なんか増えた数字は軽くないらしい
フィル村へ戻った時、空はもう暗くなりかけていた。
村の入口で、村長とセリアさんが待っていた。
ヨシュアが足を止める。
「ルーベルからの帰り道で灰牙鼠が二匹出た。討伐済み。カリンが腕を打った。治療院では骨に異常なしと言われている」
村長の顔が険しくなった。
セリアさんはすぐカリンの腕を見た。
「痛む?」
「少し」
「動く?」
カリンは指を曲げた。
「動く」
セリアさんはアンナを見る。
「冷やした?」
「ええ。今日は重いものを持たせないわ」
「それがいいわ」
俺は救護袋を抱えたまま立っていた。
水と布を使っただけで、中身はほとんど減っていない。
それなのに、朝より重く感じる。
村長がこちらを見る。
「ヨウカは?」
「怪我はありません」
「そうか」
それ以上は聞かれなかった。
俺は木札を握る。
灰牙鼠、二匹。
道。
カリン、腕。
水と布。
報告。
討伐済み。
最後の字だけ、手の中で沈んでいる。
家に戻ると、ルカがアンナに手を伸ばした。
アンナは荷を下ろしてから、ルカを抱き上げる。
ルカは何も知らない顔で笑った。
さっきまで魔物の話をしていた。
今は、ルカがアンナの髪を握っている。
ヨシュアは戸口で靴の土を落としていた。
動きはいつも通りだ。
ただ、剣を外す手が少し遅かった。
夕食は静かだった。
カリンも一緒にいる。
アンナが念のため泊まらせることにしたのだ。
カリンは左腕をあまり使わず、右手で匙を持っている。
少しぎこちない。
「食べにくい?」
「食べられる」
「痛い?」
「痛い」
「強い?」
「さっきよりまし」
そう言って、カリンは肉を口に入れた。
食べる気はある。
それだけで、少し息が抜けた。
食事の後、ヨシュアは俺とカリンを囲炉裏の近くに座らせた。
アンナはルカを寝かせてから戻ってくる。
「今日のことを確認する」
怒る声ではない。
でも、逃げられる声でもない。
「灰牙鼠が出た。俺が一匹を受けた。もう一匹がヨウカたちの方へ曲がった。カリンが盾で受けた。ヨウカは跳ぶ方向を言った。アンナが火で進路を切った」
赤い目。
前歯。
草の揺れ。
盾の音。
俺は膝の上で手を握る。
ヨシュアはカリンを見る。
「カリン。前に出すぎてはいない。だが、衝撃は軽くなかった」
「はい」
「次からは、盾を構える前に足を決めろ。受ける場所より、受けた後の場所だ」
「はい」
カリンの目は逃げていない。
腕は痛いはずなのに。
ヨシュアは次に俺を見る。
「ヨウカ。言葉は間に合った」
「はい」
「ただし、言えば誰かが動く」
「……はい」
「間違えば、誰かが間違って動く」
喉が詰まった。
俺の言葉で、カリンが盾を右へずらした。
間に合った。
もし間違っていたら。
「言うなという話ではない」
ヨシュアは続けた。
「見えたなら言え。短く、事実だけだ。迷った時は迷ったと言え」
「はい」
アンナが横から言う。
「怖かったことは、なかったことにしない」
俺はアンナを見る。
「怖いまま覚えていいの。怖くないふりで覚えると、次に体が遅れるわ」
「……はい」
「カリンちゃんも」
「はい」
カリンは左腕を見た。
「痛いです」
アンナは頷いた。
カリンは少し黙ってから、続けた。
「でも、止めました」
「そうね」
それだけで、カリンの肩が少し下がった。
その夜、俺はなかなか眠れなかった。
ルカの寝息。
囲炉裏の火が落ちる音。
外の虫の声。
目を閉じると、灰牙鼠が跳ぶ。
目を開けると、天井がある。
どちらも落ち着かない。
俺は布団から起き上がった。
木札を取る。
討伐済み。
その四文字を見ていると、頭の奥が熱くなった。
いつもの表示が、ゆっくり開く。
【条件を満たしました】
息が止まる。
【レベルが上昇しました】
【レベル 1 → 2】
胸の中が冷えた。
同時に、熱くもなった。
数字が並ぶ。
【攻撃 3 → 7】
【防御 4 → 7】
【敏捷 6 → 10】
【器用 11 → 16】
【幸運 39 → 40】
【魔力 39 → 47】
【MP 25 → 34】
増えている。
俺の数字が、増えている。
前より動けるかもしれない。
前より見て、伝えて、助けられるかもしれない。
魔力も増えた。
