なんか帰る道にも目があるらしい
出発の日の朝は、学園の門前が騒がしかった。
荷物を積んだ馬車。
見送りに来た家人。
護衛らしき大人たち。
行き先を確認する教師。
そして、休暇を前に浮き足立った生徒たち。
夏の帰省でも見た光景だ。
それなのに、今日は違って見えた。
⸻
「ヨウカ」
振り向くと、カリンが立っていた。
制服ではなく、移動用の服。
盾は背負いやすいようにまとめられている。
剣もある。
ただの帰省なのに、戦える格好だった。
今のカリンなら、何を着ていてもそう見えるのかもしれない。
「カリン、おはようございます」
「おはよう」
挨拶を交わすだけで、まだ少し落ち着かない。
カリンは俺の荷物を一度見た。
「少ない?」
「アンナに、持ちすぎるなと書かれていました」
「アンナさんらしい」
「はい」
カリンの口元が緩む。
それだけで、フィル村が近くなった気がした。
「セリアさんとレナードさんも、帰りを楽しみにしていますか」
「うん。母さんは、ヨウカにも会いたいって」
「私にも?」
「うん」
胸の奥が温かくなる。
「ヨウカさん……かっ、カリン先輩!」
リーナが小走りで来た。
カリンを呼ぶ時だけ、声が引っかかる。
マリベルとエレシアも一緒だった。
「見送りですか」
「はい。気をつけてくださいね」
「大丈夫です。護衛もつきますし」
「そういうことじゃなくて」
リーナが眉を寄せた。
俺は黙った。
反論しても意味がない顔をしている。
マリベルが横から口を挟む。
「ヨウカの場合、道で何も起きなくても、何かを見つけて首を突っ込む可能性があるものね」
「人を何だと思っているんですか」
エレシアが静かに頷いた。
「帰省中は休むことを考えてください」
「はい」
返事はした。
守れるかは分からない。
⸻
「ヨウカ」
今度はカイルの声だった。
少し離れたところに立っている。
その後ろには、フォルデラ家の護衛らしき大人たち。
鎧を着込んでいるわけではない。
だが、立ち方が違う。
周囲を見る目。
馬車との距離。
門の外へ向く意識。
付き添いではない。
「行程表は見た?」
「はい」
「最初の休憩地点までは予定通り。途中で隊列が変わるかもしれないけど、指示があったら従って」
「分かりました」
カイルはカリンにも目を向けた。
「カリン先輩も、よろしくお願いします」
「こちらこそ」
二人が短く頷き合う。
カリンは三年生で、カイルは一年生だ。
それなのに、今のカイルは後輩に見えなかった。
フォルデラ家の子として話している。
本人も分かっているのだろう。
表情が少し硬い。
「カイルは帰らないんですか」
「僕は王都に少し残る。父上に呼ばれてるから」
「順位戦のことですか」
「それもあるし、帰省馬車の警備報告もある。たぶん、色々聞かれる」
「仕事ですね」
「そう。嫌になるくらいね」
言い方は軽い。
「気をつけて」
カイルは続けた。
「道中は安全にする。でも、安全な道でも、見る目は必要だから」
「はい」
「君は見すぎるけど」
「どっちですか」
「ほどほどに見て」
難しい注文だった。
カイルは笑った。
その笑みは、昨日より自然だった。
⸻
馬車が動き出す。
学園の門が後ろへ流れていく。
王都の石畳。
店の看板。
朝の市場へ向かう人。
武具を運ぶ商人。
荷を引く馬。
夏に帰った時も見たはずの景色。
それなのに、今日は別のものが見えた。
人が動く。
物が動く。
金が動く。
その流れに、護衛がつく。
誰かが道を守る。
誰かが狙う。
誰かが見逃す。
誰かが止める。
帰るだけでも、国の形が見える。
王都の門を抜けると、空気が変わった。
石と人の匂いが薄くなり、土と草の匂いが増える。
馬車の揺れも大きくなった。
道の脇に、冬を越した草が低く伸びている。
風が吹く。
精霊の気配が、王都の中より軽い。
気のせいかもしれない。
それでも、俺の魔法は俺だけのものではないのだと思う。
頼むもの。
応えてもらうもの。
精霊は道具ではない。
エルナ会長の言葉が、まだ残っている。
「どうしたの?」
隣のカリンが聞いた。
「少し、風が軽いと思って」
「精霊?」
「たぶん」
カリンは窓の外を見た。
「王都より、村に近いから?」
