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なんか捨て子の女の子に転生したらしい  作者: ダレイワス1世
第四章 フィル村歳月編
40/92

なんか森の端が静かすぎるらしい

朝、井戸の前に桶が並んでいた。


水を汲む人。

順番を待つ人。

桶を抱えて畑へ向かう人。


小川は、井戸より近い。


けれど、そちらへ歩く人はいない。


小川へ続く道には細い縄が張られ、木札が一枚吊るされていた。


森側の水は使わない。


村長の字だ。


母さんが薬草籠を持って家から出てくる。

籠の中には布、小瓶、水袋、古い布、長い棒。


いつもの薬草採りとは違う。


父さんも盾を持っていた。


村の中で盾を見ると、空気が変わる。


カリンは手ぶらだった。


盾も木剣もない。

そのかわり、俺のすぐ横に立っている。


「今日は持たないの?」


「走る日」


カリンは短く答えた。


戦う日ではない。

持つ日でもない。


何かあれば、俺を連れて戻る日。


そういうことらしい。


父さんが柵の前で足を止めた。


「奥には入らない。薬草畑の端を見るだけだ」


村長、ルッツ、ダンも一緒だった。


ルッツの腕には、もう布がない。

ただ、その手は何度か傷跡のあたりに触れている。


ダンは長い棒を持っていた。


「何か見つけても、手で触るな」


父さんが言う。


「棒で動かすだけ。持ち帰るなら布越し」


ダンは頷く。


「はい」


誰も騒がない。

でも、誰も笑わない。


薬草畑へ向かう道は、いつも通りだった。


土の匂い。

畑の葉。

遠くで鶏が鳴く声。

誰かが薪を割る音。


そこまでは普通だ。


木々へ近づくと、音が薄くなる。


急に消えるわけではない。

一歩ずつ、遠ざかっていく。


鳥の声。

虫の羽音。

草の下を走る小さな気配。


いつもなら混ざっているものが、足りない。


母さんが石積みの手前で止まった。


「ヨウカとカリンは、ここまで」


縄はない。


でも、母さんの声で線が引かれる。


カリンが俺の横に立った。

近い。


大人たちだけが畑の端へ進む。


母さんが葉をめくる。

父さんは木々の奥へ顔を向ける。

ダンが棒で土をずらす。

ルッツは来た道を確かめる。

村長は木札を手にしていた。


畑の端だけ、葉の色が鈍い。


枯れてはいない。

折れてもいない。


けれど、元気な葉の色ではない。


母さんの指が、葉に触れる前で止まった。


「触る?」


村長が聞く。


「まず見るわ」


母さんは膝をつかない。

しゃがんだまま、葉の裏と茎の根元を確かめる。


ダンが棒で土を寄せた。


黒い粉は見えない。


それでも、誰の顔も明るくならなかった。


父さんが奥へ向く。


「静かすぎる」


その一言で、みんなが同じ方を見た。


木はある。

葉もある。

朝の光も入っている。


でも、奥が空いている。


何かが逃げた後ではなく、最初から何もいなかったみたいに。


ルッツが腕をさする。


「村側は、鳥も戻っていたんですが」


「ここは違うわね」


母さんの声が低くなる。


カリンの指が俺の袖に触れた。


握るのではなく、触れるだけ。


動くな。


そう言われた気がした。


母さんは小瓶を取り出し、土をほんのわずかだけ入れた。

古い布で包み、薬草籠とは別の袋へしまう。


混ぜない。


それだけで、普通の土ではないと分かる。


父さんが半歩、木々の方へ出た。


「ヨシュア」


母さんの声が飛ぶ。


父さんの足が止まった。


「奥には行かない約束よ」


「分かってる」


「あなたの“分かってる”は信用が薄い」


ダンが咳をした。

ルッツが横を向く。


父さんは黙って半歩戻った。


空気が一瞬だけ緩む。


でも、奥の静けさは変わらない。


父さんは盾の角度を直した。


「普通なら、何かしら動く。鳥が逃げる。虫が止まる。小動物が走る」


村長が木札を握り直す。


「今は?」


「最初からいないように見える」


木も葉も土もある。

なのに、足りない。


ルッツが息を吐いた。


「嫌な場所ですね」


「長居しない」


父さんが決めた。


母さんも頷く。


「今日は採らない。畑の端の葉も使わない。土は私が確認する」


「柵は?」


村長が聞く。


「内側へ張り直した方がいい」


父さんの返事は早かった。


「子どもが近づく距離を減らす」


子ども。


俺とカリンだけではない。


リリ。

トマ。

ノル。

ほかの子たち。


縄が一本増えると、遊ぶ場所が変わる。


でも、トマは昨日、枝を振らなかった。


場所が変われば、動きも変わる。


父さんたちが戻ってくる。


母さんの手には布袋。

中には土。


