なんか盾は強くするだけじゃだめらしい
昼前、カリンが盾を背負って来た。
昨日は休ませていた盾だ。
今日は背中にある。
けれど、いつものように、すぐ構えられる位置へ手を添えてはいない。
肩の前に、力が入っている。
「カリン、盾、なおす?」
カリンは頷いた。
「見る。レナードさん」
短い返事。
顔は真剣だった。
昨日、ゴルダンに言われたことが残っているのだろう。
重すぎると、盾に振られる。
持つ人に合っていなければ、守れない。
カリンは一晩、それを考えていたのかもしれない。
家の中からアンナが顔を出す。
「ヨウカも行く?」
すぐ頷きかけて、カリンを見る。
カリンの盾だ。
俺が勝手についていくものではない。
カリンは俺を見返した。
「来ていい。触る時は聞いて」
「うん」
⸻
レナードさんの作業場には、木と革の匂いがした。
ルーベルの工房通りとは違う。
あそこは火と鉄と油の匂いが強かった。
ここは近い。
削った木。
乾いた革。
布で拭かれた道具。
家の近くの仕事場。
フィル村の匂いだ。
レナードさんは作業台の前にいた。
セリアさんも横にいる。
カリンを見ると、レナードさんが顎を引いた。
「来たか。まず、いつも通り下ろしてみろ」
カリンは背中の盾に手をかけた。
両手で紐を外す。
盾を下ろす。
床にぶつけないよう、ゆっくり。
最後のところで、肩が前へ流れた。
盾に体を持っていかれている。
レナードさんは何も言わない。
盾と、カリンの肩だけを見る。
カリンも自分の肩に手を当てた。
「ここ」
肩の前側を押さえる。
それから、手首を回した。
「ここも」
「分かった」
レナードさんの返事はそれだけだった。
偉いぞ、とも、よく言えた、とも言わない。
ただ、分かったと言う。
その方がカリンには合っている。
セリアさんがカリンの肩に触れた。
「昨日、赤くなっていたところね」
カリンは目を伏せる。
「ちょっと」
「ちょっとでも、跡は跡よ」
セリアさんの声は穏やかだった。
怒ってはいない。
流しもしない。
カリンは頷いた。
⸻
レナードさんが盾を作業台に置く。
「ゴルダンは何て言っていた?」
カリンの背筋が伸びた。
「悪くないって。縁金は、今くらいでいい。重くしすぎると、盾に振られる。持つ人に合うのが大事」
レナードさんの指が、盾の縁をなぞった。
「その通りだ」
カリンの目が開く。
ゴルダンの言葉と、レナードさんの言葉が同じ方を向いた。
それが嬉しかったのだと思う。
「盾は硬ければいいわけじゃない。大きければいいわけでもない。お前が倒れたら、盾だけ残る」
カリンの視線が盾に落ちた。
「それでは守れない」
「……うん」
レナードさんは作業台の端に置いてあった短い木剣を持ち上げた。
子ども用の、軽い木剣だ。
「それに、カリン。お前はいずれ、盾だけじゃなく剣も使う」
剣。
カリンの顔が変わった。
「剣も、いる?」
「いる」
レナードさんははっきり答えた。
「盾だけで受け続ければ、いつか押し込まれる。守るために、相手を下がらせる手もいる」
カリンは木剣を見てから、自分の盾を見る。
「盾が重いと、剣が動かない」
「ああ」
「剣だけ強くても?」
「守れない」
「盾だけ強くても?」
「押され続ける」
カリンは黙った。
それから、小さく頷く。
「両方」
「そうだ。両方使える形にする」
⸻
レナードさんは盾の内側を見せた。
握り。
肩紐。
腕に当たる革。
縁金。
前なら、全部まとめて「盾の裏」に見えていた。
今は違う。
握りの太さ。
革の当たり方。
腕を通した時、手がどれくらい自由に動くか。
そこに意味がある。
