表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
なんか捨て子の女の子に転生したらしい  作者: ダレイワス1世
第一章 フィル村幼児期編
21/42

なんか精霊の声がするらしい

翌朝、俺は変な夢を見た。


水の中にいた。


冷たい、というより、重い水だった。


前世でプールに潜った時のような感覚ではない。

水そのものが疲れているような、息苦しいような、妙な夢。


暗い水の奥で、小さな何かが震えていた。


声が聞こえる。


いたい。


ただ、それだけ。


誰の声なのかは分からない。

人間の声ではない気がした。


子どもの声にも似ている。

でも、もっと細い。


水の中で泡が弾けるような、葉の先から雫が落ちるような、そんな声だった。


いたい。


その声を追おうとした瞬間、胸の奥がぎゅっと縮んだ。


苦しい。


俺は水の中で手を伸ばそうとした。


けれど、体が動かない。


一歳児の体だから、というより、夢の中でも赤ん坊のままだった。


何もできない。


声は、また小さく響いた。


いたい。


そこで目が覚めた。


「……あう」


寝床の上で、小さく声が漏れた。


部屋は薄暗い。


まだ朝早いらしい。


暖炉の火は小さく、アンナは机の上で何かを書いていた。


隣町へ送る知らせの控えだろうか。

ヨシュアは扉の近くで装備を確認している。


二人とも、もう起きていた。


俺は少しだけ体を動かした。


すると、アンナがすぐに振り返る。


「起きたの?」


「あう……」


起きました。


変な夢を見ました。


もちろん、そんな説明はできない。


アンナは俺の顔を見るなり、少し眉を寄せた。


「顔色、悪いわね」


ばれるのが早い。


ヨシュアもこちらへ来た。


「熱か?」


アンナが俺の額に手を当てる。


「熱はない。怖い夢でも見た?」


「あう」


それに近い。


俺はアンナの服を握った。


アンナは少しだけ俺を抱き上げた。


「今日は無理に外を見なくていいわ」


短く言って、背中を撫でる。


その声は優しかった。


けれど、俺の頭にはまだ、あの声が残っていた。


いたい。


あれはただの夢だったのか。


それとも、昨日の小川の水を見たせいで、何かが残っているのか。


分からない。


分からないが、嫌な感じだけは消えなかった。



朝食の頃、カリンが来た。


今日は少し早い。


黒髪はいつも通りきれいに整えられている。

けれど、顔は少し硬かった。


「よーか」


「あう」


カリンは俺の前に座ると、すぐに俺の顔を見た。


「ねむい?」


「あう」


眠いというより、すっきりしない。


俺の返事をどう受け取ったのか、カリンは布人形を俺の横に置いた。


「これ」


昨日も見せられた人形だ。


森を見るな。

水を見るな。

これを見ていろ。


たぶんそういう意味だ。


ありがたい。


カリンなりに、俺を怖いものから離そうとしてくれている。


俺は人形を握った。


「あう」


カリンは小さく頷く。


「よし」


いつもの確認。


少し安心する。


だが、今日はそれだけでは終わらなかった。


カリンは俺の手を握ったまま、少し声を落とした。


「よーか、こわいゆめ?」


俺は固まった。


なぜ分かる。


アンナが言ったのを聞いたのかもしれない。

いや、カリンはそういうところを妙に見てくる。


俺は少し迷ってから、声を出した。


「あう……」


カリンはまばたきをした。


「こわかったら、なく」


何度も言われている言葉だ。


困ったら泣く。

怖かったら泣く。

大人を呼ぶ。


俺は人形を握ったまま、少しだけ目を伏せた。


泣くほどではない。


でも、怖くないと言えば嘘になる。


あの「いたい」は、まだ耳の奥に残っている。


カリンは俺の手を両手で包んだ。


「わたし、いる」


短い言葉だった。


その短さが、今はありがたかった。



昼前、村長とヨシュアがやって来た。


隣町へ知らせを送った二人は、まだ戻っていない。


早くても明日。


それまでは、村でできることを続けるしかない。


ヨシュアは地図を広げ、村長とアンナに話していた。


俺は寝床に座り、カリンは隣で布人形を修理している。


耳は大人たちの会話を拾っていた。


「小川の上流は、ここから森の奥に入る」


ヨシュアが地図を指す。


「昔は薬草採りが通っていた道がある。ただ、最近はあまり使っていない」


村長が唸る。


「奥に行くなら、準備がいるな」


「行くとしても、隣町から人が来てからだ」


アンナがすぐに言った。


「水に出ているなら、森の中で触れる危険が高いわ。普通の魔物相手とは違う」


ヨシュアは頷いた。


「分かってる。今は村を守る方が先だ」


アンナの表情が少しだけ緩んだ。


たぶん、ヨシュアが無理に奥へ行かないと分かったからだ。


村長は地図を見ながら言った。


「水の精霊が荒れている、という話は聞いたことがあるが……」


