、木の輪を投げるようになったこと。
投げると言っても、落としているだけに近いこと。
ヨシュアが拾っていること。
アンナが笑っていること。
最後に、短く書かれていた。
無事に帰っておいで。
それだけで、少し胸が詰まった。
順位戦で負けたこと。
投擲と短剣が上がったこと。
問診が上がったこと。
エルナに精霊魔法を見抜かれたこと。
カリンが二十一位に入ったこと。
カイルがフォルデラの行程表を持ってきたこと。
全部、手紙に書くには多すぎる。
でも、帰れば話せる。
アンナに。
ヨシュアに。
ルカには、たぶん分からないだろうけれど。
「ねえちゃ」と呼ばれて、木の輪を渡されるかもしれない。
それだけで十分な気もした。
俺は記録板を開いた。
今日のことを書く。
年度末休暇、行程表確認。
フィル村方面。カリンも同方面。
フォルデラ家の護衛がルーベル方面までつく。
貴族の力。
悪く使えば悪いものになる。良く使えば、誰かを家に帰せる。
カイルは貴族の矜持を大事にしている。
でも、自由もほしい。
どちらかが嘘なのではなく、どちらも本当。
少し手が止まった。
続けて書く。
アレクセイ王国は、王だけで全部を見られる国ではない。
貴族が強い。
だから歪みも出る。
でも、責任ある貴族がいれば、道を守る力にもなる。
制度は、使う人間で変わる。
そこまで書いて、息を吐いた。
俺は医者でもない。
政治家でもない。
貴族でもない。
ただの、元大学生で、今は十一歳の女子生徒だ。
それでも、見えるものが増えている。
怪我。
病気。
魔力。
精霊。
戦い方。
家名。
責任。
自由。
どれも、見えたからといって簡単に扱えるものではない。
俺は記録板を閉じかけて、もう一行だけ足した。
帰る道にも、誰かの責任が乗っている。
記録板を閉じる。
机の上には、フィル村からの手紙。
横には、フォルデラ家の行程表。
それから、まだ投げていない木球。
帰る準備をしなければならない。
荷物をまとめる。
記録板をしまう。
薬草の小袋を確認する。
短剣の手入れもする。
やることは多い。
でも、嫌ではなかった。
順位戦は終わった。
学園の一年目も、もうすぐ終わる。
そして、俺はフィル村へ帰る。
夏に帰った時とは違うものを、いくつも持って。
ただ帰るだけのはずなのに、行程表一枚で、王都の外の話まで見えてしまった。
どうやら、帰る前にも用事が増えるらしい。




