なんか闇は怖くないらしい
光魔法を覚えた。
と言っても、できることは小さな灯りを指先にともすくらいだ。
しかも、アンナが見ている時だけ。
勝手に使わない。
疲れたらやめる。
調子に乗らない。
この三つは、かなり強めに言われている。
まあ当然だ。
火花を出して家を燃やしかけた赤ん坊に、自由に魔法を使わせる大人がいたら、その大人の方が危ない。
俺は学んだ。
魔法は便利。
でも危ない。
そして、俺は無茶をしがち。
これはかなり重要な自己理解である。
「ヨウカ、今日は見るだけよ」
アンナが言った。
俺はアンナの膝の上で、こくりと頷く代わりに声を出した。
「あう」
見るだけ。
今度こそ見るだけである。
アンナの手元には、適性石があった。
以前、俺の魔法適性を調べた石だ。
その時、石は白と黒に強く反応した。
光と闇。
光の方は、すでに少しだけ触れた。
では、闇はどうなのか。
正直、気になっていた。
かなり気になっていた。
ただし、闇という言葉には少し引っかかりもある。
前世の知識で言えば、闇は悪役っぽい。
呪い、暗殺、魔王、邪悪、そういう印象がつきやすい。
この世界でもそうなのかは分からない。
アンナは雑に決めつけない人だ。
光だから善、闇だから悪ではないと言っていた。
でも、世間が同じように考えるとは限らない。
俺はまだ赤ん坊だが、前世の記憶がある。
人はよく分からないものを怖がる。
そして怖いものに、雑な名前をつける。
「闇は危ない」
「闇は悪い」
「闇は不吉」
そう言われる可能性は、普通にある。
アンナは俺の顔を見て、少しだけ笑った。
「怖い?」
怖いか。
俺は少し考えた。
闇そのものが怖いというより、闇を怖がる人の反応が怖い。
だが、赤ん坊にそんな説明はできない。
「あう」
曖昧な返事になった。
アンナは適性石を机に置き、部屋の灯りを少し落とした。
暖炉の火は残っている。
窓の外は夕方で、部屋の隅には薄い影がたまっていた。
「闇はね、悪いものじゃないわ」
アンナは静かに言った。
「夜がなければ、人は眠れない。影がなければ、強い光から目を守れない。隠れる場所がなければ、弱いものは逃げられない」
俺はアンナを見上げた。
「闇は、隠す。包む。鎮める。休ませる」
アンナは指先を動かした。
すると、部屋の隅の影がほんの少し濃くなった。
黒い。
けれど、嫌な感じはしなかった。
むしろ、静かだった。
暖炉の音が少し柔らかくなり、外の風の音が遠くなる。
「闇魔法の初歩。静影」
アンナが言った。
「音や光を少しだけ和らげる魔法よ。赤ちゃんを寝かせる時にも使えるわ」
赤ちゃん。
つまり今の俺である。
闇魔法、子守りにも使えるのか。
それはかなり意外だった。
闇という言葉の印象より、ずっと生活に近い。
アンナは影を見つめながら続けた。
「もちろん、使い方を間違えれば危ない。人を閉じ込めたり、見えなくしたり、怖がらせたりもできる」
それはそうだろう。
光も強すぎれば目を焼く。
闇も深すぎれば人を飲む。
結局、力は使い方次第だ。
アンナは俺を見た。
「だから、闇も勝手に使わない。いい?」
「あう」
もちろん。
勝手に使わない。
本当に。
たぶん。
アンナの目が少し細くなる。
信用がない。
まあ、仕方ない。
俺は信用を積み上げている途中の赤ん坊である。
⸻
その日の夜、雨が降った。
最初は静かな雨だった。
屋根に当たる音が、ぽつぽつと聞こえる。
俺は寝床にいた。
アンナは隣の部屋で薬草の整理をしている。
ヨシュアは剣の手入れをしていた。
暖炉の火は弱く、部屋は薄暗い。
悪くない夜だった。
むしろ、かなり落ち着く。
そう思っていたら、突然、空が光った。
白い閃光。
一拍遅れて、雷の音が響いた。
どん、と家全体が揺れたような気がした。
体が勝手に跳ねた。
喉が詰まる。
前世の記憶が、変なところで引っかかった。
大きな音。
怒鳴り声。
机を叩く音。
扉が乱暴に閉まる音。
雷はただの自然現象だ。
分かっている。
でも、体は分かっていなかった。
