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なんか捨て子の女の子に転生したらしい  作者: ダレイワス1世
第一章 フィル村幼児期編
20/34

なんか水もおかしいらしい

翌朝、フィル村の井戸には人が集まっていた。


いつもの井戸だ。


村の真ん中にあって、朝になると誰かしらが水を汲みに来る。

桶がきしむ音。

水が揺れる音。

村人同士の短い挨拶。


それは今まで、ただの日常だった。


けれど今日は違った。


井戸の周りに集まっている大人たちの顔が、少し硬い。


ヨシュアは井戸の縁に手を置き、水を汲み上げた桶をじっと見ていた。

アンナは小さな透明の瓶をいくつか並べている。


俺はアンナに抱かれて、その様子を見ていた。


カリンは隣に立っている。


「村の井戸は、今のところ問題なさそうね」


アンナが言った。


瓶の中の水は、きれいだった。


少なくとも、見た目には。


透明で、変な濁りもない。


俺も少しだけ鑑定する。


【井戸水】

飲用可能な水。

状態:良好


よかった。


思わず息が抜けた。


井戸水までおかしくなっていたら、村はかなり危なかった。


水は生活の中心だ。


飲む。

洗う。

料理に使う。

薬草を煎じる。

傷を洗う。


水が使えないとなれば、それだけで村の日常は崩れる。


アンナも、少しだけ肩の力を抜いたように見えた。


けれど、ヨシュアの顔はまだ険しい。


「井戸はな」


そう言って、森の方を見た。


井戸は大丈夫。


でも、森の小川はまだ分からない。


昨日、落ちていた小鳥。


羽についていた黒い粉。


森の水を飲んだ可能性。


それを確かめる必要があった。


もちろん、俺は行けない。


赤ん坊なので。


行きたいわけではない。


いや、気にはなる。


でも、気になるから行くという発想は、最近かなり危険だと学んだ。


俺はアンナの服を握るだけにした。


アンナは俺の手に気づき、軽く撫でた。


「家で待っていましょうね」


「あう」


はい。


待ちます。


たぶん、待つのも仕事なのだ。



森の小川の水は、ヨシュアたちが汲みに行くことになった。


ただし、かなり慎重だった。


ヨシュアを含めた三人。


素手で触らない。

水に入らない。

森の奥には進まない。

瓶に水を入れたらすぐ戻る。

何かあっても追わない。


アンナは何度も確認していた。


「小川を見るだけよ」


「分かってる」


「水辺の草に触らない」


「分かってる」


「黒い粉があったら近づきすぎない」


「分かってる」


「あなたの『大丈夫』は信用しないから」


「……分かってる」


最後だけ少し間があった。


やはり前科があるらしい。


俺はヨシュアを見た。


「あう」


無茶しないでください。


伝わったのか、ヨシュアは俺の頭を軽く撫でた。


「行ってくる」


短い言葉だった。


大人が赤ん坊に長々と説明する必要はない。

でも、その短い言葉だけで少し安心した。


カリンは真剣な顔でヨシュアを見ていた。


「もどる?」


ヨシュアは頷いた。


「戻る」


カリンは少しだけ安心したように見えた。


「よし」


ヨシュアにも「よし」が出た。


鉄壁の要塞が幼女に確認されている。


少し面白い。


でも、笑える空気ではなかった。



ヨシュアたちが出ている間、俺たちは家で待った。


アンナは落ち着いているように見えた。


だが、手元の作業が少し速い。


薬草を分ける。

布を煮沸する。

瓶を洗う。

水を沸かす。


必要なものを整えているのだろう。


何かあった時に、すぐ動けるように。


俺は寝床の上に座り、カリンは隣にいた。


今日は布人形もある。


カリンは俺の手元にそれを置いた。


「これ、みる」


森を見るな、という意味だろう。


窓の外をちらちら見る俺への対策が、日に日に具体的になっている。


俺は布人形を触った。


柔らかい。


昨日も思ったが、少し不格好だ。


でも、嫌な感じはしない。


むしろ、見ていると少し落ち着く。


【布人形】

手縫いの人形。少し不格好。

持ち主の強い愛着を感じる。


またその表示が出た。


持ち主の強い愛着。


それはたぶん、カリンのものだ。


俺は人形を握ったまま、カリンを見た。


カリンは窓の方を見ていた。


表情はあまり変わらない。


でも、手は少し強く握られている。


怖いのだと思う。


ヨシュアが戻るか。


森で何が見つかるか。


分からないものを待つのは、怖い。


カリンは昨日、自分で「怖い」と言った。


あれは大きい。


守る側に立とうとする子が、自分の怖さを言葉にした。


