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なんか捨て子の女の子に転生したらしい  作者: ダレイワス1世
第四章 フィル村歳月編
56/92

なんか治療院は静かじゃないらしい

翌朝、カリンはまだ左腕を布で吊っていた。


本人は不満そうだった。


「痛みは?」


アンナが聞く。


「昨日よりまし」


「動かした?」


「ちょっと」


アンナの目が細くなる。


カリンは視線をそらした。


「ちょっとだけ」


「今日は治療院で見てもらってからね」


「はい」


返事はした。


納得した顔ではない。


俺は横で水筒を包んでいた。


昨日より手は落ち着いている。


落ち着いている、と思いたい。


ヨシュアは荷を確認しながら言った。


「今日は戦いに行くわけじゃない」


「はい」


「だが、道は見る」


「はい」


昨日と同じ道を通る。


それだけで、腹の奥が重くなる。


カリンが俺を見た。


「怖い?」


「怖い」


言ってから、自分でも驚いた。


カリンも目を丸くした。


「言った」


「言った」


「なら、いい」


ルーベルへの道には、昨日の跡が残っていた。


草が倒れている。

土が削れている。

門へ向かう兵士の足跡が増えている。


灰牙鼠の体はもうない。


ない方がいい。


でも、なかったらなかったで、昨日のことが嘘みたいにも見えた。


木札に触りかけて、やめる。


今日は歩く。


書くのは後でいい。


ルーベルの門番は俺たちを見ると、すぐ頷いた。


「昨日の子たちか。治療院なら、もう話は通っている」


話が通っている。


俺たちが知らないところで、昨日の出来事が紙と口で動いている。


治療院は、門から近い通りにあった。


昨日も来た。


でも、昨日はほとんど周りを見ていなかった。


今日は少しだけ見える。


木の扉。

使い込まれた取っ手。

壁に干された白い布。

窓辺の薬草。

桶。

水場。


中に入ると、思ったより音があった。


咳。

泣き声。

布を絞る音。

水を捨てる音。

誰かが小声で謝る声。

誰かが強めに叱られる声。


薬草の匂いもある。


湯の匂い。

汗の匂い。

血に近い匂い。

焦げた匂い。


静かな場所ではなかった。


治療院の女性が、カリンを見る。


「腕ね。こっちへ」


カリンは椅子へ座った。


ヨシュアとアンナは近くに立つ。


俺は少し離れた。


見える場所。


邪魔にならない場所。


女性は布を外し、カリンの腕を確認した。


「昨日より腫れは引いているわね。指、動かして」


カリンが指を曲げる。


「痛みは?」


「曲げると痛い」


「しびれは?」


「昨日より少ない」


「よし。骨は大丈夫そう。今日はまだ吊っておくこと。走らない。盾も持たない」


カリンの眉が動いた。


「軽い盾も?」


「持たない」


「木剣も?」


「持たない」


「見るだけ?」


「見るだけ」


カリンは黙った。


女性は、カリンの顔を見て笑った。


「見るだけも仕事よ」


カリンは左腕を見た。


「仕事」


「そう。治すのも、仕事のうち」


カリンは渋い顔で頷いた。


完全には納得していない。


でも、言葉は入ったように見えた。


俺は治療院の中を見ていた。


奥の長椅子に、ドワーフの男が座っている。


顔に見覚えがあった。


ゴルダンさんだ。


ルーベルの工房通りで、盾や道具を見てくれた職人。


右の前腕に布が巻かれている。


火傷だろうか。


ゴルダンさんは、治療院の人に腕を見せながら、面倒くさそうな顔をしていた。


「こんなもん、冷やせばいいだろ」


「冷やした後で来なさいと言ったでしょう」


「仕事があった」


「手が使えなくなったら、その仕事もできません」


「大げさだ」


治療院の女性は慣れている顔だった。


ゴルダンさんは火傷の方ばかり気にしている。


でも、俺の目は別のところで止まった。


左手。


火傷していない方の手。


膝の上で握ったり開いたりしているが、中指と薬指の動きが遅い。


腕をかばっているだけかもしれない。


俺は一度止まる。


見た。


でも、まだ分からない。


アンナを見る。


アンナはこちらに気づいた。


「どうしたの?」


「ゴルダンさんの、火傷じゃない方の手」


声を落として言う。


「動きが変に見える」


アンナの目が、ゴルダンさんの手へ向いた。


それから治療院の女性へ視線を送る。


女性も気づいた。


「ゴルダンさん。左手も見せて」


「左は怪我してない」


「見せて」


「だから」


「見せて」


ゴルダンさんは嫌そうな顔で、左手を出した。


女性が指を一本ずつ動かす。


ゴルダンさんの眉間にしわが寄った。


「そこ、痛い?」


「痛くない」


「顔」


「……痛い」


カリンが小さく俺を見る。


たぶん、俺も同じ顔をした。


女性は手首から肘まで触っていく。


「いつから?」


「前から」


「どれくらい前?」


「……春から」


「それは前からじゃなくて、ずっと隠していたって言うの」


治療院の空気が少し変わった。


火傷の処置より、左手の方が長く見られた。


ゴルダンさんは不満そうだったが、途中から黙った。


「今日は工房に戻らないこと」


「無理だ」


「戻らないこと」


「納期が」


「手が壊れたら納期どころじゃありません」


ゴルダンさんは口を閉じた。


女性は、ゴルダンさんの手に布を巻いた。


「火傷は処置します。左手は使いすぎ。しばらく力仕事は禁止」


「職人に手を使うなと?」


「壊すなと言っています」


ゴルダンさんは返事をしなかった。


