なんか採るより残す方が難しいらしい
子山羊探しの翌日、ミラは工房の裏口から外へ出た。
手には浅い籠。
腰には小さな刃物。
肩から布袋を下げている。
「今日は採取ね」
工房の外。
それだけで、背筋が伸びた。
ミラはすぐこちらを見る。
「たくさん採る日じゃないわよ」
「はい」
「返事が早い子は、だいたい多く採る」
「……気をつけます」
カリンが横で頷いた。
「ヨウカ、採りそう」
「採らない」
「籠、見てる」
「見てるだけ」
「採りそう」
反論しにくい。
自分でも、籠を見た瞬間に気持ちが前へ出たのは分かった。
ヨシュアは後ろで腕を組んでいる。
アンナは水筒と布を確かめていた。
「今日はミラさんの指示を聞くこと。勝手に刃物を使わないこと。知らない草を触らないこと」
「はい」
「疲れたら言う」
「はい」
「本当に?」
「言います」
アンナはまだ疑っている顔だった。
カリンも疑っている。
ヨシュアもたぶん疑っている。
信用がない。
いや、あるから疑われるのかもしれない。
ルーベルの外れには、小さな草地があった。
低い石垣。
細い道。
水の流れる溝。
人が踏んでいない草の塊。
フィル村の森とは違う。
人の手は入っているが、畑ほど整っていない。
ミラは草地の手前で止まった。
「入る前に見る」
俺は足元を見る。
濡れた土。
倒れた草。
虫の動き。
葉の色。
小さな花。
全部を追うと、すぐ疲れる。
今日は、ミラの足と、踏んではいけない場所を見る。
ミラは草の一角を指した。
「今日見るのは、ヒナギ草」
ヒナギ草。
名前は知っている。
工房でも見た。
熱を下げる薬や、救護袋の下準備に使うことがある。
ただし、似た草もある。
俺は言いかけて、口を閉じた。
名前を知っている。
だからといって、すぐ採っていいわけではない。
ミラは屈んで、葉を一枚持ち上げた。
「見るところは?」
「葉の形。匂い。茎の色。周りの株」
「いいわね」
カリンが言う。
「小さいの、ある」
「そう。そこは踏まない」
ミラは小さい芽の周りに、細い枝を置いた。
「目印。採る場所じゃなくて、踏まない場所の印」
採らない場所に印をつける。
それは意外だった。
目印といえば、採る場所につけるものだと思っていた。
ミラは別の株を指した。
「これは採っていい」
大きい株。
葉が広がり、根元もしっかりしている。
「全部は?」
俺が聞くと、ミラは俺を見た。
「全部採ると、今日は多いわ」
「でも、次がない」
「そう」
ミラは頷いた。
「必要な分だけ。根は残す。小さい株は触らない。虫がついているところは、まず見る」
「虫は取る?」
「取らない。虫がいるから悪いとは限らないわ」
虫がいるから悪いとは限らない。
すぐ決めてはいけない話が、ここにもある。
ミラが刃物を見せた。
「手で抜かない」
「根が抜けるから?」
「ええ。残す位置を決めてから切る」
切る。
薬草を採るだけなのに、急に手が重くなった。
ミラは一株を選び、根元より少し上を切った。
外側の葉を数枚だけ。
切られた株は、まだそこに残っている。
葉も残っている。
採った後なのに、終わった感じがしない。
「やってみる?」
「はい」
刃物を受け取る。
握りすぎない。
葉を持ち上げる。
小さい芽を踏まない。
虫がいないか見る。
根元を見る。
切る。
さく、と音がした。
軽い。
軽いのに、手に残る。
「採れました」
「見せて」
ミラに渡す。
ミラは葉を見て、切り口を見た。
「悪くないわ。少し下だけど、根は残っている」
株を見る。
ミラが切った位置より低い。
「次はもう少し上」
「はい」
カリンが横で草を見ている。
「そこ、虫」
「どこ?」
「葉の裏」
ミラが頷いた。
「カリンちゃん、よく見たわね」
カリンは虫のついた葉を見たまま言う。
「採らない?」
「今日は採らない。虫が食べる分も残しておく」
「虫の分?」
「ええ。全部人間の分ではないの」
カリンは頷いた。
「分ける」
「そうね」
俺は虫のついた葉を見た。
虫の分。
薬草は、人のためだけに生えているわけではない。
当たり前だ。
当たり前なのに、採取に来ると忘れそうになる。
籠の中に、ヒナギ草が増えていく。
採れる。
まだ採れる。
もっと採れる。
そう思ったところで、ミラが言った。
「今日はここまで」
「まだあります」