赤ん坊の体は、前世の理屈より先に反応する。
俺は泣いた。
「あ、ああ……!」
自分でも驚くくらい、勝手に泣いた。
アンナがすぐに来た。
「ヨウカ!」
抱き上げられる。
背中を撫でられる。
「大丈夫。雷よ。大丈夫」
大丈夫。
そう言われても、しばらく体が震えた。
ヨシュアも来た。
「かなり近かったな」
低い声。
でも、その声は怖くなかった。
ヨシュアは俺に近づく前に、必ず声をかける。
「ヨウカ、俺だ。近くにいるぞ」
それだけで、少し呼吸が戻った。
この人は、怒鳴るために来たのではない。
壊すために来たのではない。
ただ、俺の様子を見に来ただけだ。
そのことを、ひとつずつ体に教えなければならない。
アンナは俺を抱きしめながら、静かに魔力を流した。
部屋の影が、少し濃くなる。
さっき見た闇魔法。
静影。
雷の音が、少しだけ遠くなった。
雨音も柔らかくなる。
アンナの胸の音が近くなる。
とく、とく、とく。
心臓の音。
俺はその音を聞いて、少しずつ落ち着いた。
闇は怖くない。
少なくとも、この闇は怖くない。
この闇は、音を遠ざけてくれる。
強すぎる光から守ってくれる。
眠れるように包んでくれる。
俺はアンナの服を握った。
「あう……」
アンナは小さく息を吐いた。
「怖かったわね」
怖かった。
かなり怖かった。
でも、今は大丈夫だった。
ヨシュアが暖炉に薪を足そうとした。
アンナが止める。
「今日は少し暗いままでいいわ」
「そうか」
ヨシュアは素直に頷いた。
意外と柔らかい人だ。
いや、もう知っている。
ヨシュアは怖く見えることがある。
でも怖がらせたい人ではない。
これも、ちゃんと覚えておきたい。
⸻
雷はしばらく続いた。
そのたびに俺の体は少し跳ねた。
だが、最初ほどは泣かなかった。
アンナの闇魔法が、部屋を静かに包んでいたからだ。
その中で、俺は自分の胸の奥にある魔力を感じた。
光の時とは違う。
光は前に広がる感じだった。
窓が開くような感覚。
暗い場所に道ができる感覚。
闇は違う。
闇は後ろから包む。
外へ出すのではなく、内側へ戻す。
散ったものを静かに沈める。
呼吸が深くなる。
体の震えが、少しずつ小さくなる。
俺はアンナの魔力に、自分の魔力をほんの少しだけ近づけた。
勝手に出すな。
そう思った。
でも、これは出すというより、触れるだけ。
いや、その理屈も危ない。
前にも似たような言い訳をして事故りかけた。
俺は迷った。
使いたい。
知りたい。
でも、勝手にやるな。
アンナを見る。
アンナは俺の視線に気づいた。
「……やってみたいの?」
俺は小さく声を出した。
「あう」
やってみたい。
でも、勝手にはやらない。
そういうつもりだった。
アンナは少し悩んだ。
雷がまた鳴る。
俺の体が少し震える。
アンナは俺を抱いたまま、静かに言った。
「本当に少しだけよ。私の魔力から離れないこと。自分で広げようとしないこと」
「あう」
「怖くなったらすぐやめる」
「あう」
ヨシュアが近くで見ている。
「無理はさせるなよ」
「分かってる」
アンナの声は真剣だった。
俺も真剣だった。
火の時とは違う。
今回は勝手にやらない。
アンナが許可した範囲で、少しだけ触れる。
俺は胸の奥の魔力を、アンナの作る影にそっと近づけた。
指先ではない。
体の周りにある薄い影に、ほんの少しだけ。
すると、魔力が静かに沈んだ。
怖くない。
むしろ、落ち着く。
雷の音が、さらに少し遠くなった。
俺の周りだけ、薄い布で包まれたような感覚があった。
目の前の暗さが、嫌な暗さではなくなる。
夜の布団みたいな暗さ。
隠れるためではなく、休むための影。
俺は小さく息を吐いた。
頭の奥に、文字が浮かんだ。
〈闇魔法 LV1 を習得しました〉
来た。
覚えた。
火花の時みたいな疲労感は少ない。
光の時とも違う。
ただ、胸の奥が静かになっている。
アンナが俺を見た。
「できた?」
「あう」
できた。
ほんの少しだけ。
アンナは俺の額を撫でた。
「よくできたわ。でも、ここまで」
