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なんか捨て子の女の子に転生したらしい  作者: ダレイワス1世
第四章 フィル村歳月編
36/105

なんか薬草棚にも癖があるらしい

朝食のあと、アンナが薬草棚の前に立った。

 

その手には、薬草も木札も持っていない。

 

棚の扉に手をかけただけで、こちらを見る。

 

「今日は、薬草の名前を覚える日じゃないわ」

 

よかった。

 

そう思ったのが顔に出たのか、アンナが笑った。

 

「昨日、ルーベルの話をたくさんしたものね」

 

「うん」

 

新しい名前を詰め込まれたら、こぼれる。

 

「じゃあ、何するの?」

 

「棚を見るの」

 

「棚?」

 

「そう。薬草じゃなくて、棚」

 

アンナが棚の前にしゃがむ。

 

いつもの棚だ。

 

小さな瓶。

木箱。

布袋。

木札。

乾燥薬草の束。

 

ミラの工房にあった棚と比べると、ずっと小さい。

 

瓶も少ない。

木札も少ない。

乾燥室もない。

 

それでも、物足りない感じはしなかった。

 

アンナの座る位置から、すぐ手が届く。

重い瓶は下。

軽い袋は上。

よく使う布と小さな器は、水差しの近く。

 

昨日までは、薬草の名前ばかり気にしていた。

 

カラネ葉。

ミズヒラ草。

シロミナ花。

 

今は、どこに置いてあるかが気になる。

 

「小さい」

 

口に出すと、アンナは黙って続きを待った。

 

「でも、近い」

 

「いいわね。続けて」

 

「よく使うのが、手前。重いのは、下。布と水、近い」

 

アンナの目が細くなる。

 

「よく見てるわ」

 

褒められた。

 

胸が温かくなる。

 

アンナは一つの布袋を指した。

 

「これは何に使うものだった?」

 

木札を見る。

 

形は覚えている。

匂いも分かる。

 

「お腹。カラネ葉」

 

「そう。よく使う?」

 

「村ではね」

 

「どうして?」

 

アンナは棚から袋を取らず、指だけを添えた。

 

「畑仕事のあと、冷たい水を飲みすぎる人がいるでしょう。子どもたちも木の実を食べすぎるし、パン屋のマルタは味見をしすぎる時がある」

 

マルタ。

 

味見をしすぎる。

 

想像できてしまった。

 

「マルタさん、お腹で来る?」

 

「ときどきね」

 

アンナが笑った。

 

カラネ葉は、お腹に使う薬草。

 

それだけではない。

 

誰が。

どんな時に。

 

その情報まで、棚の手前に置かれている。

 

カラネ葉の袋から、前より村の匂いがした。

 

 

次にアンナは、小さな瓶を指した。

 

「これは?」

 

「火傷?」

 

「正解」

 

小瓶は棚の奥ではなく、手前の取りやすい場所にある。

 

「パン屋さん?」

 

「パン屋もあるわね。鍋を持つ時、薪をくべる時、子どもが火の近くに寄りすぎた時にも使うわ」

 

アンナの指が、小瓶の上で止まる。

 

アンナは豪炎の魔女だ。

 

その異名を知っている。

 

今、アンナは炎を出していない。

 

火傷に使う薬を、すぐ取れる場所に置いている。

 

炎を扱える人だからこそ、火傷を軽く見ないのかもしれない。

 

「近い方がいい?」

 

「火傷は、まず冷やすのが先。でも、その後に使うものを探していたら困るでしょう。だから、布と水の近く」

 

薬草棚は、薬草だけでできていない。

 

水。

布。

器。

火。

村の仕事。

人の癖。

 

小さな棚なのに、中身は思ったより広い。

 

アンナは、今度は上の方にある木箱を指した。

 

「これは?」

 

手は届かない。

木札も読みにくい。

 

「分からない」

 

「虫刺されや、かぶれに使うものね」

 

「上?」

 

「勝手に触ると困るから。使い方を間違えると、肌が荒れることがあるの」

 

届かないのに、手を引っ込めた。

 

「薬草、こわい?」

 

「怖がるだけでは使えないわ。でも、怖さを忘れると危ない」

 

ミラも似たことを言っていた。

 

薬草は薬になる。

だから、間違えればただの草より危ない。

 

