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なんか捨て子の女の子に転生したらしい  作者: ダレイワス1世
第四章 フィル村歳月編
58/92

なんか行きたいだけじゃ足りないらしい

翌朝、カリンはレナードさんの作業場にいた。


左腕の布は外れている。


でも、まだ盾は構えていない。


レナードさんは、カリンの小さな木盾を机に置き、革紐を外していた。


「この紐は替えだな」


「壊れてない」


「壊れてから替えるもんじゃない」


レナードさんは紐を引っ張った。


きし、と細い音がした。


カリンは黙った。


俺は少し離れて見ていた。


木の削りかす。

革。

金具。

油。


ルーベルのゴルダンさんの工房とは違う。


ここは、カリンの家の作業場だ。


レナードさんは盾の縁を指でなぞった。


「傷が増えたな」


カリンは盾を見る。


灰牙鼠の歯が当たった跡は、まだ残っている。


「直す?」


「全部は直さん」


「なんで」


「残す傷もある」


レナードさんは、欠けたところだけ小さく削った。


「使えりゃいい。消すもんと、残すもんを間違えるな」


カリンは頷いた。


少し真面目すぎる顔だった。


レナードさんは手を止め、カリンを見る。


「学園の話、聞いた」


「うん」


「受けたいのか」


カリンはすぐには答えなかった。


昨日なら、もっと黙っていたと思う。


今日は少し早かった。


「考えてる」


「そうか」


レナードさんは急かさなかった。


机の端から古い布袋を取る。


中には革紐、予備の金具、薄い油布、小さな砥石が入っていた。


「受けるなら、道具も考える」


「盾?」


「盾だけじゃない。濡れた時、紐が切れた時、荷物に入れる時。王都まで俺が毎日ついていくわけじゃない」


カリンの目が少し揺れた。


壊れた盾を、すぐレナードさんに渡せる場所ではない。


カリンは盾を見る。


「自分で?」


「全部は無理だ。でも、何が困るかは知っとけ」


レナードさんは俺にも視線を向けた。


「ヨウカも同じだぞ」


「私もですか」


「薬草袋でも記録板でも、壊れたら困るものはあるだろ」


ある。


かなりある。


肩の紐を見る。


切れたら困る。


濡れても困る。


落としても困る。


今言われると、急に荷物の重さが変わった。


昼前、村長の家でまた話し合いがあった。


昨日より人は少ない。


村長。

アンナ。

ヨシュア。

セリアさん。

レナードさん。

カリン。

俺。


机の上には、何枚かの紙が広げられていた。


村長はその一枚を指で押さえる。


「推薦状は、村から出せる」


カリンの背筋が伸びた。


「ただし、書くには理由がいる」


理由。


カリンは口を結んだ。


「強いから、だけでは弱い。何を学びたいのか。学んでどうするのか。そこを書く」


カリンは黙った。


ヨシュアもアンナも何も言わない。


セリアさんは手を膝の上で重ねている。


レナードさんは腕を組んでいる。


カリンが答えるまで、誰も助けなかった。


俺は膝の上で手を握った。


助けたくなる。


でも、これはカリンの言葉だ。


カリンはゆっくり息を吸った。


「守れるように、なりたい」


村長は頷いた。


「誰を」


カリンの目が一瞬、俺に向いた。


すぐ戻る。


「家族。村。隣にいる人」


そこで止まる。


カリンは少し眉を寄せた。


「あと、守るだけじゃなくて、止められるように」


「止める?」


「魔物とか、怪我とか、悪いこととか。見てるだけじゃなくて」


部屋は静かだった。


村長は紙に何かを書いた。


「悪くない」


カリンの肩が少し下がる。


村長はもう一枚の紙を出した。


「次は、試験だ」


カリンの肩がまた上がった。


「剣や盾の実技だけではない。読み書き、計算、簡単な面接もある」


「計算」


カリンが小さく言った。


嫌そうだ。


分かる。


村長は紙の端を指した。


「これを読めるか」


カリンは紙を見る。


眉間にしわが寄る。


「……受験者は、試験当日の朝、鐘二つ前までに、正門前の受付に……」


そこで止まった。


「何?」


「この字」


村長が覗く。


「集合」


「集合、か」


カリンはもう一度読む。


今度は少し滑らかだった。


俺は口を出さない。


カリンは最後まで読み切った。


短い文なのに、息を吐いている。


村長は頷いた。


「読めない字は、試験までに潰す」


「はい」


「次はこれだ」


今度は小さな計算だった。


旅費の見積もり。


馬車代。

宿代。

食費。

付き添い一人分。


カリンの顔が、剣を向けられた時より険しくなった。


「多い」


「多いな」


村長は普通に答えた。


「王都は遠い。受けて落ちても、その金は戻らん」


セリアさんの手に力が入った。


レナードさんは黙っている。


カリンは紙を見る。


数字を追う目が、いつもより遅い。


「受けるのに、こんなにいる」


「いる」


村長は誤魔化さなかった。


カリンは俯いた。


俺も紙を見る。


馬車は勝手に走らない。


宿はただでは泊まれない。


付き添う大人は、その間の仕事を空ける。


カリンが行くということは、カリンだけの話ではなかった。


