なんか終盤は技名まで重いらしい
順位戦は、終盤に入っていた。
勝ち残っている人数は、もうかなり少ない。
最初はあれほど騒がしかった実技場も、今は少し違う空気になっている。
人は多い。
観覧席も埋まっている。
だが、ただ騒ぐ声は減っていた。
みんな、見ている。
残っている者たちが、ただの勝ち残りではないと分かっているからだ。
俺の試合は終わった。
カイルも負けた。
カリンも負けた。
それでも順位戦は続いている。
むしろ、ここからが本当に上の戦いなのだと、見ているだけで分かった。
「今日は救護所は?」
リーナが聞いた。
「呼ばれたら行きます」
「試合を見るんですね」
「はい」
今日は、見た方がいい。
そう思った。
救護所でできることはある。
けれど、今しか見られないものもある。
救護担当の教師にも、朝のうちに言われていた。
「今日は終盤だ。手が足りなくなったら呼ぶ。それまでは見ておけ」
そう言われたので、俺は観覧席にいた。
負けた生徒として。
まだ学園に残る生徒として。
そして、たぶん。
次に進むために。
⸻
最初に実技場全体が大きく揺れたのは、トルシエ・ユングの試合だった。
男爵家の上級生。
大槌を使う。
遠目にも大きい。
体格も大きいが、持っている槌がさらに大きい。
あれを振るだけで、試合場の空気が重くなる。
向かい側に立ったのは、ヤパという女子生徒だった。
四年生。
鞭使い。
上級生たちの中にいるのに、どこか浮いて見える。
小柄というわけではない。
ただ、立ち方が変だった。
力が抜けている。
構えているようにも見えるし、ただそこに立っているだけにも見える。
長い鞭が、手の中でゆるく垂れている。
「ヤパ先輩だ」
レオスが少し声を落とした。
「知っているんですか」
「有名だよ。何考えてるのか分からないって」
強さの説明には聞こえない。
でも、観覧席の反応を見る限り、ただ変な人というだけではないらしい。
「礼」
二人が頭を下げる。
顔を上げる。
「始め」
合図と同時に、トルシエが動いた。
大槌が持ち上がる。
遅い。
そう思った瞬間には、もう振り下ろされていた。
「大震撼!」
トルシエ本人の声が、実技場に響いた。
大槌が地面を叩く。
音ではなく、揺れが来た。
腹の奥に響く振動。
結界の内側の土が波打つ。
ヤパの足元が揺れる。
普通なら、そこで体勢が崩れる。
だが、ヤパは揺れに逆らわなかった。
揺れに合わせて、ふわりと身体が浮いたように見えた。
足が地面を離れたわけではない。
でも、そこに体重がないように見える。
鞭が動いた。
伸びる。
いや、伸びたように見えた。
距離がおかしい。
トルシエの腕には届かないはずだった。
だが、鞭の先が、大槌を握る手の近くをかすめる。
トルシエが眉を寄せる。
大槌が横へ振られた。
広い。
避ける場所を潰す振り。
ヤパは後ろへ下がった。
そう見えた。
次の瞬間、ヤパはトルシエの斜め横にいた。
「え」
思わず声が出た。
移動したのか。
していないのか。
一瞬、目が追えなかった。
ヤパの鞭が、ふわりと揺れる。
一本だったはずの鞭が、花びらのように何本にも分かれて見えた。
赤い薔薇の影が、視界の端にちらつく。
本物は一本。
分かっている。
でも、目が勝手に追わされる。
右の鞭。
左の鞭。
足元の鞭。
遅れて、胸元へ伸びる鞭。
全部が本物に見える。
トルシエは迷わなかった。
再び、大槌を地面へ叩きつける。
「大震撼!」
細かい狙いではない。
周囲ごと揺らす。
幻でも本物でも、足場が揺れれば関係ない。
そういう判断に見えた。
土が跳ねる。
薔薇の幻が一つ消えた。
もう一つも消える。
残ったヤパは、跳ねた土埃の向こうにいた。
鞭が低く走る。
トルシエの足元。
当たる。
そう見えた瞬間、トルシエの大槌が地面を擦るように動いた。
鞭が弾かれる。
重い武器なのに、細かい。
ただ力任せではない。
トルシエも、ちゃんと上手い。
だが、ヤパは笑っているように見えた。
口元だけが、少し緩い。
何を見ているのか分からない目で、トルシエを見ている。
次の瞬間、ヤパの姿が二つに見えた。
右と左。
トルシエは迷わず中央を叩いた。
地面が割れるように揺れる。
右のヤパが消える。
左のヤパも揺らぐ。
本物は、中央より少し後ろにいた。
