なんかカリンは本気らしい
カリンは、よく木剣を持っている。
最初は、子どもの遊びだと思っていた。
三歳くらいの子が、親や近所の大人の真似をして木剣を振る。
そういうものだと。
だが、最近少し分かってきた。
カリンは、遊んでいるつもりではない。
かなり本気である。
「よーか、みてて」
カリンは庭の端に立った。
黒髪が風で少し揺れる。
幼い顔立ちなのに、立ち姿は妙にまっすぐだった。
手には木剣。
そして今日は、もう片方の手に小さな木の盾まで持っていた。
どこから用意したのかと思ったら、ヨシュアが作ったらしい。
「まだ重いだろう」
ヨシュアが言う。
「もてる」
カリンは短く答えた。
たしかに持っている。
だが、小さな体には明らかに重そうだった。
俺はアンナの膝の上で、それを見ていた。
一歳児である俺は、今日も観客席だ。
自分で歩くこともままならない赤ん坊が、木剣の訓練に参加できるわけがない。
ただ、見ることはできる。
そして、見ていると色々分かってしまう。
カリンの足の位置。
肩の力。
手首の硬さ。
盾を持つ腕の震え。
まだ幼い。
当然だ。
でも、目が真剣だった。
ヨシュアは木の棒を一本持ち、カリンの前に立った。
「カリン。守る時に一番大事なことは何だ」
「まえに、たつ」
カリンが即答する。
ヨシュアは首を振った。
「違う」
カリンの眉が少し動いた。
「ちがう?」
「前に立つだけなら、誰でもできる」
ヨシュアは静かに言った。
「守る時に一番大事なのは、何を守るのかを見失わないことだ」
カリンは黙った。
俺も黙って聞いていた。
ヨシュアは庭に三つの木片を置いた。
「これは村人」
次に、小さな石を置く。
「これは魔物」
さらに、俺を指差す。
「これはヨウカ」
いや、俺を訓練用の駒にするな。
カリンの目が一瞬で鋭くなった。
「よーか、まもる」
「そうだ。だが、ヨウカだけ見ていても駄目だ」
ヨシュアは石を少し動かした。
「魔物がここに来る。村人が逃げる。ヨウカは動けない。お前はどこに立つ?」
カリンはすぐに俺の前へ来た。
俺と石の間に立つ。
かなり素早い。
ヨシュアは頷いた。
「悪くない。だが、これだと村人が逃げられない」
木片の一つが石の近くに取り残されている。
カリンはそれを見て、少し固まった。
「……じゃあ」
カリンは場所を変えようとした。
その瞬間、ヨシュアは別の石を動かした。
「今度は横から来る」
カリンは慌てて向きを変える。
盾が少し遅れた。
ヨシュアの棒が、軽く盾を叩く。
こつん。
大した音ではない。
でもカリンは悔しそうに唇を結んだ。
「今ので、ヨウカに届いた」
ヨシュアは言った。
カリンの顔が強張る。
「もういっかい」
「焦るな」
ヨシュアの声は厳しくない。
だが、甘くもなかった。
「守るというのは、前に飛び出すことじゃない。見て、考えて、相手を動かすことだ」
カリンは真剣に聞いていた。
俺も聞いていた。
これは、たぶん俺にも関係がある。
守ること。
助けること。
救うこと。
それらは、気持ちだけでは足りない。
前に出ればいいわけではない。
力を使えばいいわけでもない。
見る。
考える。
位置を取る。
逃げ道を残す。
ヨシュアが牙猪の時にしていたことだ。
鉄壁の要塞。
その意味が、少しずつ分かってくる。
⸻
カリンの訓練は続いた。
ヨシュアは容赦なく石や木片を動かす。
正面。
横。
後ろ。
逃げる村人。
転ぶ子ども。
動けないヨウカ。
俺は何度も「動けないヨウカ」役にされた。
少し不本意である。
実際に動けないので、反論の余地はないが。
カリンは何度も位置を間違えた。
前に出すぎる。
ヨウカだけ見すぎる。
村人役の木片を置き去りにする。
盾を構えたまま足が止まる。
そのたびにヨシュアが止める。
「違う」
「遅い」
「見すぎだ」
「ヨウカだけ守って、後ろを崩すな」
カリンは泣かなかった。
怒りもしなかった。
ただ、黒い目をじっと地面に向けて、次の動きを考える。
そして、もう一度やる。
何度もやる。
幼い体には、明らかにきつい。
木の盾を持つ腕が震えている。
膝も少し笑っている。
それでも、カリンはやめようとしなかった。
俺はそれを見て、少し胸がざわついた。
