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なんかルーベルは全部多いらしい

ルーベルの入口には、人がいた。

 

フィル村の祭りの日ほどではない。

 

でも、毎日の朝なのに、こんなに人がいる。

 

それがまず変だった。

 

荷車を押す人。

 

籠を背負う人。

 

腰に短い剣を下げた人。

 

道の端で、木札を見ながら話し込んでいる人。

 

みんなが、それぞれ別の用事で動いている。

 

それだけで、音が重なる。

 

足音。

 

車輪の音。

 

誰かの笑い声。

 

遠くで、金属を叩く音。

 

かん、かん、かん。

 

村にはない音だった。

 

俺は立ち止まりそうになって、袋の紐を握り直した。

 

隣のカリンが、ほんの少しだけこちらを見る。

 

何も言わない。

 

その視線だけで、戻れた。

 

俺はアンナの手が届く距離を確かめて、前を向いた。

 

ヨシュアが門のそばの男の人に声をかける。

 

「フィル村から来た。ミラの薬師工房へ行く」

 

「ミラさんのところか」

 

男の人は俺たちをちらりと見て、道の奥を指した。

 

「広場までまっすぐ。人が多いから、子どもは端を歩かせな。広場の手前を右に入ると薬師通りだ」

 

薬師通り。

 

その言葉だけで、胸が跳ねた。

 

薬師工房が、一つあるだけではないのだろうか。

 

薬草を扱う店が、並んでいるのだろうか。

 

考えが一気にそちらへ走りそうになって、俺は足元の土を見た。

 

まず歩く。

 

今は入口だ。

 

「助かる」

 

ヨシュアが言うと、男の人は頷いた。

 

俺も遅れて頭を下げる。

 

「こんにちは」

 

男の人は目を丸くした。

 

それから笑った。

 

「おう。こんにちは。礼儀のいい子だな」

 

知らない人に褒められた。

 

ただ挨拶しただけなのに、胸がむずむずする。

 

村の人に言われるのとは違う。

 

この人は、俺を知らない。

 

アンナのところの子としても、ヨシュアの子としても、まだ知らない。

 

知らない人の前で、ちゃんと立てた。

 

それが嬉しかった。

 

「行くぞ」

 

ヨシュアの声で、俺たちはルーベルの中へ入った。

 

 

町の中は、入口よりさらに音が多かった。

 

本当に、多い。

 

声が右から来る。

 

左からも来る。

 

後ろから荷車の音が近づく。

 

前では、誰かが木箱を置いた。

 

がたん。

 

その音に、肩が跳ねた。

 

カリンが横で俺を見る。

 

俺は小さく頷いた。

 

大丈夫。

 

びっくりしただけだ。

 

道の両側には店があった。

 

色とりどりの布を吊るしている店。

 

野菜を積んでいる店。

 

小さな瓶を並べている店。

 

革袋。

 

乾いた果物。

 

知らない形の菓子。

 

知らない色の布。

 

全部が、目に飛び込んでくる。

 

飛び込んでくるのに、受け止めきれない。

 

俺は目だけで追いかけようとして、すぐにやめた。

 

無理だ。

 

ルーベルは、見るものが多すぎる。

 

フィル村なら、一つずつ分かる。

 

あれはマルタさんの家。

 

あれは井戸。

 

あれは薬草棚にあるもの。

 

ルーベルは違う。

 

一つ見た瞬間に、その後ろに別のものがある。

 

その横にもある。

 

上には看板。

 

下には荷車の跡。

 

人が通り、声が重なり、匂いが変わる。

 

「すごい」

 

小さくこぼれた。

 

カリンが短く頷いた。

 

「多い」

 

「うん。全部、多い」

 

「全部?」

 

「人も、音も、匂いも、店も」

 

カリンは町の通りを見た。

 

「うん」

 

その「うん」は、いつもより強かった。

 

カリンも、ちゃんと驚いている。

 

顔にはあまり出ないけれど。

 

アンナが俺の横に来て、ゆっくり歩幅を合わせてくれた。

 

「最初は、広場まで行くわよ」

 

「うん」

 

「気になる店は、あとで見ましょう」

 

あとで。

 

その言葉が、助けになる。

 

全部今じゃなくていい。

 

今見なかったら消えるものもある。

 

それでも、全部を今追いかけることはできない。

 

俺は小さく息を吸った。

 

焼いた肉の匂い。

 

すぐ隣で、甘い果物の匂い。

 

