なんか鍛えるのと壊すのは違うらしい
空き地には、影の線ではなく、布の線が引かれていた。
アンナが古い布を細く裂いてくれたものだ。
薄い。
軽い。
踏んでも痛くない。
終わったら畳める。
正直、昨日の影の線より便利だった。
トマは不満そうに口を尖らせた。
「魔法の線の方がかっこよかった」
「今日は布」
「ちょっとだけ魔法は?」
「布」
カリンも横から言った。
「布」
二対一。
トマは肩を落とした。
「分かったよ。布でいいよ」
俺は少しだけ勝った気分になった。
昨日の俺なら、そう言われたら影の線を出したくなっていたと思う。
かっこいいと言われるのは嬉しい。
役に立つのも嬉しい。
みんなが驚くのも、悪い気はしない。
でも、今日は布で足りる。
足りるなら、魔法はいらない。
それを選べたことが、少しだけ誇らしかった。
カリンが俺を見る。
「それ、いる? って、できた」
「……うん」
最近のカリンは、俺を止める言葉が少し変わった。
前は「だめ」が多かった。
今は、
「閉じられる?」
「終われる?」
「それ、いる?」
になっている。
なかなか痛い。
でも、効く。
⸻
布の線でも、遊びは普通に回った。
トマはすぐに文句を忘れて、線ぎりぎりを狙い始めた。
リリは門まで届く回数が増えた。
双子は相変わらず順番で揉めかけたが、今日は自分たちで数を数えていた。
カリンは守る側も、狙う側もやった。
俺は影の線を出さなかった。
それだけで、昨日より疲れが少ない。
魔法を使わない、という選択にも意味がある。
そう思えた。
遊びが一区切りついた頃、アンナが俺を呼んだ。
「ヨウカ、少し来なさい」
「はい」
空き地の端に、小さな皿が置かれていた。
その上に、白っぽい石が一つ。
表面に、うっすら青い筋が入っている。
「練習用の魔導石よ。魔力を少し流すと光るわ」
面白そうだ。
かなり。
思わず身を乗り出すと、カリンが俺の服をつまんだ。
「近い」
「あ、ごめん」
俺は少し下がった。
アンナは石に指を置いた。
青い筋が、ほんの一瞬だけ光る。
すぐ消えた。
「今日は、これを強く光らせる練習じゃないわ」
「違うの?」
「少し流して、すぐ止める練習」
また、止める。
最近、止めてばかりだ。
でも、たぶんそれが大事なのだろう。
アンナはもう一度、石に触れた。
青い筋が細く光り、すぐに消える。
派手ではない。
けれど、きれいだった。
「今くらい。必要な分だけ」
俺は石を見る。
【練習用魔導石】
微量の魔力に反応して発光する石。
状態:良好。
表示は出た。
でも、追わない。
今はいらない。
俺は指先で石に触れた。
冷たい。
そこへ、ほんの少しだけ魔力を流す。
少しだけ。
そのつもりだった。
青い筋が、ぱっと強く光った。
「あ」
思ったより出た。
すぐに止める。
光は消えた。
アンナは怒らなかった。
「悪くないわ。でも、強い」
「強い?」
「ええ。ヨウカは出す量が多い。だから、もっと細く」
もっと細く。
影の線と同じだ。
俺はもう一度、石に触れる。
流す、というより、触れる。
水滴を一つ落とすくらい。
青い筋が、ほんの少しだけ光った。
すぐ消える。
「できた」
思わず声が出た。
アンナも頷いた。
「今のはいいわ」
嬉しい。
強く光った時より、今の方が嬉しかった。
大きく出すより、ちゃんと止められた感じがしたからだ。
⸻
トマも当然やりたがった。
「俺も!」
アンナは少し考えてから、別の石を出した。
「一回だけね。遊び道具じゃないから」
「一回!」
トマは嬉しそうに石へ指を置いた。
何も起きない。
「あれ?」
「魔力を流さないと光らないわ」
「流すってどうやるの?」
「それが練習」
トマはうんうん唸った。
石は光らない。
少し落ち込むかと思ったが、トマは俺を見た。
「ヨウカ、すげえんだな」
俺は少し困った。
すごい。
そう言われるのは嬉しい。
でも、少し怖い。
力があることと、偉いことは違う。
そこを間違えると、たぶん危ない。
アンナが先に口を開いた。
「ヨウカは魔力が多いの。でも、多いから偉いわけじゃないわ」
トマが首を傾げる。
「そうなの?」
「そうよ。多くても、扱えなければ危ない。少なくても、上手に使える人はいる」
アンナは俺も見た。
これは、俺にも言っている。
「昨日も言ったけれど、魔力は使えば育つわ。でも、使い切ればいいわけじゃない」
俺は黙って頷いた。
アンナは魔導石を布で包み、俺の前から少し遠ざけた。
「今日の練習は、あと一回で終わり」
「まだできるよ」
言ってから、しまったと思った。
カリンが俺を見る。
アンナも俺を見る。
トマまで見る。
俺は少し目を逸らした。
アンナは静かに言った。
「できるから終わるの」
「できるから?」
「ええ。できなくなるまで続けたら、最後に体が覚えるのは、崩れた感覚よ。今日は、きれいに止められたところで終わり」
きれいに止められたところで終わり。
それは少し、もったいない。
今、少し分かりかけたのに。
もう一回やれば、もっと上手くできるかもしれないのに。
でも、その「もう一回」が危ないのだ。
俺は石に触れた。
三回目。
魔力を細く流す。