MPも増えた。
嬉しい。
それは、ある。
でも、灰牙鼠が動かなくなった後に出た数字だった。
俺は木札を握った。
討伐済み。
表示の光より、その字の方が残る。
スキルの欄も見た。
観察。
鑑定。
精霊魔法。
医学。
叡智。
??。
細かい変化は見えない。
少なくとも、今の俺には分からない。
レベルと数字だけが増えていた。
「ヨウカ」
後ろから声がした。
アンナだった。
「眠れない?」
「はい」
アンナは俺の隣に座った。
木札を見て、何も言わずに待つ。
俺は迷った。
それでも、口を開いた。
「数字が増えました」
アンナの目が細くなる。
「そう」
「レベルが、上がりました」
「うん」
「嬉しいんです」
声が小さくなった。
「でも、嫌です」
アンナは囲炉裏の灰を見ていた。
「どちらかにしなくていいわ」
「え?」
「嬉しいこと。怖いこと。嫌なこと。助かったこと。全部一緒に来る日もある」
俺は木札を見た。
攻撃。
防御。
敏捷。
器用。
魔力。
MP。
増えた。
それでも、灰牙鼠の目も消えない。
「強くなったんでしょうか」
「少しはね」
アンナは正直に言った。
「でも、今日のヨウカが、明日急に大人になるわけじゃない」
「はい」
「数字が増えたなら、増えた分だけ慎重に使いなさい」
そこへ、ヨシュアも来た。
寝ていたわけではなかったらしい。
「数字は道具だ」
ヨシュアは短く言った。
「見ないのも、眺めるだけも危ない」
「はい」
「必要な時に確認しろ。それだけだ」
それだけ。
ヨシュアらしい。
でも、少し楽になった。
数字は道具。
討伐済みは事実。
どちらも消えない。
アンナが俺の手から木札をそっと取った。
「今日はもう寝なさい」
「でも」
「明日、もう一度見ればいいわ」
ヨシュアが頷く。
「寝不足で強くなることはない」
それはそうだ。
かなりそうだ。
俺は布団に戻った。
表示はもう消えている。
でも、数字は覚えていた。
前より増えた。
軽くない数字だった。
翌朝、カリンは左腕を布で吊っていた。
本人は不満そうだった。
「動くのに」
「動くから、使わないの」
アンナが言う。
「今日は盾も木剣も持たない」
カリンは眉を寄せた。
ヨシュアが横から言う。
「持たない練習だ」
「持たない練習?」
「そうだ」
カリンは少し考える。
「守れない」
「守り方を変える」
ヨシュアは庭を指した。
「見る。伝える。立つ場所を決める。盾を持たない時にできることをやる」
カリンは黙った。
それから、小さく頷いた。
「やる」
俺は木札を持っていた。
昨日の数字を書こうとして、手が止まる。
数字だけを書くと、軽くなる気がした。
先に、別のことを書く。
灰牙鼠。
二匹。
カリン、腕。
水と布。
討伐済み。
レベル2。
その下に、小さく数字を書いた。
攻撃7。
防御7。
敏捷10。
器用16。
幸運40。
魔力47。
MP34。
ヨシュアが覗く。
「順番は間違っていないな」
「順番?」
「数字を先に書いていない」
木札を見る。
そうだった。
数字より先に、何があったかを書いた。
それでいい気がした。
昼前、ダナさんから正式な紙が届いた。
ルーベル近郊道での灰牙鼠発生について。
報告者。
討伐者。
負傷者。
確認者。
対応。
その下に、小さく書かれていた。
見習い同行者二名は、生存帰還。
現場報告あり。
救護補助あり。
生存帰還。
俺はそこで止まった。
成果より先に、その言葉がある。
ヨシュアは紙を読み、村長に渡した。
村長は眉間にしわを寄せながらも、最後に頷いた。
「生きて帰った。まずはそれだな」
カリンが俺を見る。
「まず?」
「まず」
「次は?」
俺は紙を見た。
次。
次がある。
「次は、間違えないようにする」
「全部?」
「無理」
カリンが笑った。
「なら、少し」
「うん。少し」
庭の向こうで、ルカが縁側につかまり立ちをしていた。
アンナがすぐ後ろにいる。
ルカはふらふらしながら、片手を離そうとする。
アンナが支える。
ルカは笑う。
昨日、灰牙鼠が出た。
今日、ルカは立とうとしている。
同じ世界だ。
俺は木札をしまった。
重い。
それでも、しまえた。
どうやら、増えた数字は軽くないらしい。




