なんか外へ出るには約束がいるらしい
カリンが一緒に行けるかどうか。それを、セリアさんとレナードさんに聞きに行く日だった。
カリンの家で、セリアさんはお茶を用意してくれていた。レナードさんは作業場から戻ってきたところだ。腕に木くずがついている。カリンはすぐ布を取った。
「父さん、木くず」
「おう。よく見てるな」
カリンは、俺だけを見ているわけではない。父親の腕の木くずも見ている。家の中でも、誰かが困る前に気づこうとしている。それはカリンの良いところだ。でも、危ういところでもある。
セリアさんがカリンを見た。
「カリンも行きたいって?」
「行きたい」
「どうして?」
「ヨウカを守る」
予想通りだった。本当に、予想通りだった。
セリアさんは目を細めた。怒ってはいない。でも、簡単には頷かない顔だ。
「それだけ?」
カリンが止まった。カリンの中では、それで十分だったのだ。俺が行く。外は危ない。だから守る。分かりやすい。でも、大人にはそれだけでは足りないらしい。
レナードさんが腕を組んだ。
「カリン。お前がヨウカちゃんを大事に思ってるのは知ってる。だがな、ルーベルへ行くなら、お前も守られる側だ。盾を背負っていようが、六歳だ」
ルーベル。初めて、隣町の名前をちゃんと聞いた。俺の中では、ずっと「隣町」だった。名前がつくと、近くなった。本物にもなった。
「盾を持つなら、まず自分の足を止めることを覚えろ。守ろうとして飛び出すな。飛び出したら、お前も危ない。お前が危なければ、大人はお前も助けに行く」
「でも、ヨウカが」
「ヨウカちゃんも同じだ。珍しいものを見つけても飛び出さない。そういう約束をしてるんだろ?」
「はい」
「なら、カリンも同じだ」
カリンは目を伏せた。納得していない。でも、考えている。
⸻
「じゃあ、試すか。口で言っても分かりにくいからな」
レナードさんは薄い板を一枚、床に置いた。
「これは段差だ。ヨウカちゃんは、向こうの棚を見る。見すぎて、足元を見ない」
「……はい」
心当たりがある。
俺は棚を見るふりをして、ゆっくり歩いた。足元には板。気づかないふりをして、一歩出す。
その瞬間、カリンが動いた。速い。俺の腕をつかんで、ぐいと引いた。俺の体が傾く。カリンも一歩前に出た。
「止め」
カリンが固まる。
「今のが町なら、カリンも危ない。守る時は、まず自分の足を置く場所を見る。引っ張るんじゃない。支えるんだ。ヨウカちゃんを倒さない。自分も倒れない」
「もう一回」
カリンが自分から言った。
もう一度、俺は歩いた。段差に近づく。カリンが動く。でも今度は、前に飛び出さなかった。一歩横に立って、自分の足を止め、俺の肩にそっと手を添える。
「ヨウカ、足元」
俺は止まった。板を見る。
「今の方がいい」
カリンの表情が変わった。守ることは、前に飛び出すことだけではない。相手を止めること。自分も止まること。倒さず、倒れず、隣に立つこと。
「カリン、すごい」
「ヨウカは、足元も見る」
褒めたのに、すぐ返された。でも、嬉しそうだった。
⸻
試しはもう一つあった。盾だ。
カリンが構えると、六歳の子どもの空気が変わった。小さいけれど、真剣だ。盾の後ろに立つカリンは、かっこいい。じっと見ていると、
「見すぎ」
「今のは見る」
「だめ」
レナードさんが言った。
「町でそれをいきなり構えたら、どう見える?」
「守る」
「そう見る人もいる。だが、相手によっては、喧嘩を売っているようにも見える」
「守るのに?」
「守るために、構えない方がいい時もある。村なら、みんなカリンを知っている。でもルーベルでは違う。知らない人間から見れば、盾を持った子どもが急に前へ出た、になる。まず大人を見る。それから動く」
「でも、すぐ危ない時は?」
レナードさんは黙った。ごまかさなかった。
「その時は動け。ただし、相手を倒すことより、ヨウカちゃんを下げることを先に考えろ。前に出て勝とうとするな。まず離す。逃がす。大人に渡す」