青い筋が、淡く光る。
すぐに消す。
さっきより、少しだけ短くできた。
アンナが笑った。
「いいわね」
「終わり?」
トマが聞いた。
俺は石を見た。
まだやりたい。
でも、指を離した。
「終わり」
カリンが小さく頷いた。
「できた」
石を光らせたことではなく。
終われたことを言っているのだろう。
それが少し悔しい。
でも、少し嬉しい。
⸻
昼過ぎ、今度はカリンがヨシュアに呼ばれた。
庭の端。
カリンは小さな盾を持って立っている。
俺は丸太に座って見ていた。
ヨシュアは木の棒を構える前に、地面へ線を三本引いた。
「今日は三回だけだ」
カリンが眉を寄せる。
「三回?」
「ああ。三回を丁寧にやる」
「もっとできる」
「できるかどうかではない」
ヨシュアは淡々と言った。
「雑に十回やるより、丁寧な三回の方がいい日もある」
ああ。
俺の魔導石と同じだ。
カリンも気づいたのか、ちらっと俺を見た。
俺は小さく頷いた。
一回目。
ヨシュアの木の棒を、カリンが盾で受ける。
音は小さい。
でも、足が半歩下がった。
「足が逃げた」
「うん」
カリンはすぐ頷いた。
二回目。
足は残った。
でも、肩が上がる。
「肩に力が入っている。盾は腕だけで持つな。体で受けろ」
カリンは息を整えた。
三回目。
カリンは構える。
足を置く。
肩を下げる。
盾を前へ出す。
ヨシュアの木の棒を受けた。
音は一番小さかった。
でも、姿勢は一番崩れなかった。
ヨシュアが頷く。
「今のだ」
カリンの目が少し明るくなる。
「もう一回」
すぐ言った。
分かる。
今の感覚をもう一度やりたい。
俺も石でそう思った。
でも、ヨシュアは首を振った。
「今日は終わりだ」
「できたのに」
「できたから終わる」
ヨシュアは木の棒を下ろした。
「崩れるまでやれば、体は崩れた動きを覚える。良い形で終われ」
カリンは黙った。
悔しそうだった。
かなり。
でも、盾を下ろした。
「……分かった」
ヨシュアはカリンの盾を軽く叩いた。
「鍛えるのと壊すのは違う」
その言葉は短かった。
でも、今日はやけに重く聞こえた。
鍛えるのと壊すのは違う。
俺も、心の中で繰り返した。
⸻
夕方、アンナは薬草畑の端で、黒ずんだ葉を処理していた。
三年前の森の異変以降、森側の端は時々弱る。
完全に戻ったわけではない。
だから、毎日見る。
少し悪くなった葉は早めに取る。
広げないようにする。
それも、村の日常になっていた。
アンナは小さな炎で、黒ずんだ葉だけを焼いた。
葉一枚分。
煙が出る前に包んで消す。
火は小さい。
でも、丁寧だった。
「燃やせるから、全部燃やすわけじゃないの」
アンナが言った。
俺にというより、カリンにも聞かせるような声だった。
「この葉は処理する。でも、隣の葉は残す。残すものまで傷つけたら、治したことにならないわ」
燃やす。
残す。
止める。
今日ずっと聞いてきたことと、同じ話に思えた。
使いすぎない。
受けすぎない。
燃やしすぎない。
強くなることと、壊さないことは、いつも隣り合っている。
カリンがぽつりと言った。
「守るのも、強すぎるとだめ?」
アンナは少しだけ目を細めた。
「そうね。押さえつけるだけでは、守るとは言えない時もあるわ」
カリンは黙って考え込んだ。
たぶん難しい。
でも、カリンには大事な言葉だ。
俺にとっても。
助けたい。
守りたい。
知りたい。
強くなりたい。
その気持ちが強すぎると、たぶん壊す。
相手も。
自分も。
⸻
夜。
俺は寝床で布人形を抱えていた。
今日は不思議な日だった。
布の線で遊んだ。
魔導石を三回だけ光らせた。
カリンは盾を三回だけ受けた。
アンナは葉一枚分の火を使った。
全部、小さい。
でも、全部が同じ方向を向いていた気がする。
できなくなるまでやらない。
できたところで止める。
明日もできるように終わる。
それは、思ったより難しい。
俺はつい、もう一回やりたくなる。
もう少し見たい。
もう少し知りたい。
もう少し使いたい。
でも、その「もう少し」が危ない。
アンナが灯りを落としに来た。
「疲れた?」
「少し」
「ちょうどいいわね」
「ちょうどいい?」
「明日も同じ練習ができるくらい。それくらいが一番伸びるわ」
俺は頷いた。
明日もできるくらいで止める。
今日、何度も聞いたことのまとめみたいだった。
「アンナ」
「なに?」
「魔力、育つ?」
アンナは少し笑った。
「育つわ。ちゃんと使えばね」
「ちゃんと」
「そう。細く使うこと。止めること。休むこと。その積み重ねで、ちゃんと育つ」
俺は自分の手を見た。
小さい。
でも、昨日より少しだけ、自分のものとして扱えている気がした。
カリンは今日、できたところで終わった。
俺も、三回で終われた。
アンナは、必要な葉だけ焼いた。
ヨシュアは、鍛えるのと壊すのは違うと言った。
その全部を、覚えておこうと思った。
俺は布人形を抱き直し、目を閉じる。
今日は水の声を追わない。
影も出さない。
何も見ない。
今は休む時間だ。
どうやら、鍛えるのと壊すのは違うらしい。
そして俺は、強くなるためにこそ、ちゃんと止まることを覚えなければならないらしい。