「見せられてる場所が違う……」
俺は小さく言った。
トルシエは外しているわけではない。
むしろ、よく見ている。
それでも、見せられている。
そこにいると思わされている。
届くと思わされている。
避けたと思わされている。
ヤパの鞭が、ふっと消えた。
いや、見失った。
次に見えた時には、トルシエの大槌の柄に絡んでいた。
観覧席がどよめく。
トルシエは力で引いた。
普通なら、鞭の方が負ける。
だが、ヤパは引き合わない。
鞭を緩める。
トルシエの力が空を引く。
大槌の先が、わずかに流れる。
そこへ、ヤパが踏み込んだ。
鞭の柄。
その短い部分が、トルシエの胸元の手前に止まる。
「そこまで!」
教師の声。
トルシエの大槌は戻りきっていない。
ヤパの鞭の柄は、胸元の手前。
決定打。
観覧席が一拍遅れて沸いた。
「ヤパ先輩、勝った」
「トルシエ相手に近づいたぞ」
「今、どこにいたんだよ」
「見えなかった」
俺も、よく分からなかった。
見ていたのに。
観察していたのに。
それでも、分からない。
ヤパは礼をして、ふわりと下がった。
勝った人間の動きに見えない。
散歩の途中みたいだった。
「今の、ローズウィップでしょうか」
エレシアが小さく言った。
「ローズウィップ?」
「ヤパ先輩の鞭技です。薔薇のように見える幻と鞭を重ねる、と聞いたことがあります」
なるほど。
名前を聞いても、納得できたような、できないような気分だった。
薔薇。
確かに、花びらのように見えた。
でも、綺麗というより、目を惑わされる感覚の方が強い。
「嫌ですね」
俺が言うと、マリベルが頷いた。
「あなたが言うと重いわね」
「どういう意味ですか」
「戦い方が嫌だって言われてる子が、嫌がってるから」
それは否定しづらい。
でも、ヤパの戦い方は本当に嫌だった。
目が信用できない。
距離が信用できない。
自分の判断が、信用できなくなる。
トルシエの大槌は恐ろしい。
当たれば終わる。
だが、ヤパは別の怖さだった。
当たる前に、何を見ているのか分からなくなる。
⸻
次に空気が変わったのは、エルナの名前が呼ばれた時だった。
生徒会長。
氷の魔法を使う女子生徒。
名前だけは何度も聞いていた。
だが、実際に見るのは初めてに近い。
エルナは、静かに試合場へ入った。
長い髪を後ろでまとめている。
姿勢がいい。
派手な装飾はない。
でも、立っただけで周りの空気が冷えたように感じた。
向かい側に立ったのは、ソルベ・トーレス。
昨日、カイルを破った土魔法使い。
ゴーレムマスター。
俺は思わず背筋を伸ばした。
カイルを負かした人が、今度は氷の生徒会長と戦う。
「始め」
合図と同時に、ソルベの足元が盛り上がった。
早い。
昨日より早い。
土が腕になる。
壁になる。
人の背丈を越えるゴーレムの上半身が、二体。
試合場の左右に立ち上がる。
カイルの時より大きい。
明らかに、出力を上げている。
土の腕が、エルナへ伸びる。
その動きは遅くない。
大きいのに、重さだけで押してくるわけではない。
エルナは動かなかった。
片手を上げる。
氷が走った。
地面ではない。
空気の中を、白い線が走る。
伸びてきた土の腕が、途中で凍った。
表面だけではない。
関節のように動いていた部分が、白く固まる。
腕が止まる。
ソルベは表情を変えず、手を下げた。
地面が隆起する。
エルナの進路に、分厚い土壁が立ち上がった。
壁。
そう思った瞬間、その後ろから巨大な土の腕が伸びる。
ゴーレムの腕だ。
太い指が、土壁の縁を掴んだ。
ソルベの唇が、わずかに動く。
「ウォールハンマー」
声は大きくなかった。
だが、土壁が横から振られた瞬間、その名前の意味は分かった。
壁ではない。
巨大な槌だった。
ゴーレムが、土壁をそのまま叩きつけてくる。
避ける場所ごと潰す一撃。
昨日のカイルが相手なら、あれで終わっていたかもしれない。
だが、エルナは一歩だけ前に出た。
冷気が広がる。
振られた土壁の表面が白く染まる。
完全には止まらない。
重い。
質量がある。
凍りながらも、土壁は迫る。
エルナがもう片方の手を上げた。
「アブソリュートゼロ」
声は、ほとんど息に近かった。
次の瞬間、結界の内側の空気が一段落ちた。
試合用に抑えている。
たぶん、本来の名の通りの威力ではない。
それでも、十分だった。
