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なんか捨て子の女の子に転生したらしい  作者: ダレイワス1世
第四章 フィル村歳月編
44/92

なんか風の日だけ強いらしい

春の風は、思ったより強かった。


朝から、家の戸がかたかた鳴っている。


井戸のそばに置かれた花は揺れ、縄に結ばれた木札も何度か裏返った。


黒線、変わらず。


めくられても、その字は消えない。


母さんは庭に干し網を出していた。


薬草を乾かすための、細い木枠の網だ。


今日は薬草ではなく、布を干している。


森側の調査で使った布ではない。

家の中で使う、きれいな布。


それでも、母さんは一枚ずつ端を留めていた。


「今日は飛ばされないようにね」


「うん」


俺は木の留め具を渡した。


母さんが布を押さえ、俺が留め具を手渡す。


それだけの仕事だ。


庭の端にはカリンがいる。


盾はない。

木剣もない。


でも、木札が鳴るたび、目がそちらへ動く。


「カリン、見てるね」


「飛ぶ」


「布?」


「布も。木札も。子どもも」


子どもも。


そう言われて、井戸の方を見る。


リリ、トマ、ノルがいた。


リリは井戸のそばの芽を見ている。

トマは両手を広げて、風を受けている。

ノルは上着を膨らませて笑っていた。


人は飛ばない。


でも、走り出しそうではある。


母さんも三人に気づいた。


「縄の方へ行かないようにね」


「はーい!」


返事はした。


信用できるかは、別だ。


強い風が一度、庭を抜けた。


干し網の端が浮く。


母さんが押さえる。


俺も反射的に手を伸ばした。


「そこじゃない。こっち」


布の端を押さえ直す。


風は一方向ではない。


右から来たと思ったら、次は下から持ち上げる。

布は生き物みたいに膨らみ、木枠がぎし、と鳴った。


「今日はやめる?」


「あと二枚だけ。すぐ取り込めるようにしておくわ」


母さんは落ち着いている。


全部はやらない。

飛ばされる前に終わる。


手元の留め具を渡そうとした時、庭の向こうで声が上がった。


「あっ!」


ノルの声だった。


井戸のそばに置いてあったリリの花飾りが、風に持ち上げられた。


乾いた草で編んだ輪。

リリが芽のそばに置こうとしていたものだ。


花飾りは地面を転がり、縄の方へ向かう。


ノルが追いかけた。


「ノル!」


リリが叫ぶ。


トマも手を伸ばしたが、間に合わない。


ノルの足は、縄へ向いている。


カリンが動いた。


速い。


でも、ノルの方が先に走り出していた。


縄まで、数歩。


黒線ではない。

でも、その手前の赤い印に近い。


俺の手には留め具。


母さんは布を押さえている。


父さんは家の裏だ。


また、庭を風が抜けた。


花飾りが跳ねる。


ノルの手が伸びる。


その瞬間、耳の奥で声がした。


あそぶ?