渡す。また、その言葉だ。マルタさんの火傷の時、俺は布を渡した。見えたものをすぐ言わないのも、渡す相手を選ぶことだった。今度は、カリンが俺を大人へ渡す話をしている。俺たちは、ずつ同じことを習っている。自分で全部抱えないこと。
「勝たない」
「いつも勝つ必要はない。守るために、勝たない時もある」
カリンは、その言葉を何度か考えているようだった。守るために、勝たない。逃げる。下がる。渡す。前世で知っていた勝負とは違う。でも、こっちの方がずっと難しい。
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お茶が冷める頃、セリアさんがカリンの前に座った。
「カリン。ルーベルへ行くことを、許します。ただし、条件がある。ヨウカちゃんを守るためだけに行かないこと。カリンも町を見るの。学ぶの。そして、無事に帰ってくるの」
「盾は持っていっていい」とレナードさん。「ただし、振り回すな。構える前に大人を見る。道具は使い方を間違えると、守るものも守れなくなる」
セリアさんがカリンの手を取った。
「カリン。あんたは強い子だよ。でも、強い子でも、迷子になる。怖くなる。間違える。だから、困ったら困ったと言いなさい。ヨウカちゃんを守りたいなら、まず自分が帰ってきなさい」
カリンは長く黙った。誰も急かさなかった。
「……帰る。ヨウカも、帰る。みんなで」
「そう。みんなで帰る」
「行きたい。守るだけじゃなくて、見る」
「それなら、行っておいで」
⸻
翌日、ヨシュアは村の中で外出練習をさせた。
「知っている場所でできないことを、知らない場所ではできない」
俺とカリンは、布包みを村長の家へ届ける。アンナとヨシュアは後ろにつく。手を引かれずに歩く。でも、完全に自由ではない。大人は後ろにいる。その距離が、今日の練習だった。
村の道は、いつもの道だ。でも、ルーベルのつもりで歩くと、いつもの村が知らない場所に見えた。家の前の木札。干してある草。道端の籠。普段なら気にしないものが、目に入る。俺は一つずつ見そうになって、目を戻した。
「ヨウカ、目が忙しい」
「気をつける」
「私も。足が前に出そうになる」
俺は見るのを止める練習。カリンは飛び出すのを止める練習。同じ道を歩いていても、習っているものは違った。
⸻
村長の家へ向かう途中、道の端に青い花の束が落ちていた。細い草に、小さな青い花。見たことがある気もする。でも、薬草棚にはなかった。染料か。薬草か。だけ、頭の奥がそちらへ伸びる。鑑定を使えば、分かる。
だからこそ、止まる。俺は足を止めた。
カリンがすぐ俺を見て、一瞬、腕を引こうとした。でも、指が動く前に止まった。自分の足元を見て、後ろを向く。
「アンナ」
声に出した。
アンナが近づき、花の束を見た。
「染め草ね。誰かが落としたのかしら。私が預かって、持ち主を探すわ」
俺は頷いた。
「触らなかった」
「ええ。ちゃんと言えたわ」
カリンが小さく言った。
「引っ張らなかった」
ヨシュアが頷く。
「よく止まった」
俺は青い花をもう一度見た。きれいだった。気になる。でも、もう追いかけなかった。
⸻
帰り道、マルタさんに会った。籠から焼けたパンの匂いがする。強い。足がそちらへ向きそうになる。俺は気づいて、止めた。
「練習中かい?じゃあ、これは邪魔になるねえ」
籠が持ち上がる。匂いが強くなる。
「ヨウカ」カリンが見る。「本当?」
「本当」
俺はアンナを見た。
「もらっていいものですか?」
「昨日の布のお礼だよ」とマルタさん。
「一つだけなら」とアンナ。
俺は丸パンを受け取った。温かい。その場で食べたい。かなり。でも、道の途中だ。
「家に戻ってから食べます」
カリンが満足そうに頷いた。
「聞けた。すぐ食べなかった。えらい」