水の精霊。


俺はその言葉に反応した。


胸の奥が、小さく震えた。


精霊魔法 LV1。


その文字が頭に浮かぶ。


昨日の水。


夢の中の声。


いたい。


まさか。


俺は地図の方を見た。


カリンがすぐに俺の手を押さえる。


「よーか」


「あう……」


分かってる。


見すぎない。


でも、今の言葉は聞き流せなかった。


アンナも俺の反応に気づいた。


一瞬だけこちらを見たが、すぐに村長へ視線を戻す。


「水の精霊が荒れるなら、水そのものが暴れるはずです。洪水や濁流、井戸の枯れ。今回は少し違う気がします」


「では?」


「荒れているというより……弱っているように見える」


弱っている。


その言葉は、昨日の表示と重なった。


生命力の低下反応。


森が病んでいる。


水が弱っている。


小鳥が落ちる。


薬草が萎れる。


声が、痛がっている。


俺は布人形を握る手に力を入れた。


村長は深く息を吐いた。


「精霊が弱るほどのものが、森にあると?」


アンナはすぐには答えなかった。


「まだ分かりません」


断定しない。


分からないことを、分からないままにする。


大人たちは焦っているはずなのに、そこは崩さない。


俺は少しだけ落ち着いた。


そうだ。


まだ分からない。


俺が聞いた気がする声も、夢かもしれない。


ここで「精霊だ」と決めつけるのは早い。


ただ、覚えておく必要はある。



午後、アンナは昨日ヨシュアたちが持ち帰った小川の水を、もう一度調べることにした。

布を巻いた瓶は三本。森の入口近く、小川の浅い場所、そして少し上流側。

その中でも上流側の水だけは、瓶越しに見ても妙に重く感じた。


もちろん、直接触れない。


瓶を布越しに持ち、皿にほんの少しだけ水を垂らす。


俺は少し離れた場所にいた。


カリンと一緒に。


距離はある。


それでも、瓶が出てきた瞬間、胸の奥がまたざわついた。


見たくない。


でも、気になる。


二つの感情が喧嘩している。


カリンが俺の横顔を見た。


「みすぎない」


「あう」


見すぎない。


今日は本当にそれが大事だ。


アンナは小さな水滴を皿に落とした。


水滴は透明だった。


けれど、皿の上でほんの少しだけ震えているように見えた。


風はない。


机も揺れていない。


アンナが指をかざす。


「魔力の流れが変ね」


ヨシュアは少し離れた場所から見ている。


「燃やせるか?」


「水そのものを燃やすわけにはいかないわ」


「黒い粉だけなら?」


「分けられれば、できるかもしれない」


アンナは小さく息を吐いた。


「でも、下手にやると水の中の魔力まで壊すかもしれない」


その言葉を聞いた瞬間、また聞こえた。


いたい。


今度は夢ではない。


耳で聞こえたわけでもない。


頭の中に直接響いたわけでもない。


胸の奥。


魔力のさらに奥に、小さな震えが伝わってきた。


いたい。


やめて。


俺は息を止めた。


水滴を見る。


見てはいけない。


そう思ったのに、目が離せない。


【小川の水滴】

飲用不可。

魔力の乱れあり。

黒い異物を含む。

微弱な精霊反応あり。

詳細不明。


精霊反応。


文字を見た瞬間、頭が熱くなった。


まずい。


分かった。


分かってしまった。


俺は声を出そうとした。


「あ、あう……!」


カリンがすぐに俺の手を握った。


「よーか!」


アンナが振り返る。


「ヨウカ、見たの?」


俺は返事もできず、アンナの方へ手を伸ばした。


水。


水。


そこに、何かいる。


俺は水滴を指差そうとした。


けれど、カリンが俺の手を包んだまま離さない。


「だめ。みすぎ、だめ」


その声は少し震えていた。


カリンも怖いのだ。


それでも俺を止めている。


アンナはすぐに瓶を布で覆った。


水滴の入った皿にも蓋をする。


視界から水が消えた瞬間、胸の痛みが少しだけ引いた。


俺は大きく息を吐いた。


赤ん坊の体なので、それだけで泣きそうになる。


いや、少し泣いた。


「あ、ああ……」


アンナが俺を抱き上げる。


「もう見ない」


短く、強い声。


俺はアンナの服を握った。


見ない。


もう見ない。


見たいけど、見ない。


ヨシュアが皿を見た。


「反応したな」


アンナは俺を抱いたまま頷く。


「たぶん、水そのものじゃない。何かがいる」


「精霊か?」


「分からない。でも、ヨウカはそう感じたのかもしれない」


俺はアンナの肩に顔を押しつけた。


いたい。


その声がまだ少し残っていた。



しばらくして、俺は落ち着いた。


泣いたせいで疲れた。


一歳児の体は本当にすぐ疲れる。


カリンは俺の隣から離れなかった。


布人形を俺の手元に戻し、じっとこちらを見ている。


「よーか、だめ」


「あう……」


はい。


だめでした。


今回は、少し見すぎた。