その奥から、苦い薬草のような匂い。

 

匂いまで順番を待ってくれない。

 

勝手に混ざってくる。

 

町は、鼻まで忙しくさせるらしい。

 

 

広場に近づくと、道が開けた。

 

その分、人も増えた。

 

中央に、石で囲まれた水場がある。

 

水を汲む人。

 

荷物を置いて休む人。

 

通りの端で歌っている人までいる。

 

歌。

 

町の中で、普通に歌っている。

 

小さな弦の楽器を鳴らしながら、軽い調子で歌う男の人がいた。

 

近くで、子どもが二人、手を叩いている。

 

俺は思わずそちらを見た。

 

フィル村にも歌はある。

 

道の横で歌って、硬貨が布の上に置かれているのは初めて見た。

 

歌うことも、仕事になるのか。

 

そう思った瞬間、別の声が飛んできた。

 

「安いよ、安いよ! 南の果物だ!」

 

南。

 

また出た。

 

赤くて丸いものが、木箱に並んでいる。

 

表面がつやつやしている。

 

あれはどこから来たのだろう。

 

途中で傷まないのだろうか。

 

どうやって運んでくるのだろうか。

 

考えが伸びすぎる前に、アンナの手が俺の肩に触れた。

 

「あとでね」

 

「うん」

 

あとで。

 

便利な言葉だ。

 

我慢というより、楽しみを先に置く感じがする。

 

カリンは果物より、広場の人の流れを見ていた。

 

目線が低い。

 

足元。

 

荷物。

 

俺とは見ているものが違う。

 

「カリン」

 

「なに」

 

「何見てるの?」

 

「道」

 

「道?」

 

「人がぶつかりそうなところ」

 

なるほど。

 

カリンらしい。

 

俺は果物を見て、歌を見て、看板を見る。

 

カリンは人の流れを見る。

 

同じ広場でも、見えているものが違う。

 

それが、面白くて、少し安心する。

 

 

広場の向こうから、低い声が聞こえた。

 

「荷が通る。少し空けてくれ」

 

大きな荷車が、ゆっくり進んできた。

 

荷台に布袋が積まれている。

 

その横を、一人の護衛が歩いていた。

 

俺は、息を止めた。

 

頭の上に、耳がある。

 

犬のような耳。

 

腰の後ろには、尻尾。

 

でも、体は人だ。

 

革の胸当てをつけて、短い槍を持っている。

 

目が鋭い。

 

荷車、道、建物の影、通り過ぎる人。

 

順番に見ている。

 

そして、一瞬だけ俺たち。

 

犬人。

 

獣人。

 

本当にいるんだ。

 

胸の中で言葉が跳ねた。

 

本に書いてある存在でも、誰かの噂でもない。

 

今、目の前で荷車を守っている。

 

耳がぴくりと動いた。

 

遠くの声を拾ったのだろうか。

 

尻尾は、ほとんど揺れない。

 

仕事中だからだろうか。

 

俺は見続けそうになった。

 

けれど、護衛がこちらをもう一度見た気がして、俺は小さく頭を下げた。

 

護衛がほんの少し目を細める。

 

笑ったのかもしれない。

 

すぐに前を向いた。

 

仕事中だ。

 

かっこいい。

 

そう思った。

 

「犬人の護衛さんね」

 

アンナが小さく教えてくれた。

 

「犬人」

 

俺は声に出してみた。

 

「獣人の一つよ。商人の護衛をする人もいるの」

 

「耳、すごい」

 

「きっと、私たちよりよく聞こえるわね」

 

すごい。

 

それはすごい。

 

俺はもう一度見た。

 

今度は耳ではなく、歩き方を。

 

足音が軽い。

 

荷車の動きに合わせている。

 

前へ出すぎず、後ろへ残りすぎない。

 

カリンも見ていた。

 

「カリン」

 

「なに」

 

「かっこいい?」

 

カリンは少しだけ黙った。

 

それから、短く答えた。

 

「うん」

 

珍しく、素直だった。

 

槍を持っている人を見ると、カリンは真剣になる。

 

護衛は、荷車と一緒に広場を抜けていった。

 

俺たちは、その背中を見送った。

 

ほんの少しだけ。

 

 

近くにいた男の人が、軽い調子で言った。

 

「犬人は鼻が利くからな。番犬代わりにはちょうどいい」

 

その言葉は、広場の音に紛れて流れそうだった。

 

誰も反応しない。

 

言った本人も、悪いことを言ったつもりはなさそうだった。

 

