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なんか捨て子の女の子に転生したらしい  作者: ダレイワス1世
第二章 フィル村幼年期編
31/39

なんか少し大きくなったらしい

俺が初めて、自分の口で「私」と言った時、アンナは泣きそうな顔をした。


「わたし、ヨウカ」


そう言っただけだった。


言っただけ、のつもりだった。


けれど、アンナは手に持っていた薬草の籠を置き、俺の前にしゃがんだ。


「もう一回、言って」


「わたし、ヨウカ」


アンナは俺を抱きしめた。


かなり強めに。


「そう。あなたはヨウカよ」


その声は、少し震えていた。


俺はアンナの肩に顔を埋めながら、胸の奥が変な感じになるのを覚えた。


私。


口に出すと、それは思ったより自然だった。


この体で育ち、この家で呼ばれ、この村で生きてきた名前。


ヨウカ。


それはもう、他人の名前ではない。


でも、頭の中ではまだ俺が俺のままだった。


寺原丈賀だった記憶は、薄れていない。


野球をしていたこと。

大学に通っていたこと。

教員を目指していたこと。

家に安心できなかったこと。


全部、俺の中にある。


だから、口では私。


心の中では俺。


そのズレは少し不思議だったが、今のところ大きな問題ではなかった。


問題があるとすれば、俺がうっかり大人みたいに喋りすぎることの方だった。



あれから三年が経った。


俺は四歳になった。


赤ん坊ではなくなった。


歩ける。

走れる。

喋れる。

自分でパンを持って食べられる。

転ぶと普通に痛い。


かなり進歩である。


一歳の頃の俺は、何かあるたびに「あう」しか言えなかった。


今は違う。


「アンナ、これ、見てもいい?」


「少しだけね」


「うん。少しだけ」


こうして会話ができる。


素晴らしい。


ただし、喋れるようになると、黙っていれば済んだ頃よりも危険が増える。


下手に話すと、四歳児らしくないことを言ってしまう。


たとえば先日、ヨシュアが村の溝を直しているのを見て、俺はつい言いそうになった。


水の流れを見るなら、勾配を一定にした方がいい。


危ない。


完全に危ない。


四歳児がそんなことを言い出したら、かなり面倒なことになる。


だから俺は、口を閉じた。


そして、少し考えてから言った。


「そこ、みず、たまる?」


ヨシュアは手を止め、溝を見た。


「よく気づいたな」


「なんとなく」


便利な言葉である。


なんとなく。


四歳児の発言としても許される。


俺はこの三年で、かなり「なんとなく」を使いこなすようになった。



森の異変は、完全には消えていない。


あの黒い根は、奥に欠片のようなものを残したままだ。


ただ、村をすぐ脅かすほどの状態ではなくなった。


森側の小川は、今でも勝手に使ってはいけない。

雨の後は必ず確認する。

薬草採りも森の奥までは入らない。

怪しい黒い泥や粉を見つけたら、触らず大人を呼ぶ。


それはフィル村の日常になった。


嫌な日常だ。


でも、続いている。


井戸の水は守られた。

村人は暮らしている。

パンは焼かれ、子どもは走り、家畜は鳴く。


森はまだ少し痛い。


でも、息はしている。


俺はそれを、時々感じる。


水の声は、昔ほど強くは届かない。


こちらから追わなければ、胸の奥にかすかに触れる程度だ。


ありがとう。


まだ、いたい。


でも、ながれる。


その声を聞くたびに、俺は水に手を伸ばさないようにしている。


伸ばせば、また何かできるかもしれない。


でも、できるかもしれないからやる、は危ない。


それはもう、痛いほど学んだ。



「ヨウカ」


庭の方から声がした。


カリンだ。


六歳になったカリンは、前より少し背が伸びた。


黒髪は相変わらず綺麗で、顔立ちは幼いのに、目だけは妙に落ち着いている。


手には木剣。


そして、ヨシュアが作った小さな盾。


三年前より、盾は少し大きくなっていた。


「今日、見る?」


「見る」


俺はすぐに答えた。


「でも、近づかない」


カリンが先に言った。


俺は少しむっとした。


「分かってる」


「ヨウカ、分かってるって言って、見る」


「今日は見ない」


「ほんと?」


「ほんと」


カリンはじっと俺を見た。


疑いが深い。


まあ、仕方ない。


俺には前科が多い。


カリンは小さく頷いた。


「じゃあ、そこで」


庭の端に、小さな丸太が置いてある。


俺の観覧席である。


俺はそこに座った。


一歳の頃はアンナに抱かれて見ているだけだった。


今は自分で座れる。


それだけでも、かなり成長した気がする。


カリンは庭の中央に立ち、盾を構えた。


ヨシュアが前に立つ。


「今日は足だ」


「足?」


カリンが聞き返す。


「盾は腕だけで持つんじゃない。足で間に合う場所に立つ」


ヨシュアは木の棒で地面を示した。


「相手。守るもの。逃げ道。全部見る」


カリンは頷く。


その視線が、一瞬だけ俺に向いた。


俺だけを見るな。


ヨシュアにそう教えられてから、カリンは少し変わった。


昔のカリンは、俺を守ると言うと、まっすぐ俺の前に立とうとした。


今は違う。


俺を見る。

周りを見る。

逃げ道を見る。

ヨシュアを見る。


そして、少し遅れて動く。


完璧ではない。


まだ子どもだ。


でも、ちゃんと学んでいる。


俺はそれを見るのが好きだった。


カリンが強くなることが嬉しい。


同時に、少し怖くもある。


カリンが俺のためだけに強くなってしまったら嫌だ。


だから最近は、できるだけ言うようにしている。


「カリン」


「なに?」