レナードさんはカリンに木剣を渡した。
「持ってみろ。盾は置いたままでいい」
カリンは木剣を受け取る。
「軽い」
「今はそれでいい」
次に盾を持たされる。
「今度は盾も」
カリンは盾を腕に通し、反対の手に木剣を持った。
すぐにバランスが崩れる。
盾に意識が行くと、剣の手が遅れる。
剣を見ると、盾が体から離れる。
カリンの眉が寄った。
「むずかしい」
悔しそうな声だった。
でも、現実を見ている声でもあった。
レナードさんが頷く。
「だから、盾をお前に合わせる。剣を持つ余裕が残るようにな」
⸻
作業が始まった。
盾の内側の革を外す。
小さな釘を抜く。
古い革を持ち上げる。
薄く削った新しい革を合わせる。
こん。
こつ。
ざり。
ルーベルの工房通りほど派手な音ではない。
けれど、ちゃんと仕事の音だった。
カリンは見ている。
俺も離れて見る。
釘や削りくずがある。
近づきすぎない。
レナードさんの手は、ゴルダンと違った。
ゴルダンの手は、鉄と火の手だった。
レナードさんの手は、木と革の手だ。
どちらも道具を使う手だった。
必要なところへ、必要なだけ動く。
レナードさんは盾の端を削った。
「削るの?」
「ああ」
「強くするのに?」
「強くするんじゃない。使えるようにする。いらない厚みがあると、重さだけ増える」
「薬草みたい」
思わず口に出た。
レナードさんがこちらを見る。
「薬草?」
「多ければいいわけじゃない」
レナードさんは笑った。
「そうだな。盾も同じだ」
それだけで、十分だった。
⸻
レナードさんは、革を足し、余分な厚みを削り、肩紐の長さを変えた。
外から見れば、ほとんど同じ盾だ。
それでも、何度も持たせては外し、また直す。
一度で終わらない。
「面倒?」
そう聞くと、レナードさんは手を止めずに答えた。
「面倒だ。でも、ここを面倒がると、使う時に困る」
カリンは盾を持たされるたび、感触を確かめていた。
肩。
腕。
握り。
剣を持つ手。
足の位置。
前は、盾を持つと盾だけを気にしていた。
今日は体全体を確かめている。
レナードさんが木剣を渡した。
「もう一度」
カリンは盾を腕に通し、木剣を持つ。
さっきより自然だった。
盾が体から離れすぎない。
木剣の手も動く。
一歩。
止まる。
横へ。
下がる。
盾と木剣が、ぎこちなく一緒に動いた。
「どうだ」
カリンはしばらく動いてから答えた。
「手が、残る」
「剣の手か」
「うん」
「それでいい」
⸻
レナードさんは、厚い板を持ってきた。
大きくて、重そうな板だ。
「これは?」
「ただの重い板だ。盾のようには使える。でも、今のお前には合わない」
レナードさんは板をカリンに持たせた。
受け取った瞬間、カリンの足が踏ん張る。
重い。
木剣の手が下がる。
盾として構えようとしても、体が固まる。
カリンは歯を食いしばった。
けれど、すぐに板を下ろした。
自分で。
レナードさんは何も言わずに受け取る。
「強そう」
カリンが言った。
「強そうだな」
「でも、動けない」
「なら、今は駄目だ」
「今は」
「ああ。今は」
レナードさんは板を作業台に戻す。
「強そうなものと、守れるものは違う。長くて重い剣も同じだ。持てなければ棒にも劣る」
カリンは木剣を見る。
短い。
軽い。
本物の剣ではない。
でも、今のカリンには合っている。
「短いの、弱い?」
「弱いんじゃない。今のお前が扱える長さだ」
カリンは黙った。
悔しそうだった。
でも、目は逸らさない。
「大きくなったら?」
「変える。盾も、剣も」
カリンは頷いた。
「今の私に、合うもの」
「そうだ」
レナードさんの声が静かになる。