でも、俺の中に小さな引っかかりが残った。

 

番犬代わり。

 

さっきの人は、護衛だった。

 

槍を持って、荷車を見て、道を見て、人を見ていた。

 

仕事をしていた。

 

番犬ではない。

 

そう思った。

 

でも、俺は何も言わなかった。

 

アンナの手が、俺の背中に触れている。

 

カリンも黙っていた。

 

ただ、口元が固かった。

 

カリンも、何か思ったのかもしれない。

 

ヨシュアが低く言った。

 

「行くぞ」

 

「うん」

 

広場は変わらずにぎやかだった。

 

歌も、果物を売る声も、荷車の音も続いている。

 

さっきの言葉だけが、俺の中に小さく残っていた。

 

ルーベルは楽しい。

 

知らないものがたくさんある。

 

でも、楽しいものだけではないのかもしれない。

 

ほんの少し、そう思った。

 

その考えは、すぐに広場の音に押し流される。

 

次から次へと、新しいものが来るからだ。

 

 

広場の端に、冒険者らしい人たちがいた。

 

革鎧。

 

剣。

 

弓。

 

泥のついた靴。

 

一人は肩に古い傷跡があった。

 

もう一人は店で干し肉を買っている。

 

別の一人は、地図のようなものを広げて、眉間にしわを寄せていた。

 

俺は思わず足を遅くした。

 

冒険者。

 

魔物と戦い、街道の危険な場所へ行く人たち。

 

この世界には、そういう仕事が本当にある。

 

分かっていた。

 

目の前で見ると違う。

 

剣は飾りではない。

 

靴の泥も、肩の傷跡も、本物だ。

 

カリンの視線は、冒険者の盾に向いていた。

 

丸い盾。

 

金属の縁。

 

カリンの盾より大きく、表面に傷がいくつもある。

 

カリンはそれをじっと見た。

 

「見た?」

 

俺が聞くと、カリンは短く答えた。

 

「見た」

 

「かっこいい?」

 

「……重そう」

 

そこか。

 

確かに、重そうだ。

 

カリンらしい答えだった。

 

冒険者の一人が、こちらに気づいた。

 

カリンの背中の盾を見て、少し笑う。

 

馬鹿にした笑いではない。

 

懐かしそうな顔だった。

 

カリンは背筋を伸ばした。

 

何も言わない。

 

冒険者も何も言わない。

 

ただ、それだけ。

 

でも、カリンの横顔がきりっとした。

 

将来、カリンはこういう人たちの中でも立てるのだろうか。

 

そう思いかけて、俺は前を向いた。

 

それはまだ、ずっと先の話だ。

 

今のカリンは六歳。

 

俺の隣を歩いている子どもだ。

 

それでも、少しだけ未来の影が見えた。

 

 

店の一つに、色のついた布がたくさん吊るされていた。

 

赤、青、黄色、緑。

 

大きく巻かれた布も、細い端切れもある。

 

糸や飾り紐も並んでいた。

 

風に揺れるたびに、色が移り変わって見える。

 

「アンナ、あれ」

 

俺は指を上げかけて、下げた。

 

アンナは俺の視線を追ってくれた。

 

「ああ、布屋ね」

 

「布、いっぱい」

 

「服に使うものも、袋や敷き布に使うものもあるわ。端切れなら、人形や小物にもね」

 

人形。

 

その言葉で、袋の奥の布人形を思い出した。

 

カリンが昔作ってくれた人形。

 

あれも、こういう布からできているのだろうか。

 

「布にも、店があるんだ」

 

「町だからね」

 

町だから。

 

それだけで済むらしい。

 

フィル村では、布は家にあるものだった。

 

古い服をほどいたり、行商人から買ったり。

 

ここでは、布だけで店になる。

 

色が並んで、種類が分かれて、端切れまで置かれている。

 

それが不思議で、かなり面白かった。

 

「町って、分かれてる」

 

俺が言うと、アンナが考えた。

 

「人も物も多いから、分かれている方が探しやすいのかもしれないわ」

 

薬草棚と似ている。

 

薬草にも帰る場所がある。

 

町にも、物の帰る場所があるのかもしれない。

 

布は布屋。

 

果物は果物の店。

 

薬草は薬師通り。

 

そう考えると、町全体が大きな棚みたいに思えた。

 

ただし、棚よりずっと動く。

 

うるさいし、匂いもするし、人も話す。

 

大きすぎる棚だ。

 