「カリンも、けが、だめ」


カリンは盾を下ろさずに俺を見た。


「うん」


「私のためでも、だめ」


そう言うと、カリンは少しだけ黙った。


それから、静かに答えた。


「分かってる」


昔なら、すぐ「守る」と言ったかもしれない。


でも今は、少し考えてから答える。


それも成長なのだと思う。


ヨシュアが俺を見た。


「ヨウカもだ」


「私も?」


「人のことを言うなら、自分も守れ」


俺は目を逸らした。


言い返せない。


こういう時、四歳児の顔をしておくと多少はごまかせる。


たぶん。


アンナの声が家の中から飛んできた。


「ヨウカ、顔でごまかさない」


ごまかせなかった。



午後は薬草の時間だった。


アンナの薬草棚は、以前より少し増えている。


森側の薬草が自由に採れなくなった分、村の中で育てる薬草を増やしたのだ。


俺は小さな木の台に乗り、アンナの横で葉を分けていた。


もちろん、危ない草は触らせてもらえない。


俺の担当は、すでに確認済みの乾燥薬草を瓶へ入れること。


地味だ。


でも、地味なことは大事だ。


医学スキルがあっても、知識がなければ使えない。


知識があっても、薬草の名前を間違えれば危ない。


だから、こういう作業は必要だった。


俺は小さな葉を一枚つまむ。


【シロミナ花】

乾燥済み。軽い鎮静効果。使用量注意。


相変わらず、鑑定は出る。


前より少しだけ見えやすくなった気もする。


でも、詳しく見ようとしすぎると疲れるのは同じだ。


俺は表示を追いかけすぎず、瓶に入れた。


「ヨウカ」


アンナが言う。


「はい」


「今、ぼうっと見すぎなかったわね」


「うん。少しだけにした」


アンナは満足そうに頷いた。


「えらい」


褒められた。


四歳児としては、素直に嬉しい。


中身が二十代でも、褒められると嬉しいものは嬉しい。


アンナは次に、別の葉を見せた。


「これは?」


俺はすぐに答えそうになって、止まった。


鑑定すれば分かる。


でも、まず見た目で考える。


細い葉。

少し青い。

匂いは薄い。

乾燥すると端が丸まる。


「ミズヒラ草?」


「正解」


「やった」


思わず小さく拳を握った。


アンナが笑う。


「見た目でちゃんと考えたのも、よかったわ」


それは本当に大事だ。


俺には鑑定がある。


でも、便利なものに頼りすぎると、自分の目が育たない。


前世でも、たぶん同じだった。


道具があるなら使えばいい。


ただし、道具に使われるな。


俺はミズヒラ草を瓶に入れながら、その言葉を自分の中に置いた。



その日の夕方、村に行商人が来た。


荷車を引いた、中年の男だ。


村に来る行商人は珍しくない。


布、塩、針、油、乾いた果物、小さな玩具。


フィル村にないものを運んでくる。


だが、その男は荷物だけでなく、少し大きめの封筒を持っていた。


村長宛ての手紙らしい。


村長は封を開け、目を通した。


少し眉が動く。


ヨシュアとアンナが呼ばれた。


俺とカリンは、少し離れたところで待たされた。


「何かな」


俺が呟くと、カリンがこちらを見た。


「気になる?」


「気になる」


「行かない」


「行かないよ」


最近、カリンの警戒が会話より先に来る。


まあ、行かない。


大人の話に勝手に首を突っ込むと、後でかなり面倒だ。


しばらくして、アンナが戻ってきた。


顔は深刻ではない。


でも、少し考えている。


「アンナ、なに?」


俺が聞くと、アンナは手紙をちらっと見た。


「隣町からよ」


隣町。


ミラのいる町だ。


俺は思わず背筋を伸ばした。


アンナは俺の反応を見て、少しだけ苦笑した。


「黒い根の欠片を調べている人がいるみたい。まだ詳しいことは分からないけど、今度、村の様子を見に人が来るかもしれないって」


俺は黙った。


黒い根。


あれはまだ終わっていない。


分かっていた。


分かっていたが、こうして外からの手紙として来ると、急に現実味が増す。


カリンが俺の手を握った。


「よーか」


「うん」


「水、さわらない」


「うん。触らない」


そこはもう、ちゃんと約束する。


俺は手紙の方を見た。


村の外。


隣町。


調べる人。


世界が少しだけ、フィル村の外へ広がる音がした。


怖い。


でも、気になる。


俺は四歳になった。


赤ん坊ではない。


でも、まだ子どもだ。


できることは増えた。


けれど、分からないことはもっと増えた。


だから学ばなければならない。


薬草も。

魔法も。

体の使い方も。

水の声との距離の取り方も。


そして、いつか外へ出る日のために。



夜、俺は寝床で布人形を抱いていた。


カリンが昔作ってくれた人形だ。


何度も直されて、今では少し形が変わっている。


黒い髪は相変わらずずれている。


でも、それも含めて見慣れた顔だった。


アンナが灯りを落とす。


ヨシュアが戸締まりを確認する。


外では、森側の見回りの足音が遠くに聞こえた。


三年前と違って、俺はその音の意味が少し分かる。


誰かが、当たり前の日常を守ってくれている音だ。


俺は目を閉じた。


今日、俺は「私」と言った。


薬草を鑑定だけに頼らず見た。


カリンは俺だけではなく、周りを見るようになった。


隣町から手紙が来た。


小さなことばかりだ。


でも、小さなことが進んでいる。


俺たちは少しずつ大きくなっている。


どうやら俺は、少し大きくなったらしい。


そしてフィル村の外からも、少しずつ何かが近づいてきているらしい。

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