それはたぶん、とても大事なことだった。


俺はカリンの服を握った。


「あう」


カリンはこちらを見た。


「よーか?」


俺はもう一度声を出した。


「あう」


大丈夫、とは言えない。


分からないから。


だから、ただ声を出した。


カリンは少しだけ目を細めて、俺の手を握った。


「うん」


それだけだった。


でも、少し落ち着いた。



昼前、ヨシュアたちが戻った。


怪我はない。


それを見た瞬間、アンナの肩がわずかに下がった。


たぶん、本人は気づいていない。


俺は見てしまった。


ヨシュアは瓶を三つ持っていた。


一つは森の入口近くの水。

一つは小川の浅い場所の水。

もう一つは、小川の少し上流側の水らしい。


瓶には布が巻かれている。


直接触らないようにしているのだろう。


「変な匂いは?」


アンナが聞く。


「入口近くはない。小川の水は……少し土臭い」


「土臭い?」


「腐った匂いとは違う。だが、いつもの水の匂いじゃない」


ヨシュアはそう言いながら、瓶を机に置いた。


俺は思わず身を乗り出しそうになった。


カリンが肩を押さえる。


「だめ」


早い。


俺は大人しくした。


アンナは俺を一度見てから、瓶を一つずつ確認した。


まず、森の入口近くの水。


透明だ。


俺も少し見る。


【森の入口付近の水】

飲用非推奨。

状態:やや不安定

詳細不明。


飲用非推奨。


入口近くでこれか。


次に、小川の浅い場所の水。


見た目は透明に近い。


だが、瓶の底にほんの少しだけ黒い粒が沈んでいる。


【小川の水】

飲用不可。

微弱な魔力の乱れあり。

黒い異物を含む。

詳細不明。


俺はすぐに目を逸らした。


頭の奥が熱くなりかけた。


カリンの手が俺の手を包む。


「みすぎない」


「あう……」


はい。


見すぎません。


アンナは俺の反応を見て、表情を固くした。


「小川は駄目ね」


ヨシュアが頷く。


「やはりか」


「飲ませない。触らせない。洗い物にも使わない」


アンナの言葉に、村人の一人が息を呑んだ。


「森の小川、家畜にも使ってましたよね」


「今日から止める」


ヨシュアが即答した。


「村長に言う。家畜の水は井戸か、南側の水場から運ぶ」


「手間が増えますね」


「手間で済むなら安い」


ヨシュアの声は低かった。


誰も反論しなかった。



最後に、上流側の水を見た。


瓶の中は、他の水よりも少し暗く見えた。


濁っているわけではない。


でも、透明なはずの水の奥に、薄い影が揺れているような気がする。


俺は見たくなかった。


でも、見てしまった。


【小川の上流側の水】

飲用不可。

魔力の乱れあり。

黒い異物を含む。

生命力の低下反応。

詳細不明。


生命力の低下反応。


その文字を見た瞬間、胸の奥がぎゅっと縮んだ。


ただの水ではない。


そこに触れたものを、弱らせる。


薬草が萎れた。

鳥が落ちた。

傷が熱を持った。


全部、つながる。


そう思った瞬間、別の感覚が割り込んできた。


言葉ではない。


音でもない。


けれど、何かが小さく震えた。


いたい。


そう聞こえた気がした。


俺は息を止めた。


今のは何だ。


もう一度見ようとした。


その瞬間、頭が熱くなった。


まずい。


「あ、あう……!」


声が漏れた。


アンナがすぐに俺を抱き上げる。


「ヨウカ?」


視界から瓶が消える。


カリンが俺の手を握る。


「よーか、だめ」


だめ。


その通りだ。


今のは、見てはいけないものだった。


いや、見てはいけないというより、今の俺には重すぎるものだった。


アンナは俺の背中を撫でた。


「もう見ない。いい?」


「あう……」


はい。


見ません。


見たい。


でも見ない。


ここで無理をすると、自分が壊れる。


それは少しずつ分かってきた。


ヨシュアが瓶を布で覆った。


「ヨウカが反応した。上流側が一番悪いか」


アンナは俺を抱いたまま頷いた。


「たぶんね。私の感覚でも、これが一番嫌」


村人の顔が青くなる。


「上流って、森の奥からですよね」


ヨシュアが重く頷いた。


「ああ」


森の奥。


そこに何かがある。


ただし、今すぐ見に行くわけにはいかない。


アンナが先に言った。


「行かないで」


ヨシュアは少しだけ黙った。


そして、頷いた。


「行かない。少なくとも、準備なしではな」


アンナはまだ不安そうだったが、今回はそれ以上言わなかった。


ヨシュアも分かっているのだろう。


これは牙猪とは違う。


盾で受けるだけでは済まない。



水の検査が終わると、村長の家で話し合いが開かれた。


