なんか教えるのは難しいらしい
「トマ、足が前に出すぎ」
俺がそう言った瞬間、トマの動きが止まった。
布ボールは、門の横をころころと抜けていく。
外れ。
トマは俺を見た。
「また?」
「うん。足が前に出すぎると、体が開く」
「からだがひらく?」
しまった。
四歳児が言うには、少し怪しい。
俺はすぐに言い直した。
「えっと……横、向きすぎ」
「それ先に言えよ」
トマは少し不満そうに言った。
今日も村の空き地では、布ボール遊びが開かれていた。
昨日より人数が増えている。
トマ。
トマの妹のリリ。
近所の双子。
少し年上の女の子。
それからカリンと俺。
ルールは昨日と同じ。
三歩まで。
顔を狙わない。
門の後ろに立たない。
森側へ行かない。
痛かったら止める。
ここまではよかった。
問題は、俺が少し調子に乗ったことだ。
前世の記憶がある。
野球をしていた。
スポーツ科学もスポーツ工学もかじっていた。
体の使い方を見るのは、わりと好きだった。
だから、つい口が出る。
「リリ、手だけじゃなくて、体も前」
「双子の兄、今のは右じゃなくて左が空いてる」
「カリン、守る時に先に動きすぎ」
「トマ、強くじゃなくて狙う」
言っていることは、たぶん間違っていない。
でも、しばらくして気づいた。
みんな、だんだん楽しそうじゃなくなっている。
トマは俺を見て、むすっとした。
「ヨウカ、うるさい」
正面から言われた。
かなり刺さった。
俺は布ボールを持ったまま固まる。
「うるさい?」
「うん。なんか、すぐ言う」
周りの子どもたちも、少し気まずそうにしている。
カリンだけは俺をじっと見ていた。
否定しない。
つまり、カリンも少し思っているのだ。
俺はやらかしたらしい。
⸻
前世で、俺は教員を目指していた。
人に何かを教えるのは嫌いではなかった。
むしろ好きな方だった。
できなかったことができるようになる。
分からなかったことが分かるようになる。
その瞬間を見るのは、たぶん好きだった。
でも、今の俺はただの四歳児である。
しかも、遊びの場だ。
全員が上手くなりたいわけではない。
勝ちたい子もいれば、ただ走りたい子もいる。
布ボールに触れれば満足な子もいる。
そこへ俺がいちいち口を出した。
それは、たぶん少し嫌だ。
いや、かなり嫌だ。
俺だって、楽しくボールを転がしている時に横からずっと言われたら嫌だ。
トマは枝を持っていないのに、剣でも構えるように腕を組んだ。
「遊びなのに、先生みたい」
先生。
その言葉に、胸が少し動いた。
前世なら、少し嬉しかったかもしれない。
でも今は、あまり嬉しくない。
トマの「先生みたい」は、褒め言葉ではなかった。
俺は少し迷ってから、頭を下げた。
「ごめん」
トマが目を丸くする。
「え、謝るの?」
「うん。言いすぎた」
子ども相手に何を本気で謝っているのか、とも思う。
でも、ここでごまかす方が格好悪い。
俺は続けた。
「遊び、つまんなくした」
トマは少しだけ困った顔をした。
怒り続けるつもりだったのに、謝られて戸惑ったのかもしれない。
「まあ……ちょっとな」
正直である。
カリンが横で静かに言った。
「ヨウカ、考えすぎ」
それも刺さった。
かなり刺さった。
俺は目を逸らした。
「うん」
「でも、教えるの、悪くない」
カリンは布ボールを見た。
「言いすぎが、だめ」
簡潔。
そして正確。
俺は頷いた。
「じゃあ、言い方を変える」
トマが首を傾げる。
「どう変えるんだ?」
俺は少し考えた。
教える。
でも、押しつけない。
答えを全部言わない。
相手に考える余地を残す。
四歳児らしくない考えだが、仕方ない。
俺の中身は二十二歳だったのだ。
俺は布ボールをトマに渡した。
「トマ、今度は自分で見る」
「何を?」
「どこが空いてるか」
トマは門の方を見た。
守る役はカリン。
カリンは真正面に立っている。
右側に小石。
左側は少し空いている。
トマはしばらく見てから言った。
「左?」
「うん。じゃあ、やってみる」
俺はそれ以上言わなかった。
足がどうとか、体がどうとか、言わない。
トマは三歩で転がした。
布ボールは少し曲がりながら、左側へ進む。
カリンが動く。
だが、少し遅れた。
ボールは門の端をかすめて通った。
「入った!」
トマが叫ぶ。
