なんか初めての依頼は子山羊探しらしい
翌朝、俺たちは冒険者組合の前にいた。
剣は持っていない。
盾もない。
薬草袋も、今日は工房に置いてある。
持っているのは、水筒と布と木札。
それから、昨日ダナさんから見せてもらった依頼票の写し。
子山羊探し。
場所はルーベル外れの牧場。
見つけたら追わない。
牧場主の確認をもらって完了。
何度読んでも、魔物の気配はない。
それでも依頼だった。
ヨシュアは依頼票を俺とカリンの前に出した。
「もう一度読む」
「はい」
俺は声に出さず、文字を追う。
追わない。
触らない。
呼ぶ。
確認をもらう。
昨日と同じ言葉だ。
でも、紙の上で見るのと、実際にやるのは違う。
アンナは横で荷を確かめていた。
「今日は、怪我をしないことが一番よ」
「子山羊探しでも?」
「子山羊探しでも」
アンナは真面目な顔だった。
「走って転ぶ。柵に引っかける。草むらで虫に刺される。山羊に蹴られる。簡単そうなことほど、気を抜くと怪我をするわ」
山羊に蹴られる。
それは考えていなかった。
カリンが短く言う。
「後ろに立たない」
「そうね」
アンナが頷いた。
「それも大事」
ダナさんが組合から出てきた。
手には薄い木札と紐。
「お待たせしました。今日は見習い扱いです」
見習い。
登録前。
依頼前。
でも、何もしないわけではない。
ダナさんは俺とカリンを見た。
「昨日の確認です。見つけたら?」
「追わない」
カリンが答える。
「大声は?」
「出さない」
俺が答える。
「触る?」
「大人が来てから」
「報告は?」
「見つけた場所。状態。どうしたか。牧場主の確認」
「いいですね」
ダナさんは頷いた。
「では、行きましょう」
牧場は、ルーベルの門から少し歩いた先にあった。
木の柵。
低い草地。
干し草小屋。
水桶。
丸太で作った古い台。
風に草の匂いが混じっている。
フィル村の畑とは違う匂いだ。
動物の匂いが濃い。
牧場主は、日に焼けた腕の男だった。
「すみませんね。子どもに頼むような依頼で」
「子ども向けに組んだ依頼です」
ダナさんが答える。
「でも、依頼は依頼です。確認はお願いします」
「もちろん」
牧場主は、俺たちを見る。
「探してほしいのは、メルって子山羊だ。白い体で、右耳の先だけ黒い。首に小さい鈴をつけている」
白い体。
右耳の先だけ黒。
小さい鈴。
俺は木札に書いた。
メル。
白。
右耳黒。
鈴。
カリンが隣で牧場を見ている。
「どこから出た?」
牧場主は柵の端を指した。
「たぶん、あそこだ。朝見たら、隙間が広がっていた」
俺とカリンはそちらを見た。
ダナさんが言う。
「近づく前に、まず見る」
「はい」
柵の下に、土が擦れた跡がある。
草が寝ている。
細い毛が木のささくれに引っかかっている。
土には、小さな蹄の跡。
俺はしゃがみかけて、止まった。
「触っていいですか?」
ダナさんが頷く。
「毛だけ。柵は動かさないで」
俺は指先で毛を取った。
白い毛。
山羊の毛かどうかは分からない。
でも、場所とは合っている。
「白い毛。柵の下。足跡、外へ」
言ってから、長いかと思った。
ダナさんは頷いた。
「今のはいいです。場所と事実が入っています」
カリンが柵の外を見た。
「足跡、草の方」
確かに、踏まれた草が細く続いている。
道ではない。
牧場の裏手にある、低い草むらへ向かっている。
ヨシュアは後ろに立っていた。
「追うなよ」
「はい」
「足跡だけを見る。先に走るな」
「はい」
走りたいわけではない。
ただ、足跡を見つけると、次を見たくなる。
次を見たくなると、体が前に出る。
俺は一歩ごとに止まることにした。
一歩進む。
見る。
カリンを見る。
ダナさんを見る。
面倒だ。
でも、勝手に進むよりはいい。
草むらの手前で、足跡が薄くなった。
地面が乾いている。
蹄の跡は見えにくい。
俺は鑑定を使いかけて、やめた。