俺は当然、家で留守番である。


赤ん坊なので。


だが、今回はアンナもヨシュアも家を空けるわけにはいかず、村長がこちらへ来た。


年配の男で、白いひげがある。


俺は初めて近くで見た。


【フィル村村長】

状態:疲労

詳細不明。


疲労。


そりゃそうだろう。


村の水と森がおかしい。


村長としては、胃が痛いはずだ。


村長は瓶を見て、深く息を吐いた。


「小川を使うな、か」


ヨシュアが答える。


「ああ。少なくとも森側の小川は駄目だ」


アンナも続ける。


「井戸は今のところ大丈夫。でも毎日見る必要があるわ」


「隣町には?」


「知らせるべきだ」


ヨシュアは迷わず言った。


「村だけで抱える段階じゃない。薬師か、魔力汚染に詳しい魔法使いが必要だ」


魔力汚染。


その言葉が出た。


アンナは少しだけ顔をしかめた。


「まだ断定はできない。でも、ただの毒や病ではないと思う」


村長は顎に手を当てた。


「誰を走らせる?」


「足の速い者を二人。南回りで行く。森沿いは使わない」


ヨシュアは地図を出し、道を示した。


カリンも俺の横で聞いている。


たぶん全部は分からない。


それでも、危ない話をしていることは分かるのだろう。


手が少し強くなった。


俺はカリンの手を握り返した。


「あう」


カリンは俺を見て、小さく頷いた。



話し合いの途中、俺はまたあの感覚を思い出していた。


いたい。


そう聞こえた気がした。


あれは、何だったのか。


水から聞こえたのか。


森から聞こえたのか。


それとも、俺のスキルのどれかが勝手に反応したのか。


精霊魔法 LV1。


その文字が頭に浮かぶ。


俺には精霊魔法がある。


でも、ほとんど使えていない。


そもそも、何ができるのかも分からない。


精霊。


この世界にいるらしい存在。


もし森や水に精霊が関わっているなら、俺が感じた「いたい」は、その何かだったのかもしれない。


でも、まだ分からない。


分からないものを、分かったことにするな。


これは本当に大事だ。


俺は目を閉じて、布人形を握った。


今は考えすぎない。


考えても答えは出ない。


ただ、覚えておく。


あの水には、何かがあった。


小さな痛みのようなものが。



夕方、隣町へ知らせる使いが出ることになった。


二人組。


森とは反対側の道を通る。


戻るまで、早くても二日。


それまでは村で耐えるしかない。


水を分ける。

森側を避ける。

怪我を放置しない。

家畜を移す。

薬草採取を止める。

見回りは最小限。


村の日常は、また少し変わった。


でも、誰も騒ぎすぎてはいない。


怖がってはいる。


それでも、動いている。


鍋を作る人。

水を運ぶ人。

家畜の世話を変える人。

子どもたちを家に入れる人。

見回りを組み直す人。


村は、小さな体みたいだった。


どこかが病めば、他の場所が支える。


一人ではどうにもならないことを、みんなで少しずつ受け持つ。


それは、俺が今まで教えられてきたことと同じだった。


一人で背負うな。


気づいたら伝えろ。


できる人に渡せ。


俺はまだ一歳児だ。


でも、村もまた、一人で何とかしているわけではない。


そう思うと、少しだけ落ち着いた。



夜。


カリンは今日も俺の隣にいた。


最近、うちにいる時間が増えている。


もちろん、ちゃんと家には帰る。


でも、夕方まではかなりの確率でそばにいる。


黒髪のクール系幼馴染による監視体制は、日に日に強化されている。


「よーか」


「あう」


「みず、だめ」


「あう」


「もり、だめ」


「あう」


「みすぎ、だめ」


「あう」


三つ目の返事が、今日はちゃんと遅れなかった。


カリンは満足そうに頷いた。


「よし」


今日の「よし」は、少し安心した声だった。


俺はカリンの手を握ったまま、昼間の感覚を思い出す。


いたい。


あれが何だったのか、まだ分からない。


でも、分からないからこそ、今は大人に任せる。


アンナがいる。

ヨシュアがいる。

村長が動いている。

隣町にも知らせる。


俺はただ、ちゃんと寝る。


明日また、気づける状態でいるために。


アンナが部屋の灯りを落とした。


ヨシュアが戸締まりを確認する。


闇が部屋を包む。


怖くない闇。


休むための闇。


けれど、遠くの森の奥には、まだ別の闇がある。


俺は目を閉じた。


どうやら、水もおかしいらしい。


そして森の奥では、何かが小さく痛がっているらしい。

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