セリアさんが静かに言った。


「お金のことは、大人が考える。でも、知らないまま行くのは違うわ」


カリンは顔を上げる。


「うん」


「寮に入るなら、洗濯も、荷物も、手紙も覚えないとね」


「手紙」


「送るのよ。心配するから」


カリンは少し気まずそうな顔をした。


「書く」


「読む人が分かる字でね」


「……うん」


レナードさんが低く笑った。


カリンが睨む。


「父さんも読む?」


「読む」


「じゃあ、ちゃんと書く」


「俺が読まないなら雑でいいのか」


カリンは返事をしなかった。


セリアさんが小さく笑った。


俺も少し笑いそうになって、こらえた。


机の紙は、まだ消えない。


村長は次に、古い地図を出した。


フィル村。

ルーベル。

街道。

途中の宿場。

王都アレクシア。


線で見れば、近く見える。


実際は違う。


「王都へ行くなら、最低でも数日はかかる」


村長が指で道をなぞる。


「道中で魔物が出ることもある。馬車が遅れることもある。雨なら進みにくい。子どもだけでは行けん」


カリンは地図を見ていた。


俺も見る。


フィル村が小さい。


ルーベルも小さい。


王都アレクシアは、紙の上でも大きく書かれている。


ヨシュアが言う。


「行くなら、俺が付き添う」


アンナがヨシュアを見る。


「私も行く」


「ルカがいる」


「分かってる。だから話す」


短い言葉だった。


でも、その下に考えることがたくさんあった。


ルカ。

村の仕事。

治療院。

工房。

家。

道中。

カリンの試験。


カリンは唇を噛んだ。


「大変」


「そうだ」


ヨシュアが答える。


「行くのは大変だ。行かないのも、たぶん大変だ」


カリンはヨシュアを見た。


「行かないのも?」


「行かなければ、今の場所で鍛える。学園で得られるものは得られない」


カリンは視線を落とす。


俺はその横顔を見た。


昨日より大人びて見えた。


そう思ってから、違うと思った。


急に、選ぶものが増えたのだ。


村長が紙をまとめる。


「今日決める必要はない」


カリンは頷いた。


「見ます」


「何を?」


村長が聞く。


カリンは少し考えた。


「字。計算。荷物。道。お金。手紙」


村長は一度だけ頷いた。


「よし」


その日の午後、カリンは村長の家に残って、案内文の写しを読むことになった。


俺も残ろうとしたが、ヨシュアに止められた。


「ヨウカは今日は帰る」


「でも」


「カリンの準備だ」


口を閉じた。


カリンは俺を見る。


「大丈夫」


「うん」


「読めない字、後で聞く」


「私に?」


「うん」


「いいの?」


「いい」


カリンは紙を持った。


「でも、最初は自分で読む」


俺は頷いた。


「うん」


家に戻る道で、アンナは俺に聞いた。


「見ていて、どうだった?」


「多かった」


「そうね」


「行きたいだけじゃ、足りないんだね」


アンナは少しだけ俺を見た。


「足りないわね」


「私も、二年後に同じことするの?」


「たぶん、もっと多いわ」


「もっと」


「ヨウカは、学びたいことが多いでしょう」


否定できなかった。


治療も、薬草も、魔法もある。


文字も記録も、精霊のことも、体のこともある。


それから、カリンのことも。


最後の一つは、口には出さなかった。


アンナは歩きながら言う。


「でも、全部を今日から抱える必要はないわ」


「うん」


「今日は、カリンちゃんの話」


「うん」


家に着くと、ルカが縁側で座っていた。


立とうとして、座る。


また立とうとして、アンナを見る。


アンナは少し待つ。


俺も待つ。


ルカは結局、尻もちをついた。


泣かなかった。


自分の手を見て、不思議そうな顔をしている。


俺はその横に座った。


「足りなかった?」


ルカは返事をしない。


当たり前だ。


でも、もう一度手をついて、立とうとした。


俺は記録板を出さなかった。


今日は、書かなくても残りそうだった。


夕方、カリンが家の前まで来た。


手には紙を持っている。


「読めた?」


俺が聞く。


「だいたい」


「集合は?」


「読める」


「計算は?」


カリンは少し黙った。


「嫌い」


「分かる」


「でも、やる」


紙の端には、カリンの字がいくつも並んでいた。


少し歪んでいる。


でも、読み直した跡があった。


カリンは紙を胸の前で持つ。


「受けたい」


俺は息を吸った。


昨日より、返事は少しだけ早かった。


「うん」


「でも、まだ足りない」


「うん」


「だから、やる」


カリンはそう言った。


強い声ではない。


でも、逃げていない声だった。


俺は頷いた。


「私も、準備する」


「まだ受けないのに?」


「まだ受けないから」


カリンは少し笑った。


「変なの」


「たぶん」


カリンは紙を持ち直し、家の方へ帰っていく。


その背中は、昨日より少し遠く見えた。


でも、見えなくなるほど遠くはない。


俺は玄関先に立ったまま、しばらく見ていた。

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