なんか帰る場所は変わってなかったらしい
翌朝。
宿の外には、すでに馬車が並んでいた。
荷を積み直す音。
馬の鼻息。
護衛たちの短い確認。
昨日の朝より静かだ。
一晩眠ったせいか、体は軽い。
完全に元通りではない。
馬車移動は、地味に疲れる。
「ヨウカ」
振り向くと、カリンがいた。
昨日と同じ移動用の服。
盾と剣も、きちんとまとめられている。
寝不足には見えない。
ただ、右側の髪が少し跳ねていた。
「おはようございます」
「おはよう」
「髪、跳ねています」
カリンは目を瞬かせたあと、自分の髪に手をやった。
「どこ?」
「右側です」
「……直った?」
「少し」
「少し」
カリンが困った顔をする。
その顔はフィル村にいた頃と変わらない。
序列二十一位でも、寝癖は気にするらしい。
「ヨウカも、眠そう」
「馬車で揺られると、思ったより疲れます」
「寝ててもいい」
「寝ません」
「休んで」
「……はい」
カリンは疑わしそうに俺を見た。
信用が薄い。
仕方ない。
「出るぞ」
護衛の一人が声をかけた。
俺たちは馬車へ乗り込む。
馬車が動き出すと、宿が後ろへ流れていった。
今日はルーベル方面まで進む。
そこから先は、村ごとの大人と合流する予定だ。
夏にも通った道。
知らない道ではない。
だからこそ、前は見えていなかったものが見える。
壊れかけた柵。
荷車の車輪跡。
道端に置かれた石。
護衛がさりげなく見る方向。
「ヨウカ」
カリンが言った。
「はい」
「休む」
「……はい」
俺は窓から目を離した。
⸻
昼前には、ルーベルに近い宿場へ着いた。
ここで馬車列の一部が分かれる。
王都方面から来た護衛は、ルーベルまでの生徒や荷を確認し、そこから先の担当者へ引き渡す。
フォルデラ家の護衛が、行程表と名簿を見比べていた。
「ヨウカ殿、カリン殿」
呼ばれて、俺とカリンは前へ出た。
殿。
呼び方が重い。
「こちらで、フィル村方面の迎えと合流です」
護衛が視線を向けた先に、見慣れた姿があった。
ヨシュア。
それから、レナードさん。
二人とも、旅装というほどではないが、外を歩く格好をしている。
ヨシュアの表情は、いつものように大きく動かない。
それでも、こちらを見た瞬間、目元が緩んだ。
「ヨウカ」
「父さん」
声に出したら、思っていたより胸に来た。
駆け寄りかけて、足を止める。
荷物。
人目。
護衛。
そう思ったのに、ヨシュアの方が一歩近づいてきた。
大きな手が、頭に置かれる。
「おかえり」
「ただいま、父さん」
隣では、レナードさんがカリンを見ていた。
「カリン」
「父さん」
「背が伸びたな」
「夏にも会った」
「その時より伸びた」
「そんなに?」
「たぶん」
レナードさんは真顔で言った。
カリンが困った顔をする。
親子だ。
護衛がヨシュアに行程表を渡す。
ヨシュアは中身を確認し、短く頷いた。
「ここまで、ありがとうございました」
「いえ。フォルデラ家より、確かにお引き渡ししました」
「承りました」
ヨシュアの声は静かだった。
そこに余計な隙はない。
村では父さんだが、外ではやはり大人だ。
護衛たちと別れ、荷をまとめる。
ここから先は、ヨシュアとレナードさんが付き添う。
道はもう、かなり村に近い。
「怪我はないか」
ヨシュアが聞いた。
「ありません。少し疲れただけです」
「カリンは」
「大丈夫です」
「そうか」
それ以上、詰めなかった。
ただ、俺の顔を少し見た。
「話は、帰ってからでいい」
「はい」
バレている。
何か話すことがある顔をしていたらしい。
「順位戦か」
「それもあります」
「そうか」
それだけで終わった。
聞き出さない。
でも、聞く準備はしている。
⸻
ルーベルを出てからの道は、王都近くよりずっと静かだった。
馬車の数も減り、人の声も少ない。
風が草を揺らす音がよく聞こえる。
カリンは窓の外を見ていた。
「近いね」
「はい」
「帰ってきた感じがする」
「まだ着いていませんよ」
「でも、近い」
それは分かる。
道の曲がり方。
畑の匂い。
森の色。
村へ近づく時の空気は、王都や学園とは違う。
夏にも戻った。
それでも、今回は一年目を終えて帰る。
順位戦で負けて。
帰る道は、去年と同じだった。
「ヨウカ」
ヨシュアが前の方から声をかけた。
「はい」
「その木球は?」
荷物の隙間から見えていた木球を隠そうとして、やめた。
「練習用です」
「帰省中も使うのか」
「使うかもしれません」
ヨシュアが目を細めた。
「休みも取れ」
