なんか火が出たらしい
魔法操作を覚えた。
と言っても、できることはかなり少ない。
胸の奥にある魔力を感じる。
指先に少し集める。
散らさずに止める。
そして、引っ込める。
以上である。
火球を飛ばせるわけではない。
水を出せるわけでもない。
空を飛べるわけでもない。
ただ、魔力を少しだけ動かせるようになった。
前世の感覚で言えば、野球部に入って最初にやる「ボールの握り方を覚えた」くらいだろうか。
投げられるとは言っていない。
試合に出られるとも言っていない。
ただ、握り方は分かった。
その程度である。
だが、それでも大きな一歩だった。
なにしろ、この世界には魔法がある。
そして俺には魔力がある。
使い方を間違えれば危ない。
でも、ちゃんと使えれば、きっと誰かの役に立つ。
そこまでは分かってきた。
問題は、俺がまだ一歳児ということだった。
「あー」
俺は自分の手を見つめた。
小さい。
本当に小さい。
この手で何かを救うとか、正直まだ想像がつかない。
それでも、できることが一つ増えたのは嬉しかった。
「ヨウカ」
アンナの声がした。
俺は顔を上げる。
アンナは椅子に座り、俺を自分の膝の上に乗せた。
「今日も少しだけ練習しましょう」
練習。
魔法の練習である。
ただし、アンナはかなり慎重だった。
前に俺が勝手に魔力を動かして体内で散らしたせいで、完全に警戒されている。
まあ、当然だ。
勝手にやって体調を崩した赤ん坊など、警戒されて当たり前である。
「今日は出す練習じゃないわ。止める練習」
また止める練習か。
そう思ったが、文句は言えない。
というか、赤ん坊なので文句を言う語彙がない。
「あう」
俺は返事をした。
アンナは俺の背中に手を添えた。
「吸って」
俺は息を吸う。
「吐いて」
息を吐く。
胸の奥にある温かさを感じる。
動かさない。
暴れさせない。
ただ、そこにあると分かる。
アンナは言った。
「魔法は、強く出せる人より、出さないでいられる人の方が大事なの」
かなり正論である。
俺は内心で頷いた。
前世の部活でもそうだった。
力任せにやる奴より、止まれる奴、合わせられる奴、状況を見られる奴の方が強い。
全力を出すことより、必要な時に必要な分だけ出せること。
魔法もたぶん同じなのだろう。
アンナは、俺の指先に自分の指を添えた。
「ここに少しだけ集めて」
俺は魔力を動かした。
ほんの少しだけ。
指先に温かさが集まる。
前よりも安定している。
アンナは頷いた。
「そう。上手」
褒められた。
赤ん坊の体は単純なので、褒められると普通に嬉しい。
だが、ここで調子に乗ると事故る。
俺はすぐに魔力を引っ込めた。
アンナが笑った。
「ちゃんと止められたわね」
「あう」
止めました。
俺は成長している。
たぶん。
⸻
しばらくして、アンナは暖炉の前に移動した。
「今日は、生活魔法を見せましょうか」
生活魔法。
俺は首をかしげた。
「あう?」
アンナは小さく笑った。
「生活魔法はね、日常生活で使うための簡単な魔法よ」
そう言って、アンナは指先に小さな光を灯した。
光というより、淡い明かり。
ろうそくほども強くない。
「灯りをつける。水を少し動かす。洗濯物を乾かす。火を起こしやすくする。小さな汚れを落とす。そういう、生活のための魔法」
なるほど。
戦闘用ではない魔法。
前世で言えば、家電や道具に近いのかもしれない。
アンナは暖炉の中の火を見た。
「例えば、火をつける時に少し火花を出したり、火を長持ちさせたりすることもあるわ」
火。
俺は暖炉を見た。
赤く揺れる炎。
前世でも火は見たことがある。
コンロ、焚き火、花火、ストーブ。
だが、この世界の火は少し違って見える。
暖炉の中で揺れる炎に、魔力の流れのようなものが絡んでいる気がした。
アンナが指を立てる。
小さな火花が、指先でぱちりと弾けた。
本当に小さい。
火魔法というより、火打石の代わりのようなものだった。
「これは生活魔法の初歩。火種を作るための火花ね」
火魔法ではないのか。
俺は少し意外に思った。
アンナはその顔を見て、説明を続ける。
「本格的な火魔法は、火の適性がある人が学ぶものよ。火球を飛ばしたり、炎の壁を作ったり、そういうもの」
それはかなり危ない。
「でも生活魔法は、適性が弱くても少しなら使えることがあるの。もちろん、向いていない現象を無理に起こすと疲れるけどね」
なるほど。