「今の自分を見間違えるな。強くなりたいなら、そこからだ」
⸻
調整が終わると、カリンは庭で歩いてみた。
盾。
木剣。
一歩。
止まる。
横へ。
下がる。
また前へ。
ぎこちない。
でも、考えて動いている。
レナードさんは横から見る。
「盾を前に出しすぎるな」
カリンが戻す。
「剣の手を固めるな」
木剣の先が動く。
「足を止めすぎるな。止まるために立つんじゃない。動けるように立て」
これは、戦い方を教えているというより、道具が体の邪魔をしていないか見ているのだろう。
カリンは一度、盾を構えたままこちらを見た。
「ヨウカ、歩いて。ゆっくり」
レナードさんが頷いたので、庭の端から歩いた。
カリンが横に来る。
前ではなく、横。
盾は外側。
木剣は反対側。
近すぎず、離れすぎず。
俺が止まると、カリンも止まる。
歩くと、カリンも歩く。
盾だけの時より、考えることが多そうだった。
それでも、カリンは嫌そうではない。
目が明るい。
「剣も持つと、大変?」
「大変」
「でも、いる?」
「いる」
「なんで?」
カリンは考える。
「近づけないため。下がらせるため」
そこで止まる。
「ヨウカの横にいるため」
言葉が止まった。
カリンらしい答えだった。
相手を倒すため、ではない。
横にいるため。
そのための剣。
レナードさんは何も言わなかった。
セリアさんも静かに見ている。
⸻
帰る前、レナードさんは調整した盾をカリンに渡した。
「今日は長く使うな」
カリンは頷く。
「休ませる」
「自分もな」
一拍置いて、もう一度頷いた。
「うん」
レナードさんは木剣を持ち上げた。
「これは、しばらく俺のところに置いておく。練習する時だけ使う」
「持って帰らない?」
「ああ。勝手に振るものじゃない。剣は、盾より危ない。自分にも、周りにもな」
レナードさんの視線がこちらに向いた。
「ヨウカちゃんも、刃物を持つ時は大人と一緒だ。薬草を切る小刀でも同じだ。切れるものは、便利な分だけ危ない」
「うん」
「道具は、持っただけでは何もできん。使えるようになってからが本番だ」
持っただけでは、何もできない。
その言葉だけが残った。
⸻
帰り道、カリンは盾を背負っていた。
朝より楽そうだ。
木剣は持っていない。
でも、何もない腰のあたりへ、時々手が動く。
さっき持った感覚が残っているのだろう。
「剣、どうだった?」
「軽い。でも、難しい」
カリンは前を向いたまま、腰のあたりへ手をやった。
「盾だけだと、押される。剣だけだと、守れない。両方、いる」
短い言葉だった。
でも、カリンの中で何かが決まったように聞こえた。
「ヨウカ、横、歩いて」
「今?」
「うん」
歩幅を合わせる。
カリンが横に並ぶ。
盾は外側。
空いた手は、腰のあたりにある。
いつか、その手には剣があるのかもしれない。
でも今は、四歳と六歳の手だ。
何も持っていない手。
それで十分だった。
⸻
家に戻ると、アンナが庭にいた。
「おかえり」
「ただいま」
アンナはカリンの盾を見る。
「変わった?」
カリンは頷いた。
「中。肩と、持つところ」
「よかったわね」
カリンは考えてから答える。
「剣の手も、残す」
アンナの目が丸くなった。
それから、静かに笑う。
「そう。もうそこまで考えるのね」
「難しい」
「難しいなら、少しずつね」
「うん」
カリンは盾を壁に立てかけた。
雑に置かない。
でも、朝より動きが軽い。
盾を置いて、カリンも椅子に座った。
誰も大げさには褒めない。
それで十分だった。
カリンは壁に立てた盾を見ている。
その手は、何も持っていない腰のあたりにあった。