土壁が止まる。
ゴーレムの腕が止まる。
振り抜かれるはずだった壁の槌が、エルナの前で白く固まった。
観覧席が静かになった。
騒ぐより先に、見入っている。
ソルベが、凍った土壁を捨てようとする。
崩す。
崩した土から、次の壁を作る。
昨日、カイルを追い詰めた動き。
崩れても終わらない土。
崩れたものを、次の形へ変える土。
だが、エルナの氷はそれを許さなかった。
崩れた土が、地面へ戻る前に凍る。
塊になる。
重くなる。
動かない。
ソルベの顔が、初めて少し動いた。
エルナはさらに前へ出た。
氷が広がる。
試合場の土が、足元から白く染まる。
ただ凍らせているだけではない。
道を作っている。
ソルベの土が動ける場所を、逆に凍らせて潰している。
土が盛り上がる。
氷が縫い止める。
土の壁が立つ。
氷の槍が横から刺さり、壁ごと固定する。
ゴーレムの腕が振られる。
エルナの前に氷の板が立つ。
腕が当たる。
氷の板が砕ける。
だが、砕けた氷片が、今度は土の腕にまとわりついた。
冷気が走る。
土の腕が止まる。
「何あれ……」
レオスの声が掠れた。
俺も同じ気持ちだった。
ソルベは強い。
昨日、それを見た。
カイルの水と風を飲み込み、場そのものを土で支配した。
そのソルベが、場を取られている。
氷に。
冷気に。
エルナの一歩一歩に。
ソルベが大きく手を上げた。
試合場の中央が盛り上がる。
これまでで一番大きい。
土が集まる。
人の形ではない。
壁でもない。
巨大な獣の前脚のようなものが、地面から突き出た。
その前脚を、ゴーレムの腕が押し出す。
エルナへ落ちる。
当たれば終わる。
避けるにも範囲が広い。
エルナは、そこで初めて両手を上げた。
氷が咲いた。
地面から、白い柱が何本も伸びる。
土の前脚を受け止める。
一本が砕ける。
二本目も砕ける。
だが、三本目が支える。
四本目が横から刺さる。
五本目が、土の関節を凍らせる。
巨大な土の前脚が、空中で止まった。
止まったまま、白く染まっていく。
凍る。
重い土が。
あれだけ動いていた土が。
完全に止まる。
エルナが指を下げた。
凍った土の前脚が、音を立てて地面に落ちた。
ソルベの前が開く。
エルナの足元から、細い氷の線が走る。
真っ直ぐ。
速い。
ソルベの足元で止まり、そこから氷の刃が立ち上がった。
鋭くはない。
試合用に先端は丸い。
だが、胸元の手前まで届いていた。
「そこまで!」
教師の声が響く。
「勝者、エルナ」
観覧席が爆発した。
声が遅れて来た。
「会長!」
「強すぎるだろ」
「ソルベ先輩の土、止めたぞ」
「場ごと凍った」
俺は、しばらく声が出なかった。
強い。
ただ強い。
そういう言葉しか出てこない。
でも、それだけでは足りない。
エルナは火力だけではない。
凍らせる場所が正確だった。
土が動く前に止める。
崩れた土が再利用される前に固める。
大きな攻撃も、受ける場所を作って止める。
力が大きい。
なのに、雑ではない。
「ヨウカさん」
リーナが小さく言った。
「はい」
「あれも、見て分かるんですか」
「分かりません」
即答だった。
分かるわけがない。
今の俺が分かったのは、分からないほど強いということだけだ。
それでも、見てよかった。
ソルベを倒した氷。
カイルを倒した土を、さらに上から止めた氷。
強さの階段が、目の前で一段ずつ見えた気がした。
嫌になるくらい、分かりやすかった。
⸻
夕方近く。
また、ヤパの名前が呼ばれた。
相手は、ロデュウ・フリードリヒ。
第二王子。
炎の剣士。
王位を望まず、将来は軍に進み、将軍として国を守りたいと言われている人。
その話を聞いた時、少し意外だった。
王になりたい王子ではない。
剣を持って、国を守りたい王子。
なら、あの炎は見せるための炎ではないのかもしれない。
前へ出るため。
道を開くため。
守るために敵を焼く炎。
ロデュウは、いつも通りまっすぐ立っていた。
対するヤパは、ふわりと鞭を下げている。
炎と幻惑。
まったく違う戦い方だった。
「始め」
先に動いたのはヤパだった。
鞭が揺れる。
薔薇の幻が広がる。
赤い花びらのような影が、ロデュウの視界を包む。
一本の鞭が三本に見える。
右。
左。
正面。
どれも届きそうで、どれも届かないように見える。