さっきまでの不機嫌が、一瞬で消えた。
単純である。
でも、それがいい。
俺は言った。
「自分で見たから入った」
トマは少し得意そうに胸を張った。
「だろ?」
いや、俺が言ったのだが。
まあいい。
その顔を見て、少し分かった。
教えるというのは、自分の知識を全部渡すことではない。
相手が自分で見つけたと思えるように、少しだけ道を作ることなのかもしれない。
⸻
次はリリの番だった。
トマの妹で、五歳くらい。
昨日から参加しているが、まだ一度も点を取れていない。
布ボールを持つ手も少し頼りない。
リリは門の前に立つカリンを見て、小さな声で言った。
「むり」
早い。
まだ転がしていない。
トマが言いかけた。
「ちゃんとやれよ」
俺はトマの服を軽く引いた。
「言わない」
「なんで?」
「言われると、もっと嫌になる」
トマは少し不満そうだったが、黙った。
俺はリリの前にしゃがむ。
「リリ、点じゃなくていいよ」
リリが俺を見る。
「いいの?」
「うん。まず、門まで届いたら勝ち」
「点じゃないの?」
「今は、届いたら勝ち」
トマが少し首を傾げる。
「それ勝ちなのか?」
「勝ち」
俺は言い切った。
勝ちは一つではない。
点を取ることだけが勝ちではない。
昨日より遠くへ転がる。
怖がらずに投げる。
順番を待つ。
痛かったら止めると言える。
全部、子どもにとっては勝ちでいい。
リリは布ボールを両手で持った。
三歩。
かなり小さい三歩。
そして転がす。
布ボールはゆっくり進み、門の手前で止まりかけた。
俺は思わず声を出しそうになった。
もう少し強く。
足を前に。
手を最後まで。
全部飲み込む。
ボールはころころ、ころころと進む。
そして、門の線にぎりぎり触れた。
入ってはいない。
でも、届いた。
「届いた」
俺が言うと、リリの顔がぱっと明るくなった。
「届いた!」
トマが少し戸惑っている。
「点じゃないだろ」
カリンが静かに言った。
「でも、勝ち」
トマはカリンを見た。
カリンは譲らなかった。
トマは少し考えて、頭をかいた。
「じゃあ、勝ちでいい」
リリは嬉しそうに跳ねた。
それを見て、俺は胸が少し温かくなった。
上手い子が勝つ遊びは簡単だ。
でも、それだけだと下手な子はすぐに抜ける。
下手な子が抜けると、遊びは小さくなる。
みんなが続けられるようにするには、勝ち方をいくつか作ればいい。
前世で学んだことが、少し役に立った気がした。
⸻
そこへ、ヨシュアがやって来た。
また見ている。
今日は本当に暇なのだろうか。
いや、たぶん暇ではない。
見回りのついでだ。
ヨシュアはしばらく俺たちの遊びを黙って見ていた。
そして、トマがリリに言った。
「次は点取れよ」
リリが少し固まる。
俺は口を開こうとした。
その前に、ヨシュアが言った。
「トマ」
トマが背筋を伸ばす。
「はい」
ヨシュアに呼ばれると、子どもはだいたい少し固くなる。
ヨシュアは怒っているわけではない。
でも、声が低い。
「リリは、今は届かせる練習でいい。お前は点を取る練習をしている。やることが違う」
トマは少し目を瞬かせた。
「違う?」
「同じ遊びでも、全員が同じ目標とは限らない」
ヨシュアは俺たち全員を見た。
「強い者が勝つだけなら、弱い者はすぐ抜ける。抜ければ人数が減る。人数が減れば、遊びも訓練も続かない」
かなりちゃんと説明した。
やはりヨシュアは単語だけで話す人ではない。
必要な時は、ちゃんと言う。
トマは少し考えてから、リリを見た。
「じゃあ、リリは届いたら勝ち」
リリが頷く。
「うん」
「俺は点取ったら勝ち」
「うん」
「カリンは?」
トマがカリンを見る。
カリンは少し考えた。
「止めたら勝ち」
実にカリンらしい。
俺は笑いそうになった。
「でも、今日は一回、点を取るのも勝ちにしたら?」
俺が言うと、カリンは少し黙った。
昨日、自分で点を取って嬉しそうだったのを思い出したのかもしれない。
「……うん。点も取る」
よし。
カリンの勝ち方が増えた。
ヨシュアは俺を見た。
「ヨウカは?」
「私?」
急に来た。
俺の勝ち。
俺は少し考えた。
点を取る。
教える。
みんなを見る。
どれもある。
でも、今日の俺には別の勝ちがある。
「言いすぎない」
トマが笑った。
「それ勝ちなのかよ」
「勝ち」