分かったことはある。


精霊反応。


でも、その代わりにかなり消耗した。


頭は重いし、胸の奥がまだざわついている。


俺が無理に見て得た情報は、大人たちには伝わったかもしれない。


けれど、次も同じことをしていいわけではない。


カリンは俺の手を握った。


「みたら、いたい?」


俺は少し驚いた。


そこまで分かるのか。


俺は小さく声を出した。


「あう」


痛い、というより、痛がっているのが伝わる。


でも、カリンにはそれで十分だったらしい。


「じゃあ、みない」


「あう」


そうですね。


できれば見ない方がいい。


カリンは少しだけ怒った顔をした。


「よーかも、いたい、だめ」


それは、胸に刺さった。


俺は、水の中の何かが痛がっていることに気を取られていた。


でも、俺自身が痛がることをカリンは嫌がっている。


当たり前だ。


俺が誰かを心配するように、カリンも俺を心配する。


そこを忘れると、また無茶をする。


俺はカリンの手を握り返した。


「あう」


ごめん。


たぶん伝わらない。


でも、カリンは少しだけ表情を緩めた。


「よし」


今回は、少し甘い「よし」だった。



夕方、大人たちは水滴の扱いについて話していた。


俺は寝床で休んでいる。


耳だけで聞く。


見ない。


見るとたぶん、また引っ張られる。


「精霊だとして、どうする」


ヨシュアが聞いた。


アンナは少し考えていた。


「弱っているなら、無理に燃やすのは避けたい。黒い粉だけを取り除ければいいけど、今の私には難しいわ」


村長が言う。


「隣町に、精霊に詳しい者は?」


「薬師のミラなら、水の精霊について少し知っているはずです」


アンナが答えた。


「ただ、専門家というほどではありません」


「それでも呼ぶしかないな」


「ええ」


話は、待つ方向になった。


隣町から人が来るまで、森側の水は封印。

小川にも近づかない。

水に黒い粉が混じっていた場合、燃やさず保管。

精霊反応があるものは、ヨウカに見せない。


最後の一つに、俺は少しだけ反応した。


見せない。


まあ、当然である。


一歳児が水滴を見て泣き出すのだ。


普通に考えて、見せない方がいい。


けれど、俺の中には小さな引っかかりがあった。


俺にしか聞こえないなら。


俺が見ないと、あの「いたい」は誰にも届かないのではないか。


そんな考えが浮かんだ。


その瞬間、ヨシュアの声がした。


「ヨウカに頼るのは駄目だ」


俺は目を開けた。


ヨシュアはこちらを見ていない。


アンナや村長に向けて言っている。


「何か感じ取っているとしても、あいつはまだ小さい。赤ん坊だ。情報源にするには負担が大きすぎる」


村長は静かに頷いた。


「そうだな」


アンナも言った。


「ヨウカが反応したことは大事。でも、それを利用する形にはしたくないわ」


利用。


その言葉に、胸の奥が少し揺れた。


俺の力は便利かもしれない。


でも、便利だから使えばいいわけではない。


俺自身が壊れたら、意味がない。


アンナとヨシュアは、そこを先に止めてくれる。


ありがたい。


そして、少し悔しい。


でも、今はその悔しさを飲むしかない。


俺は一歳児なのだから。



夜。


部屋の中は静かだった。


今日は、いつもより早めに寝かされた。


昼間に泣いたせいもあって、体はかなり重い。


カリンは帰る前に、布人形を俺の横に置いた。


「これ、かす」


「あう」


貸してくれるらしい。


「みず、みない」


「あう」


「こわかったら、なく」


「あう」


「いたかったら、なく」


俺は少し黙った。


痛かったら泣く。


それは、水の中の何かにも言えるのだろうか。


あの声は、泣いていたのかもしれない。


いたい。


それしか言えない何か。


俺は布人形を握った。


「あう」


カリンは俺を見て、小さく頷いた。


「よし」


そして、少しだけ迷った後、俺の額にそっと手を置いた。


「よーかも、だいじ」


短い言葉だった。


でも、かなり強い言葉だった。


ヨウカも大事。


誰かが痛がっている。


助けたい。


そう思うのは悪くない。


でも、その前に、俺自身も大事にしなければならない。


それを一歳児の俺に、幼いカリンが言ってくれる。


変な話だ。


でも、俺には必要だった。


カリンが帰った後、アンナが部屋の灯りを落とした。


ヨシュアは扉の近くで外の様子を確認している。


闇が静かに降りてくる。


怖くない闇。


休むための闇。


俺は布人形を握りながら、目を閉じた。


いたい。


声はまだ、遠くに残っている。


でも今は、追わない。


追えるほど、俺はまだ強くない。


どうやら、精霊の声がするらしい。


そしてその声は、俺が思っていたよりもずっと、小さくて、弱っているらしい。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