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なんか捨て子の女の子に転生したらしい  作者: ダレイワス1世
第一章 フィル村幼児期編
30/34

なんか少し成長したらしい

ミラが隣町へ戻る朝、フィル村には薄い霧が出ていた。


森から流れてきた霧ではない。


畑の上にうっすらとかかる、いつもの朝の霧だ。


少し前なら、霧というだけで大人たちは森側を警戒していたと思う。


今も警戒はしている。


でも、慌ててはいない。


井戸水を調べ、桶を分け、森側の柵を確認し、薬草畑の端を見る。


それが村の朝の仕事に加わった。


厄介な日課だ。


けれど、日課になったということは、村がそれを受け止め始めたということでもある。


ミラは村長の家の前で荷物をまとめていた。


腰には薬草の袋。

背中には旅用の荷物。

そして、小さな鉄箱を布で何重にも包んだものを持っている。


黒い根の欠片が入っている箱だ。


かなり小さい。


それでも、あれが普通ではないことは分かる。


俺はアンナに抱かれたまま、少し離れた場所から見ていた。


近づきすぎない。


触らない。


見すぎない。


これはもう、俺だけでなく村全体の合言葉みたいになっていた。


ミラは村長に言った。


「隣町で調べて、必要なら上へ知らせます。ただ、焦って王都に大げさな報告を上げるより、まずは確かな情報を集めた方がいい」


村長は深く頷いた。


「頼む」


「森側の水は、最低でもしばらく使わないでください。雨のあとは必ず確認。黒い泥や粉を見つけたら、触らずアンナさんへ」


「分かっている」


ミラは次にアンナを見た。


「あなたも無理しないで。火で処理できるからって、全部焼こうとしないこと」


アンナは少しだけ苦笑した。


「分かってるわ」


「本当に?」


「……分かってる」


ヨシュアが横から言った。


「見ておく」


ミラは満足そうに頷いた。


「それなら安心ね」


アンナは少し不満そうだったが、言い返さなかった。


たぶん、言い返せないだけの自覚があるのだろう。


豪炎の魔女も、何でも燃やせばいいわけではない。


この数日で、それは俺にもよく分かった。



ミラは俺の方へ歩いてきた。


アンナの腕の中にいる俺を見て、少ししゃがむ。


「ヨウカちゃん」


「あう」


「元気そうね」


元気かどうかは微妙だった。


まだ少し疲れが残っている。


でも、寝込むほどではない。


ミラは俺に触れず、少し距離を保ったまま言った。


「あなたのことは、報告には詳しく書かないわ」


俺はミラを見た。


「水に変な反応があった。村人の早い発見があった。そういう書き方にする」


アンナの腕が、ほんの少し強くなった。


ヨシュアも黙っている。


ミラは続けた。


「あなたは便利な道具じゃない。分かる?」


俺は小さく声を出した。


「あう」


分かる。


分かりたい。


たぶん、まだ全部は分かっていない。


でも、その言葉を覚えておく必要があることだけは分かった。


便利な道具ではない。


俺の力は、何かを見つけるかもしれない。

誰かを助けるきっかけになるかもしれない。


でも、だからといって使い潰していいものではない。


それを大人が先に言ってくれる。


ありがたかった。


ミラは少しだけ笑った。


「本当に分かってそうな顔をするのよね」


アンナがため息をつく。


「そうなのよ」


このやり取りにも、少し慣れてきた。


ミラは立ち上がり、最後にカリンの方を見た。


「カリンちゃん」


カリンは俺の隣に立っていた。


今日は木剣を持っていない。


ただ、まっすぐミラを見ている。


「ヨウカちゃんを止めてくれてありがとう」


カリンは少しだけ考えてから、短く言った。


「よーか、むちゃする」


その通りすぎて、俺は目を逸らした。


ミラは笑った。


「そうね。でも、止める人も休まないと駄目よ」