山羊の足跡に鑑定がどこまで使えるか分からない。
それより、見るものがある。
草の先が切れている。
低い葉だけが食べられている。
「ここ、食べた?」
牧場主が覗き込む。
「ああ。メルはこの草が好きだ」
好きな草。
依頼票には書いていなかった情報だ。
俺は木札に書き足す。
低い草を食べる。
ダナさんがそれを見て言う。
「今のは、報告に入れていいです」
「好きな草も?」
「次に探す時に使えるかもしれません」
次。
今回だけで終わらない情報。
なるほど。
カリンが耳を澄ませた。
「音」
「鈴?」
「たぶん」
全員が黙る。
風。
草。
遠くの荷車。
鳥の声。
その中に、かすかな金属音が混じった。
ちり、と小さい音。
俺は音の方を見た。
草むらの奥。
その先に、干し草小屋の裏手がある。
「あっち」
言いかけて、声を落とす。
「あっち。干し草小屋の裏」
カリンが俺の前に出るのではなく、横にずれた。
道をふさがない位置。
でも、草むらから道へ出る線は見ている。
ヨシュアがそれを見て頷いた。
「カリン、その位置でいい」
カリンの背中が伸びた。
干し草小屋へ近づくと、また鈴の音がした。
今度ははっきり聞こえた。
ちり。
それから、草を噛む音。
小屋の裏を回り込むと、白い子山羊がいた。
右耳の先が黒い。
メルだ。
木の台に前足をかけ、積んである干し草を食べようとしている。
「いた」
カリンが短く言った。
俺は声を出しかけて、止めた。
大声は出さない。
追わない。
近づきすぎない。
メルはこちらに気づいた。
口に草をくわえたまま、首を上げる。
鈴が鳴った。
逃げるか。
そう思った瞬間、ダナさんが手を軽く上げた。
「動かない」
俺とカリンは止まった。
牧場主が小声で言う。
「メル」
子山羊は耳を動かした。
逃げない。
でも、近づけば走りそうだ。
牧場主は腰の袋から、乾いた豆のようなものを出した。
「これが好きなんだ」
「餌?」
俺が聞く。
「ええ。でも、すぐに渡さない」
ダナさんが言った。
「餌を見せる。近づいてきたら、逃げ道をふさがず、柵の方へ誘導します」
逃げ道をふさがない。
囲まない。
昨日聞いた言葉だ。
ヨシュアが俺たちを見た。
「役割を決める」
牧場主が餌を持つ。
ダナさんが横を見る。
ヨシュアが小屋の角に立つ。
アンナは離れて全体を見る。
カリンは道側。
俺は柵下の隙間側。
俺は隙間を見る。
メルが抜けた場所とは違うが、小屋の裏にも低い穴がある。
ここから道路側へ出られる。
「ここ、抜けるかも」
「なら、そこを見て」
ダナさんが言う。
「ふさぐんじゃない。出そうになったら、短く知らせて」
「はい」
メルが一歩動いた。
鈴が鳴る。
牧場主が餌を見せる。
「メル、こっちだ」
メルは餌を見る。
一歩。
もう一歩。
俺は穴を見る。
メルを見る。
穴を見る。
全部見ようとすると遅れる。
俺の役割は穴だ。
メルはカリンの方へ首を向けた。
カリンは動かない。
視線も強すぎない。
ただ、そこにいる。
メルは進路を変えた。
牧場主の方へ近づく。
あと数歩。
その時、小屋の中から別の山羊が鳴いた。
メルが跳ねた。
「穴」
俺は言った。
短すぎる。
「右下、穴。出そう」
ヨシュアがすぐ動いた。
穴の前に立つのではなく、横に立つ。
メルがそちらを見て、止まる。
牧場主が餌を鳴らす。
「メル」
メルは迷った。
それから、餌の方へ歩いた。
牧場主が首輪の紐を取る。
触った。
でも、引っ張らない。
メルが餌を食べている間に、ゆっくり紐を持つ。
「よし」
ダナさんが息を吐いた。
俺も息を吐いた。
気づかないうちに止めていたらしい。
カリンが言う。
「終わり?」
ダナさんは首を横に振った。
「まだ」
そうだった。
見つけただけでは終わらない。
牧場主がメルを柵の中へ戻す。
柵の下の隙間に、板を仮に当てる。
ヨシュアが固定を手伝う。