俺は笑いそうになった。

 

カリンが見る。

 

「なに?」

 

「町、大きい棚みたい」

 

カリンは広場を見て、考えた。

 

「棚は、動かない」

 

「うん」

 

「町は、動く」

 

「うん」

 

「じゃあ、棚じゃない」

 

真面目だ。

 

間違ってはいない。

 

「動く棚」

 

俺が言うと、カリンは眉を寄せた。

 

「変」

 

やっぱり変らしい。

 

 

広場を抜ける途中で、二階建ての建物があった。

 

フィル村にも高い建物はある。

 

ルーベルの二階は、道に近い。

 

窓から布が垂れ、小さな鉢が置いてある。

 

上にも、人の暮らしがある。

 

俺は上を見た。

 

その時、二階の窓から子どもが顔を出した。

 

俺と同じくらいか、少し上か。

 

目が合った。

 

向こうの子は、驚いた顔をした。

 

俺も驚いた。

 

お互い、何も言わない。

 

向こうの子が小さく手を振った。

 

俺も小さく振り返した。

 

それだけ。

 

それだけなのに、嬉しかった。

 

ルーベルにも子どもがいる。

 

当たり前だ。

 

当たり前のことを初めて見ると、不思議になる。

 

その子はすぐに引っ込んだ。

 

誰かに呼ばれたのだろう。

 

俺は前を向いた。

 

フィル村の外にも、普通の朝がある。

 

誰かの家があって、誰かの子どもがいて、誰かが窓から外を見る。

 

俺たちがルーベルを見ているように、ルーベルの子も俺たちを見ていた。

 

そのことが、なんだか面白かった。

 

 

やがて、匂いが変わった。

 

甘い匂いや肉の匂いが薄くなる。

 

代わりに、乾いた草の匂いが混じる。

 

苦い匂い。

 

土っぽい匂い。

 

布に包まれた薬草のような匂い。

 

俺は顔を上げた。

 

通りの雰囲気が変わっている。

 

店先に、乾燥した草の束が吊るされていた。

 

棚に小瓶、薄い木箱、紙袋。

 

すり鉢のような道具も見える。

 

薬師通り。

 

ここだ。

 

胸がまた跳ねた。

 

広場とは違う種類のワクワクだった。

 

さっきまでは、全部が多すぎて目が迷っていた。

 

今は、見たいものが一つの方向に集まっている。

 

薬草。

 

保存。

 

乾燥。

 

ミラ。

 

「アンナ」

 

「ええ」

 

アンナは俺の顔を見る前に頷いた。

 

「もうすぐミラの工房よ」

 

もうすぐ。

 

俺は足を速めそうになった。

 

けれど、横でカリンの袖が動いた。

 

引っ張られたわけではない。

 

ただ、揺れただけ。

 

それで十分だった。

 

俺は歩幅を戻した。

 

急がない。

 

駆け込まない。

 

勝手に入らない。

 

まず、大人と一緒に。

 

でも、胸は静かに跳ね続けている。

 

通りの奥に、薬草を束ねた絵の看板が見えた。

 

その下に文字。

 

全部は読めない。

 

それでも、見覚えのある形がある。

 

ミラ。

 

ミラの名前だ。

 

工房の扉の前に、乾燥した葉の束が揺れていた。

 

風が吹くたびに、苦くて、懐かしい匂いがする。

 

俺は思わず息を吸った。

 

フィル村の薬草棚とは違う。

 

でも、完全に知らない匂いでもない。

 

アンナの棚に、どこかでつながっている。

 

フィル村からルーベルまで、道がつながっているように。

 

ヨシュアが扉の前で止まった。

 

アンナが俺の手を軽く握る。

 

カリンが隣に立つ。

 

俺は扉を見た。

 

ここまで来た。

 

村を出て、荷車を見て、歌を聞いて、犬人の護衛を見て、冒険者を見て、知らない子どもと手を振った。

 

そして今、ミラの薬師工房の前にいる。

 

ルーベルは、思っていたよりずっと多かった。

 

音も、匂いも、人も、知らないものも。

 

俺の胸の中には、まだ全部が入りきっていない。

 

でも、それでいい。

 

全部分からなくても、少しずつ見ればいい。

 

俺は小さく息を吐いた。

 

怖い。

 

でも、楽しい。

 

ヨシュアが扉を叩いた。

 

こん、こん。

 

中から、誰かが動く音がした。

 

俺は袋の紐を握り直した。


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