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なんか捨て子の女の子に転生したらしい  作者: ダレイワス1世
第一章 フィル村幼児期編
29/34

なんか日常が戻り始めたらしい

森の異変が収まった。


そう言い切れるほど、世界は簡単ではなかった。


小川の水は、まだ使えない。

森側の薬草採りも禁止のまま。

黒い根の正体も、結局分からない。


ただ、朝になると鳥が鳴いた。


井戸の水は澄んでいた。


子ヤギは立った。


ルッツの傷は乾いてきた。


それだけで、村の人たちの顔は昨日より少し明るかった。


完全に戻ったわけではない。


でも、戻り始めている。


それが分かる朝だった。



アンナは朝から水を調べていた。


机の上には、透明な瓶が三つ並んでいる。


井戸水。

南側の水場の水。

森側の小川の水。


俺はアンナに抱かれたまま、その瓶を見ていた。


もちろん、森側の水は少し離れた場所に置かれている。


俺の視界に入りすぎないように、布もかけてある。


昨日の件があるので、扱いがかなり慎重になった。


ミラは青い葉を一枚ずつ水に浮かべる。


井戸水の葉は、ほとんど色が変わらない。


南側の水場も問題なさそうだった。


森側の小川だけ、葉の端がほんの少し黒ずむ。


以前よりは薄い。


でも、まだ残っている。


ミラはそれを見て、ゆっくり頷いた。


「井戸は大丈夫。南側も大丈夫。森側は、まだ駄目ね」


アンナが息を吐く。


「昨日よりは?」


「良くなってる。でも、飲み水には使えないわ」


ヨシュアが短く言った。


「なら、使用禁止は続ける」


村長も頷いた。


「分かった。森側の水は使わない。薬草採りも、もうしばらく止める」


村長の声に、少し疲れが混じっていた。


無理もない。


森はフィル村にとって大事な場所だ。


薬草、木材、狩り、家畜の餌。


そこを制限されるのは、村にとってかなり痛い。


それでも、誰も強く反対しなかった。


昨日、黒い根を見た人たちが戻ってきた。

小鳥が落ちた。

子ヤギが倒れた。

ルッツの傷もおかしくなった。


それを知っているから、無理はできない。


マルタさんが腕を組んで言った。


「まあ、パンなら焼けるしね。森に入れないくらいで腹は減らせないよ」


村長が少しだけ笑う。


「助かる」


「助かるなら、小麦の配分だけ早めに教えておくれ」


「……分かった」


日常の会話だった。


大事な話なのに、少しだけ普通の村の会話に戻っている。


俺はそれを聞いて、少し安心した。



昼前、俺は久しぶりに村の中心へ連れて行かれた。


といっても、長居はしない。


アンナが抱き、ヨシュアが近くにいる。


カリンも隣を歩いている。


完全な護送体制である。


一歳児が村の中心に行くだけで、ここまで厳重になるのはどうなのか。


いや、昨日水に触って倒れかけた赤ん坊なので、仕方ないのかもしれない。


村の井戸のそばでは、大人たちが水桶を分けていた。


井戸水用。

南側の水場用。

洗い物用。

汚れた布を入れるもの。


前より作業が細かい。


面倒だろう。


でも、みんな淡々とやっている。


ヨシュアが言っていた。


手間で済むなら安い。


たぶん、そういうことなのだろう。


俺は井戸の水を少しだけ見た。


【井戸水】

飲用可能な水。

状態:良好


よかった。


見すぎないうちに目を逸らす。


すると、アンナが俺の頭を軽く撫でた。


何も言わない。


でも、今のはたぶん、ちゃんと目を逸らせたことへの反応だった。


言葉にされるより、その方が少し嬉しかった。



ルッツが井戸のそばにいた。


腕にはまだ布を巻いているが、顔色は良い。


俺たちに気づくと、少し照れたように笑った。


「アンナさん、ミラさん。傷、だいぶ良いです」


ミラがすぐに近づく。


「見せて」


ルッツは素直に腕を出した。


もう抵抗しない。


最初に来た時は「大したことない」と言っていたのに、かなり変わった。


傷は乾いていた。


赤みも少ない。


ミラは頷いた。


「いいわね。もう少しだけ布を替えて様子見。森側にはまだ行かないこと」


「はい」


ルッツは真面目に頷いた。


そして、俺の方を見た。


「ヨウカちゃんも、ありがとな」


また言われた。


俺は少し固まった。


「あう」


どういたしまして、でいいのだろうか。


でも、俺だけが助けたわけではない。


俺はただ、変だと気づいて声を出しただけだ。


アンナが洗った。

ミラが見た。

ヨシュアが止めた。

ルッツ自身がちゃんと来た。


それが全部あったから、悪くならなかった。


俺がそう思っていると、ヨシュアが横から言った。


「礼は受け取れ。だが、一人で助けたと思うな」


俺はヨシュアを見上げた。


短い。


でも、分かりやすい。


ルッツも笑った。


「俺も、次からは早く来ます」


「次がない方がいい」


「それは本当にそうです」


村人たちが少し笑った。


