表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
なんか捨て子の女の子に転生したらしい  作者: ダレイワス1世
第四章 フィル村歳月編
54/92

なんか倒した後に増えるものもあるらしい

ルーベルを出る頃には、空が赤くなりかけていた。


ヨシュアが前を歩く。


アンナは荷を軽く背負い、俺とカリンはその間に入る。


ミラから借りた救護袋は、アンナの肩にあった。


中身は多くない。


それなのに、妙に目につく。


詰めていない場所。

空けてある仕切り。

まだ入れない薬草。


さっきまで工房の机にあったものが、今は道の上にある。


それだけで、重さが違って見えた。


「疲れた?」


カリンが聞いた。


「まだ」


「まだ?」


「疲れてはいる」


「じゃあ言ってる」


「言ってる」


カリンは頷いた。


最近、こういう確認が早い。


腹立たしい。


でも、助かっている。


道の横には、低い草が続いていた。


昼間より風が冷たい。


草の先が揺れ、荷車の跡に薄い影が落ちている。


遠くで鳥が鳴いた。


ヨシュアが足を止めた。


何も言わない。


でも、背中の雰囲気が変わった。


俺も止まる。


アンナがすぐに俺の肩へ手を置いた。


「ヨウカ、動かない」


「はい」


カリンは俺の横から一歩ずれた。


前に出すぎない。


でも、俺と草むらの間に入る位置。


ヨシュアは道の先を見ていた。


「何かいる」


低い声だった。


草むらが揺れる。


風とは違う。


ざざ、と下から押すような音。


俺は息を止めかけて、短く吐いた。


全部を見ようとするな。


草の揺れ。

音の場所。

ヨシュアの足。

カリンの位置。


それだけでいい。


次の瞬間、灰色の影が飛び出した。


大きさは犬ほど。


だが、犬ではない。


前歯が長い。

背中の毛が逆立っている。

目が赤黒い。


俺の頭の奥で、文字が浮かんだ。


【灰牙鼠】

状態:興奮気味


鼠。


いや、鼠という大きさではない。


「灰牙鼠」


口から出た。


ヨシュアがわずかに反応する。


「魔物だ。下がれ」


灰牙鼠はまっすぐヨシュアへ向かった。


速い。


地面を蹴る音が、思ったより低い。


ヨシュアは剣を抜かなかった。


盾を前へ出す。


灰牙鼠が跳んだ。


盾にぶつかる。


鈍い音。


灰色の体が弾かれ、道の上を転がる。


そこで止まらない。


すぐ起き上がる。


ヨシュアの腕は揺れていない。


けれど、足元の土が削れていた。


「カリン、右を見ろ」


ヨシュアが言った。


カリンは反射で右を見る。


俺も見そうになって、止めた。


俺の役割はどこだ。


アンナ。

救護袋。

後ろ。


そう思った時、別の草が揺れた。


道の左。


小さい。


いや、低いだけだ。


「左下、もう一匹」


俺の声が出た。


今度は短かった。


アンナが俺の肩から手を離す。


「見えてる」


左の草むらから、二匹目の灰牙鼠が出た。


一匹目より小さい。


だが、進む先が悪い。


ヨシュアではなく、こちら側へ曲がっている。


カリンが俺の前に出た。


持っていたのは小さな木の盾だ。


本物の戦場で使うようなものではない。


ルーベルの工房通りで、練習用に調整してもらった軽い盾。


それでも、カリンは両手で構えた。


「カリン、下がれ」


ヨシュアが言う。


だが、二匹目の方が速い。


アンナが手を上げた。


火の気配が膨らむ。


熱が肌に触れる前に、俺の体が動きかけた。


違う。


俺が前に出る場面ではない。


でも、見えている。


灰牙鼠の足元。

石。

小さなくぼみ。

右へ跳ぶ癖。


「右へ跳ぶ」


俺は言った。


カリンが盾を右寄りにずらす。


アンナの指先から、細い火が走った。


弱い火ではない。


必要な場所だけを焼く火だった。


地面を舐めるように走り、灰牙鼠の前に赤い線を作る。


灰牙鼠が跳んだ。


右へ。


カリンの盾に当たる。


軽い盾が大きく鳴った。


カリンの体が後ろへ下がる。


俺は手を伸ばしかけた。


だが、カリンは倒れなかった。


足を開き、膝を曲げ、耐えている。


その横を、ヨシュアが通った。


剣が抜かれる。


銀色が一度だけ光った。


灰牙鼠が道に落ちる。


動かなくなった。


一匹目は、ヨシュアの盾と足で押さえられていた。


アンナが火を消す。


「ヨシュア」


「ああ」


ヨシュアの剣が、もう一度動いた。


道が静かになった。


鳥の声も聞こえない。


俺は動けなかった。


胸がうるさい。


足が地面に貼りついている。


目は、倒れた灰牙鼠から離れない。


生き物だった。


さっきまで動いていた。


こちらへ走ってきた。


歯があった。


足があった。


目があった。


今は動かない。


「ヨウカ」


アンナの声がした。


「はい」


返事はできた。


声は硬かった。


「怪我は?」