違う。


そう思うより早く、口が動いていた。


「戻して」


声は小さかった。


でも、聞かれた。


庭の空気が、きゅっと曲がる。


花飾りが止まった。


止まっただけではない。


ふわりと浮き、ノルの手から逃げるように、こちらへ戻ってくる。


それだけならよかった。


次が強すぎた。


干し網の布が一斉に膨らむ。


井戸のそばの木札が鳴る。

砂が舞う。

トマの髪が跳ね、リリが目を閉じる。


ノルはその場に尻もちをついた。


カリンがノルの前に入る。


花飾りは、くるくる回りながら俺の足元まで戻ってきた。


風が通り過ぎる。


庭が、一瞬だけ静かになった。


それから、木札がかた、と鳴る。


俺は立ったまま、息を止めていた。


手の中の留め具が、汗で滑る。


「ヨウカ」


母さんの声。


怒ってはいない。


でも、軽くもない。


「今の、呼んだ?」


「……呼んだ」


「何て?」


「戻して、って」


母さんは布から手を離さないまま、庭を見た。


ノルはカリンの後ろで座っている。

怪我はなさそうだ。

目を丸くしているだけ。


リリもトマも立っている。


花飾りは、俺の足元。


戻っている。


戻りすぎている。


カリンがノルに手を貸した。


「痛い?」


「しりもち」


「歩ける?」


「歩ける」


カリンは頷いて、ノルを縄から離した。


トマが花飾りを見る。


「今の、すご……」


言いかけて、母さんの顔を見た。


口を閉じた。


いい判断だ。


母さんは俺の前にしゃがむ。


「ヨウカ、手」


手を出す。


指が震えていた。


痛くはない。

魔力が空っぽになった感じもない。


でも、胸の奥がざわざわしている。


自分でやった感じが、あまりしない。


「風、来た」


母さんの目が細くなった。


「今日は風が強かったからね」


「うん」


「だから、返事も大きくなった」


返事。


それが一番近い気がした。


俺が押したのではない。


呼んだ。


返ってきた。


ただ、大きすぎた。


母さんは俺の手を包む。


「ノルくんが縄へ近づく前に止まったわ」


「うん」


「でも、危なかった」


「……うん」


助かった。


危なかった。


両方、本当だった。


ノルが近くへ来た。


カリンに背中を押されている。


「ヨウカちゃん」


「うん」


「ありがとう」


言ってから、ノルは尻を押さえた。


「でも、びっくりした」


「ごめん」


「しりもちだけ」


「ごめん」


ノルは考えてから、花飾りを拾った。


「これ、リリの」


リリに渡す。


リリは花飾りを両手で受け取った。


「ありがとう」


ノルは胸を張りかけて、カリンに見られて、やめた。


「縄の方、行かない」


「うん」


リリは花飾りを井戸のそばに置き直した。


今度は石で押さえる。


トマがそれを見て、自分も石を持ってきた。


「これも」


「重すぎる」


リリが言う。


「じゃあ、これ?」


「それなら」


二人が花飾りの端を押さえている。


ノルは縄から離れたところに座った。


カリンは、三人と縄の間に立つ。


まだ風は吹いている。


でも、さっきほど強くはない。


母さんは干し網の布を取り込み始めた。


「今日はここまで」


「布、まだ濡れてる」


「飛ぶよりいいわ」


「うん」


俺も留め具を外す。


手の震えは収まってきた。


ただ、風が吹くたびに、耳の奥がざわつく。


きた?

また?


そんな気配がする。


「母さん」


「なに?」


「もう呼ばない」


「今はね」


母さんは布を畳みながら言った。


「ヨウカが何かをしたくなったら、まず私を見ること」


「母さんを見る?」


「ええ。私か、父さんか、近くの大人。声に出す前に、一回見る」


「間に合わない時は?」


母さんの手が止まる。


ノルが走り出した時を思い出したのだろう。


「間に合わない時もあるわ」


「うん」


「でも、さっきみたいに短く呼ぶと、風が足りないところまで運んでくることがある」


足りないところまで。


戻して。


その言葉だけでは、何をどのくらい戻すのか足りなかった。


花飾りだけ。

ゆっくり。

ノルに当てない。

布は揺らさない。


そこまで言っていない。


返事は、庭ごと来た。


「今日は、遊びたがっているのかもしれないわね」


母さんが空を見る。


耳の奥で、小さな笑い声がした気がした。


あそぶ?