この子は本気だ。
「守る」と言っているのは、ただの幼い言葉ではない。
本当に、守ろうとしている。
俺を。
いや、俺だけではなく、周りも。
少なくとも、そうなろうとしている。
俺はカリンを見つめた。
すると、鑑定が反応した。
【カリン】
状態:疲労
詳細不明。
いつもより少しだけ情報が出た。
疲労。
それは見れば分かる。
だが、その下に、一瞬だけ文字が揺れた。
〈友愛 LV3〉
すぐに消えた。
俺は固まった。
友愛。
スキルか。
カリンの、スキル。
もう一度見ようとしたが、表示は戻らない。
頭の奥が少し熱くなったので、すぐにやめた。
無理に見ない。
分からないものを、力任せに見るな。
それはもう何度も学んだ。
ただ、分かったことがある。
カリンの「守る」は、たぶん本物だ。
俺の伏せ字の加護がどうこうではなく。
好意が歪んでいるかもしれないという不安とは別に。
少なくとも、今ここで汗をかいているカリンの意思は、カリンのものに見えた。
そうであってほしい。
俺は小さく声を出した。
「あう」
カリンがこちらを見た。
「よーか?」
俺は手を伸ばした。
休め。
そう言いたかった。
もちろん伝わらない。
だが、カリンは俺の顔を見て、少しだけ目を細めた。
「まだ、やる」
やっぱり伝わっているのではないか。
しかし、内容は聞いてくれなかった。
カリンはまた盾を構えた。
ヨシュアが少しだけ笑った。
「根性はあるな」
アンナが横から言った。
「根性だけでやらせすぎないで」
「分かってる」
ヨシュアは木の棒を下ろした。
「今日はここまでだ」
カリンが不満そうな顔をする。
「まだ」
「駄目だ。守る者が先に倒れたら、誰も守れない」
カリンは黙った。
これは強い正論だった。
ヨシュアは続けた。
「疲れたら休む。傷があれば治す。腹が減ったら食う。眠ければ寝る」
それ、俺にもよく言われるやつだ。
「それも守るための訓練だ」
カリンは少し考え、それから小さく頷いた。
「……わかった」
よかった。
本当に。
カリンは真面目すぎる。
放っておくと、俺より先に無茶をする気がする。
⸻
訓練の後、カリンはアンナに水を渡された。
「ゆっくり飲んで」
「うん」
カリンは両手で木の杯を持ち、少しずつ飲む。
顔は涼しげだが、額には汗が浮いていた。
黒髪が頬に張りついている。
クール系ではある。
だが、汗をかいて息を整えている姿は、ちゃんと子どもだった。
俺は少し安心した。
カリンが完璧な守護者みたいになってしまったら、それはそれで怖い。
彼女はまだ幼い。
間違えるし、疲れるし、悔しがる。
それでいい。
ヨシュアがカリンの盾を手に取った。
「少し重かったな。削る」
「もてる」
「持てることと、使えることは違う」
また正論。
今日のヨシュアは正論が強い。
「重い盾を持って立っているだけならできる。でも動けないなら意味がない」
カリンは黙った。
たぶん悔しい。
だが、ヨシュアはカリンを否定しているわけではない。
本気で教えている。
カリンもそれが分かっているのだろう。
「かるいの、つくって」
「分かった」
素直だ。
良いことだ。
前世の俺は、こういう時に素直に言えただろうか。
できるふりをしたり、分かったふりをしたり、余計なことを言ったりしていた気がする。
持てることと、使えることは違う。
それは薬草にも、魔法にも、スキルにも当てはまる。
知っていることと、使えることは違う。
使えることと、正しく使えることは違う。
本当にこの家は、正論が多い。
ありがたいが、耳が痛い。
⸻
昼過ぎ、俺とカリンは家の中で休んでいた。
アンナは薬草を整理している。
ヨシュアは外で盾を削っている。
カリンは俺の隣で、木剣を抱えたまま座っていた。
「つかれた?」
俺は声を出した。
「あう」
それはこっちの台詞だ。
カリンは少し首を振った。
「だいじょうぶ」
大丈夫そうには見えない。
俺はカリンをじっと見た。
【カリン】
状態:疲労
詳細不明。
やはり疲れている。
俺はアンナを見る。
「あー」
アンナはすぐにこちらを見た。
「カリン?」
俺はカリンを指差した。
カリンは少しむっとした。
「だいじょうぶ」