カリンは少し意外そうな顔をした。


たぶん、自分も休む側だとは思っていなかったのだろう。


「私も?」


「そう。あなたも」


カリンは俺を見た。


そして、小さく頷いた。


「わかった」


本当に分かったのかは、少し怪しい。


でも、言葉として受け取っただけでも十分なのかもしれない。



ミラが村を出たあと、ヨシュアはすぐに村の男たちと森側の柵へ向かった。


黒い根の事件は一応収まった。


けれど、仕事は終わっていない。


むしろ、これからの後始末の方が多い。


森側から雨水が流れ込まないように、浅い溝を掘る。

水たまりができやすい場所に土を盛る。

道具を洗う場所を決める。

森側へ出入りした人の靴を確認する。


地味だった。


かなり地味だった。


けれど、たぶんこれが大事なのだ。


アンナが黒い根を焼くことだけが解決ではない。

ヨシュアが盾で黒い泥を止めることだけが防衛ではない。


その後に、同じことが起きにくいように村を整える。


それも、ちゃんと戦いの続きなのだと思った。


俺はアンナに抱かれたまま、作業を見ていた。


ヨシュアは溝の深さを見ている。


「深すぎる。子どもが足を取られる」


村の男が慌てて土を戻す。


「これくらいですか?」


「もう少し浅くていい。水が逃げれば十分だ」


別の男が聞く。


「幅は?」


「広げすぎるな。家畜が踏む」


指示が具体的だ。


ヨシュアがいると、怖いものが少しずつ作業に変わっていく。


漠然とした不安が、溝を掘る、桶を分ける、靴を洗う、という形になる。


形になれば、人は動ける。


鉄壁の要塞。


その異名は、本当に盾だけの意味ではないのだろう。



カリンは俺のそばにいた。


けれど今日は、ずっと俺を見張っているわけではなかった。


村の大人たちが溝を掘る様子を見ている。


時々、ヨシュアの足元を見る。


盾は持っていない。


木剣も持っていない。


でも、目は真剣だった。


「カリン」


ヨシュアがふと声をかけた。


カリンはすぐに顔を上げる。


「うん」


「守る時に、何を見る」


カリンは少し考えた。


そして、俺を見た。


たぶん最初に出かけた答えは「ヨウカ」だったのだろう。


でも、それは飲み込んだらしい。


次に、溝を見る。


森を見る。


大人たちを見る。


それから答えた。


「みんな」


ヨシュアは少しだけ目を細めた。


「悪くない」


カリンの顔がわずかに明るくなった。


「ヨウカだけ見てると、ヨウカを危なくすることもある」


カリンは黙った。


その言葉は、少し難しかったと思う。


でも、何となくは分かったのだろう。


カリンは俺の服の端を軽く握った。


「よーかも、みんな?」


ヨシュアが頷く。


「そうだ。ヨウカも、みんなの中にいる」


その言葉は、俺にも刺さった。


ヨウカも、みんなの中にいる。


俺はつい、自分を別枠に置いてしまう。


前世の記憶がある。

変なスキルがある。

加護がある。

赤ん坊なのに大人のように考えてしまう。


だから、自分だけが何かしなければならないような気がする。


でも、違う。


俺も村の中の一人だ。


守る側だけではない。

守られる側でもある。


助ける側だけではない。

助けてもらう側でもある。


そこを忘れると、たぶんまた無茶をする。


カリンは小さく頷いた。


「わかった」


今度は、少し本当に分かったように見えた。



昼過ぎ、アンナは薬草畑の整理をした。


ミズヒラ草はまだ弱っている。


森側の端にあった株は、完全には戻らなかった。


何本かは抜くことになった。


黒い影響を受けすぎた根は、無理に残しても周りへ悪さをするかもしれないらしい。


アンナは一本ずつ状態を見て、残すものと処理するものを分けていた。


「全部助けるのは、無理なのね」


アンナがぽつりと言った。


俺に言ったというより、自分に言ったような声だった。