緊張で固まっていた空気が、ほんの少し緩む。


俺はルッツを見て、小さく声を出した。


「あう」


今度は、少しだけ素直に受け取れた気がした。



子ヤギもいた。


飼い主の女の人に連れられて、井戸から少し離れた場所にいる。


まだ走り回るほどではないが、ちゃんと立っていた。


白い毛は少し汚れている。


でも、目は昨日よりはっきりしていた。


「ほら、ヨウカちゃんだよ」


飼い主の女の人がそう言った。


子ヤギは俺の方を見た。


めぇ、と小さく鳴く。


昨日より少しだけ元気な声だった。


俺は少し目を細めた。


【子ヤギ】

状態:回復傾向

軽度疲労

詳細不明。


回復傾向。


それを見るだけで、胸が軽くなる。


俺は声を出した。


「あう」


子ヤギはもう一度鳴いた。


意味は分からない。


でも、悪くないやり取りだった。


カリンが横でじっと子ヤギを見ていた。


「よーか、うれしい?」


「あう」


嬉しい。


カリンは少しだけ頷いた。


「わたしも」


その短い言葉が、今日はやけに穏やかに聞こえた。



村の中心では、マルタさんがパンを配っていた。


完全な祝いではない。


森側の制限は続いている。

黒い根も残っている。

油断はできない。


それでも、昨日を越えた。


だから、少し温かいものを食べよう。


そういう感じだった。


「ヨウカちゃんも、少し食べるかい?」


マルタさんが、柔らかくしたパンを見せる。


アンナが笑った。


「ほんの少しだけね」


スープに浸したパンを、アンナが冷ましてくれる。


俺は口を開けた。


うまい。


昨日よりうまい気がする。


たぶん、味が変わったわけではない。


こちらの気持ちが少し変わっただけだ。


食べられる。


水が飲める。


誰かがパンを焼いてくれる。


そういうことは、当たり前ではないらしい。


「あう」


俺が声を出すと、アンナが少し笑った。


「おいしい?」


「あう」


おいしい。


かなり。


カリンも隣で小さなパンを食べていた。


いつもより口数が少ない。


たぶん疲れている。


昨日、一日中俺のそばで耐えていたのだ。


カリンもちゃんと休むべきだ。


俺はカリンの服を軽く握った。


カリンは俺を見る。


「なに?」


「あう」


休んで。


そう言いたかった。


伝わったかは分からない。


でも、カリンは少しだけ考えてから、パンを食べ終え、アンナのそばの木箱に座った。


「すわる」


どうやら多少は伝わったらしい。


アンナがそれを見て、微笑んだ。


「いい子ね」


カリンは少しだけ誇らしそうだった。



午後、ミラは村長の家で報告書のようなものを書いていた。


隣町へ持ち帰るためらしい。


黒い根。

森側の水。

井戸水の状態。

ルッツの傷。

子ヤギの症状。

精霊らしき反応。


それらを、順番に整理している。


俺はアンナに抱かれて、少し離れたところにいた。


ミラは筆を止めずに言った。


「このまま様子を見るしかないわね。根の欠片は残っているけど、今は下手に触らない方がいい」


アンナが聞く。


「隣町に持ち帰る?」


「小さな欠片だけね。しっかり封じて持っていく。詳しく調べられる人に渡すわ」


ヨシュアが眉を寄せる。


「危険は?」


「ある。だから最小限にする。多く持ち帰ればいいというものじゃない」


ミラの声は落ち着いていた。


何でも集めれば解決に近づくわけではない。


危ないものは、持ち運ぶだけで危ない。


それも昨日学んだことだ。


村長が言う。


「王都へ知らせる必要は?」


ミラは少し考えた。


「すぐに王都、というほどではないと思う。でも、隣町で判断して、必要なら上へ上げるべきね。普通の魔物被害ではないから」


普通の魔物被害ではない。


その言葉に、俺の胸の奥が少しだけ冷えた。


やはり、あれは普通ではない。


黒い根。


強い悪性反応。


詳細不明。


その表示を思い出しそうになって、俺は目を閉じた。


見なくていい。


今は。


アンナが俺を抱く腕に少し力を入れた。


「ヨウカ?」


「あう」


大丈夫。


たぶん。


ミラはこちらを見て、筆を置いた。


「この子のことは、報告には詳しく書かないわ」


アンナの目が少し鋭くなる。


「どういう意味?」


「ヨウカちゃんが水に反応したことは、村の対応としては重要。でも、外に細かく書きすぎると、この子自身が調べられる対象になる」


家の中が静かになった。


ヨシュアの顔が険しくなる。


「書くな」


短い言葉だった。


ミラは頷いた。


「書かない。せいぜい、『村人の早期発見により』くらいにする」


アンナは少しだけ息を吐いた。


「ありがとう」


俺はその会話を聞いていた。


調べられる対象。


その言葉は、嫌だった。


俺の力は便利かもしれない。


でも、便利だから知られていいわけではない。


アンナたちはそこも守ろうとしている。


胸の奥が少し温かくなった。


同時に、怖くもなった。


世界は、フィル村だけではない。


