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なんか捨て子の女の子に転生したらしい  作者: ダレイワス1世
第一章 フィル村幼児期編
15/166

なんか精霊の声がするらしい

昼前、カリンが来た。


今日は木剣の代わりに小さな布人形を持っている。


「よーか」


「あう」


「そと、だめ」


「あう」


「もり、だめ」


「あう」


「みすぎ、だめ」


「あ……う」


少し返事が遅れた。


カリンの目が細くなる。


「だめ」


完全に見抜かれていた。


カリンは布人形を俺の手元に置いた。


「これ、みる」


森ではなく、人形を見ていろ。


そういうことらしい。


少し強引だ。


でも、ありがたかった。


カリンは満足そうに頷いた。


「よし」


今日も出た。


俺はもう、この「よし」を聞くと少し安心する体になってきている気がする。


それはそれでどうなんだ。


⸻



翌朝、俺は変な夢を見た。


水の中にいた。


冷たい、というより、重い水だった。


前世でプールに潜った時のような感覚ではない。

水そのものが疲れているような、息苦しいような、妙な夢。


暗い水の奥で、小さな何かが震えていた。


声が聞こえる。


いたい。


ただ、それだけ。


誰の声なのかは分からない。

人間の声ではない気がした。


子どもの声にも似ている。

でも、もっと細い。


水の中で泡が弾けるような、葉の先から雫が落ちるような、そんな声だった。


いたい。


その声を追おうとした瞬間、胸の奥がぎゅっと縮んだ。


苦しい。


俺は水の中で手を伸ばそうとした。


けれど、体が動かない。


一歳児の体だから、というより、夢の中でも赤ん坊のままだった。


何もできない。


声は、また小さく響いた。


いたい。


そこで目が覚めた。


「……あう」


寝床の上で、小さく声が漏れた。


部屋は薄暗い。


まだ朝早いらしい。


暖炉の火は小さく、アンナは机の上で何かを書いていた。


隣町へ送る知らせの控えだろうか。

ヨシュアは扉の近くで装備を確認している。


二人とも、もう起きていた。


俺は少しだけ体を動かした。


すると、アンナがすぐに振り返る。


「起きたの?」


「あう……」


起きました。


変な夢を見ました。


もちろん、そんな説明はできない。


アンナは俺の顔を見るなり、少し眉を寄せた。


「顔色、悪いわね」


ばれるのが早い。


ヨシュアもこちらへ来た。


「熱か?」


アンナが俺の額に手を当てる。


「熱はない。怖い夢でも見た?」


「あう」


それに近い。


俺はアンナの服を握った。


アンナは少しだけ俺を抱き上げた。


「今日は無理に外を見なくていいわ」


短く言って、背中を撫でる。


その声は優しかった。


けれど、俺の頭にはまだ、あの声が残っていた。


いたい。


あれはただの夢だったのか。


それとも、昨日の小川の水を見たせいで、何かが残っているのか。


分からない。


分からないが、嫌な感じだけは消えなかった。


⸻


朝食の頃、カリンが来た。


今日は少し早い。


黒髪はいつも通りきれいに整えられている。

けれど、顔は少し硬かった。


「よーか」


「あう」


カリンは俺の前に座ると、すぐに俺の顔を見た。


「ねむい?」


「あう」


眠いというより、すっきりしない。


俺の返事をどう受け取ったのか、カリンは布人形を俺の横に置いた。


「これ」


昨日も見せられた人形だ。


森を見るな。

水を見るな。

これを見ていろ。


たぶんそういう意味だ。


ありがたい。


カリンなりに、俺を怖いものから離そうとしてくれている。


俺は人形を握った。


「あう」


カリンは小さく頷く。


「よし」


いつもの確認。


少し安心する。


だが、今日はそれだけでは終わらなかった。


カリンは俺の手を握ったまま、少し声を落とした。


「よーか、こわいゆめ?」


俺は固まった。


なぜ分かる。


アンナが言ったのを聞いたのかもしれない。

いや、カリンはそういうところを妙に見てくる。


俺は少し迷ってから、声を出した。


「あう……」


カリンはまばたきをした。


「こわかったら、なく」


何度も言われている言葉だ。


困ったら泣く。

怖かったら泣く。

大人を呼ぶ。


俺は人形を握ったまま、少しだけ目を伏せた。


泣くほどではない。


でも、怖くないと言えば嘘になる。


あの「いたい」は、まだ耳の奥に残っている。


カリンは俺の手を両手で包んだ。


「わたし、いる」


短い言葉だった。


その短さが、今はありがたかった。


⸻


昼前、村長とヨシュアがやって来た。


隣町へ知らせを送った二人は、まだ戻っていない。


早くても明日。


それまでは、村でできることを続けるしかない。


ヨシュアは地図を広げ、村長とアンナに話していた。


俺は寝床に座り、カリンは隣で布人形を修理している。