でも、布を外そうとはしなかった。


俺はその手を見ていた。


目立つ怪我は右腕の火傷だった。


でも、悪いのは左手の方だった。


カリンが俺に聞こえるくらいの声で言う。


「隠すと、長くなる」


「うん」


「私、言った」


「腕?」


「痛いって」


「言った」


カリンは満足そうに頷いた。


ゴルダンさんがこちらを見た。


「おい、今のはお前が言ったのか」


俺は一瞬固まった。


「見えただけです」


「見えただけで余計なことを」


治療院の女性が横から言う。


「助かりました」


ゴルダンさんは口を閉じた。


それから、俺を見る。


「……まあ、見つけたのは悪くない」


褒めているのか、怒っているのか分からない。


「ありがとうございます」


ゴルダンさんは鼻を鳴らした。


「だが、職人の手を見すぎるな。癖まで読まれる気がする」


「見すぎません」


「本当か?」


「……たぶん」


「そこは言い切れ」


アンナが笑った。


カリンも少し笑った。


治療院の女性が、カリンの腕をもう一度布で吊る。


「カリンちゃんは明日も見せて。腫れが引いていれば、軽く動かす練習から」


「盾は?」


「まだ」


カリンは唇を結んだ。


女性はカリンの目線に合わせる。


「早く持ちたいなら、今日は持たないこと」


カリンは布で吊った腕を見た。


「はい」


その返事は、さっきより素直だった。


アンナが会計と薬草の確認をしている間、俺は治療院の端に立っていた。


リディアさんが持ってきた記録板とは違う。


ここでは、人の名前と症状が並んでいる。


火傷。

打撲。

咳。

腹痛。

発熱。

手の痛み。


文字だけなら短い。


でも、その向こうに人がいる。


泣いている子。

怒られている職人。

腕を吊るカリン。

布を絞る人。


治療院の女性が俺の横を通りかかる。


「ヨウカちゃん」


「はい」


「さっきの言い方でいいわ。まず大人に」


「はい」


「黙って飲み込まれるのも困るけどね」


「はい」


「難しい?」


「難しいです」


女性は笑った。


「なら、そのままで」


ゴルダンさんは帰り際、カリンの盾を探すように見た。


今日は持っていない。


「盾は?」


カリンは左腕を少し上げた。


「持たない練習」


「ほう」


ゴルダンさんは顎を撫でた。


「それができるなら、良い盾持ちになるかもしれんな」


カリンの目が明るくなった。


「持たないのに?」


「持っている時だけ盾持ちなら、荷物置き場でも盾持ちになれる」


カリンは考えた。


「違う」


「そうだ」


ゴルダンさんは笑った。


「持つ前に立つ場所を決めろ。持った後に慌てるやつは、盾に振り回される」


ヨシュアが小さく頷いた。


カリンはその頷きを見て、背筋を伸ばした。


「はい」


工房へ寄る予定はなかったが、ミラが治療院へ薬草を届けに来た。


手には小さな包み。


「ちょうどよかったわ。昨日のヒナギ草、乾燥の具合を見てもらえる?」


アンナが頷く。


ミラは俺にも包みを見せた。


「入れる前に見る」


救護袋の話だ。


俺は包みを見る。


乾いている。

匂いは強くない。

紐は赤。


昨日より軽い。


「これは袋に入れる方ですか?」


「ええ」


ミラは頷いた。


「でも今日は、アンナさんの袋に一つだけ。残りは治療院へ置くわ」


一つだけ。


全部ではない。


もう驚かない。


たぶん、あまり。


カリンが俺を見る。


「入れすぎそう」


「否定しづらい」


ミラが笑った。


治療院の棚に、ヒナギ草の包みが並ぶ。


昨日、草地に残したもの。


今日、治療院に置くもの。


持ち歩くもの。


同じ薬草でも、場所が違う。


アンナは治療院の女性と話していた。


「しばらく、ヨウカを連れてきてもいいかしら」


俺は顔を上げた。


「母さん?」


アンナはこちらを見る。


「見学だけよ。手伝うかどうかは、その時の治療院の判断」


治療院の女性は頷いた。


「邪魔をしないなら。最初は布を畳む、水を運ぶ、名前を呼ばれた人を案内する。そのくらいから」


「はい」


返事が早かった。


アンナが見る。


カリンも見る。


ヨシュアも見る。


「……邪魔をしない範囲で」


言い直した。


治療院の女性は笑わなかった。


「それならいいわ」


帰り道、カリンは左腕を吊ったまま歩いた。


時々、右手で布の位置を直している。


俺は救護袋を見た。


アンナの肩にある。


昨日より少しだけ、中身が増えた。


でも、空いている場所は残っている。


ルーベルには、通う場所が増えた。


薬師工房。

冒険者組合。

治療院。


俺は木札を取り出しかけて、やめた。


道の上で書くことではない。


カリンが横から聞く。


「書かないの?」


「帰ってから」


「覚えてる?」


「たぶん」


「忘れそうなら、今」


「大丈夫」


「本当?」


「……じゃあ、一つだけ」


俺は木札を出した。


治療院は静かじゃない。


それだけ書いた。


カリンが覗く。


「うるさい?」


「うるさいというより、人がいる」


「うん」


カリンは頷いた。


「痛い人、いる」


「うん」


「治す人もいる」


「うん」


「休む人もいる」


俺はカリンの吊った腕を見た。


「うん」


カリンは前を向いた。


「私も」


その声は小さかった。


でも、聞こえた。


俺は木札をしまった。


フィル村へ戻る道は、昨日より短く感じた。


どうやら、治療院は静かじゃないらしい。

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