褒められた。変な感じがした。でも、悪くない。匂いはまだする。でも、足はもう動かなかった。勝つという言い方は違うかもしれない。だけ、止まれた。
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家に戻ると、丸パンは半分に分けられた。道で食べず、聞いてからもらい、家まで持って帰った。たったそれだけで、一つ山を越えた気分だった。
「今日の練習は、合格ね」
「日取りは、明後日の朝で考えている」とヨシュア。「体調が悪ければ延期する。行きたいからといって、無理はするな」
明後日。急に、ルーベルが近くなる。
⸻
夕方、俺は荷物を見た。水筒。布。木札。薬草の小袋。それから、布人形。カリンが昔作ってくれた人形だ。
持っていきたい。でも、それはルーベルを見るための荷物なのか。不安をごまかすための荷物なのか。
外へ行くなら、強くならないといけない。でも、強いというのは、何も持たないことなのだろうか。昨日カリンは、守るだけではなく見る、と言った。今日俺は、見たいものを全部追いかけない練習をした。なら、布人形を持つことも、逃げではなく準備になるのかもしれない。不安になった時、勝手に動かないためのもの。帰る場所を思い出すためのもの。
「持っていく?」
声がして振り向くと、カリンが入り口に立っていた。
「……変?」
「変じゃない」
すぐに答えた。迷わなかった。
「夜だけ出す。町では、出さない。出したくなったら、アンナに聞く」
「よし」
なぜカリンが確認する側なのだろう。でも、悪くない。俺は布人形を袋の奥にそっと入れ、口を結んだ。荷物が重くなった。でも、嫌な重さではなかった。
⸻
夜。寝床で、今日のことを思い出した。
布包みを開けなかった。青い染め草を拾わなかった。村長の帳面を覗かなかった。マルタさんの丸パンを、聞いてからもらった。道で食べず、家まで持って帰った。カリンは、俺を引っ張らなかった。青い花を見つけた時、大人を呼べた。
全部、小さい。大事件ではない。でも、外へ出る前に、村の中で少しできた。
外へ出る前に、一度、自分を見ておきたかった。明日、無理をしないための確認だ。俺は胸の奥で念じた。
鑑定。
表示が、静かに浮かんだ。
ヨウカ
女 四歳
レベル:1
状態:健康
攻撃:3
防御:4
敏捷:6
器用:11
幸運:39
魔力:39
MP:25
【ノーマルスキル】
観察 LV2
薬草知識 LV1
魔力操作 LV1
【レアスキル】
鑑定 LV1
精霊魔法 LV1
【エクストラスキル】
医学 LV-
叡智 LV-
?? LV-
【加護】
光と知恵の神の加護
???の加護
レベルは、一のままだった。それを見て、ほっとした。
俺はまだ、魔物を倒していない。黒い根の正体を突き止めてもいない。誰かを大きく救ってもいない。村で学んで、手伝って、待つ練習をして、止まる練習をした。それでレベルが上がらないのは、正しい。
でも、変わっているところもあった。器用が増えた。観察が二になった。薬草知識と、魔力操作の文字が増えた。
戦って強くなったのではない。木札を見分けて、布を落とさず運んで、細く魔力を流して、疲れる前にやめた。その分だけ、増えていた。
ステータスに出ないものも、増えた。待つこと。止まること。渡すこと。それは数字にもスキル名にもならない。でも、確かに増えている。
俺は表示を消した。
ルーベルは、村ではない。知らない人がいる。知らない店がある。知らない目がある。俺は見たい。でも、勝手に見に行かない。知りたい。でも、勝手に触らない。怖い。でも、行きたい。
「明後日、ルーベル?」
「体調がよければね」
俺は布団の中で頷いた。ルーベル。ミラの薬師工房。知らない店。知らない人。きっと、村よりずっと多くのものがある。見たいものも、聞きたいことも、たくさんある。
だからこそ、止まる練習がいる。外へ出るというのは、ただ道を歩くことではないらしい。