ロデュウは止まらなかった。
剣に炎が乗る。
広がる炎。
剣を中心に、熱の波が前へ出る。
薔薇の幻が揺らぐ。
ヤパの姿が、二つに見える。
ロデュウは片方を追わない。
炎を広げる。
幻ごと、場を焼く。
「なるほど」
マリベルが呟いた。
「幻を見分けるのではなく、まとめて払うんですね」
「そうだと思います」
ヤパの鞭が足元へ来る。
ロデュウは剣を下げる。
炎が地面を舐めるように走り、鞭の進路を塞ぐ。
鞭が引かれる。
次は上。
薔薇の花びらが舞う。
ロデュウの肩の後ろに、ヤパが現れたように見えた。
だが、ロデュウは振り返らない。
一歩、前へ出る。
その前に、本物のヤパがいた。
見ていたのか。
読んだのか。
それとも、最初からそこに来るように誘導していたのか。
分からない。
ヤパの表情も変わらない。
ただ、少しだけ楽しそうだった。
鞭が巻く。
ロデュウの剣腕を狙う。
炎が細くなる。
広がっていた炎が、剣筋へ集まっていく。
熱が一点に絞られる。
ロデュウが息を吐いた。
「炎龍波」
剣が振られた。
炎が、龍の首のようにうねった。
波のように前へ走り、鞭の幻を飲み込む。
薔薇の花びらが、赤い炎の中で消える。
本物の鞭だけが、火を避けるように引かれた。
そこへ、ロデュウが入る。
速い。
真正面。
逃げ場を焼いてから、剣で詰める。
ヤパは下がる。
下がったように見えた。
だが、また距離がずれる。
ロデュウの剣が空を切る。
いや、完全には切っていない。
炎龍波の熱が、ヤパの袖をかすめた。
ヤパの目が、少しだけ細くなる。
初めて、反応らしい反応が見えた。
次の瞬間、鞭が絡む。
ロデュウの剣ではなく、足元。
炎の外側。
届かないはずの場所。
ロデュウの足が止まる。
一瞬。
ヤパが踏み込む。
鞭の柄が胸元へ向かう。
決まる。
そう見えた。
ロデュウの炎が、ふっと消えた。
いや、消えたのではない。
足元へ落ちた。
地面を走る炎。
ヤパの足が止まる。
その一瞬で、ロデュウの剣が戻る。
炎はもう大きくない。
細く、鋭い。
剣先が、ヤパの胸元の手前で止まった。
「そこまで!」
教師の声。
ヤパの鞭の柄は、あと少し届いていない。
ロデュウの剣は、胸元の手前。
決定打。
「勝者、ロデュウ・フリードリヒ」
観覧席が大きく沸いた。
「炎が幻を飲んだ……」
「でも、最後かなり危なかったぞ」
「ヤパ先輩、あそこまで入ったのか」
「ロデュウ殿下、強い」
ヤパは少しだけ首を傾げた。
負けたのに、あまり悔しそうには見えない。
ただ、面白いものを見たような顔をしていた。
ロデュウは丁寧に礼をする。
ヤパも、ふわりと礼を返す。
俺は息を吐いた。
幻惑を、炎で押し払う。
大技で雑に焼いたのではない。
広げる炎。
絞る炎。
足元へ落とす炎。
ロデュウは、炎の形を変えていた。
カリンの盾を越えた時と同じだ。
ただ大きいだけではない。
大きくもできる。
細くもできる。
そして、必要な場所に置ける。
だから強い。
炎龍波。
名前だけなら派手だ。
だが、実際に見たそれは、ただ派手な技ではなかった。
前へ進むための炎だった。
⸻
試合場の空気は、何度も変わった。
大槌の揺れ。
薔薇の幻。
土壁を振るうゴーレム。
全てを止める氷。
幻を焼く炎。
同じ順位戦なのに、別々の世界を見ているようだった。
俺は記録板を開きかけて、やめた。
書くことは多い。
多すぎる。
でも、今はまだ、文字にするには早い気がした。
大震撼。
ローズウィップ。
ウォールハンマー。
アブソリュートゼロ。
炎龍波。
技名は、ただの名前ではなかった。
そこに、その人の戦い方が入っている。
トルシエは、地面ごと相手を揺らした。
ヤパは、目と距離を狂わせた。
ソルベは、土壁をゴーレムで叩きつけた。
エルナは、動く土すら凍らせた。
ロデュウは、炎を龍のように走らせた。
俺はまだ、そこに名前をつけられるほどの技を持っていない。
小さな光。
一瞬の闇。
投擲。
短剣。
観察。
それでも、見た。
見てしまった。
上にいる人たちは、ただ強いだけではない。
自分の戦い方を、形にしていた。
試合場では、次の準備が始まっている。
順位戦は、まだ終わらない。
今年の序列も、まだ決まっていない。
俺は観覧席で息を吐いた。
どうやら、終盤は技名まで重いらしい。