俺は真面目に答えた。
カリンも頷いた。
「勝ち」
トマは腹を抱えて笑った。
失礼である。
でも、まあいい。
笑えるなら、さっきよりずっといい。
ヨシュアは少しだけ口元を緩めた。
「悪くない。自分で決めたなら、守れ」
「はい」
俺は素直に返事をした。
今日の俺の目標。
言いすぎない。
これは、かなり難しい。
⸻
遊びはまた始まった。
不思議なことに、勝ち方を分けると、みんな前より楽しそうになった。
トマは点を狙う。
リリは門まで届かせる。
カリンは止めたり、時々点を狙ったりする。
双子は順番を間違えずに並ぶことを目標にした。
それも勝ちなのか、と思ったが、双子はすぐ順番で揉めるのでかなり大事だった。
俺はというと、言いすぎない練習をしていた。
これが難しい。
トマの足が開きすぎている。
リリの手が途中で止まっている。
カリンの動き出しが一瞬早い。
双子は人の前を横切りそうになる。
言いたい。
めちゃくちゃ言いたい。
だが、全部言うとまたつまらなくなる。
俺は口を閉じる。
必要な時だけ言う。
危ない時。
本人が聞いてきた時。
あと、できた時。
特に、できた時はちゃんと言う。
「今の、前より届いた」
リリが笑う。
「うん!」
「トマ、今のは空いてるところ見てた」
「だろ?」
「カリン、点狙うのうまくなってる」
カリンが少しだけ目を逸らす。
照れている。
たぶん。
教えるのは、直すことだけではない。
できたところを見つけることも、たぶん教えることだ。
前世の俺は、それをちゃんとできていただろうか。
できていたと言い切る自信はない。
でも、今から覚えればいい。
四歳の体で、布ボールを転がしながら。
⸻
しばらくして、トマが俺に近づいてきた。
「なあ、ヨウカ」
「なに?」
「さっきみたいに、どこ空いてるか聞いて」
「自分で見ないの?」
「見るけど、聞いて」
なるほど。
答えを言うのではなく、見るきっかけを作ってほしいらしい。
俺は少し嬉しくなった。
「分かった」
トマがボールを持つ。
門の前にはカリン。
右にリリがいる。
左は少し空いている。
でも地面に小石がある。
俺は言う。
「どこが空いてる?」
トマはじっと見る。
「左……だけど、石がある」
「じゃあ?」
「右に見せて、左?」
「やってみる」
トマは三歩で、少し右に体を向けた。
カリンがそちらを見る。
しかしボールは左へ転がる。
小石をぎりぎり避け、門の端を抜けた。
入った。
トマが両手を上げる。
「入った!」
カリンは少し悔しそうだった。
「見せた」
「見せたな」
ヨシュアが頷く。
「今のは悪くない。相手をよく見ていた」
トマは嬉しそうに笑った。
俺も嬉しかった。
自分で点を取ったわけではない。
でも、トマが自分で見て、自分で考えて、自分で決めた。
その結果が出た。
これはかなり楽しい。
教えるのは、思ったより面白い。
ただし、思ったより難しい。
⸻
その後、カリンが俺のところへ来た。
「ヨウカ」
「なに?」
「私にも、聞いて」
「何を?」
「どこ、空いてるか」
俺は少し驚いた。
カリンが、自分から教えてほしいと言った。
いや、答えを教えてほしいのではない。
聞いてほしいと言った。
俺は嬉しくなった。
「うん」
カリンが布ボールを持つ。
守るのはトマ。
トマはさっき点を取って調子に乗っている。
真正面に立ち、少し膝を曲げている。
右は空いている。
左はリリが見ている。
ただ、トマは右を警戒している。
俺は聞いた。
「どこが空いてる?」
カリンはしばらく見た。
「右。でも、見てる」
「じゃあ?」
「正面?」
「どうして?」
「トマ、横を気にしてる」
おお。
かなり見ている。
カリンは三歩で、まっすぐ転がした。
トマは右へ動きかけていた。
布ボールはその足元を抜け、門を通った。
入った。
カリンが固まる。
トマが叫んだ。
「あっ!」
俺は思わず拍手した。
「カリン、すごい!」
カリンは少しだけ、ほんの少しだけ笑った。
本当に一瞬。
でも、見逃さなかった。
「守るだけじゃない」
昨日と同じ言葉。
でも、今日は少し自信が混じっていた。
俺は頷いた。
「うん。守るだけじゃない」
カリンは盾を持っていない。
剣も持っていない。
ただ布ボールを転がしただけ。
でも、その一投は、カリンにとってたぶん大事な一投だった。