怪我。


俺は自分の体を見る。


手。

腕。

足。

腹。


痛みはない。


「ありません」


「カリンちゃん」


カリンは盾を下ろした。


顔が白い。


でも、立っている。


「手、しびれる」


アンナがすぐ近づいた。


「見せて」


カリンは左手を出した。


手首から腕にかけて、赤くなっている。


切れてはいない。


盾越しに衝撃が入ったのだろう。


俺は救護袋を見る。


アンナの肩。


今、使うのか。


俺が見ただけで、アンナは気づいた。


「ヨウカ、水と布」


「はい」


救護袋に手を伸ばす。


どこだ。


止血。

洗う。

熱や痛み。

空き。


洗うもの。


指が迷いかけた。


だが、昨日ミラが見せた仕切りを思い出す。


左から二つ目。


布。

小瓶。

清潔な布。


俺は水筒と布を取った。


「母さん」


「そこに置いて」


アンナの横の石の上に置く。


渡しすぎない。


近づきすぎない。


カリンの腕を勝手に触らない。


アンナが水で布を湿らせ、カリンの腕を冷やした。


カリンは息を吐いた。


「痛い?」


俺が聞く。


「痛い」


「強い?」


「じんじん」


じんじん。


俺は木札を出しかけて、やめた。


今は書くより聞く。


「指、動く?」


カリンは指を曲げる。


「動く」


「しびれは?」


「ある」


アンナがこちらを見た。


怒ってはいない。


「聞くのはいいわ。でも、判断は私がする」


「はい」


俺は一歩下がった。


聞く。

渡す。

下がる。


それだけ。


それだけなのに、喉が乾いていた。


ヨシュアは灰牙鼠の周りを確認していた。


「二匹。ほかにはいない」


声は落ち着いている。


だが、目はまだ草むらを見ている。


アンナはカリンの腕に布を当てたまま言った。


「ルーベルへ戻る?」


ヨシュアは道を見る。


「戻るより、門番に知らせる。近い」


「分かったわ」


知らせる。


そうだ。


倒したら終わりではない。


道に魔物が出た。

二匹。

灰牙鼠。

場所。

怪我人あり。

子ども同行。

草むらから出た。


報告がいる。


昨日の山羊と同じではない。


でも、終わりまでやるのは同じだ。


俺は灰牙鼠を見た。


見たくない。


でも、見ないと書けない。


「ヨウカ」


ヨシュアが言った。


「近づくな」


「はい」


「見える範囲でいい。場所と数を覚えろ」


「はい」


場所。


ルーベルからフィル村へ戻る道。

低い石垣の先。

細い水溝の手前。

右の草むらから一匹。

左の草むらから一匹。


俺は頭の中で並べる。


カリンが腕を冷やしながら言った。


「左、私の方」


「うん」


「右、父さん」


「うん」


「ヨウカ、言った」


「言っただけ」


「言った」


カリンはそれ以上言わなかった。


俺も言わなかった。


言っただけだ。


でも、言わなければ、カリンは盾をずらせなかったかもしれない。


そう考えた瞬間、胃のあたりが重くなった。


俺の言葉で、カリンが受けた。


俺の言葉で、間に合った。


どちらも同じ場所にある。


アンナがカリンの腕を見て言う。


「骨は大丈夫そうね。冷やして、あとで治療院で見てもらいましょう」


治療院。


その言葉が、昨日より近く聞こえた。


ヨシュアが戻ってくる。


「アンナ、二人を道の中央へ。俺は少し先を見る」


「一人で?」


「すぐ戻る」


アンナは少しだけ眉を寄せた。


「無理はしない」


「しない」


ヨシュアは道の先へ行った。


アンナは俺たちを石垣から離れた場所へ移す。


カリンは盾を持ち直そうとして、顔をしかめた。


「持たない」


アンナが言った。


カリンは悔しそうに盾を下ろした。


俺が持つと言いかけて、止めた。


俺の手が震えていた。


盾を持つどころではない。


アンナはそれも見ていた。


「ヨウカも座りなさい」


「でも」


「座る」


「はい」


道端の石に座る。


足に力が入っていなかった。


座ってから気づいた。


手のひらに汗がある。


指先が冷たい。


灰牙鼠の倒れた場所を見ないようにして、結局見てしまう。


動かない。


それが一番目に残る。


「怖い?」


アンナが聞いた。


俺はすぐに答えられなかった。


怖い。


たぶん怖い。


だが、それだけではない。


驚いた。

気持ち悪い。

目が離れない。

倒れてよかったとも思う。

動かなくなったことが嫌でもある。


一つに決められない。


「分かりません」


アンナは頷いた。


「それでいいわ」


何がいいのかは分からない。


でも、今はそれ以上聞かなかった。


ヨシュアはすぐ戻ってきた。


「先にはいない。門番に知らせる」


ルーベルの門まで戻ると、門番の顔が変わった。


ヨシュアが短く報告する。


「フィル村への道。石垣の先。灰牙鼠二匹。討伐済み。子ども一名、腕を打った」


門番はすぐ別の兵を呼んだ。