適性は、使用許可ではなく、伸びやすさや効率の問題。
使えることと、使い物になることは別。
これもまた正論である。
アンナは俺を見た。
「ヨウカ、火は便利よ。温められる。明かりになる。料理もできる。薬草を乾かすこともできる」
アンナは暖炉の火を見つめる。
「でも、家も森も人も焼ける」
俺は黙って聞いた。
火は便利。
でも危険。
これは分かりやすい。
前世でも、火を雑に扱えば普通に事故になる。
魔法ならなおさらだ。
「だから、ヨウカ」
アンナは俺を見た。
「火に関わる生活魔法は、勝手に使わない。いい?」
「あう」
もちろん。
勝手に使わない。
少なくとも、今は。
アンナは俺の顔を見て、少しだけ疑うような目をした。
信用が低い。
自業自得である。
「本当に分かってる?」
「あー」
分かっています。
たぶん。
アンナは小さく息を吐いて、それから指先の火花を消した。
「今日は見るだけ」
見るだけ。
俺は少し残念に思った。
だが、正しい。
一歳児に火花を出させるのは、普通に考えてかなり怖い。
俺が親でも止める。
そう思った瞬間、暖炉の火が少し揺れた。
外から風が入ったらしい。
窓の隙間が鳴っている。
その時、棚の上の乾いた布が、風でふわりと落ちた。
布は、暖炉の近くへ落ちた。
まずい。
俺は反射的に声を出した。
「あっ!」
アンナも気づいた。
手を伸ばす。
だが、布の端が火に近づく方が少し早かった。
俺の頭の中で、いくつかの情報が走った。
乾いた布。
火に近い。
引火の危険。
距離を取る。
風で押す。
火を弱める。
燃える前に止める。
体は動かない。
赤ん坊だから。
アンナが届く。
たぶん間に合う。
それでも、俺の指先に魔力が集まった。
勝手に。
いや、違う。
俺が集めた。
小さく、短く。
火を出すのではない。
暖炉の火の揺れを、ほんの少しだけ押し返すように。
次の瞬間、俺の指先から小さな火花が散った。
ぱちん。
本当に、小さな音だった。
だが、その火花は暖炉の火とぶつかるように弾け、布の端が燃える前に、炎の揺れをほんの少しだけ押し戻した。
アンナが布を掴む。
床に叩き落とす。
火は移らなかった。
沈黙。
アンナが俺を見た。
ヨシュアが外から入ってきた。
「今の音は何だ?」
俺は自分の指を見た。
指先がじんじんする。
痛いほどではない。
でも、かなり疲れた。
頭の奥に文字が浮かぶ。
〈生活魔法 LV1 を習得しました〉
……覚えた。
覚えてしまった。
火魔法ではない。
生活魔法。
つまり、俺がやったのは本格的な火属性魔法ではなく、生活魔法の範囲で火花を出しただけということらしい。
それでも、疲れ方はなかなかひどい。
燃費が悪い。
たぶん俺は、火そのものにはあまり向いていないのだろう。
俺はアンナを見た。
アンナは、ものすごく複雑な顔をしていた。
怒っている。
心配している。
驚いている。
たぶん、少しだけ感心もしている。
一番困る顔である。
「ヨウカ」
静かな声。
これは怒られる。
確実に怒られる。
俺は赤ん坊らしく、視線を逸らした。
「あう……」
ヨシュアが布を見て、状況を察したらしい。
「火が移りかけたのか?」
アンナは頷いた。
「ええ。私が取った」
そこまでは事実である。
「でも、その前に……ヨウカが生活魔法で火花を出した」
ヨシュアが俺を見た。
「一歳で?」
やめてほしい。
そんな「うちの子、何者?」みたいな顔をしないでほしい。
俺も分からない。
アンナは俺の手を取った。
指先を確認する。
「火傷はしてない。魔力も……減ってるけど、暴走はしてない」
よかった。
本当によかった。
ただ、かなりだるい。
俺はアンナにもたれた。
アンナは俺を抱き直した。
「助けようとしたのは分かったわ」
優しい声だった。
だが、そこで終わらない。
「でも、勝手に火を使ったのは駄目」
正論である。
完全に正論である。
俺は反論できない。
赤ん坊だからではなく、普通に反論できない。
布に火が移りそうだった。
だから使った。
これは理由にはなる。
でも、安全確認なしで火に関わる魔法を使ったのも事実だ。
もし魔力が暴走していたら。
もし布ではなく家に火がついていたら。
もし俺自身が火傷していたら。
善意でも、結果が悪ければ事故である。
アンナは俺の額に自分の額を軽く当てた。
「人を助けたいなら、自分も周りも危なくしちゃ駄目」
刺さる。
かなり刺さる。
