なんか狭い方が強いらしい
昼を過ぎた頃、アンナが台所から顔を出した。
「ヨウカ」
「はい」
「見せなさい」
一日置いて、忘れていなかったらしい。
「今からですか」
「休んだでしょう」
「休みました」
「なら、今」
言い返す余地がない。
ヨシュアはもう土間で長靴を履いていた。
準備が早い。
たぶん、朝から決まっていた。
⸻
村の外れに、使われていない畑がある。
冬の間に一度掘り返して、そのまま置いてある土だ。
足で踏むと、少し柔らかい。
ヨシュアが木の板を三枚立てた。
一枚は正面。
残り二枚は、少し離して斜めに。
「投げてみろ」
「はい」
腰の袋から木球を出す。
持ってきていた。
帰省中も使うかもしれないと言った手前、使わないわけにいかない。
正面の板へ投げる。
乾いた音。
真ん中に当たった。
ヨシュアは何も言わなかった。
次。
斜めの板を狙う。
外れた。
右に逸れて、土へ落ちる。
「もう一度」
「はい」
二度目で当たった。
三度目も当たった。
四度目は、また逸れた。
「止め」
ヨシュアが板の前に立った。
「今のは、当てる投げ方だな」
「はい」
「順位戦でも、そう投げたか」
少し考える。
「いえ」
「どう投げた」
説明するより早い。
俺は木球を握り直した。
「父さん、動いてもらえますか」
ヨシュアの眉が上がる。
「どう動く」
「私に向かって、歩いてきてください」
「速さは」
「普通で」
ヨシュアが歩き出す。
普通、と言ったのに、圧がある。
足音が重い。
一歩ごとに、こちらの選べる場所が減っていく。
的ではない。
足の前。
そこに置く。
投げた。
木球が土を跳ねた。
ヨシュアの前足が、外へ逃げる。
半歩。
それだけ。
だが、まっすぐだった線がずれた。
横へ抜ける。
短剣の距離。
「そこまで」
ヨシュアが足を止めた。
振り返る。
自分の足元を見た。
それから、木球の落ちた場所を見た。
「なるほどな」
「はい」
「当てなくていいわけだ」
「置いた場所を、踏みたくないと思ってもらえれば」
ヨシュアは黙って、跳ねた跡を靴の先でなぞった。
「誰に教わった」
「投擲の先生です。倒そうとするな、足を置く場所を消せ、と」
「良い先生だ」
短い。
でも、そういう言い方をする時は、本当に良いと思っている。
「もう一度やるか」
「はい」
二度目は、逃げられた。
ヨシュアの足は跳ねた土を踏まなかったが、線もずれなかった。
そのまま距離を詰められる。
三度目は、投げる前に止められた。
腕を上げたところで、もう目の前にいた。
「速い」
思わず言った。
「二回見た」
それだけで対応してくる。
順位戦で当たった相手より、ずっと速い。
当たり前だ。
この人は冒険者で、二つ名を持っている。
⸻
「短剣は」
ヨシュアが言った。
「持っています」
「抜け」
訓練用の木の短剣を出す。
ヨシュアは板の一枚を引き抜いて、それを持った。
剣の代わりらしい。
「来い」
入る。
板が下りてくる。
速い。
受けない。
横に置いて、流す。
流せなかった。
重い。
腕ごと持っていかれる。
体勢が崩れたところで、板が肩の前で止まった。
「死んだな」
「はい」
「受けようとしただろう」
「流そうとしました」
「重さが違えば、流すのも受けるのと同じだ」
もう一度。
今度は流さない。
横へ抜ける。
板が通る。
戻る。
戻る時に、ヨシュアの手元が近くなった。
そこへ短剣を出す。
木の刃が、手首の外側に触れた。
触れただけだ。
その後、板の縁が首の横で止まっている。
「相討ちだな」
「はい」
「だが、戻りを見た」
ヨシュアが板を下ろした。
「そこは前になかった」