メルは中で、何もなかったように草を食べている。
俺はそれを見て、腹が立った。
いや、子山羊に腹を立てても仕方ない。
仕方ないが、思うところはある。
カリンが横で言う。
「メル、悪い顔」
「してる」
「たぶん、またやる」
「たぶん」
牧場主も聞こえていたらしく、苦笑した。
「やるだろうな」
やるのか。
ダナさんは受付用の木札を出した。
「では、報告を作りましょう」
牧場主が確認者。
俺とカリンは、見習い。
ダナさんが書く。
俺たちは口で報告する。
「発見場所は?」
「干し草小屋の裏」
俺が答える。
「状態は?」
「怪我なし。干し草を食べていた」
「逃走経路は?」
「最初は牧場端の柵下。小屋裏にも抜けられる穴あり」
「対応は?」
カリンが答えた。
「追わない。餌で誘導。牧場主が紐を持った」
「補足は?」
補足。
俺は考える。
「メルは低い草が好き。鈴の音で場所が分かった。大きい音で跳ねた」
ダナさんが頷いた。
「いいですね」
牧場主も頷く。
「その通りだ」
「では、確認をお願いします」
牧場主が木札に印をつけた。
それで、依頼は終わった。
やっと終わった。
見つけてからの方が、思ったより長い。
ダナさんは木札をこちらに見せた。
発見。
誘導。
返却。
確認済。
「これで完了です」
完了。
その言葉で、肩の力が抜けた。
カリンも息を吐いている。
ヨシュアが言う。
「どうだった」
「山羊、面倒」
俺が答えると、アンナが笑った。
ダナさんも笑った。
「それが分かれば十分です」
十分なのか。
でも、分かる。
子山羊一匹でも、追えば逃げる。
声を出せば跳ねる。
触るにも順番がいる。
見つけても報告がいる。
魔物ではない。
でも、依頼だった。
牧場主は、小さな包みを二つ出した。
「報酬とは別に。よく見てくれたから」
中には、焼いた豆が入っていた。
メルが食べたものと似ている。
「山羊用ではないよ」
牧場主が慌てて付け足した。
俺は笑った。
「ありがとうございます」
カリンも包みを受け取る。
「ありがとうございます」
ダナさんが言う。
「報酬は組合で処理します。今日は見習い扱いなので、記録だけ残します」
「お金は?」
聞いてから、直接すぎたかと思った。
ダナさんは普通に答える。
「今回は見学扱い。あなたたちには組合から記録評価がつきます。報酬は大人側で処理します」
記録評価。
また新しい言葉だ。
ダナさんは笑う。
「お金をもらうには、責任も増えますから」
それはそうだ。
俺は豆の包みを見る。
今日はこれで十分なのだろう。
帰り道、カリンが包みを開けた。
一粒食べる。
「かたい」
「おいしい?」
「うん」
俺も一粒食べた。
香ばしい。
硬い。
メルが好きそうだと思った。
いや、山羊と味覚を合わせたくはない。
組合へ戻ると、ダナさんが報告木札を受付の後ろへ掛けた。
山羊探し。
見習い同行。
発見、返却、確認済。
そこに、俺とカリンの名前は小さく添えられていた。
大きな依頼ではない。
赤い印もない。
魔物の牙もない。
剣を抜く場面もない。
それでも、報告板に残った。
俺はそれを見ていた。
「ヨウカ」
カリンが呼ぶ。
「なに?」
「追わなかった」
「うん」
「呼べた」
「うん」
「終わった」
「確認もらった」
カリンは頷いた。
「依頼」
短い。
でも、たぶんその通りだった。
山羊を見つける。
怪我をさせずに戻す。
確認をもらう。
面倒だ。
でも、依頼だった。
俺は木札を一枚取った。
メル、干し草小屋裏。
追わない。
餌で誘導。
確認まで。
書いてから、最後に一行足す。
見つけただけでは終わらない。
ダナさんがそれを見て頷いた。
「いい記録です」
ヨシュアも頷いた。
アンナは笑っている。
カリンは豆を食べていた。
俺も包みから一粒取る。
硬い。
でも、悪くない。
どうやら、初めての依頼は子山羊探しらしい。