「そうかもしれません」
「触らない?」
「はい」
短く答えると、カリンは頷いた。
それ以上、聞かない。
昔なら、危ないならやめよう、とすぐ言っていた。
それが悪いわけではない。
ただ、聞き方が変わった。
カリンも学園で変わった。
変わっていないところは、変わっていない。
そこに安心する。
「カリンは、帰ったら何を話しますか」
カリンは少し考えた。
「順位戦のこと」
「はい」
「二十一位に入ったこと。ロデュウ先輩に負けたこと」
「悔しかったことも?」
「うん」
素直に頷いた。
「母さんには、隠しても分かる」
「セリアさんなら、分かりそうです」
「ヨウカは?」
「私は……負けたことから話すと思います」
「勝ったことじゃなくて?」
「勝ったことも話します。でも、ディオンさんに負けたことは、ちゃんと話したいです」
「どうして?」
「どこまで届いて、どこから届かなかったか。母さんと父さんには、知っておいてほしいので」
それから、少し遅れて付け足す。
「あと、誤魔化しても、たぶんバレます」
カリンが小さく笑った。
「母さんにも?」
「母さんには、顔でバレます」
「父さんは?」
「黙って聞いて、最後に一番痛いところを聞いてきます」
「……分かる」
二人で少し笑った。
フィル村はまだ遠い。
それでも、話していると近づいた気がした。
「あと」
カリンが窓の外を見たまま言う。
「ヨウカとちゃんと話したことも、母さんに言う」
返事が遅れた。
「それも話すんですか」
「うん」
「セリアさんに」
「うん。たぶん、気にしてたから」
カリンの声は静かだった。
「学園で、私がヨウカとどうしているか」
セリアさんは、カリンをよく見ている。
何を言ったかより、何を言わなかったかを見る人だ。
「ちゃんと話せたって言えば、安心すると思う」
「……そうですね」
学園にいて、同じ場所にいて、それでも話せていなかった。
順位戦が終わって、ようやく話した。
遅かったのかもしれない。
でも、話せた。
「また話しましょう」
「うん」
短い返事だった。
⸻
最初の休憩地点は、王都から少し離れた宿場だった。
馬車が止まり、生徒たちが順に降りる。
護衛が周囲を確認し、水を飲む者、体を伸ばす者、荷物を見直す者が散っていく。
俺も降りて、足を伸ばした。
長く座っているだけでも疲れる。
前世の感覚で平気だと思っていると、十一歳の体は普通に文句を言ってくる。
「ヨウカ」
カリンが水袋を渡してくる。
「ありがとうございます」
水を飲むと、少し落ち着いた。
その時、道の端で小さな声がした。
「痛っ」
反射的にそちらを見る。
商人らしき男の子が、荷箱の横でしゃがみこんでいた。
年は俺より少し上か、同じくらい。
足元に、小さな木片が落ちている。
周囲の大人は荷の確認をしていて、まだ気づいていない。
一歩、足が出かける。
そこで止めた。
ここは帰省中の馬車列で、護衛もいる。
勝手に動いていい場所ではない。
でも、見えてしまった。
「カリン」
「うん」
カリンはすでに気づいていた。
俺が行きたいことも、たぶん分かっている。
「近くまで。勝手に離れない」
「はい」
二人で近づく。
男の子は足首を押さえていた。
顔色は悪くない。
ただ、痛みで少し涙目になっている。
「大丈夫ですか」
「だ、大丈夫」
大丈夫と言う時の顔ではない。
「足を見てもいいですか。痛む場所を確認するだけです。嫌ならしません」
男の子は少し迷って、頷いた。
俺はしゃがむ。
触る前に見る。
足首。
靴の横。
小さな木片が靴底の端に引っかかっている。
血は見えない。
腫れもまだ強くない。
「ひねりましたか」
「荷箱を降ろそうとして、足が滑って」
「歩けますか」
「たぶん」
たぶん、は危ない。
俺はすぐ後ろの大人に声をかけた。
「すみません。足をひねったみたいです」
商人らしき大人が振り向いた。
「え、ああ、すみません」
「私は学園で救護の手伝いをしたことがあります。診断はできませんが、休ませた方がいいと思います」
言い方を選ぶ。
治すのではない。
判断を奪わない。
状態を伝えて、大人に渡す。
救護所でやったことと同じだ。
商人が慌てて男の子のそばに来た。
