なんか後輩は倒せないらしい
研修の翌日から、また授業が始まった。
一週間、外にいた。
教室に戻ると、机も、椅子も、やけに整って見えた。
屋根がある。
床がある。
壁がある。
当たり前のものが、当たり前にある。
それが、少しありがたかった。
「ヨウカさん!」
リーナが、駆け寄ってきた。
「おかえりなさい」
「ただいま戻りました」
「研修、どうでした?」
少し、迷った。
どこから話せばいいのか。
「疲れました」
「それは、顔に出てます」
リーナが、少し笑った。
「怪我は、ないですか」
「ありません」
それは、本当だった。
体の傷は、ない。
「よかったです」
リーナは、安心した顔をした。
マリベルも来た。
「無事に帰ってきたわね」
「はい」
「知らない人と一週間、どうだった?」
「思ったより、なんとかなりました」
「あら」
マリベルが、少し意外そうな顔をした。
「あなた、一人で抱え込む方だと思ってたけど」
「……少しは、言えました」
「へえ」
マリベルは、それ以上聞かなかった。
だが、少し感心した顔をしていた。
エレシアは、いつも通りだった。
「おかえりなさい。記録は、取りましたか」
「取りました」
「なら、いいです」
それだけだった。
この人らしい。
⸻
授業の間、少しだけ、ぼんやりした。
教室は、平和だった。
先生の声。
筆記具の音。
窓の外の、鳥の声。
一週間前、俺は森にいた。
ドブをさらい、薬草を採り、ゴブリンを殺した。
自分の手で。
それが、遠い出来事のように感じる。
でも、遠くない。
まだ、五日前だ。
手のひらを、見た。
震えは、もう止まっている。
だが、感触は、残っている。
短剣が、首に入った時の。
知っている構造を、断った時の。
消えないのかもしれない。
消えなくて、いいのかもしれない。
アンナの言葉を、思い出す。
震えないなら、その方が心配だと。
忘れないなら、その方がいいのかもしれない。
「ヨウカさん」
隣で、リーナが小さく言った。
「はい」
「難しい顔、してます」
「そうですか」
「授業、聞いてました?」
「……途中から、聞いていません」
正直に言うと、リーナが少し笑った。
「珍しいですね」
「少し、考え事をしていました」
「研修のこと?」
「はい」
リーナは、それ以上聞かなかった。
ただ、少しだけ、心配そうな顔をした。
「無理は、しないでください」
「はい」
その一言が、少し、ありがたかった。
⸻
放課後、訓練場へ行った。
一週間、実戦の中にいた。
だが、基礎の練習は、別だ。
投げる。
短剣を振る。
光を出す。
戻ってきたら、また続ける。
それだけだ。
木球を投げる。
的に、当たる。
研修の前と、同じだった。
いや、少しだけ違う。
石を投げた感覚が、残っている。
木球は、投げやすい。
それが、逆に、分かるようになった。
的の前に立ち、いくつか投げていると、少し離れた場所で、火が上がった。
大きい。
見覚えのある大きさだった。
入学式の日に見た、あの火だ。
一年生の、適性を見る場所。
そこで、一人の子が、火を撃っていた。
やはり、小柄だった。
背は低い。
だが、姿勢がいい。
胸を張って、火を撃っている。
的の板が、焦げる。
大きく、燃える。
派手だ。
だが、板は、倒れない。
入学式の時と、同じだった。
一か月経っても、同じ。
大きく撃てる。
でも、抜けない。
「もう一回!」
その子の声が、聞こえた。
元気だ。
諦めていない。
何度も、火を撃っている。
そのたびに、板は焦げて、倒れない。
本人は、少し悔しそうだった。
だが、やめない。
「なんで倒れないのー!」
声が、こちらまで届いた。
思わず、見てしまった。
その子と、目が合った。
⸻
「あ」
その子が、こちらを見た。
それから、つかつかと歩いてきた。
早い。
物怖じしない。
「ねえ、あなた、二年生?」
「はい」
「見てたでしょ、今の」
「見ていました」
「どう思う? すごくない?」
すごい、と聞かれた。
少し、迷った。
「大きいです」
「でしょ!」
「でも、的は倒れていません」
その子の顔が、少し止まった。