耳は大人たちの会話を拾っていた。


「小川の上流は、ここから森の奥に入る」


ヨシュアが地図を指す。


「昔は薬草採りが通っていた道がある。ただ、最近はあまり使っていない」


村長が唸る。


「奥に行くなら、準備がいるな」


「行くとしても、隣町から人が来てからだ」


アンナがすぐに言った。


「水に出ているなら、森の中で触れる危険が高いわ。普通の魔物相手とは違う」


ヨシュアは頷いた。


「分かってる。今は村を守る方が先だ」


アンナの表情が少しだけ緩んだ。


たぶん、ヨシュアが無理に奥へ行かないと分かったからだ。


村長は地図を見ながら言った。


「水の精霊が荒れている、という話は聞いたことがあるが……」


水の精霊。


俺はその言葉に反応した。


胸の奥が、小さく震えた。


精霊魔法 LV1。


その文字が頭に浮かぶ。


昨日の水。


夢の中の声。


いたい。


まさか。


俺は地図の方を見た。


カリンがすぐに俺の手を押さえる。


「よーか」


「あう……」


分かってる。


見すぎない。


でも、今の言葉は聞き流せなかった。


アンナも俺の反応に気づいた。


一瞬だけこちらを見たが、すぐに村長へ視線を戻す。


「水の精霊が荒れるなら、水そのものが暴れるはずです。洪水や濁流、井戸の枯れ。今回は少し違う気がします」


「では?」


「荒れているというより……弱っているように見える」


弱っている。


その言葉は、昨日の表示と重なった。


生命力の低下反応。


森が病んでいる。


水が弱っている。


小鳥が落ちる。


薬草が萎れる。


声が、痛がっている。


俺は布人形を握る手に力を入れた。


村長は深く息を吐いた。


「精霊が弱るほどのものが、森にあると?」


アンナはすぐには答えなかった。


「まだ分かりません」


その一言で、部屋の空気が少しだけ落ち着いた。


分からない。


でも、無視はできない。


そのくらいが、今の答えだった。


⸻


午後、アンナは昨日ヨシュアたちが持ち帰った小川の水を、もう一度調べることにした。

布を巻いた瓶は三本。森の入口近く、小川の浅い場所、そして少し上流側。

その中でも上流側の水だけは、瓶越しに見ても妙に重く感じた。


もちろん、直接触れない。


瓶を布越しに持ち、皿にほんの少しだけ水を垂らす。


俺は少し離れた場所にいた。


カリンと一緒に。


距離はある。


それでも、瓶が出てきた瞬間、胸の奥がまたざわついた。


見たくない。


でも、気になる。


二つの感情が喧嘩している。


カリンが俺の横顔を見た。


「みすぎない」


「あう」


見すぎない。


今日は本当にそれが大事だ。


アンナは小さな水滴を皿に落とした。


水滴は透明だった。


けれど、皿の上でほんの少しだけ震えているように見えた。


風はない。


机も揺れていない。


アンナが指をかざす。


「魔力の流れが変ね」


ヨシュアは少し離れた場所から見ている。


「燃やせるか?」


「水そのものを燃やすわけにはいかないわ」


「黒い粉だけなら?」


「分けられれば、できるかもしれない」


アンナは小さく息を吐いた。


「でも、下手にやると水の中の魔力まで壊すかもしれない」


その言葉を聞いた瞬間、また聞こえた。


いたい。


今度は夢ではない。


耳で聞こえたわけでもない。


頭の中に直接響いたわけでもない。


胸の奥。


魔力のさらに奥に、小さな震えが伝わってきた。


いたい。


やめて。


俺は息を止めた。


水滴を見る。


見てはいけない。


そう思ったのに、目が離せない。


【小川の水滴】

飲用不可。

魔力の乱れあり。

黒い異物を含む。

微弱な精霊反応あり。

詳細不明。


精霊反応。


文字を見た瞬間、頭が熱くなった。


まずい。


分かった。


分かってしまった。


俺は声を出そうとした。


「あ、あう……!」


カリンがすぐに俺の手を握った。


「よーか!」


アンナが振り返る。


「ヨウカ、見たの?」


俺は返事もできず、アンナの方へ手を伸ばした。


水。


水。


そこに、何かいる。


俺は水滴を指差そうとした。


けれど、カリンが俺の手を包んだまま離さない。


「だめ。みすぎ、だめ」


その声は少し震えていた。


カリンも怖いのだ。


それでも俺を止めている。


アンナはすぐに瓶を布で覆った。


水滴の入った皿にも蓋をする。


視界から水が消えた瞬間、胸の痛みが少しだけ引いた。


俺は大きく息を吐いた。


赤ん坊の体なので、それだけで泣きそうになる。


いや、少し泣いた。


「あ、ああ……」


アンナが俺を抱き上げる。


「もう見ない」


短く、強い声。


俺はアンナの服を握った。


見ない。


もう見ない。


見たいけど、見ない。


ヨシュアが皿を見た。


「反応したな」


アンナは俺を抱いたまま頷く。


「たぶん、水そのものじゃない。何かがいる」


「精霊か?」