俺はすぐに魔力を引っ込めた。
影はアンナの魔法だけに戻る。
止められた。
それが嬉しかった。
使えたことより、止められたことの方が大事。
これはもう、何度も言われている。
俺はそれを少しずつ覚えている。
⸻
翌日、カリンが来た。
雨は上がっていたが、庭はぬかるんでいる。
カリンは家に入るなり、俺の顔を覗き込んだ。
「よーか、きのう、ないた?」
誰だ、報告したのは。
アンナである。
台所で目を逸らしている。
間違いない。
俺は抗議した。
「あー!」
カリンは真剣だった。
「かみなり、こわい?」
怖い。
少なくとも昨日は怖かった。
俺が黙っていると、カリンは少し考えた。
そして自分の胸を叩いた。
「わたし、こわくない」
そうか。
強いな。
「でも、よーか、こわいなら、わたし、いる」
俺はカリンを見た。
カリンは本気だった。
雷に勝てるかどうかは分からない。
いや、普通に勝てないだろう。
でも、そういう問題ではないらしい。
怖い時に、一人にしない。
それがカリンの言いたいことなのだろう。
俺は小さく声を出した。
「あう」
カリンは満足そうに頷いた。
「よし」
また「よし」だ。
この子の「よし」は、たぶん確認印のようなものだ。
カリンは俺の隣に座り、木剣を置いた。
「よーか、やみ、つかった?」
今度は誰が言った。
アンナだろう。
俺はアンナを見た。
アンナは少し困ったように笑った。
「大丈夫。カリンには、怖くない闇だって説明したわ」
カリンは俺をじっと見た。
「やみ、こわくない?」
俺は少し考えた。
そして声を出した。
「あう」
怖くない。
少なくとも、俺が昨日触れた闇は怖くなかった。
カリンは頷いた。
「じゃあ、いい」
いいのか。
納得が早い。
「よーかのなら、こわくない」
それは少し危うい考え方だ。
俺の力なら全部怖くない、とは限らない。
むしろ、俺自身が一番気をつけないといけない。
力は持ち主で善悪が決まるわけではない。
使い方と目的で決まる。
アンナが言っていた。
だから、カリンにそう思われるのは少し困る。
俺はカリンの手を握った。
「あう」
たぶん、気をつける。
そういうつもりで。
カリンは俺の手を握り返した。
「うん」
伝わったのかは分からない。
でも、カリンは少しだけ真面目な顔をした。
「よーか、あぶないこと、だめ」
やっぱり伝わっているかもしれない。
⸻
その夜、俺は自分を鑑定してみた。
【ヨウカ】
状態:健康
MP:18 / 20
〈ノーマルスキル〉
観察 LV2
魔法操作 LV1
生活魔法 LV1
〈レアスキル〉
鑑定 LV1
精霊魔法 LV1
光魔法 LV1
闇魔法 LV1
〈エクストラスキル〉
医学 LV1
叡智 LV-
?? LV-
光魔法。
闇魔法。
両方が並んでいる。
なんだか不思議だった。
光と闇。
前世の感覚では、対立するもののように思える。
だが、今の俺には、どちらも必要なものに思えた。
光は照らす。
闇は包む。
光がなければ見えない。
でも、闇がなければ休めない。
人も同じかもしれない。
明るいところだけでは生きられない。
かといって、暗いところに沈みきってもいけない。
見せられる部分。
隠したい部分。
言えること。
言えないこと。
助けたい気持ち。
助けを求められない弱さ。
そういうものが、人にはある。
俺にもある。
前世の俺にも、たぶんたくさんあった。
夜が怖い時。
声が出ない時。
助けてほしいのに、助けてと言えなかった時。
もしあの時、誰かが静かな闇で包んでくれたら。
いや、考えても仕方ない。
過去は戻らない。
でも、今は違う。
アンナがいる。
ヨシュアがいる。
カリンがいる。
そして俺には、少しだけ光と闇がある。
それを何に使うかは、これから決めることだ。
ただ、一つだけ分かった。
闇は怖くない。
怖いのは、闇に何を隠すか。
闇を何のために使うか。
たぶん、そこだ。
どうやら俺は、闇魔法も覚えたらしい。
そしてそれは、思っていたよりずっと優しいものでもあるらしい。