「セレス先生に、伸びた後も戻る、と言われました」
「そのとおりだ」
それから、少しだけ間があった。
「腕は伸びたな」
背が伸びた、ではなかった。
腕。
届く距離の話をしている。
「はい」
「まだ短い」
「はい」
「なら、まだやることがある」
昨日と同じ言い方だった。
⸻
「次、私」
アンナが畑の縁に立っていた。
いつの間に来ていたのか。
腕を組んで、こちらを見ている。
「魔法、見せなさい」
「大きなものは出せません」
「知ってるわ」
即答された。
手のひらに光を作る。
丸く保つ。
板の横へ離す。
弾ける。
板は倒れない。
焦げてもいない。
ただ、光った。
アンナが目を細めた。
「それだけ?」
「それだけです」
「どう使うの」
「見ている場所の横に出します。一瞬、目が切れます」
「切れたら?」
「その間に、足を動かします」
アンナは何も言わずに、板の方へ歩いていった。
それから、俺の横に戻ってくる。
「もう一回。今度は私の手元の横」
「危なくないですか」
「危なかったら怒るわ」
それは怖い。
光を離す。
アンナの手の外側で弾けた。
アンナの指が、ほんのわずかに止まる。
本当にわずかだ。
「なるほどね」
アンナは自分の手を見た。
「一瞬、指が遅れた」
「はい」
「小さいのに、嫌なところに出すのね」
「よく言われます」
「誰に」
「戦った相手にです」
アンナは笑った。
「闇は?」
影を伸ばす。
黒い膜を薄く立てる。
小さい。
ヨシュアが木片を放った。
膜に触れる。
ぱ、と音がして、木片が落ちた。
指先が冷える。
すぐ消す。
「持たない方がいいのね」
「持つと、足が止まります」
「それも言われた?」
「レヴィン先生に。受けたら落とせ、抱えるな、と」
アンナは頷いた。
それから、畑の奥へ歩いていく。
板の前で立ち止まった。
「見てなさい」
⸻
アンナが右手を上げた。
何かを唱えたようには見えなかった。
ただ、空気が変わった。
熱ではない。
音がなくなる感じ。
板の表面に、火が生まれた。
小さい。
拳より少し大きいくらい。
それが、板の一点だけを舐める。
炎が上へ伸びない。
横にも広がらない。
板の縁まで、指一本ぶんを残して止まっている。
足元の枯れ草は、揺れてもいない。
「消すわよ」
火が消えた。
板に、穴が開いていた。
円い。
向こう側が見える。
厚みのある板だ。
それを、拳より小さい火が抜いた。
俺は近づいて、縁に指を寄せる。
熱い。
触れない。
穴の縁は炭になっていなかった。
溶けて固まったように、つるりとしている。
その一分外側は、木の色のままだ。
煙も、ほとんど上がっていない。
「……これ」
「なに」
「爆炎の魔女、と聞いていました」
アンナは肩をすくめた。
「言われてるわね」
「もっと、大きいものだと思っていました」
「大きいのも出せるわよ」
即答だった。
そこに謙遜はなかった。
「森でなら、木を何本かまとめて燃やせる。魔物の群れなら、そっちの方が早い」
アンナは畑の土を靴で軽く踏んだ。
「でも、ここで出したら」
「畑が焼けます」
「あと、家も近い」
それはそうだ。
「だから、狭くするんですか」
「それもあるけど」
アンナは板の穴を指でなぞった。
熱が引いていないのか、途中で指を離す。
「広げると、散るのよ」
「散る」
「同じだけ出しても、広い方は薄くなる。木は焦げるけど、抜けない」
それから、穴を軽く叩いた。
「狭くすると、そこだけに全部乗る」
板の向こうが見えている。
拳より小さい火が、板を抜いた。
広げていたら、表面が黒くなって終わっていた。
「弱くしてるわけじゃないんですね」