俺はその言葉を聞いて、胸の奥が少し重くなった。


全部助けるのは無理。


それは、かなり嫌な言葉だ。


でも、たぶん本当だ。


弱りすぎた根を残せば、周りの草まで悪くなるかもしれない。


一本を諦めることで、他の薬草を守る。


そういう判断もある。


アンナは処理する草を陶器の皿に置き、小さな炎で焼いた。


黒い煙はほとんど出なかった。


でも、念のために火で包んで処理する。


派手さはない。


ただ、丁寧だった。


俺はその様子をじっと見た。


助けるというのは、きれいなことだけではない。


残すものを選ぶ。

処理するものを決める。

危ないものを広げない。


そういう判断が必要になる。


俺はまだ、それを全部受け止められるほど強くない。


でも、見ないふりをしていいものでもないのだろう。


アンナは作業を終えると、俺の頭を撫でた。


「難しい顔」


「あう」


難しいです。


かなり。


アンナは少し笑った。


「今は、全部分からなくていいわ」


それだけ言って、薬草の籠を持ち上げた。


全部分からなくていい。


それもまた、覚えておくべき言葉だった。



夕方、村の中心で簡単な食事が配られた。


祝いというより、作業をした人たちへの労いだった。


マルタさんのパン。

野菜のスープ。

少しだけ干し肉。


森側の水が使えないので、水の扱いはいつもより慎重だった。


それでも、湯気の立つ鍋を囲むと、村の空気はかなり柔らかくなった。


俺はアンナの膝の上で、柔らかくしたパンを少しもらった。


うまい。


やはりうまい。


スープに浸したパンは、赤ん坊にも優しい。


「あう」


声を出すと、マルタさんが笑った。


「ヨウカちゃんは本当においしそうに食べるねえ」


食べるのは大事だ。


俺の仕事のひとつである。


ヨシュアも器を持って近くに座った。


「よく食え。育て」


いつもの短い言葉。


でも今日は、その言葉が少し違って聞こえた。


育て。


強くなるために。

無茶をしないために。

誰かを助けたいと思った時、自分も壊れないために。


食って、寝て、育つ。


それは赤ん坊だから必要なのではなく、生きるために必要なのだ。


カリンも隣でパンを食べていた。


いつもより少し眠そうだ。


「カリンも食べなさい」


アンナが言う。


カリンは素直に頷いた。


「うん」


そして、いつもより少し大きくパンをかじった。


俺はそれを見て、少し安心した。


カリンもちゃんと食べている。


守る人も、食べなければならない。


当たり前だけど、大事なことだ。



食事の後、村長が短く話をした。


長い演説ではなかった。


「森はまだ戻っていない。小川も使えない。だが、村は今日も回った」


村人たちは静かに聞いていた。


「明日も水を見る。柵を見る。溝を直す。薬草は無理に採らない。怪しいものは触らない。困ったら一人で抱えず言う」


そこで、村長は一度言葉を切った。


「この数日、それで助かった者がいる」


ルッツが少し気まずそうに腕を押さえる。


子ヤギの飼い主も、静かに頷いていた。


「怖いなら、怖いと言え。分からないなら、分からないと言え。村は一人で守るものじゃない」


その言葉に、俺は少しだけ目を伏せた。


村は一人で守るものじゃない。


たぶん、この章の答えはそれなのだと思った。


いや、章という言い方はおかしい。


俺の人生の、最初の大きな学び。


一人で全部やるな。

気づいたら伝えろ。

怖ければ泣け。

できる人に渡せ。

そして、自分も守られる側に入れ。


全部、同じところに繋がっている。


村長は最後に言った。


「よく耐えた。明日も耐えよう」


派手な勝利宣言ではない。


でも、フィル村にはそれで十分だった。



夜。


家に戻ると、アンナは俺を寝床に置く前に、少しだけ抱きしめた。


「ヨウカ」


「あう」


「あなたを拾ってよかった」


不意に言われて、俺は固まった。