見た目はただの土だ。


でも、誰も薬草籠に入れようとしない。


「帰る」


父さんが言った。


反対する人はいなかった。


帰り道、カリンは行きより近くを歩いた。


「走らなかったね」


「走らない方がいい」


「うん」


「でも、走る場所は見た」


カリンの目は道の端を拾っている。


石。

くぼみ。

草の根。

逃げるなら、どこを通るか。


俺が明かりで足元を照らすなら、カリンは昼のうちから逃げ道を見ている。


同じ場所でも、見ているものが違う。


家に戻ると、母さんは土の入った布袋を外の台に置いた。


薬草棚には入れない。

家の中にも持ち込まない。


父さんが井戸水を汲む。


手を洗う。

靴の泥を落とす。

ダンは棒の先まで洗った。


母さんは小瓶の周りを、さらに布で包む。


「ヨウカ」


「はい」


「これは見ない」


小瓶を見る前に言われた。


「はい」


今度はすぐ返事をした。


見たい。


でも、今見るものではない。


母さんは村長へ向き直る。


「ルーベルへ知らせた方がいいわ」


村長が頷く。


「土も送るか」


「このままでは危ない。まず記録だけ。必要ならミラさんに来てもらう」


「リディア殿にも知らせる」


父さんが言った。


「村だけで判断する話じゃない」


水を分ける。

縄を張る。

見つけたものを混ぜない。

木札に残す。


それでも、ルーベルへ送る必要があった。


母さんは木札を一枚取る。


「ヨウカ、言えるところだけでいい。畑の端、どうだった?」


急に視線が集まった。


喉が固まる。


静か。


それだけでは足りない。


鳥が少ない。

虫も少ない。

葉は残っているのに、奥が眠っている。

薬草は枯れていない。でも、色が鈍い。


「音が、薄い」


母さんの手が止まった。


「音が薄い」


「うん。村の音はある。でも、森の中の音が少ない」


父さんが頷く。


「分かる」


母さんは木札に書いた。


森端、音薄い。


きれいな言葉ではない。

でも、伝わる。


「葉は?」


「死んでない。でも、元気じゃない」


薬草端、枯れず、色鈍い。


村長が木札を覗き込む。


「これならルーベルでも分かる」


長く話すより、短く残す。


昨日の庭と同じだ。


カリンが横から言った。


「戻る道、石ある」


父さんが顔を向ける。


「どこだ」


「畑から戻る道。右。草の根も」


「あとで直す」


カリンの言葉も木札に入った。


森の異変ではない。

でも、走る時に困るもの。


それも必要な情報だった。


村長は木札を受け取る。


「ルーベルへ出す。今日は子どもを森側へ近づけない。明日、柵を張り直す」


父さんが頷く。


「俺も出る」


「ヨシュアは柵だけ」


母さんの声が鋭い。


「柵だけだ」


「本当に?」


「本当に」


今度は誰も笑わなかった。


昼過ぎ、森へ向かう道に新しい縄が張られた。


昨日より内側。


遊べる場所が狭くなる。


トマが来て、縄の前で止まった。


「ここまで?」


「ここまで」


カリンが答える。


「森、だめ?」


「だめ」


「いつまで?」


カリンは答えない。


俺も答えられない。


トマは縄の向こうを見て、口を結んだ。


昨日なら、何か言ったかもしれない。

今日は言わなかった。


「分かった」


それだけ言って、村の方へ戻っていく。


ノルが後ろから走ってきて、ぶつかりそうになった。


トマは横へ避ける。


「走るなって」


「えー」


「縄あるから」


トマが縄を指す。


昨日の枝。

今日の縄。


危ない場所は、言葉と物で形になる。


夕方、ルーベルへ向かう大人が一人出た。


木札は布に包まれ、腰の袋へ入っている。


土は持っていかない。

今日は記録だけ。


母さんは家の前で見送った。


「ミラさんに、無理に来なくていいとも伝えて」


村長が頷く。


「だが、来るだろうな」


「ええ」


母さんも、そう思っている顔だった。


森の端は静かだった。


村は動いていた。


縄を張る人。

木札を書く人。

水を分ける人。

石をどける人。

ルーベルへ向かう人。


夜、布団に入る前、窓の外を見た。


森の方は暗い。


鳥の声は聞こえない。


代わりに、どこかの家から桶を置く音がした。


かたん。


人の音だ。


その音が、今日はありがたかった。


木札の言葉を思い出す。


森端、音薄い。


きれいな言葉ではない。

でも、届くかもしれない。


ルーベルまで。

ミラまで。

リディアさんまで。


布人形を抱き直す。


どうやら、森の端が静かすぎるらしい。

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