俺は首を横に振った。


「遊ばない」


母さんが笑う。


「今は遊ばない、ね」


「うん。今は」


カリンがノルを見張りながら、こちらへ声をかけた。


「ヨウカ」


「なに?」


「すごかった」


「うん」


「でも、びっくりした」


「うん」


「次、言って」


「カリンに?」


「うん。先に」


「間に合ったら」


「間に合わせる」


無茶を言う。


でも、カリンは本気だった。


俺も頷く。


「分かった」


父さんが家の裏から戻ってきた。


状況を見て、すぐに顔が変わる。


「何があった」


母さんが短く説明した。


花飾り。

ノル。

ヨウカ。

風。


父さんは俺を見て、庭を見て、縄を見た。


「怪我は?」


「しりもちだけ」


ノルが手を上げる。


父さんは息を吐いた。


「ならいい」


よくはない顔だった。


でも、最初に怪我を確認した。


それから、俺の前にしゃがむ。


「風を出したのか」


「出した、より、来た」


父さんは母さんを見る。


母さんが頷く。


「今日は強かった。ヨウカが呼んだら、乗ったの」


「乗った」


父さんはその言葉を繰り返した。


「つまり、いつでもできるわけじゃない」


「たぶん」


「なら、勘違いするな」


「はい」


「強い力を出したんじゃない。強い風に声をかけたんだ」


「はい」


「ない時に同じことをしようとしてもできない。強い時は、大きくなりすぎる」


大きくなりすぎる。


それはよく分かった。


父さんは縄の方を見る。


「ノル、明日は縄から離れろ」


「はい」


「トマ、追いかける前に呼べ」


「はい」


父さんは花飾りを見た。


「……あれは石で押さえろ」


リリが慌てて頷いた。


「はい」


最後に、父さんはカリンを見た。


「カリン、よく入った」


カリンは頷く。


「間に合わなかった」


「半分は間に合った」


「半分?」


「ノルと縄の間に入った」


カリンはノルを見る。


ノルは尻を払っている。


「次は、もっと早く」


「そうだな」


カリンの目が鋭くなる。


たぶん、また練習する顔だ。


昼過ぎ、風は弱くなった。


母さんは布を家の中に移した。

外には何も干さない。


井戸のそばの花飾りは、石で押さえられている。


縄の近くには、誰もいない。


リディアさんの記録板に、母さんが新しい木札を足した。


強風。

花飾り飛ぶ。

ノル、赤縄へ走る。

ヨウカ、風へ呼びかけ。

花飾り戻る。

返り強すぎ。

ノル尻もち。怪我なし。


長い。


でも、必要な言葉ばかりだった。


その下に、父さんが一行足した。


風の日、呼ぶ前に大人を見る。


母さんがそれを見て、首を傾げる。


「いつも、ではないの?」


父さんは考えた。


それから、書き直した。


精霊へ呼ぶ前に、大人を見る。


俺はその木札を見た。


精霊。


久しぶりに、その言葉がはっきり置かれた。


胸の奥がざわつく。


でも、怖いだけではない。


あの時、風はたしかに応えてくれた。


雑だった。

強すぎた。

でも、敵ではなかった。


母さんは木札を乾かしながら言う。


「風は風のまま来るの」


それは、今日の庭そのものだった。


夕方、カリンが帰る前に、俺の横に立った。


「ヨウカ」


「なに?」


「風、強かった」


「うん」


「ヨウカも、飛びそうだった」


「飛ばない」


「ノルも飛ばない」


「しりもちついた」


「うん」


カリンは真面目な顔で頷いた。


「だから、次は先に言って」


「分かった」


「私も、先に止める」


「うん」


「風も、先に聞く?」


風も。


俺は庭を通る風を見る。


見えない。


でも、葉が揺れる。


井戸のそばの花飾りが、石の下で震えた。


耳の奥で、小さな声がした。


あそぶ?


俺は息を吐いた。


「今は、遊ばない」


風が、葉を鳴らした。


分かったのか、分かっていないのか。


たぶん、半分くらいだ。


夜、布団に入ってからも、風の音が聞こえていた。


戸が鳴る。

木札が揺れる。

井戸のそばの花飾りが、石に押さえられている。


今日、強かったのは俺ではない。


風があって、精霊が応えた。


言葉が足りなくて、庭ごと返ってきた。


それでも、ノルは縄を越えなかった。

花飾りは戻った。

怪我はなかった。


手を開く。


もう震えていない。


ただ、指先に風の感触が残っている気がした。


どうやら、風が味方してくれる時だけ強いらしい。

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