「……それは、そうなんだけど」
「すみません。聞かれたので」
「ううん。いいの。事実だし」
意外だった。
勝ち気そうなのに、事実を認める。
「私、ナナ。一年生」
ナナ。
名乗られた。
「ヨウカです」
「ヨウカ。二年生だよね」
「はい」
「二年生って、どのくらい撃てるの? 火」
「私は、火は使えません」
「え、そうなの?」
ナナが、少し驚いた顔をした。
「光と、闇を、少し。あとは、投擲と短剣です」
「地味!」
はっきり言われた。
「よく言われます」
「あ、ごめん。悪口じゃなくて」
ナナが、慌てた。
「なんか、火みたいに、ばーんってのじゃないんだなって」
「派手ではありません」
「私は、ばーんってやりたいんだ。爆炎の魔女みたいに」
爆炎の魔女。
また、その言葉が出た。
入学式の日も、聞いた。
この子だったのか。
「爆炎の魔女、知ってる?」
ナナが、目を輝かせた。
少し、迷った。
知っている、とは言えた。
だが、その先を、どう言えばいいのか。
あの人が、俺の母だとは。
言わなかった。
「名前は、聞いたことがあります」
「すごいんだよ! 森ごと燃やせるんだって!」
「そうらしいですね」
「私、あんな風になりたいんだ」
ナナは、本気だった。
本気で、そう思っている。
その目は、嘘ではなかった。
憧れている。
大きく、燃やす火に。
派手な、爆炎に。
でも。
俺は、知っている。
あの人の一番強い火は、拳より小さい。
広げると、散る。
狭くすると、全部乗る。
板を、抜く。
それを、この子は、まだ知らない。
知らないまま、憧れている。
言おうか、と思った。
一瞬だけ。
だが、やめた。
今、言うことではない。
この子は、大きく撃ちたい、と思っている。
その気持ちを、いきなり否定するのは、違う。
それに。
俺が、あの人のことを、どこまで知っているかを、話すことになる。
それは、まだ、早い。
「頑張ってください」
そう言うだけに、した。
「うん! ヨウカも、頑張って! 地味だけど!」
「地味は、余計です」
「あはは、ごめん!」
ナナは、笑って、また的の方へ戻っていった。
そして、また火を撃ち始めた。
大きく。
派手に。
板は、倒れない。
それでも、やめない。
⸻
その様子を、少しだけ見ていた。
似ている、と思った。
一年前の、俺に。
光を、何度も散らした。
形を、保てなかった。
どうすればいいのか、分からなかった。
それでも、やめなかった。
ナナも、同じだ。
大きく撃てる。
でも、抜けない。
どうすればいいのか、まだ分からない。
それでも、やめない。
いつか、気づくのだろうか。
大きさではない、と。
狭くする方が、強い、と。
気づいた時、あの子は、変わるのかもしれない。
でも、それは、今ではない。
今は、まだ、大きく撃ちたい時だ。
その時を、邪魔しない方がいい。
気がした。
⸻
夜、記録板を開いた。
研修後、日常に戻る。
授業。訓練。いつも通り。
一年生のナナと、話した。火魔法。大きく撃てるが、的を抜けない。
爆炎の魔女に憧れている。
そこで、手が止まった。
アンナのことを、書こうとして、やめた。
ナナは、知らない。
あの憧れの相手が、どんな火を撃つのか。
一番強い火が、どんなに小さいのか。
そして、その娘が、すぐ近くにいることも。
知らないまま、憧れている。
それで、いいのかもしれない。
今は。
記録板に、一行だけ足した。
知り合いになった。名前を覚えた。それで、今はいい。
書いてから、少し考えた。
研修で、大きなことがあった。
殺した。
レベルが、上がった。
見えない強さを、知った。
でも、日常は、続く。
授業がある。
訓練がある。
後輩ができた。
大きなことのあとにも、小さなことは続く。
それが、たぶん、いいことだった。
記録板を閉じた。
窓の外は、暗い。
明日も、訓練場に行けば、たぶん、ナナがいる。
また、火を撃っているだろう。
大きく。
派手に。
倒れない的に、向かって。
それを、少し、見ているかもしれない。
邪魔はしない。
ただ、見ているだけ。
今は、それでいい。