⸻
夕方、遊びが終わる頃には、みんなかなり疲れていた。
リリは門まで何度も届くようになった。
トマは点を取って、何度か外して、何度か悔しがった。
双子は最後まで順番で少し揉めたが、最初よりはましだった。
カリンは守りでも点取りでも活躍した。
俺はというと、言いすぎない勝負にかなり疲れた。
体を動かすより、口を止める方が疲れる。
これは新発見だった。
帰り際、トマが言った。
「ヨウカ」
「なに?」
「今日の先生は、うるさくなかった」
褒められたのか。
これは褒められたのか。
俺は少し考えてから言った。
「ありがとう」
トマはにやっと笑う。
「明日も聞いてくれよ。どこ空いてるか」
「うん。でも自分で見るんだよ」
「分かってるって」
本当に分かっているかは怪しい。
でも、それでいい。
明日もまた遊べばいい。
カリンは俺の隣に来た。
「ヨウカ、勝ち?」
「言いすぎない勝負?」
「うん」
俺は少し考えた。
何度か言いそうになった。
少し言った。
でも、昨日よりはだいぶ我慢した。
「少し勝ち」
カリンは頷いた。
「少しでも、勝ち」
その言い方に、俺は笑った。
昨日、俺が言った言葉だ。
返された。
悪くない。
⸻
家に帰ると、アンナが出迎えてくれた。
「おかえり」
「ただいま」
この言葉にも、だいぶ慣れてきた。
アンナは俺の顔を見て、すぐに言った。
「今日はよく動いただけじゃなさそうね」
鋭い。
「教えるの、むずかしかった」
俺が言うと、アンナは少し目を丸くした。
「教えたの?」
「言いすぎて、トマにうるさいって言われた」
アンナは一瞬黙った。
そして、笑った。
結構笑った。
「笑わないで」
「ごめん。でも、それは大事なことを教わったわね」
「トマに?」
「そうよ」
トマに教わった。
そう考えると、少し不思議だった。
俺は教える側のつもりでいた。
でも、俺も教わっていた。
言いすぎると嫌になること。
勝ち方は一つではないこと。
できたところを言う方がいい時もあること。
子どもは楽しいと続けること。
全部、今日の遊びから教わった。
アンナは俺の頭を撫でた。
「教えるって、相手を見ることだからね」
「相手を見る」
「自分が知っていることを全部渡すだけなら、相手は重くなるわ」
その言葉は、かなり胸に落ちた。
重くなる。
そうだ。
俺は自分の知っていることを、少し押しつけかけていた。
教えるつもりで、相手に荷物を持たせていたのかもしれない。
「じゃあ、軽くする?」
俺が聞くと、アンナは笑った。
「軽く渡すの。持てる分だけ」
持てる分だけ。
それは薬草にも、魔法にも、黒い根にも、全部に通じる気がした。
⸻
夜。
俺は寝床で布人形を抱えていた。
今日も疲れている。
でも、昨日とは少し違う疲れだ。
体を動かした疲れ。
口を止めた疲れ。
誰かができるようになるのを待つ疲れ。
待つ。
またそれだ。
俺は待つことを、何度も学んでいる気がする。
森の時は、大人たちが戻るのを待った。
水の声が聞こえても、手を伸ばさず待った。
今日は、トマやリリやカリンが自分で気づくのを待った。
待つのは苦手だ。
でも、待たないと見えないものがある。
リリが門まで届いた時の顔。
トマが自分で空いている場所を見つけた瞬間。
カリンが正面を抜いた一投。
「守るだけじゃない」と言った声。
それは、俺が全部先に答えを言っていたら見られなかった。
前世の俺は、教員になりたかった。
今世の俺は、まだ四歳だ。
でも、今日少しだけ分かった。
教えるというのは、相手を自分の思い通りに動かすことではない。
相手が自分で見て、自分で考えて、自分で動けるように、横に立つことなのかもしれない。
アンナが灯りを落とす。
「楽しかった?」
「うん」
「うるさい先生は卒業できそう?」
「……少し」
アンナは笑った。
「少しで十分よ」
少し。
最近、その言葉をよく聞く。
少し閉じる。
少しできる。
少し勝つ。
少し成長する。
それでいいのかもしれない。
俺は目を閉じた。
布ボールが転がる音が、まだ耳に残っている。
ころころ。
その音に混じって、子どもたちの笑い声があった。
どうやら、教えるのは思ったより難しいらしい。
そして俺は、教えるつもりでいた相手からも、ちゃんと教わるらしい。