アンナが近づいてくる。
「大丈夫でも、休むの」
ヨシュアと同じことを言われたカリンは、さすがに黙った。
アンナはカリンの額に手を当てる。
「少し熱がこもってるわね。今日はもう木剣なし」
「でも」
「守る者が先に倒れたら、誰も守れない。ヨシュアに言われたでしょう」
カリンは悔しそうに俯いた。
そして、俺を見た。
「よーか、いった?」
「あう」
言いました。
というか、伝えました。
カリンは少し唇を尖らせた。
「しんぱい、した?」
「あう」
した。
かなりした。
カリンはしばらく俺を見ていた。
それから、小さく息を吐いた。
「なら、やすむ」
俺は胸を撫で下ろした。
カリンは、俺が心配すると休むらしい。
それは良いことなのか、危ういことなのか、少し判断に困る。
ただ、今は休んでくれるならそれでいい。
アンナは苦笑しながら、カリンに冷ました薬草茶を渡した。
「ヨウカの心配には弱いのね」
カリンは茶を受け取りながら言った。
「よーか、しんぱいさせたら、だめ」
それは、そのままカリンにも返したい。
俺はカリンの服を握った。
「あう」
カリンは少しだけ笑った。
「わかった」
本当に分かったのかは分からない。
だが、少しは伝わった気がした。
⸻
夕方、ヨシュアが軽く削った小さな盾を持って戻ってきた。
前より少し小さい。
角も丸くしてある。
カリンがそれを受け取る。
軽く構えてみる。
さっきより腕の震えが少ない。
「これなら動けるだろう」
ヨシュアが言った。
カリンは頷いた。
「うん」
「重い盾を持つことが強さじゃない。必要な場所に間に合うことが大事だ」
カリンは盾を見た。
「まにあう」
「そうだ」
ヨシュアは俺を見た。
「ヨウカも同じだぞ」
来た。
絶対こっちにも来ると思った。
「強い魔法を使うことが偉いんじゃない。必要な時に、必要な分だけ間に合うことが大事だ」
正論。
また正論。
俺は大人しく声を出した。
「あう」
分かっています。
たぶん。
アンナが横から言った。
「分かってる顔はするのよね」
ヨシュアが笑う。
「顔だけじゃなくて、行動で頼む」
それが一番難しい。
でも、やるしかない。
俺もカリンも、たぶん放っておくと無茶をする。
方向性は違うが、似たところがある。
俺は知りたいから踏み込む。
カリンは守りたいから前に出る。
どちらも、気持ちだけなら悪くない。
でも、気持ちだけで動けば危ない。
アンナとヨシュアは、それを分かっているから止める。
ありがたい。
そして少し怖い。
俺たちがいつか、止められない場所に行く日が来るかもしれないから。
⸻
夜。
カリンは帰る前に、俺の前に座った。
手には新しい小さな盾。
黒髪は少し乱れていたが、目は真剣だった。
「よーか」
「あう」
「わたし、つよくなる」
知っている。
今日一日で、かなり分かった。
カリンは続けた。
「まもる。でも、たおれない」
ヨシュアの教えをちゃんと覚えている。
「よーかも、たおれない」
俺もか。
いや、当然だ。
「むちゃ、だめ」
「あう」
「こまったら、なく」
「あう」
「つかれたら、ねる」
「あう」
完全に俺への注意事項が定着している。
カリンは満足そうに頷いた。
「よし」
今日も出た。
だが、今日は少し違った。
カリンの「よし」は、ただの確認ではない。
約束の印みたいに聞こえた。
俺はカリンの手を握った。
小さな手。
けれど、訓練で少し赤くなっている。
この手で、カリンは俺を守ろうとしている。
俺はその気持ちが嬉しかった。
同時に、少し怖かった。
カリンが俺を守るために、自分を雑に扱うようになったら嫌だ。
だから、いつかちゃんと言えるようにならなければならない。
守ってくれるのは嬉しい。
でも、カリン自身も守ってほしい。
今はまだ「あう」しか言えない。
だが、いつかは。
俺はカリンの手を少し強く握った。
「あう」
カリンは不思議そうに俺を見た。
それから、柔らかく笑った。
「うん」
伝わったかは分からない。
でも、少なくとも何かは伝わった気がした。
どうやらカリンは、俺を守ることにかなり本気らしい。
そして俺も、そんなカリンを心配するくらいには、もうこの子のことを大事に思っているらしい。