たぶん、これは今後ずっと覚えておいた方がいい言葉だ。
人を救うために、自分や周りを危険にする。
それは、かなりあり得る。
俺はそういうことをしそうな性格なのかもしれない。
知りたい。
助けたい。
何とかしたい。
それ自体は悪くない。
でも、それで余計に危険を増やしたら意味がない。
俺は小さく声を出した。
「あう」
ごめんなさい。
伝わったかは分からない。
でも、アンナは少しだけ表情を緩めた。
「分かったならいいわ」
ヨシュアは隣で腕を組んでいた。
「まあ、火が移らなかったのは助かった」
アンナが睨む。
「ヨシュア」
「いや、怒るのは分かる。でも助かったのも事実だ」
「それはそうだけど」
ヨシュアは俺を見た。
「ヨウカ」
低い声だった。
俺は少し身構えた。
でも、ヨシュアの声は怖くなかった。
「助けようとするのは悪くない。ただ、助けた後に生きて怒られろ」
妙に実感のある言葉だった。
アンナが苦笑する。
「それ、あなたが昔よく言われてたやつでしょ」
「うるさい」
なるほど。
ヨシュアも無茶をする側だったらしい。
少し親近感が湧いた。
いや、湧いている場合ではない。
俺もそっち側になりかけている。
⸻
その日の夜、俺はよく寝た。
というより、寝るしかなかった。
小さな火花一つで、体はかなり疲れていた。
MPが減ったのだろうか。
自分を鑑定してみると、表示が少し変わっていた。
【ヨウカ】
状態:疲労
MP:12 / 20
〈ノーマルスキル〉
観察 LV2
魔法操作 LV1
生活魔法 LV1
〈レアスキル〉
鑑定 LV1
精霊魔法 LV1
〈エクストラスキル〉
医学 LV1
叡智 LV-
?? LV-
MPが8も減っている。
小さな火花でこれか。
燃費が悪すぎる。
いや、たぶん俺の使い方が下手なのだ。
それに、火に向いていない可能性も高い。
生活魔法だから使えた。
でも、本格的な火魔法を覚えたわけではない。
ここを勘違いしてはいけない。
少しできることと、向いていることは別。
向いていないことを無理にやれば、負担が大きい。
これもまた正論である。
それでも、生活魔法は覚えた。
嬉しい。
だが、怖い。
その両方があった。
火花は出せる。
でも、使えば疲れる。
間違えれば燃える。
助けようとしても、危ない。
便利な力ほど、雑に扱ってはいけない。
それはかなり分かった。
⸻
翌日、カリンが来た。
俺が寝床で大人しくしていると、カリンはすぐに顔を近づけてきた。
「よーか、ぐあいわるい?」
「あう」
少し疲れているだけだ。
カリンは眉を寄せた。
「むちゃした?」
なぜ分かる。
いや、アンナが話したのかもしれない。
アンナは台所で苦笑している。
やはり話したらしい。
カリンは俺の手を握った。
「ひ、だした?」
「あう」
出しました。
少しだけ。
「だめ」
怒られた。
幼馴染に怒られた。
「よーか、あぶない」
「あう」
「わたし、しんぱいする」
また言われた。
胸が少し痛んだ。
カリンは俺の手を両手で包んだ。
「ひ、つかうなら、ひとり、だめ」
それは本当にその通りだ。
一人でやるな。
勝手に危ないことをするな。
その意味だろう。
俺はカリンの手を握り返した。
「あう」
分かった。
カリンはしばらく俺を見てから、ようやく頷いた。
「よし」
また「よし」である。
この子の中で、俺は完全に見守り対象になっている。
まあ、実際そうなのかもしれない。
俺は一歳児で、魔法を覚えたばかりで、しかも無茶をする可能性がある。
見守り対象としては妥当だ。
⸻
その夜、アンナは俺に小さな約束をさせた。
「生活魔法は、私かヨシュアがいる時だけ」
「あう」
「火に関わることは、絶対に一人でしない」
「あう」
「疲れたらすぐやめる」
「あう」
「カリンの前で格好つけて使わない」
「あ……う」
そこは少しだけ間が空いた。
アンナの目が細くなる。
「ヨウカ?」
「あう」
使いません。
たぶん。
いや、使わない。
アンナはため息をついた。
「本当に目が離せないわね」
その声は呆れていたが、嫌そうではなかった。
俺はアンナに抱かれながら、暖炉の火を見た。
赤く揺れる炎。
怖い。
でも温かい。
危ない。
でも必要。
魔法もきっと同じだ。
何かを救う力は、何かを壊す力でもある。
それを忘れてはいけない。
どうやら俺は、生活魔法を覚えたらしい。
そして同時に、火を出すより大事なことも、少しだけ覚えたらしい。