「分からない。でも、ヨウカはそう感じたのかもしれない」


俺はアンナの肩に顔を押しつけた。


いたい。


その声がまだ少し残っていた。


⸻


しばらくして、俺は落ち着いた。


泣いたせいで疲れた。


一歳児の体は本当にすぐ疲れる。


カリンは俺の隣から離れなかった。


布人形を俺の手元に戻し、じっとこちらを見ている。


「よーか、だめ」


「あう……」


はい。


だめでした。


今回は、少し見すぎた。


分かったことはある。


精霊反応。


でも、その代わりにかなり消耗した。


頭は重いし、胸の奥がまだざわついている。


俺が無理に見て得た情報は、大人たちには伝わったかもしれない。


けれど、次も同じことをしていいわけではない。


カリンは俺の手を握った。


「みたら、いたい?」


俺は少し驚いた。


そこまで分かるのか。


俺は小さく声を出した。


「あう」


痛い、というより、痛がっているのが伝わる。


でも、カリンにはそれで十分だったらしい。


「じゃあ、みない」


「あう」


そうですね。


できれば見ない方がいい。


カリンは少しだけ怒った顔をした。


「よーかも、いたい、だめ」


それは、胸に刺さった。


俺は、水の中の何かが痛がっていることに気を取られていた。


でも、俺自身が痛がることをカリンは嫌がっている。


当たり前だ。


俺が誰かを心配するように、カリンも俺を心配する。


そこを忘れると、また無茶をする。


俺はカリンの手を握り返した。


「あう」


ごめん。


たぶん伝わらない。


でも、カリンは少しだけ表情を緩めた。


「よし」


今回は、少し甘い「よし」だった。


⸻


夕方、大人たちは水滴の扱いについて話していた。


俺は寝床で休んでいる。


耳だけで聞く。


見ない。


見るとたぶん、また引っ張られる。


「精霊だとして、どうする」


ヨシュアが聞いた。


アンナは少し考えていた。


「弱っているなら、無理に燃やすのは避けたい。黒い粉だけを取り除ければいいけど、今の私には難しいわ」


村長が言う。


「隣町に、精霊に詳しい者は?」


「薬師のミラなら、水の精霊について少し知っているはずです」


アンナが答えた。


「ただ、専門家というほどではありません」


「それでも呼ぶしかないな」


「ええ」


話は、待つ方向になった。


隣町から人が来るまで、森側の水は封印。

小川にも近づかない。

水に黒い粉が混じっていた場合、燃やさず保管。

精霊反応があるものは、ヨウカに見せない。


最後の一つに、俺は少しだけ反応した。


見せない。


まあ、当然である。


一歳児が水滴を見て泣き出すのだ。


普通に考えて、見せない方がいい。


けれど、俺の中には小さな引っかかりがあった。


俺にしか聞こえないなら。


俺が見ないと、あの「いたい」は誰にも届かないのではないか。


そんな考えが浮かんだ。


その瞬間、ヨシュアの声がした。


「ヨウカに頼るのは駄目だ」


俺は目を開けた。


ヨシュアはこちらを見ていない。


アンナや村長に向けて言っている。


「何か感じ取っているとしても、あいつはまだ小さい。赤ん坊だ。情報源にするには負担が大きすぎる」


村長は静かに頷いた。


「そうだな」


アンナも言った。


「ヨウカが反応したことは大事。でも、それを利用する形にはしたくないわ」


利用。


その言葉に、胸の奥が少し揺れた。


俺の力は便利かもしれない。


でも、便利だから使えばいいわけではない。


俺自身が壊れたら、意味がない。


アンナとヨシュアは、そこを先に止めてくれる。


ありがたい。


そして、少し悔しい。


でも、今はその悔しさを飲むしかない。


俺は一歳児なのだから。


⸻


夜。


部屋の中は静かだった。


今日は、いつもより早めに寝かされた。


昼間に泣いたせいもあって、体はかなり重い。


カリンは帰る前に、布人形を俺の横に置いた。


「これ、かす」


「あう」


貸してくれるらしい。


「みず、みない」


「あう」


「こわかったら、なく」


「あう」


「いたかったら、なく」


俺は少し黙った。


痛かったら泣く。


それは、水の中の何かにも言えるのだろうか。


あの声は、泣いていたのかもしれない。


いたい。


それしか言えない何か。


俺は布人形を握った。


「あう」


カリンは俺を見て、小さく頷いた。


「よし」


カリンは少し迷ってから、俺の額に手を置いた。


「よーかも、だいじ」


短い言葉だった。


俺は布人形を握った。


水の中の何かが痛がっている。


助けたい。


でも、カリンは俺が痛がることを嫌がっている。


そのことも、忘れてはいけなかった。


どうやら、精霊の声がするらしい。


そしてその声は、俺が思っていたよりもずっと、小さくて、弱っているらしい。

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