アンナは俺の顔を見て、少し照れたように笑った。


「急に言いたくなっただけ」


俺は何も言えなかった。


いや、いつも言えない。


でも、今回は特に言葉が出なかった。


拾われた。


あの日、俺は捨てられていた。


実の親は冒険者で、もういない。


前世では、家に安心できなかった。


父は暴れ、母は俺を見ず、俺はどこかで、自分が本当に誰かに選ばれることを諦めていたのかもしれない。


でも今、アンナは言った。


拾ってよかった。


それは、俺が何か役に立ったからではないと思いたかった。


黒い根の場所を伝えたから。

ルッツの傷に気づいたから。

精霊の声を聞いたから。


そういう理由だけではないと、思いたかった。


アンナは俺の額に自分の額を軽く当てた。


「何かできるからじゃないわよ」


胸の奥が、ぎゅっとなった。


この人は本当に、読んでくる。


「ヨウカだから」


それだけだった。


俺はアンナの服を握った。


「あう……」


泣きそうだった。


いや、少し泣いた。


今日は怖くて泣いたわけではない。


苦しくて泣いたわけでもない。


うまく説明できない。


ただ、胸の奥から何かが溢れた。


アンナは何も言わず、俺を抱いていた。



ヨシュアは少し離れたところで、それを見ていた。


やがて、静かに言った。


「育て」


またそれか。


でも、今度は少し笑いそうになった。


ヨシュアは続ける。


「大きくなれ。強くなるのは、その後でいい」


俺は涙でぼやけた目で、ヨシュアを見た。


「あう」


分かった。


たぶん。


ヨシュアは頷いた。


「まず生きろ」


短い言葉。


でも、重い。


きっとこの人は、守れなかった命も知っている。


だから、俺に何度も言うのだ。


まず生きろ。


カリンも、帰る前に俺の手を握った。


「よーか」


「あう」


「いっしょに、おおきくなる」


俺はカリンを見た。


一緒に大きくなる。


その言葉は、今日一番未来に向いていた。


俺は声を出した。


「あう」


カリンは少しだけ笑った。


本当に少しだけ。


でも、確かに笑った。


「うん」


今日は、それで十分だった。



その夜、俺は久しぶりに深く眠れそうだった。


森の声は聞こえない。


水の痛みも、今日は遠い。


ただ、家の音がした。


アンナが薬草をしまう音。

ヨシュアが戸締まりをする音。

暖炉の火が小さく跳ねる音。


それから、外で誰かが笑う声。


フィル村の夜だった。


完全に平和な夜ではない。


森側の柵には見張りがいる。

小川の水は使えない。

黒い根の正体も分からない。


それでも、今日は眠れる。


俺は布人形を抱いた。


不格好な人形。


カリンが作って、直して、貸してくれたもの。


この人形を見ると、この数日を思い出す。


怖かった。


痛かった。


助けたかった。


助けられた。


泣いた。


待った。


戻ってきた。


俺は一歳児だ。


できることは少ない。


でも、何もできないわけではなかった。


気づくことはできた。

伝えることも、少しだけできた。

泣くこともできた。

待つこともできた。


そして、俺一人では何も終わらないことも知った。


誰かを救いたいなら、自分も誰かに支えられなければならない。


それは前世の俺が、あまりうまくできなかったことだ。


でも今世では、覚えていけるかもしれない。


アンナがいる。

ヨシュアがいる。

カリンがいる。

フィル村がある。


俺は目を閉じた。


明日も、井戸の水を見る人がいる。

溝を直す人がいる。

パンを焼く人がいる。

薬草を分ける人がいる。

子どもの手を握る人がいる。


そうやって、日常は続いていく。


どうやら俺は、少しだけ成長したらしい。


そしてこの村で、もう一度ちゃんと育っていけるらしい。

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