言ってから、しまったと思った。
ミラは怒らなかった。
「あるわね」
「はい」
「だから、残すの」
あるから残す。
ないから残すのではない。
俺は籠を見る。
底が見えている。
工房の棚を考えると、少ない。
治療院のことを考えると、もっと要る気がする。
でも、今日の目的は棚を満たすことではない。
「次に怪我した人のため?」
ミラは首を横に振った。
「次に生えるヒナギ草のため」
「あ」
順番が違った。
人の前に、草が残らないといけない。
ミラは籠を持ち上げる。
「薬にすることだけ考えると、採りすぎる。採りすぎると、来月の薬がなくなる」
「はい」
「目の前の手だけ見ないこと」
目の前の手。
籠を持つ自分の手を見る。
今ある薬草。
今できること。
今欲しい量。
それだけを見ると、たぶん多く採る。
遠くで鈴が鳴った。
ちり。
俺とカリンは同時に顔を上げた。
ヨシュアが低く言った。
「またか」
草地の向こうから、白い子山羊が顔を出した。
右耳の先が黒い。
メルだった。
「なんでいる」
俺は小さく言った。
カリンが短く答える。
「逃げた」
「また?」
「たぶん」
メルは悪びれた様子もなく、草を噛んでいる。
そして、こちらのヒナギ草へ首を向けた。
ミラの顔が変わる。
「それは食べないでほしいわね」
薬草採取の現場に、子山羊。
予定にない。
ヨシュアが動きかける。
ここで追えば、また逃げる。
昨日やったばかりだ。
追わない。
大声を出さない。
逃げ道をふさがない。
「カリン」
「うん」
カリンはもう道側へ動いていた。
ただし、メルの真正面には立たない。
俺はヒナギ草の株の前に立ちかけて、止まった。
ふさぐな。
知らせろ。
「メル、ヒナギ草に近い」
ミラが籠を横へ避ける。
アンナが水筒を持ったまま、草地の外へ下がった。
ヨシュアは道の横へ立つ。
逃げ道を消さない位置。
メルは鈴を鳴らしながら、一歩近づく。
カリンが低い声で言った。
「メル、そっちじゃない」
通じるわけではない。
でも、強い声ではない。
メルは耳を動かした。
その間に、ミラが腰の袋から干した豆を出す。
「牧場主さんから預かっておいて正解だったわ」
用意がいい。
薬師なのに。
いや、薬師だからかもしれない。
ミラは豆を手のひらに置き、メルへ見せた。
「こっち」
メルの目が豆へ動く。
ヒナギ草から、豆へ。
一歩。
もう一歩。
俺はヒナギ草の株を見る。
踏まれていない。
小さい芽も無事。
メルが豆を食べる間に、ヨシュアが紐を取った。
引っ張らない。
ただ持つ。
メルは豆を食べている。
「牧場へ戻す」
ヨシュアが言った。
採取は中断。
でも、踏まれなかった。
食べられなかった。
それでいい。
カリンが草地を見て言う。
「小さい株、無事」
「うん」
「虫もいる」
「うん」
「メル、だめ」
「それは本当にそう」
メルは豆を食べ終わり、何も分かっていない顔でこちらを見た。
やはり腹が立つ。
ミラは笑いをこらえていた。
「現場は、予定通りにはいかないわね」
「はい」
「でも、採るところから、守るところへ切り替えられた」
採るところから、守るところへ。
俺は籠の中を見る。
ヒナギ草は多くない。
でも、草地には残っている。
メルにも食べられていない。
工房へ戻る前に、俺たちは牧場へ寄った。
牧場主はメルを見て、両手で顔を覆った。
「またか」
「またです」
俺が言うと、カリンが頷いた。
メルは牧場主の横で、何も知らない顔をしている。
ヨシュアが柵の隙間を見る。
昨日の板は残っていた。
だが、別の場所の紐が緩んでいる。
「ここだな」
牧場主が項垂れた。
「そこか」
「メル、学習してる?」
俺が言うと、アンナが笑った。
「悪い方にね」
牧場主はメルの鈴を鳴らした。
「困ったやつだ」
メルは豆を探している顔だった。
報告は短かった。
草地で発見。
薬草に近づく。
豆で誘導。
牧場へ返却。
別の柵紐、緩みあり。
牧場主が確認し、今度は謝礼ではなく、修理用の紐を取りに走った。
依頼ではない。
でも、報告は要る。
昨日と同じだ。
工房へ戻ると、ミラはヒナギ草をすぐ棚へ入れなかった。
「次は救護袋」
救護袋。
俺は籠を見る。
「これを入れる?」
「全部は入れないわ」
また全部ではない。
ミラは机の上に布袋を広げた。
厚手の袋。
中には、いくつか仕切りがある。