外に出れば、俺の力を欲しがる人もいるのかもしれない。


いつかは、そういうことにも向き合う必要があるのだろう。


でも、今はまだ早い。


俺はアンナの服を握った。


アンナは何も言わず、俺の背中を撫でた。



夕方、森側の柵を見に行ったヨシュアが戻ってきた。


泥の流れは止まっている。


昨日盛った土も崩れていない。


ただ、次に強い雨が降れば、また補強が必要になるらしい。


「柵だけじゃ足りないな」


ヨシュアが言った。


村長が頷く。


「水の流れを変える溝がいるか」


「浅いものでいい。森側から村へ直接流れ込まないようにする」


村人たちが集まり、話を聞いている。


これはもう、魔法や精霊の話ではない。


土を掘る話だ。


水を逃がす話だ。


村を守るための、かなり地味な仕事。


でも、昨日の黒い根を焼くのと同じくらい大事なのだと思う。


水源を少し楽にした。

なら次は、村に悪い水が入らないようにする。


守るとは、そういう積み重ねなのだ。


ヨシュアは村の男たちに短く指示を出していた。


「深く掘りすぎるな。子どもが落ちる」


「水は南側へ逃がす」


「森側の土は素手で触るな」


「終わったら道具を洗え」


一つ一つ、現実的だった。


ヨシュアがいると、村の不安が形になる。


形になれば、対処できる。


俺はそれを見ながら思った。


この人の強さは、本当に盾だけではない。



夜になる前、ミラがアンナの家に来た。


明日の朝、隣町へ戻るらしい。


まだ完全に解決していないため、数日後にもう一度来ると言っていた。


「本当はもう少しいたいけど、隣町にも知らせないといけないから」


アンナが頷く。


「十分助かったわ」


「こちらこそ。あの黒い根のことは、私も調べたい」


ミラは少しだけ俺を見た。


でも、近づきすぎなかった。


「ヨウカちゃん」


「あう」


「水は、しばらく大人と一緒の時だけね」


これは俺に言っているのか、アンナに言っているのか、両方だろう。


俺は返事をした。


「あう」


ミラは少し笑った。


「分かってるみたいな返事をするのよね」


アンナがため息をつく。


「そうなのよ」


いつもの流れになった。


少しだけ、普通の会話に戻った気がした。


ミラは続けた。


「でも、本当に無理はさせないで。精霊と近すぎる子は、相手の痛みまで拾うことがあるから」


アンナの顔が真面目になる。


「覚えておく」


「覚えておく、じゃなくて守ってね」


「守るわ」


アンナの返事は早かった。


俺はその腕の中で黙っていた。


守られている。


そのことを、ちゃんと受け取れるようにならなければならない。



その夜、カリンは帰る前に俺のそばに来た。


今日は布人形を持っていない。


代わりに、いつものように俺の手を握った。


「よーか」


「あう」


「きょう、ないてない」


確かに、今日は泣いていない。


昨日は泣いた。


でも今日は、泣くほど苦しくはなかった。


俺は声を出した。


「あう」


カリンは少し考える。


「でも、つかれた?」


「あう」


疲れました。


かなり。


カリンは頷いた。


「じゃあ、ねる」


また睡眠指導が入った。


しかし、今日は言い返す気にはならなかった。


眠った方がいい。


俺もそう思う。


カリンは手を離す前に、少しだけ俺を見た。


「もり、また、たすける?」


俺はすぐには返事できなかった。


森はまだ治っていない。


精霊もまだ痛い。


黒い根も残っている。


きっと、また何かしなければならない時が来る。


でも、それは一人でやることではない。


俺は小さく声を出した。


「あう」


カリンはそれを聞いて、少しだけ頷いた。


「いっしょ」


「あう」


一緒。


その言葉が、今日はとても自然に聞こえた。


カリンは満足そうに俺の手を軽く握ってから、離した。


今日は「よし」とは言わなかった。


でも、何となく、それでよかった。


夜、家の中には久しぶりに静かな音が戻っていた。


アンナが薬草瓶を棚に戻す音。

ヨシュアが外で盾を拭く音。

暖炉の火が小さく跳ねる音。


森のことを忘れたわけではない。


黒い根はまだ残っている。

小川の水も使えない。

明日も井戸を調べるし、森側の柵も見に行く。


それでも、今日はパンを食べた。

ルッツは笑った。

子ヤギは立った。

カリンは「いっしょ」と言った。


それは、たぶん日常が戻ったというより、みんなで日常を戻そうとしているということだった。


俺は布人形を抱え、目を閉じた。


何かを救うのは、一度で終わることばかりじゃない。


傷を見て、水を調べて、土を掘って、眠って、また朝を迎える。


そういう小さなことを積み重ねて、ようやく昨日より少し生きやすくなる。


どうやら、日常が少し戻り始めたらしい。


そしてその日常は、誰かが当たり前に守ってくれているものらしい。

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