討伐済みの魔物を確認する者。

道を見に行く者。

組合へ伝える者。


人が動く。


一つ倒しただけで、こんなに動くのか。


いや、二匹か。


でも、数の問題だけではない。


道に出た。


子どもがいた。


怪我があった。


報告がある。


ダナさんもすぐ来た。


「怪我は?」


「カリンちゃんの腕。打撲だと思う」


アンナが答える。


「治療院へ」


ダナさんは即答した。


「確認と記録もそこで取ります」


カリンは嫌がらなかった。


ただ、盾を見た。


木の盾には、灰牙鼠の歯が当たった跡が残っている。


小さな削れ。


それを見て、カリンの目が揺れた。


「カリン」


俺が呼ぶ。


「なに」


「盾、止めた」


カリンは盾を見る。


「うん」


「腕も、止まってる」


「痛い」


「うん」


「でも、止めた」


俺は頷いた。


「止めた」


それ以上、うまく言えなかった。


でも、カリンは頷いた。


治療院は、門から近い通りにあった。


白い壁ではない。


木の扉。

薬草の匂い。

湯の匂い。

人の声。


思っていたより静かではなかった。


奥で子どもが泣いている。

誰かが咳をしている。

布を絞る音がする。


治療院。


名前だけなら、もっと整った場所を想像していた。


実際は、人がいる場所だった。


カリンは腕を見てもらった。


骨は折れていない。


強く打っているので、しばらく冷やす。

今日は重いものを持たない。

明日もう一度見せる。


治療院の人がそう言った。


アンナは頷く。


ヨシュアは何度もカリンの腕を見ていた。


カリンは少し迷惑そうだった。


俺は救護袋を抱えて座っていた。


中身はほとんど使っていない。


水と布だけ。


それでも、すぐ出せた。


ミラが言っていた。


袋の中身より、開ける順番。


今日は、それが少し分かった。


ダナさんが治療院の机で木札を書いている。


場所。

魔物名。

数。

怪我。

対応。

報告者。


俺はそれを見ていた。


「ヨウカちゃん」


ダナさんが言う。


「見たことを言えますか?」


「はい」


声が遅れた。


でも、出た。


「ルーベルからフィル村へ戻る道。低い石垣の先。右の草むらから一匹。左の草むらから一匹。灰牙鼠。状態は興奮しているように見えました。カリンが左を止めて、父さんが倒しました。母さんがカリンの腕を冷やしました」


言い終えてから、長いと思った。


ダナさんは木札に書きながら頷く。


「十分です。あとで短くします」


短くするのは、大人の仕事になった。


少し悔しい。


でも、今は助かった。


「興奮しているように見えた、というのは?」


ダナさんが聞く。


俺は口を閉じた。


鑑定。


その言葉は言わない。


「目と、動きと、向かい方です」


嘘ではない。


全部ではない。


ダナさんは深く聞かなかった。


「分かりました。記録には、興奮状態に見えた、とします」


見えた。


断言ではない。


それも助かった。


治療院を出る頃には、日が傾いていた。


灰牙鼠はもう道から運ばれているらしい。


門番が確認し、組合にも記録が残る。


討伐の処理はヨシュアとアンナ。


俺たちは見習い同行。


カリンは負傷者。


俺は報告補助。


倒した後の方が、言葉が増えた。


カリンは豆の包みを持っていなかった。


今日は食べていない。


腕が痛いのだろう。


俺は自分の布を握っていた。


小さい布。


ルーベルに持ってきたもの。


使うつもりはなかったのに、ずっと手の中にある。


アンナが俺を見る。


「帰れる?」


「帰れます」


「本当?」


「……怖いです。でも、帰れます」


アンナは頷いた。


「それなら、ゆっくり帰りましょう」


ヨシュアは先頭に立つ。


アンナは後ろ。


カリンは俺の横。


いつもより、全員の距離が近い。


道には、さっきの跡がまだ残っていた。


土が削れている。

草が倒れている。

盾が当たった場所に、小さな木片が落ちている。


俺はそこを見た。


目をそらしたかった。


でも、見た。


木札を一枚取る。


灰牙鼠、二匹。

道。

カリン、腕。

水と布。

報告。


書いてから、止まる。


倒した。


その二文字を入れるか迷った。


ヨシュアが倒した。


アンナも止めた。


カリンも受けた。


俺も言った。


誰の言葉にすればいいのか分からない。


結局、木札の端に小さく書いた。


討伐済み。


事実だけ。


それでも、字が重かった。


カリンが覗く。


「重そう」


「木札が?」


「ヨウカが」


「……うん」


カリンは何も言わなかった。


その代わり、怪我をしていない方の手で、俺の袖を軽くつまんだ。


俺は歩いた。


フィル村へ戻る道は、行きより長く感じた。


どうやら、倒した後に増えるものもあるらしい。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