「逆よ」
アンナは当たり前のように言った。
「一番強いのは、狭いところ」
順位戦の光景が、頭の奥で重なった。
ロデュウの炎。
広げた炎が、剣の線へ絞られた時。
量が減ったのではなかった。
密度が上がった。
あの一撃が、カリンの盾を越えた。
「母さん」
「なに」
「同じことをする人を、学園で見ました」
「へえ」
「広げてから、絞る人でした」
アンナは少し笑った。
「使い分けてるのね。上手いわ」
褒めた。
本当に褒めていた。
「私は、絞る方から入っただけ」
「大きく出すのは、才能があればできる。私はあるわ」
本当に、そう言った。
「でも、狭くするのは才能だけじゃ足りないの。何回も外して、何回も焦がして、そのたびに覚えるしかない」
指が止まる。
「私も、昔は畑を焦がしたわよ」
「……焦がしたの?」
言ってから、口を閉じた。
自分の声が、いつもと違った。
アンナがこちらを見る。
何も言わない。
ただ、少しだけ笑った。
「言わないで」
ヨシュアが後ろで小さく息を吐いた。
たぶん、笑っている。
「ヨシュア」
「何も言っていない」
「顔で言ってる」
夫婦の会話だった。
俺は板の穴をもう一度見る。
向こう側の畑が、円く切り取られて見えた。
必要な大きさで、必要な場所に、必要な時間だけ。
それ以外を、出していない。
出していないのに、抜けている。
「母さん」
「なに」
「今の、どのくらい練習しましたか」
アンナは少し考えた。
「覚えてないわ」
「そうですか」
「でも、あなたが生まれる前から焦がしてる」
長い。
かなり長い。
⸻
「ねえちゃー!」
声がした。
畑の入口に、ルカが立っていた。
手に木の輪を持っている。
その後ろから、リリが歩いてくる。
「連れてきちゃった。ごめんね」
「見たいって、聞かなかったので?」
「ずっと言ってた」
リリが肩を落とした。
ルカは俺の方へ来て、木の輪を差し出した。
「ねえちゃ、なげて」
「投げますか」
「なげる」
アンナが横で笑った。
「教わったばかりの技を、木の輪で試す気ね」
「試しません」
輪を受け取って、軽く投げた。
ふわりと飛んで、土の上に落ちる。
ルカが走って拾いに行く。
足の運びは、まだ怪しい。
それでも、去年よりずっと速い。
戻ってきて、また差し出す。
「もっかい」
「はい」
「もっかい」
「まだ投げていません」
ヨシュアが板を片づけながら言った。
「言っただろう」
「はい。邪魔されるって」
「休めているならいい」
これは休みなのだろうか。
たぶん、そういうことにしておいた方がいい。
⸻
夜。
記録板を開いた。
今日のことを書く。
投擲、父に見せた。二回で対応された。
短剣、相討ち。重い相手に流すのは受けるのと同じ。
戻りを見る、は残っていた。
光、母の指を一瞬止めた。
闇、木片は落とせた。持たない。
そこで手が止まる。
アンナの火のことを、どう書けばいいのか分からなかった。
大きい火ではなかった。
弱い火でもなかった。
板を抜いた。
縁は溶けて、草は揺れてもいなかった。
俺は少し考えて、こう書いた。
母の火。拳より小さい。厚い板を抜いた。
広げると散る。狭くすると全部乗る。
狭い方が、弱いのではない。狭い方が、強い。
書いてから、もう一行足した。
狭くするのは、外し続けた回数でできている。
記録板を閉じる。
昼間、一度だけ言葉が崩れた。
直そうとして、やめた。
アンナは何も言わなかった。
言わないまま、笑っていた。
明日は、勝った話をしないといけない。
アンナが忘れているとは思えない。
ガルドのこと。
ラウルのこと。
たぶん、途中でルカに邪魔される。