その間に、護衛の一人もこちらを見る。
列から離れてはいない。
カリンもいる。
「おい、無理に歩くな。荷は俺がやる」
「でも」
「でもじゃない」
男の子が口を閉じた。
大した怪我ではないかもしれない。
でも、ここで無理をすれば悪くなる。
旅の途中で足を痛めるのは、かなり困る。
「冷やすものはありますか」
商人は少し困った顔をした。
「冷たい水なら少し」
「布に含ませて、少し当てるくらいで。強く揉まない方がいいです」
「助かる」
商人が頭を下げた。
俺は首を横に振る。
「私は確認しただけです」
それでも、男の子の顔から力が抜けた。
戻る途中、カリンが小さく言った。
「すぐ行かなかった」
「はい」
「ちゃんと周りを見た」
「……少しは」
「うん。少し」
褒められているのか、釘を刺されているのか分からない。
たぶん両方だ。
「問診?」
「はい。少しだけ」
「帰る道でも使うんだね」
「使わないで済むなら、その方がいいです」
「でも、使えた」
カリンの声は静かだった。
戦うために伸びたもの。
救護所で伸びたもの。
どちらも、学園の外で使う。
⸻
休憩が終わり、馬車列は再び動き出した。
昼を過ぎると、王都の影はかなり遠くなった。
道の両側に畑が増える。
小さな村を過ぎる。
子どもが馬車を見て手を振る。
フォルデラ家の護衛が、隊列の前後を見ている。
良く使えば、誰かを家に帰せる。
カイルの言葉の意味が、馬車の揺れと一緒に染みてくる。
草の間に、小さな白い花が咲いていた。
鑑定を使えば、名前は分かる。
でも、使わなかった。
帰る道の景色として、ただ見た。
⸻
夕方前。
ルーベルへ向かう宿場が近づいた頃、馬車列が速度を落とした。
前方で護衛が動いている。
騒ぎではない。
ただ、隊列が詰まった。
道の端に、壊れた荷車があった。
車輪が外れている。
近くに、旅人らしき男女が二人。
荷の前には護衛が立っている。
こちらの護衛が一人、前へ出た。
距離があるので、話の内容までは聞こえない。
「故障でしょうか」
「かもしれない」
カリンの声も低い。
俺は窓の外を見る。
荷車。
車輪。
旅人。
道幅。
草の揺れ。
何もない。
何もない、ように見える。
でも、護衛たちの立ち方が変わっていた。
馬車列を完全には止めない。
前後を塞がない。
一台ずつ通せる幅を残している。
助けるだけではなく、罠かどうかも見ている。
俺は口を閉じた。
鑑定を使えば、何か分かるかもしれない。
でも、今は俺が前に出る場面ではない。
見る。
動かない。
必要なら、護衛が動く。
必要なら、カリンが動く。
必要なら、俺も動く。
その順番を間違えない。
少しして、隊列がまた動き出した。
荷車は本当に車輪が外れていただけらしい。
フォルデラ家の護衛が一人残り、近くの宿場まで手配するようだった。
馬車が通り過ぎる時、旅人の女が深く頭を下げた。
何も起きなかった。
何も起きないように、誰かが見ていた。
「ヨウカ」
カリンが小さく呼んだ。
「はい」
「今、動かなかった」
「はい」
「偉い」
「子ども扱いですか」
「少し」
否定しないのか。
⸻
宿に着いた頃には、体が重かった。
鑑定を使わなくても分かる。
眠い。
足がだるい。
頭もぼんやりする。
部屋で荷物を置くと、俺は記録板を開いた。
年度末帰省、出発。
フォルデラ家護衛。
休憩地点で足をひねった子。
見る。聞く。大人に渡す。
壊れた荷車。
護衛が確認。自分は動かず見る。
そこまで書いて、手が止まった。
今日は、何度か足が前に出かけた。
男の子の時。
壊れた荷車の時。
どちらも、すぐには動かなかった。
動かないことが正しいとは限らない。
でも、動くことだけが正しいわけでもない。
記録板に、もう一行だけ足す。
見ることと、動くことは同じではない。
記録板を閉じる。
隣の部屋から、誰かの笑い声が聞こえた。
明日は、さらにフィル村に近づく。
アンナ。
ヨシュア。
ルカ。
フィル村。
夏に帰った時とは違うものを持って帰る。
帰る場所は同じだ。
布団に入る。
目を閉じる前、カリンの声を思い出した。
今、動かなかった。
偉い。
子ども扱いは少し不満だった。
でも、今日はそれでいい。