「はい」
「母さんにも言われる」
「はい」
「たぶん、ルカにも邪魔される」
それは、かなりあり得る。
想像して、笑ってしまった。
「それなら、休めるか分かりませんね」
「休め」
「はい」
ヨシュアはそれ以上言わなかった。
ただ、俺の顔を見ている。
疲れていること。
話したいことを抱えていること。
平気な顔をしようとしていること。
全部バレている。
「話は、帰ってからでいい」
「はい」
その一言で、肩の力が抜けた。
⸻
フィル村の入口が見えた時、最初に走ってきたのはトマだった。
「帰ってきた!」
その後ろから、ノルが少し遅れて来る。
双子なのに、走り方は全然違う。
トマは前だけを見て走る。
ノルは周りを見ながら走る。
さらに後ろから、リリの声が飛んだ。
「走りすぎ! 馬車の前に出ない!」
「出てない!」
「出そうだった!」
変わっていない。
かなり変わっていない。
馬車が止まると、トマがすぐ近くまで来た。
「ヨウカ! カリン! 学園どうだった!?」
「ただいまが先です」
トマは一瞬止まった。
「おかえり!」
「ただいま」
ノルが俺の荷物を見て、ぼそっと言う。
「少ない」
「アンナに、持ちすぎるなと言われました」
「アンナさん、言いそう」
リリが頷いた。
それから、カリンの方を見る。
「カリンも、おかえり」
「ただいま」
カリンが答えると、リリが背筋を伸ばした。
学園の先輩を見る顔。
でも、すぐにいつもの顔に戻る。
「後で話、聞かせてね」
「うん」
トマはもう我慢できないらしい。
「順位戦ってやつ、強いやついっぱい出た?」
「いっぱい出ました」
「勝った?」
「少し勝って、負けました」
「カリンは?」
「勝って、負けた」
「どっちもじゃん!」
「順位戦なので」
説明になっているようで、なっていない。
リリがトマの袖を引く。
「後で聞きなよ。帰ってきたばっかり」
「えー」
「えーじゃない」
ノルは俺の顔をじっと見て、短く言った。
「疲れてる」
「少し」
「じゃあ、後」
そう言って、一歩下がる。
静かなのに、よく見ている。
トマも、それ以上は詰めてこなかった。
俺たちは馬車から荷物を降ろした。
ヨシュアが荷を持とうとしたので、俺も一つだけ抱える。
「持てる分だけです」
「ならいい」
それ以上は取られなかった。
⸻
家の前に着くと、扉が開いた。
アンナが出てくる。
その後ろから、小さな足音。
ルカだ。
「ヨウカ!」
アンナの声は、夏の時と同じくらい大きかった。
「母さん、ただいま」
言い終わる前に、抱きしめられた。
息が詰まる。
火と布と薬草の匂い。
家の匂いだった。
「ああ、帰ってきた」
「はい。帰ってきました」
「怪我は?」
「ありません」
「本当に?」
「本当に」
アンナが俺の顔をじっと見る。
誤魔化しは無理だ。
分かっていたので、先に言う。
「疲れてはいます」
「それは顔に出てる」
「ですよね」
アンナが笑った。
その足元から、ルカが顔を出す。
俺を見る。
少し間があった。
それから、ぱっと顔が明るくなった。
「ねえちゃ!」
ルカが走ってくる。
まだ足の運びが危なっかしい。
俺は膝をついた。
ルカがそのまま胸に飛び込んでくる。
小さい。
それでも、夏より重い。
「ルカ、ただいま」
「ねえちゃ、おかえり」
言い方はまだ舌足らずだ。
それでも、ちゃんと言えている。
夏には、こうではなかった。
ルカは俺の服をぎゅっと掴んだ。
アンナが俺とルカをまとめて見る。
ヨシュアが後ろで荷物を置く。
家の中から、温かい匂いがする。
帰ってきた。
学園で話すことはたくさんある。
順位戦のこと。
負けたこと。
カリンと話したこと。
エルナ会長に見抜かれたこと。
でも、今はルカが服を掴んでいる。
アンナが笑っている。
ヨシュアがそばにいる。
そっちが先だった。
「話したいことがたくさんあります」
アンナは頷いた。
「うん。聞くわ」
それから、俺の額を軽く指でつつく。
「でも、その前にご飯」
「はい」
「あと、寝る」
「はい」
「それから話す」
順番が決まった。
反論の余地はない。
少し後ろで、カリンが笑っている。
セリアさんとレナードさんも、自分たちの家へ向かっていく。
カリンも、これから話すのだろう。
二十一位に入ったこと。
負けたこと。
俺とちゃんと話したこと。
「ヨウカ」
アンナが呼ぶ。
「はい」
「おかえり」
さっきも聞いた言葉だ。
何度聞いてもいい。
「ただいま」
俺はもう一度、そう答えた。