「薬草にも、距離がある」

 

そう言うと、アンナは静かに笑った。

 

「そうね。触っていい距離、見て覚える距離、私に聞く距離があるわ」

 

距離。

 

ミラが頭を撫でる前に、「触っていい?」と聞いたことを思い出す。

 

薬草にも、人にも、距離がある。

 

棚が、また違って見えた。

 

 

アンナは棚の奥を指した。

 

「じゃあ、これはどう見える?」

 

そこには、小さな布袋があった。

 

他の袋より奥。

木札は横向き。

置き方だけなら、少し雑にも見える。

 

アンナが雑に置くとは思えない。

 

意味がある。

 

顔を近づけすぎないようにして、匂いを拾う。

 

乾いた葉の匂い。

その奥に、青い匂い。

 

乾いているはずなのに、雨のあとみたいな匂いが混じっている。

 

昨日、ミラの工房で嗅いだ葉を思い出した。

 

「雨のあとみたい。乾いてる。でも、青い匂いがする」

 

アンナの顔が変わった。

 

アンナは袋を取り、自分で匂いを嗅いだ。

 

「……本当ね」

 

「だめ?」

 

「駄目ではないわ。でも、湿気を吸い始めている」

 

当たった。

 

喜びかけて、すぐに止める。

 

薬草が悪くなりかけているかもしれないのだ。

 

「どうする?」

 

「広げて、もう一度風を通すわ。日には当てすぎない」

 

アンナが布を広げ、薬草を出す。

 

「これ、どうして奥?」

 

「昨日、気になったから。すぐ使う棚から外しておいたの」

 

「使わない場所?」

 

「確認する場所ね」

 

確認する場所。

 

棚には、帰る場所だけではない。

 

すぐ使う場所。

休ませる場所。

危ないから離す場所。

確認する場所。

 

「間違って置いたんじゃない?」

 

「違うわ」

 

アンナは微笑んだ。

 

「棚にも、そういう場所があるの。でも、使う人の癖は出るわ」

 

癖。

 

棚の癖。

アンナの癖。

 

ずっと見ていた棚なのに、知らない場所があった。

 

「ミラさんの棚にも、癖ある?」

 

「きっとあるわ」

 

「父さんの荷物にも?」

 

「すごくあると思うわ」

 

見たい。

 

ヨシュアの荷物の癖。

 

勝手に見るのは駄目だ。

 

あとで聞こう。

 

 

昼前、マルタが来た。

 

今度は火傷ではない。

 

小さな籠を持って、少し困った顔をしている。

 

「アンナ、いいかい?」

 

「どうしたの?」

 

「昨日から、うちの子が腹を気にしててね。食べすぎかもしれない」

 

お腹。

 

棚の手前にある布袋が、すぐ頭に浮かんだ。

 

カラネ葉。

 

さっき聞いたばかりのものが、本当に来た。

 

棚は村を覚えている。

 

そう思った。

 

アンナはすぐに薬草を取らない。

 

いつからか。

何を食べたか。

熱はあるか。

お腹を触ると痛がるか。

 

質問が続く。

 

薬草の名前だけでは足りない。

 

使う人を見る。

話を聞く。

 

ミラが言っていたことだ。

 

アンナは話を聞き終えてから、棚へ向かった。

 

手前の袋。

カラネ葉。

 

でも、量は思ったより少ない。

 

「軽いものにしましょう。今日は油っぽいものを控えて、水を少しずつ」

 

「やっぱり食べすぎかねえ」

 

「たぶんね。でも、熱が出たらすぐ来て」

 

マルタが帰ったあと、アンナの手元に視線を落とす。

 

少ない。

 

取りやすい場所にあるのに、少ない。

 

「少し?」

 

「子どもだからね。それに、強く効かせればいいわけじゃない」

 

アンナは嬉しそうに頷いた。

 

「取りやすいことと、雑に使うことは違うわ」

 

それは覚えておいた方がいい。

 

カラネ葉の袋は、手前にある。

すぐ取れる。

 

でも、簡単に使っていいわけではない。

 

見えるから見る。

取れるから使う。

 

それは違う。

 

 

午後、カリンが来た。

 

今日は盾を持っていない。

 

カリンは庭に入ると、薬草を広げた布の前で止まった。

 