小瓶。
包帯。
乾いた布。
火打ち石。
小さな刃物。
紐。
薬草包み。
「救護袋は、詰めればいいわけじゃない」
ミラはヒナギ草を三つに分けた。
すぐ使えるもの。
乾燥を続けるもの。
工房に残すもの。
「今日採ったものは、まだ全部使える形ではない」
「採ったのに?」
「採っただけよ」
採っただけ。
その言い方は痛い。
ミラは一束を薄い布に包む。
「救護袋に入れるのは、使う順番が決まっているもの。湿気が少ないもの。匂いが他に移りにくいもの。取り出す時に迷わないもの」
「薬草が多い方が安心では?」
「多すぎると迷うわ」
ミラは俺を見る。
「怪我人の前で、袋の中を探し続けるのは危ない」
血。
声。
焦り。
袋の中の薬草。
似た包み。
迷う手。
それは危ない。
ミラは救護袋の仕切りを指す。
「ここは止血に使うもの。ここは洗うもの。ここは熱や痛み。ここは空けておく」
「空ける?」
「現場で増えるものがあるから」
汚れた布。
使った刃物。
濡れた包帯。
拾った記録。
持ち帰るもの。
最初からいっぱいだと入らない。
カリンが言う。
「盾と同じ」
俺とミラがカリンを見る。
「全部持つと、動けない」
カリンは自分の腕を見るようにした。
「空ける場所、いる」
ミラは笑った。
「いい考え方ね」
カリンは誇らしそうだった。
俺は救護袋を見る。
詰めない場所。
残す場所。
ミラはヒナギ草の小さな包みを俺に渡した。
「入れてみて」
俺は袋の仕切りを見る。
止血。
洗う。
熱や痛み。
空き。
ヒナギ草は熱。
そう思って、熱の場所へ入れようとした。
手が止まる。
「この包み、まだ乾燥続ける方?」
ミラが頷いた。
「そう。今の確認は大事」
危なかった。
名前だけで場所を決めかけた。
俺は包みを救護袋ではなく、乾燥を続ける皿へ戻した。
次の包みを取る。
乾いている。
匂いも強すぎない。
紐の色は赤。
「これは入れる?」
「ええ」
熱や痛みの仕切りへ入れる。
ただ入れただけなのに、緊張した。
カリンが横で見る。
「間違えたら?」
「出す」
「現場なら?」
「……危ない」
「だから今」
短い。
でも、刺さる。
ミラも頷いた。
「現場で迷わないために、今迷うの」
今迷う。
嫌な言葉だ。
けれど、正しい。
俺は木札を出す。
救護袋、詰めない場所もいる。
書いてから、考える。
もう一枚。
採っただけでは、使えない。
ミラが覗き込んだ。
「いいわね」
リディアさんが奥から顔を出す。
「その木札、また写していい?」
「またですか」
「新人に使える言葉が増えて助かるのよ」
七歳児の木札が、また工房の新人用になる。
変な工房だ。
いや、俺の木札が変なのかもしれない。
夕方、救護袋は机の上に置かれていた。
思ったより軽い。
もっと入れたくなるくらい、余裕がある。
でも、その余白には意味がある。
俺は机に残ったものを見る。
採らなかった草。
踏まなかった芽。
入れなかった包み。
空けておく仕切り。
籠や袋に入っていないものばかりだ。
カリンが隣で豆の包みをしまっている。
メルはたぶん、牧場でまた何かを狙っている。
ヨシュアは外で荷をまとめている。
アンナはミラと、治療院で使う薬草の話をしていた。
治療院。
その言葉が聞こえて、俺は顔を上げる。
救護袋は、工房だけのものではない。
人が倒れた場所。
怪我をした場所。
治療院へ運ぶまでの間。
そこで使うものでもある。
ミラが言った。
「いつか治療院で手伝うなら、袋の中身より、袋を開ける順番を覚えなさい」
「はい」
「あと、持ちすぎないこと」
「はい」
「持ちすぎた人は、走れないから」
カリンがまた頷いた。
「盾と同じ」
「そうね」
ミラは笑った。
俺は救護袋を見る。
詰めていない場所が、一番目についた。
木札を一枚取る。
採るより、残す。
そこまで書いて、止めた。
残すだけでも足りない。
守る。
乾かす。
分ける。
入れない。
空ける。
多すぎる。
俺は木札を裏返し、短く書き直した。
採るより残す方が難しい。
カリンが覗く。
「長い」
「これでも短い」
「そう?」
「そう」
カリンは考えて、頷いた。
「たぶん」
俺は木札を救護袋の横に置いた。
まだ袋には入れない。
これは、今持ち歩く記録ではない。
今日の記録だ。
どうやら、採るより残す方が難しいらしい。