「干してる?」

 

「湿気」

 

カリンは薬草を見る。

 

近づきすぎない。

触らない。

 

「だめ?」

 

「今、見てる」

 

カリンは頷いた。

 

「名前つけない?」

 

「それは黒い根」

 

「でも、似てる?」

 

少し考える。

 

黒い根と薬草は全然違う。

 

すぐ決めないところは似ている。

 

「悪いって、すぐ決めない。でも、使っていいとも決めない」

 

カリンはしばらく黙った。

 

「確認する場所?」

 

「うん」

 

棚の奥を指す。

 

「母さんの癖」

 

「盾にもある」

 

「癖?」

 

「置く場所。レナードさんの。使う道具の場所、決まってる」

 

やっぱり。

 

ヨシュアの荷物にも、レナードさんの道具にも、きっと癖がある。

 

使う人がいて、使う場所がある。

だから、物の置き方が決まる。

 

「カリンの盾も?」

 

カリンは考え込んだ。

 

「背中。帰る場所。でも、今日は休む場所」

 

そう言って、胸を張る。

 

盾を休ませていることを、ちゃんと分かっているらしい。

 

横で聞いていたアンナが微笑んだ。

 

「薬草も、人も、道具も、無理に使い続けると駄目になるものね」

 

カリンが真剣に頷く。

 

「盾も。私も」

 

「もちろん」

 

 

夕方、広げていた薬草をアンナが確認した。

 

「大丈夫そうね。ただし、先に使う分に回しましょう」

 

「先に?」

 

「湿気を吸ったものは、長く置かない方がいいの」

 

同じ薬草でも、状態で場所が変わる。

 

元の袋に戻すだけではない。

使う順番が変わる。

 

アンナは木札に印をつけた。

 

字ではなく、短い線。

 

「これは?」

 

「先に使う印」

 

「母さんだけ?」

 

「父さんでも分かるわ。覚えれば、ヨウカも」

 

文字だけではない。

印もある。

 

棚には、いろいろな読み方がある。

 

「薬草棚、文字だけじゃない」

 

「ええ。場所、印、匂い、量。全部が情報よ」

 

情報。

 

薬草棚は情報のかたまりだ。

 

ただし、鑑定みたいに意味が頭に置かれるのではない。

 

見て、嗅いで、聞いて、何度も触れて、分かっていく情報。

 

棚が前より難しく見える。

 

前より面白い。

 

 

夜。

 

寝床に入る前に、薬草棚をもう一度眺めた。

 

棚の奥には、確認する場所。

手前には、よく使うもの。

上には、勝手に触ってはいけないもの。

下には、重い瓶。

布と水の近くには、すぐ使うもの。

 

朝まで、ただの薬草棚だった。

 

今日、違って見えるようになった。

 

この棚には、アンナの手が入っている。

フィル村の人たちの暮らしも入っている。

 

マルタのお腹。

火傷。

湿気。

季節。

使う順番。

 

小さな棚の中に、村が詰まっている。

 

ルーベルのミラの工房はすごかった。

 

広くて、匂いが多くて、道具もたくさんあった。

 

でも、アンナの棚もすごい。

 

小さい。

けれど、村に合っている。

アンナに合っている。

 

後ろから、アンナの声がした。

 

「まだ見てるの?」

 

「うん」

 

棚から目を離す。

 

それから、少し考えて言った。

 

「母さんの棚、母さんみたい」

 

アンナは目を丸くした。

 

「私みたい?」

 

「うん」

 

「どういうところが?」

 

難しい。

 

でも、言いたい。

 

「近い。すぐ取れる。でも、勝手じゃない」

 

アンナはしばらく黙った。

 

それから、柔らかく笑う。

 

「それは、嬉しいわね」

 

布団へ向かう。

 

今日は、新しい薬草の名前を何個も覚えたわけではない。

 

でも、棚の見方が変わった。

 

薬草にも帰る場所がある。

 

でも、その場所は、ずっと同じとは限らない。

 

使う人。

湿気。

季節。

村の暮らし。

 

そういうものに合わせて変わる。

 

布団に入って、布人形を抱く。

 

目を閉じる前に、薬草棚の木札を思い出した。

 

名前だけではない。

 

場所にも、印にも、奥の空きにも、意味がある。


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